46.(番外編)粉雪の降る日
ひときわ冷え込んだ朝、窓の外から聞こえるかすかな音に目が覚めた。
「……まだ、夜も明けきってないじゃない。こんな時間に、何?」
寝間着の上からガウンを羽織り、窓に歩み寄る。カーテンを開けると、空はまだ暗かった。東の空が、うっすらと白んでいるだけで。
耳を澄ませると、やはり何か聞こえる。人の話し声のようだ。でもここからだと、何も分からない。
誰かが目を覚まして、こっそり遊んでいるのだろうか。あるいは、夜通し飲んだ面々が、上機嫌で騒いでいるとか。
どちらにせよ、確認しておかなくてはならない。院長って辛いわ。
手早くいつもの修道服に着替え、寒かったのでその上からマントを羽織る。室内でする格好ではないけれど、冬の早朝の、それも火の気のないところを歩くには、これでもまだ足りないくらいだ。
食堂には、誰もいない。寒すぎて、みんな自室で休んだようだ。ぐるっと修道院を一周してみたけれど、声の主は見つからない。というかそもそも、人影一つ見当たらない。
変ね、マリアたちが早朝に中庭で鍛錬しているらしいって聞いているけれど、彼女たちの姿もない。静かすぎる。
首をかしげながら、玄関に向かう。すると、また話し声が聞こえ始めた。どうやら声の主は、外にいるらしい。こんなに寒い日の、こんな時間に、そんなところで何をやっているのだろうか。
玄関に隠してある護身用の棒を手に、ぶつぶつつぶやきながら玄関の扉に向かう。……鍵が、開いている。心臓が、嫌な感じに跳ねた。
「間違いなく、昨晩鍵をかけたのに……この鍵は外からでは開けられないから……誰かが開けた、ということよね? どうして?」
さらに謎が深まるのを感じながら、おそるおそる扉を開ける。とたん、話し声が大きくなった。女性たちの、明るくにぎやかな声だ。
ああ、やっぱり誰かが外に出ていただけなのね。ほっとしつつ、そちらに向かう。しかしそこに広がっていたのは、思いもかけない光景だった。
「冬は虫がいないから、外の作業も安心してできますね……」
額をぬぐいながら、シャーリーが微笑み。
「あれ、シャーリーって虫、苦手だった?」
大きなシャベルでせっせと穴を掘りながら、アイリーンが小首をかしげる。
「実は、そうなんです……虫が出ても伝書鳥たちが片付けてくれるんで、困ってはいないんですけど」
「ああ、おやつになるんだね。動物って、おいしそうに食べるよね」
「まあ、そういうことですね……虫を食べたくちばしをこっちに向けられると、どうしていいか分からなくて……あはは……」
朝から楽しそうに喋っている二人の隣では、ジルが指示を飛ばしている。彼女の視線の先では、マリアと二人の修道女が、猛烈な勢いで穴を掘っていた。
……夜も明けないうちから、みんなで穴掘り。声の正体こそ分かったものの、さらに訳が分からなくなってしまった。
「何してるの、あなたたち?」
声をかけると、全員が動きを止めてこちらを見た。穴掘りの音と夜明け前の薄闇のせいで、みんなは私に気づいていなかったらしい。
「あ、ミランダさん。おはようございます!」
「ジルが、新しい罠を考案したのです。私たちは、その制作に協力しています」
明るくあいさつをしてくるシャーリーとアイリーンの隣で、マリアが敬礼した。
「新しい罠? 私、それは聞いていないのだけど? おかげで、肝が冷えたわ。不審者が現れたかと思ったのよ」
腕組みをしてみんなをにらみつけると、アイリーンがきまり悪そうに答えてくる。
