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140 ある貴腐人の半生


 次の土曜日に、わたしは即売会会場で売り子をしていた。


 サークル卓の隅には苦手な根神先輩が陣取って、自作のフィギュアを売ってる。

 わたしとタカコは根神先輩が際限なく繰り出してくるセクハラすれすれのジョークを愛想笑いで流しつつ、「早く終わらないかな」と祈っていた。

 彼のせいでせっかくの趣味活動も灰色だ。



七月。世は並べて事もなし。


 ひさびさに妹から電話があって、姪っ子を半日面倒見てくれないかと頼まれた。

 だけどわたしはのらりくらりと理由を並べて断ってしまった。


 可愛い姪っ子には会いたかったけれど、わたしは日増しに、妹のようにしっかりした人間に会うのが億劫になっている。

 どのみち妹もたいして期待していなかったと思う……たまにはママに電話してね、とか煩わしい言葉に生返事して、通話を終えたときにはホッとした。



 八月。お台場。

 待ちに待ったコミケ。だけどニートのわたしはいくらか倹約モードになってたので、心から満喫できなかった。


 そろそろ就職活動しないと……。



 クリスマス。

 わたしはぼっち。

 コンビニで小さなケーキを買って、紅茶で流し込んで、終了…… 



年が明けて、一年近く続いたニートからようやく脱却。

 お給料は安いけれど、パートで働き始めた。

 

 それに派遣先で出遭った感じのいい人と仲良くなって、よくお喋りした。


 彼と同棲を始めて1年が経って、わたしはいろいろと変わった。

 彼はわたしの趣味が気に入らなくて、付き合い始めるとおたく趣味をやめるよう何気なく圧力をかけてきた。

 わたしは彼の願いならなんでも受け容れてしまう。

 サークル活動もすっぱりやめて、タカコとも疎遠になった。



 同棲2年目。


 今日も彼と喧嘩してしまった。

 彼は優しいけれど、わたしの聞き分けが悪いと、ときどき引っ叩かれる。



 同棲3年で彼と破局した。


 けっきょく、わたしが待ち望んだ結婚の話は一度もなくて、彼は別のところに女を作っていたのだ。 

 最後の数ヶ月は泣いてばかりいて、それでも彼が帰ってきてくれると嬉しくて、素っ気なくされてもわたしは我慢して、彼がいつか振り向いてくれることを願い続けた。


 ある日、わたしの部屋はもぬけのからになって、彼が出て行ったことを知った。

 わたしのへそくりやなけなしの貴重品はすべて持ち去られていた。もっと若い子の元に逃げたのだ。

 お馬鹿なわたしが手に入れたのは友達ゼロと、鎖骨と肋骨の骨折痕だけだ。

 たぶん殺されなかっただけマシなのだろう。


 だけど、それでもわたしは、彼の赤ちゃんが欲しかったんだ。




 そう、わたしはお馬鹿さんだった。

 あんなひどい彼のことがいつまでも忘れられなくて、年下の軽薄な女の子なんて捨てて戻ってきてくれると願っていた。


 だからタカコや上野さんとの仲も修復できなくて、そのうちにタカコから「結婚しました」という他人行儀な葉書が一枚届いた。

 名字が変わったタカコと男の人の名前が並んでいる宛名を見たとき、わたしの中でとても醜い感情が渦巻き。何ヶ月も悶々として、眠れない夜が続いて、わたしのすでに干からびていた感性から湿り気の一滴まで奪い去った。



 40才になるまでどうやって生きてきたのか、わたしはあまり覚えてない。


 このまま、なにも無い毎日がずっと続くのかな……わたしはそんなことを噛みしめながら、それでも淡々と過ごしていた。


 姪っ子のユリナちゃんは中学生になって、いまや受験生だという。

 それどころか妹のユイはふたりめの男の子を出産して、その甥っ子も小学6年生だ。わたしは甥っ子が三歳になるまで存在も知らなかった。

 ひどいおばちゃんだね。

 おばちゃんは君たちに会うのが怖いの。だからママにお年玉を預けて渡してもらうくらいしか出来ない。


 

 そんなわたしに神様はラストイベントを用意してくれた。


 夏のある日、体調を崩して病院に行くと、お医者からいくつか追加の検査をしましょうと言われた。


 結果はステージ3の膵臓癌。


 「説明したいのでご両親をお呼びいただけますか?」

 「あの……両親はもう他界してまして……」


 わたしはのらりくらりとウソをついて、治療も渋った……だって彼のために生命保険も解約してたから、わたしは癌治療の代金なんて払えない。

 ネットで膵臓癌を調べてわたしは打ちのめされてたし。


 5年の生存率5%なんて、親に言えないよ……



 その年の冬までわたしはどうやって生きてたのか、自分でも不思議だ。

 携帯の支払いが出来なくてわたしは連絡不能になってたから、心配したママがわたしのアパートまで来た。


 それから即入院させられて……


 歳を取ってひとつだけ良かったのは、感性が鈍ることだ。

 泣いて説教する両親や妹にわたしはただうなずいて、すこしだけ涙ぐんで、すこしだけ罪悪感に苛まれただけだった。 


「ママ……お願いだからわたしの治療にお金なんか使わないで……」

 「馬鹿なこと言わないで!」


 そう、わたしはバカな子だ。


 ごめんなさい。



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