第80話 藤原千方という男
浬と海瑠が大阪に到着して宿題を始めたその夜。関西地方のとある街にて、藤原千方は目覚めた。
「・・・ぐっ」
目覚めて直ぐに、目眩が彼を襲う。カイトも言ったが、普通は蘇りなぞ出来はしない。そして現に、カイトやフェルからすれば、これは死者蘇生ではなかった。なりすましと言う方が正しい表現だった。
何が違うか簡単にいえば、魂が違った。別の個人に藤原千方の記憶や感情、そして知識をインストールした様な感じだ。魔術的、世界のシステム的に正確に言えば、完全な別人だった。
だが、個人をなんと定義するか、と問われれば、大抵の人はその精神的な物こそを重要視するだろう。肉体なぞ所詮は器。記憶や感情、他者がどう捉えるか。その人の持つそれら人間的な精神こそが、その人をその人足らしめる。
であれば、藤原千方の記憶と知識、そして彼の感情を持つ彼こそが『藤原千方』と言った所で、誰もそれを否定しないだろう。現に、千方の四鬼達は彼を千方と認めていた。
「ふぅ・・・水鬼、水を」
「かしこまりました」
目覚めてすぐ。千方は水を求めて水鬼に水差しを持ってこさせる。汗を掻いていた所為で、喉が渇いたらしい。とは言え、これは彼が千方になってからは何時もの事だ。なので水鬼も焦る事もなかった。
なお、別に水鬼と寝所を共にしていたわけではない。彼が目覚める少し前から、水鬼がその横に控えていたのである。藤原千方と四鬼の間に肉体関係は一切無い。純粋な主従関係だった。そこら、千方も四鬼達も一線を引いていた。
「・・・灯りを。金鬼、何時も通りに鏡を」
「「御意」」
水鬼に持ってこさせた水を飲み、千方は寝室の灯りを点けさせる。彼が目を覚ましてまず確認する事は、彼自身の身体が彼自身の物である事だ。
まだ完全に『藤原千方』が定着していない上に過去とは違う身体である所為で、まだ自分の身体が自分の身体と認識出来ず、気を抜けば記憶や感情が肉体から剥離しかねず、確認を必要としていたのである。
「・・・良し。定着はかなり進んだな」
千方は金鬼にもってこさせた大きな鏡を見ながら、自分が自分である事を再度確認する。彼の背丈はおよそ170センチ半ば、筋肉はそれなりに身に付いていた。顔立ちは悪くは無いが、取り立てて良いと言う程では無い。着ている衣服は、白地の無地のTシャツとジーンズだった。
ちなみに、そんな彼らの居場所だが、当然、伊賀・甲賀では無い。千方の力が随分取り戻せた時点で、関西の別の地点に居を構えた。陰陽師としての力で、適当な豪邸を見繕って強引に家主から分捕った。家主は隠蔽の為に生きているが、彼の意識は完全に失われていた。
「風鬼。忠行の子孫共は?」
「はっ。あの馬鹿共めは未だに気付いておりません。おそらく晴明からは何の情報も得ていないのだと」
「そうか。やはり何らかの事情で、忠行の弟子は子孫らと袂を分かっているか。そうでなくても、多少は別行動をしている様だな」
風鬼からの応答を受けて、千方が読み通りだった、と満足気に頷く。ちなみに、風鬼は180センチ程の線の細い男だった。なお、金鬼は身長1メートル90センチ程の筋骨隆々の男だ。
これにぼんやりとした様子の隠形鬼とたおやかな美女である水鬼を加えた四人が、世に言う藤原千方の四鬼、だった。
「それで、水鬼。追手はどうなった?」
「申し訳ありません、千方様。どうにも今回の一件は蒼き王の知る所となった様で、彼の使い魔に食い止められた様子です」
「<<深蒼の覇王>>、か・・・儂の知識には無いな」
とんとん、と頭を叩く様にして、千方が記憶を探る。これは彼が千方になる前の彼の癖だった。千方になったからといって、過去が完全に無くなったわけではない。前の記憶は別人の記憶として、彼の中に残っていた。
そして千方の記憶にしてもまだ完璧に彼の物にはなっておらず、何処か古びたビデオテープで見せられている感じだった。が、その中にも何の形跡も無く、どう考えるべきかは判断にこまる所だった。
「厄介の一言に尽きます。伝え聞ける情報だけでも、一角の人物。油断は禁物です。特に今のお体であれば、なおさら・・・」
「わかっている・・・とは言え、隠形鬼。なんとか出来るのだな?」
「可能。あれは所詮使い魔。本体じゃない。本体の十分の一も無いまがい物。大方海外に出る上で、一応日本も忘れていない、という程度に過ぎないと思う」