「案が完成したのが、昨夜のことらしくて……少しでも早く罠を作ってみたいって、夜明け前に私たちを叩き起こしにきたんです」
「ばあちゃんはいつも朝が早いんで、私はもう起きてました。寝台でぼうっとしてたら、ジルさんがノックもせずに部屋に飛び込んできたんです。ばあちゃん、驚いてました」
ちょっぴり寝ぐせの残る頭をかきながら、シャーリーが笑う。
「私たちは既に起床し、早朝の鍛錬に向かうところでした」
マリアがきびきびと言葉をそえると、もう二人の修道院が同時にうなずいた。
彼女たちを見回して、ジルがこちらに向き直る。
「修道院の周囲には、一通り罠を張り巡らせた。でもやはり、正面の守りが甘い。だからもう一つ、罠を作ることにした」
早朝から人を集め、私を驚かせた割に、彼女は少しも悪びれていない。
この修道院は、自由だ。仲間たちに迷惑をかけないこと、自分の行動の責任はちゃんと取ること、その辺を守っていれば、かなり好き勝手に過ごしていられる。
だからジルの罠が増えていくことについても、特に気にしていなかった。その分修道院の守りが堅くなっているのも事実だったし、他のみんなも面白がっていたし。
……もっとも、修道院の塀のすぐ外側は、危なくて歩けなくなってしまったけれど。これくらいは、大目に見ることにしている。
「そのために、必要な人員を集めた。報告が遅れたのは、謝る」
この修道院で一番剣術に長けたマリアと、彼女の愛弟子と化している二人の修道女。それに元気いっぱいのアイリーンと、割と体力のあるシャーリー。人選としては納得だ。というより、こんな作業を快く受けてくれるのって、この面々くらいなものだし。
「ええ。これからは気をつけてね。新しい罠、どんなものになるのか楽しみにしているわ」
反省しているらしいジルにそう声をかけたら、彼女は珍しくもにっこり笑ったのだった。
そんな騒動があってから、数日後。
「釣れたわ」
目をきらきらと輝かせて、ジルが報告にやってきた。彼女の後ろには、同じようにわくわくした顔のみんな。おそらく、ジルの姿を見かけて後をついてきたのだろう。
「正面の、新しい罠。見にいこう」
「ええ。まさか、こんなに早く、あなたの罠を試すことになるなんて……」
前にも、こんなことがあったわね。あのときは、修道院に忍び込もうとしたマーティンが、綱で巻かれて吊り下げられていたんだった。今度は、どんなことになっているのかしら。
ちょっぴりうきうきしてしまうのを感じながら、罠のところに向かう。
塀の外、門から少し横にずれたところに、小ぶりな馬車がたたずんでいる。馬車の前には、ぽっかりと穴が空いていた。こないだ、マリアたちが掘っていた穴だ。
穴に近づき、中をのぞき込む。すり鉢状の穴の底に横たわっているのは……えっ、ウォレス!?
「どうしてあなたが、ここにいるの!?」
「陛下の命で、書状を届けに来たのですが……馬車を止めて進み出たところ、いきなり足元に穴が空いて……」
「早く、上がってきて!」
「それが、何かねばつくものに捕まっていて、体の自由が利かないのです」
目を凝らすと、透明な何かが彼の体の下にあるのが見えた。ジルったら、また妙なものを仕込んで……これが新しい罠……ということなのね。
いけない、それよりも、彼を助けないと。紐か何かを垂らして引っ張りあげるしかないかしら。そう思ったとき、背中にどんと衝撃が走った。そのまま、穴の中に落ちてしまう。
「痛っ、たた……」
「大丈夫ですか、ミランダ様!」
ウォレスの声が、やけに近い。というか、目の前にあるこれは……ウォレスの胸!?
