119 トレッキング、ていうか冒険
山の天気は変わりやすいと言うけれど、歩き出して1時間ほどすると雲行きが急に怪しくなりだした。
「こりゃひと雨来る」ですぴーが言った。
わたしたちが立ち止まってポンチョを取り出すあいだにポツポツ降りだして、まもなくザーザー降りになった。
「あの最後の岩場だけ超えるぞ」サイが言った。「慌てずに行こう」
わたしたちは頭を突き合わせて会話していた。でないとほとんど聞こえないくらいに雨が激しくなっていた。
まあわたしは当然のようにサイに抱っこされて岩場を運んでもらった……というのは、すでに大災害の様相を呈してたからだ。
岩場はとつぜん押し寄せてきた鉄砲水で半分以上水没してる。
泥水と倒木がもの凄い勢いで流れてて、「ドォー」っていう大音響が鳴り止まない。視界はしぶきと雨でかすんで、はっきり見えるのは10メートル先まで。
まあフツーならここを渡ろうなんて思わないよね。
だけどみんな岩から岩へ軽やかに跳躍して、無事に――あっけなく渡りきった。
わたしたちは斜面を50メートルほど登った。ここはもうあの台形の山の麓だ。
「ここの地盤は大丈夫、一息つきましょ」メイヴさんが宣言した。信じがたいことに傘を差してる。
木の幹のあいだにロープを渡して、即席の雨よけを作った。
大自然の猛威とやらをこんなに間近で眺めるとは。
街で台風が直撃したくらいでも怖いけど、せいぜい傘を飛ばされそうになって物が飛んでくるのが危険、という程度だろう。家の中に閉じこもってればまず安心。
命の危険がすぐそばに迫ってるなんて、初めてだった。
斜面は水が流れ落ちてぬかるんでるので、わたしたちは石の上にあぐらを掻くような感じで、ただただ雨が止むのを待ちわびた。
そうしているあいだにも向かい側の山の斜面がメキメキと崩落して、雨音をかき消すような轟音がとどろいた。
(サイが沢を渡ろうと言うわけだ……)
あっち側でモタモタしてたら大変なことになってたろう。
土砂降りが激しい風に変わり、真っ暗になった空で雷鳴が響いた。
そして唐突に、雲が晴れた。
「いやーすごかった」シャロンが立ち上がって背伸びしながら言った。
「アイダホじゃこの程度フツーだろ」
「ジョー、あんたはアイダホに住んだことなんかない」
ジョーはうなずいた。
「でもベネズエラの従兄弟を訪ねたついでにギアナ高地は行った。ここと同じくらいヤバいとこだった」
「ハリケーンが通過したときのサウスカロライナもひどかったな」
「ああ」ジョーがまたうなずいた。「あんとき〈魔導律〉を持ってたらなあ……」
晴れたと思ったら今度は霧が立ちこめはじめた。
「行こう」サイが言った。「上に行けばもうすこし見晴らしが効くだろう」
わたしたちはジグザグに斜面を登りはじめた。昨日と違って比較的お互いの距離を縮めて、わたしを真ん中にして歩いていた。そのかわりハリー軍曹が先行している。
「1時間も歩けば、山頂のはずだ。昼食は登り切ってからにしよう」
「いよいよかあ」
「メイヴ姐さん」シャロンが言った。「ここでなにが見つかると思ってるんで?」
「う~ん」メイヴさんはしばし言いよどんだ。「できれば昨日言った「龍翅族」の魂とコンタクトしたいわ」
「地球人を助けたっていう伝説の?それがここに居るかもってんですか?」
「居たら良いなって思っているのよ」
「でも……何十万年も前に死んでるんでしょ?」
「魂はどこかに漂ってるはず。龍翅族はわたしたち人間よりずっと〈魔導律〉が強いの。それに生命力も強いし長生きなの」
「そんなスーパー種族なんですか。それならあんたがたが直面してる世界王とのいさかいなんてもっと簡単にやっつけられそうですが?」
「彼らは個体数が極端に少ない。とても謎めいている。わたしも本物は見たことないのよ……」
「それで、その魂がいたとして、どうするつもり?」
「それはもちろん、お伺いを立てるの。地球人をイグドラシル世界に戻しても良いかどうか」
「うえ!?」シャロンは思わず立ち止まり、慌ててまた歩き出した。「そ、そんな大事なことを、これから尋ねに行くってんですか!?」
「いかにも」
「たまげた……」ジョーが言った。「あたしたちそんな重大なクエストに参加してたのかよ」
わたしはですぴーが思いきり顔をしかめてるのを見逃さなかった。
「だから来たくなかったんだよ」とその表情が物語ってる。
ホントに、途方もなく重要な要件だ。
地球を29万年も見守ってきた(と思われる)ガイア神に、地球人は救う価値があるか聞きに行こうとしてるだなんて!
サイは驚いてもいない。きっと承知していたのだろう。
そもそもそれこそサイが知りたがってたことだ。
それどころか、ほかのみんなを捨ててひとりだけ異世界に連れて行ってもらうことなんて出来ない、と言ったのはわたしだし!
(なんだよ)わたしはいささか及び腰になってきた。(そんなもの凄く大事な要件に関わってたなんて!)
「おい、あれ」ですぴーがそう言って、みなが立ち止まった。
鳥居だ。
恐ろしく古びてるけれど、赤い鳥居が林のあいだに立っていた。
階段も見えた。
「なんか」鮫島さんが言った。「ついに来てしまった、というか……」
シャロンがうなずいた。
「少なくとも人工物が見つかってホッとすべきところだけど、なんだろうこの不安……」
明らかにヤバそうな佇まい……です。
「これで頂上に着いてみたら、神社と観光地が広がってました、なんてオチはないよね」
「そのほうが気楽だけど」ジョーが言った。「ないな」
石の階段は苔むして森と同化しかけていて、何十年間もだれひとり歩いた形跡がないように見えた。
何百年かもしれない。
狭くて不揃いな石段は50メートルほどまっすぐ、山頂まで続いている。
わたしは強くうなずいて、鳥居をくぐった。
「お?さっそく行くか?」ですぴーが言った。
わたしは階段を進みながら振り返って、言った。「行くしかないよ」
「あー……ナツミ、ちょっと待て」
「なに?サイ」
「邪魔者が現れた」
「えっ?」
わたしは立ち止まって、階段の先を見上げた。
真っ白な装束の山伏がふたり、槍みたいなのを交差させて立ち塞がっていた。




