113 スローリィライフⅣ
九月も終わり。残暑もようやく終わりそうな気配の土曜日。
中国に遠征したドタバタ騒ぎの日から何日も過ぎたけれど、わたしたちは平穏なスローライフを営んでおります。
ただ一点――
「まってね~、もうすぐできるからね~」
エプロン姿のメイヴさんが言った。
今日はメイヴさんが朝食を作る番だ。
……なんで彼女がわたしのアパートにいるかというと、住み込んでるからです。
まあ、無収入でおカネも持ってないメイヴさんには、選択肢が限られてた。
地球にやってきた際に持っていた金貨や宝石の類いは、中国人に没収されてしまったのだ。
身の回りの品物(黒い鞄の中身)は返却してもらえたものの、金貨は帰ってこなかった。ひどい話だけど、半年間衣食住を提供されたので仕方ない、とメイヴさんは肩をすくめる。
中国にはわたしと同様、〈終焉の大天使協会〉から巻物を授かったメイヴさんのお世話係がいたんだけれど、その人物はメイヴさんの〈魔導律〉に目がくらんだ共産党幹部たちによって余所に追いやられてしまった。
その巻物は巡り巡って、現在は鮫島さんが持っている。
彼はパワーを授かって有り難がっているけれど、つまりそういうことだ。鮫島さんはメイヴさんのお世話をしなければならないのだ。
ピンポーン♪
呼び鈴が鳴って、わたしがドアを開けに行った。
鮫島さんが中くらいの鍋を抱えていた。
「豚汁出来上がりました!」
「どうも、入って」
それで、台所のテーブルに着いたわたしたちにメイヴさんが調理した魚を給仕した。鮫島さんが豚汁をよそり、朝食となった。
「ああこれ、懐かしい味だ!」サイが嬉しそうに言った。
甘辛く味付けしたサバ。表パリッと中身はジューシー。付け合わせの焼いた野菜ともどもたいへん美味だ。ご飯が進む。
鮫島さんもメイヴさんも料理が上手で、このところ我が家の献立は彩り豊かだ。鮫島さんの唐揚げとカレー、メイヴさんの変わった味付けの異世界ふう魚料理……
メイヴさんは肉より魚好きだった。お寿司も気に入ってる。中国の料理は脂っこすぎて唐辛子や山椒の味ばかりだったそうな。
なので四川料理はしばらく勘弁してほしいという。
幸福とは、毎日の朝ごはんを楽しみにできることなのかもしれない。
それに夕ごはんが加わればなおさら。
(幸せ太りしそう……)
とはいえ太る心配より、おいしい豚汁をご飯にかけて猫まんまにしたい欲求が募る。
やったら引かれるかな……?
サイの前では以前クリームシチューご飯を披露して、気に入ってくれたけれど……サイもスープにパンを浸して食べてたことだし――似たようなもんよね?
「ちょっと失礼して……」思いがけなく、鮫島さんが先に豚汁をご飯にかけた。彼はどんぶり飯なのだ。「今日は忙しいので」弁解しつつ猫まんまをかき込んだ。
「あら、わたしたち野宿や慌ただしい食事は当たり前だったから、お行儀なんか気にしないわよ」メイヴさんが言った。
「そうなんですか」
「ああ、岩陰で土砂降りを避けながらソーセージを焼いたこともあったっけ」
「あれひどかったわね」メイヴさんが笑った。「残った油で人参もまるごと炒めて、かじったの」
「そりゃひどい」鮫島さんも笑った。
「土曜も仕事か?」
「実質休みなしですがね……今日は仲間と引き継ぎで、事務仕事とかいろいろ」
そう、「シャドウレンジャー」は五人チームだ。
たまに別のメンバーが護衛を交代する。彼らが拠点とするアパートの一階は狭いので、二人詰めるのがギリギリだ。
それに彼らの活動は予算がたいへん限られていたため、五人全員が任務に就く余裕がない。トイレットペーパーを自腹で調達してるくらいだ。
もっとも原隊も似たような状態らしいけれど……正直言って事務所ごと大勢引っ越して来たアメリカとは偉い違いだわ。
ごはんを一緒にとるのはサイが決めた。そのほうが士気を高められるという理由をわたしに説明したけれど、ちょっと同情してもいたんじゃないかな?それで食費はだいぶ節約できるから。
鮫島さんが持ち込みを始めたのもそんな流れからだ。
サイと鮫島さんが喋っているあいだに、「それじゃわたしも」と呟いて、ご飯の残りを猫まんまにしてササッと平らげた。
おいしかった!
鮫島さんは食事を終えると食器を台所に運び、洗った。自衛隊員ゆえかもともときっちりした性格なのか。
「それじゃお先に。メイヴさん、お魚たいへんおいしかったです」
メイヴさんはにこやかにうなずいた。「豚汁も美味しゅうございます」
メイヴさんはアパートのリビングに布団を敷いて眠る。
ラブラブアイランドのコテージにも誘ったけれど、彼女は昼間のあいだそこで過ごすことはあったけれど、寝床としてもう一棟コテージを建てようというサイの提案は辞退した。
この世界では野宿できないと知らされて憤慨していた。
「いいじゃないのべつに。誰にも迷惑かけるわけじゃないし……見たところ綺麗な公園や河川敷がたくさんあるのに」
「まあ、そうかもしれませんけどぉ」
ここではそれをやると治安維持がお仕事の人たちに捕まってしまうのだ。「警察」も「ホームレス」もピンとこない相手に説明するのはたいへんだった。
「これは、わたしも瞬間移動を習得すべきかもしれないわ。いくら狭い世の中でもどこかにキャンプできる所があるはずよ!」
「そりゃありますけどね、サイはしばらくここにいて欲しいんだと思いますよ?」
メイヴさんはそれで考え込んだけれど、納得はしてないようだった。
あくまで独立独歩の人らしい。
生活費や住居の世話をしようとしたサイを断っただけある。
「今度、あの魔法の絨毯で出掛けましょうよ、ね?1時間くらい飛べばだれにも見咎められない山の中でキャンプなりなんなりできますって」
メイヴさんはふたたび考え込んだけど、今度は笑みを浮かべた。
「それ、試してみても良さそう!」
夜にそのことを報告すると、サイは眉間を曇らせた。
「メイヴにそんなこと提案したのか」
「あ、まずかった?」
サイは首を振った。
「まずくはないが、ひとりでやらせるのはちょっとな……」
「ピクニックに行って自然に触れるだけだよ。そのあいだに街で生活するよう説得するつもりだし……」
「ナツミも同行する気か?」
「え?ダメ?」
「ダメとは言わないが……」サイは瞑想的に言った。「ある程度、覚悟する必要があるかも」