「え、ええっ!?」
どうやら私は、穴に……正確には、ウォレスの上に落ちてしまったらしい。
「わ、私は大丈夫よ。あなたのほうこそ、どこかぶつけていない!?」
「お気遣い、ありがとうございます。」
彼の返答にほっとして、それから体をひねって、穴の上を見すえる。
「ちょっと、誰かさっき背中を押したでしょう!?」
穴のそばにずらりと並んだみんなは、一斉に視線をそらして知らん顔をしていた。うん、やっぱり誰かが私を穴に落としたのね。みんな、明らかにこの状況を楽しんでるわ。
それはそうと、早くここから出ないと。身じろぎしたら、またウォレスの声がした。体が思い切り触れ合っているせいで、直接体に響いてくるのがどうにもこそばゆい。
「ミランダ様、動かないでください。貴女まで、ねばねばに捕まってしまいますから」
もがいていたら、ウォレスにしっかりと抱き留められてしまった。彼の下にあるねばねばに私がくっつかないようにかばってくれているのは分かるのだけど、さらに体が密着してしまって……どうしましょう、
「見て、ミランダが赤くなってるわ!」
「初々しいわねえ」
「きゃー! 素敵!」
しかも穴の上からは、そんな叫び声が次々と聞こえてくる。すっかり見世物だ。
「なんでもいいから、さっさと引き上げなさいよー!!」
ウォレスの体温を全身で感じながら、ただ声を張り上げていた。
ひとしきり騒いだあと、みんなは私たちを引き上げてくれた。ジルの罠のねばねばは、特別な液体を用いることで溶かすことができたのだ。
「困りましたね……服は替えがあるのですが、靴はそうもいかず……」
ウォレスの全身を固めていたねばねばこそなくなったものの、彼は上から下までびしょ濡れになっていた。みんなして、例の液体をばんばんウォレスにかけまくっていたから、こうなるのも仕方はない。
「濡れたままの靴を履いて帰るのは、さすがによくないわ」
夏ならともかく、この寒い中、それは辛い。それに、風邪を引いてしまうかもしれない。
「ウォレス。一晩、泊っていって。空き部屋ならあるし」
「いえ、さすがにそれは……ここは、女性のみが集う修道院なのですし……」
「何事にも、例外はあるのよ。それに、私たちが仕掛けた罠のせいなのだから」
懸命にウォレスを説得していたら、後ろからメラニーの声がした。
「ウォレスには、修道服は似合わなさそうねえ」
「そもそも、そこまで大きな服があったかしら?」
「あるある。前に、彼より大きな男性がまぎれこんだことがあったから」
「じゃあ、着せちゃいましょうか」
「いいわねえ」
メラニーとその友人たちの会話が耳に入ったのだろう、ウォレスが目をむいて息をのんでいる。
「もう、彼は陛下の正式な使者だから、服はそのままでいいの!」
とっさに言い訳をこしらえて、ウォレスの手を引いて修道院の中に駆け込む。男子禁制? 今はそれどころじゃない。
背後からは、みんなのひときわ楽しそうな声が聞こえていた。
◇
そうして、ミランダとウォレスが修道院の中に消えていって、少し経った頃。
「うまくいった」
ジルがにやりと笑って、作動したばかりの罠を見つめる。
「『ウォレスをそちらに送るから、あとは任せたぞ』って、陛下から手紙までもらっちゃいましたしね……『ミランダには内緒じゃ!』とも書いてありましたし……」
シャーリーが苦笑しながら、肩をすくめる。それに続くようにして、他の修道女たちが我先にと話し始めた。
「任せられたら、頑張るしかないものね。ミランダに見つからないように打ち合わせるの、大変だったわ」
「あえてウォレスが引っかかりそうなところに罠を用意して、ついでにミランダも落としてみる。偶然の事故とはいえ、ぴったり体がくっつくのって、刺激的よねえ」
「ねばねばから救うついでに彼を全身びしょぬれにして、彼をここに滞在させるための口実を作る。ジル、いい案を出したわね」
「ここまですれば、ミランダも動くかなって思ったのだけど……予想通りすぎて、びっくりよ」
そうして、全員が笑顔を見合わせる。
「やっぱり私たちは、みんなで力を合わせてこそ、ね!」
◇
ウォレスを私の部屋に連れていき、濡れた靴を脱がせる。恐縮している彼に、物置から取ってきた古いサンダルを履かせた。かつて、ここに忍び込んでいた誰かのものだ。
そうして一息ついたとき、窓の外にちらちらと雪が降っていることに気がつく。ああ、やっぱり彼をそのまま帰さなくてよかった。
「あら、初雪だわ……」
「本当に、よかったのでしょうか。私がここに滞在するなど……」
「困ったときは、お互い様よ。それより、せっかく会えたんだから、お喋りしましょう。手紙では伝えきれなかった、色んなことを」
「ええ」
そう言って微笑むウォレスの顔は、思わず見とれてしまうくらいに穏やかで、優しいものだった。
コミカライズ、連載始まりました!
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