千方の求めを応じてぼんやりとしている様に見せて、頭でカイトの対策を考えていた隠形鬼が可能、と断言する。真正面から戦うのであれば使い魔でも不可能だが、そもそも彼女は真正面から戦わない。彼女の役割は暗殺や奇襲だ。本体には通用しない攻撃でも、使い魔には通用する。
「よろしい。では、使い魔の対処は貴様に任せる」
「ん」
「さて・・・」
千方はこれからを考える。とりあえず、まず必要なのは身体を完璧にする事だ。それまでは満足に動けない。
「・・・隠形鬼。メモを」
「・・・ん」
少し嫌そうにしながら、隠形鬼は自分の書いたメモを一枚ちぎって、千方に提出する。ちぎったページは提出用のページだ。が、何時も通り落書きはされていた。見た目は20代前半から半ばの出るとこ出てる美女なのに、影が薄かったり子供っぽかったりと何処かアンバランスだった。
なお、見た目的な最高齢は30代なかばに見える金鬼で、その次は妙齢の女性な水鬼だ。逆に風鬼は隠形鬼よりも若干年下に見えるが、線が細い事で不健康で少し年を食っている様に見えた。
「はぁ・・・まあ、良い。必要な事は書かれているか」
何時も通りに落書きが施されていた報告書に千方は顔を顰めるが、隠形鬼は彼の配下の中で最も自由奔放だ。言うことを聞かない事も多い。
特に蘇ってからは、それが顕著だった。機嫌を損ねられてカイトの対策に穴が生じても困るので、今は苦言を呈する事をしなかった。ちなみに、隠形鬼が顔を顰めたのは落書きが気に入っていたから、らしい。
「ふむ・・・予定通り、姉弟は大阪に入った、か。他も概ね予想通りだな」
「天城の子はそのまま放置で?」
「構わん。あそこの血筋に生贄となれる程の力は期待していない」
千方達は浬達の中では唯一、空也にだけは使い魔による密偵を配置していなかった。千方の言う通り、空也は彼らには価値がなかったからだ。運動神経が高いだけの空也は彼らには不必要だったらしい。
「なんとか、天道の子は欲しい所だが・・・っ。また潰されたか。この手腕。天草の子では無いな」
式神の一体を動かすと同時に消えた信号に、千方が顔を顰める。何が起きているのかはわからないが、毎回毎回式神を活性化させると同時に、彼に送られてくる信号は途絶していた。
そうして再度潰された式神に、千方はまた少し思慮に入る。基本的に、四鬼達に意見は求めていない。方針は彼が決める。それが、ここの在り方だった。
「・・・何者かはわからんが、引き寄せたい所だな。隠形鬼。再度西の国へ飛べ。さらなる情報が欲しい。並の英雄でも、貴様の隠形は破れん」
「・・・はい」
隠密は隠形鬼がやることだが、やはり遠く離れた国への移動は隠形鬼としてもやりたいとは思えなかった。何より面倒が大きいのだ。
今でこそ飛行機が発達しているお陰で移動はまだ楽だが、それでも他国への密偵はやりたくはない。日本から大きく離れると地脈等の世界に満ちる魔力の勝手が違ってくる為、力が思うように振るえないからだ。とは言え、否やはなかった。なので、とぷん、と隠形鬼が影に消える。
「あれは勝手が過ぎますな」
「言うな。昔からだ」
金鬼の言葉に、千方が首を振って呆れ顔で同意する。隠形鬼の性格は千方の部下になる前からであり、実力は備わっているので全員許容していた。が、最近は少々目に余ったようだ。
「そのうち寝返るのでは? あれは蒼き王からスカウトを受けている」
「儂が死ぬまではありえん。制約で縛られている」
風鬼の問いかけに、千方が首を振る。どんな制約かは分からないが、隠形鬼は寝返れない理由があるようだ。なお、制約とは所謂契約とも言える。この制約がある限り、隠形鬼は千方に従う義務があった。
「まあ、とは言え・・・手は施しておくか」
蒼き王は油断ならない。それを把握する千方にとって、密かに存在する制約の穴を突かれる事だけが、唯一の心配事だった。隠形鬼は彼の手持ちの駒の中で他の四鬼と同じく頭一つ飛び出した存在だ。失うのは痛かった。
だが人格面の相性、職場環境であれば、実は隠形鬼とカイトの相性は非常に良い。逆に基本的に千方と隠形鬼の相性は結構悪い。
平時から部下の統率を完璧に行おうとする千方と、平時は各自の好きにさせるカイト。自由奔放な隠形鬼が好むのは、後者だった。寝返る可能性は十分にあったのである。
「水鬼。万が一の場合には、貴様が掣肘しろ」
「かしこまりました」
「ああ・・・では、お前ももう下がって構わん」
「はい」
隠形鬼の掣肘を水鬼に任せる事にした千方の命に応じて、水鬼はその場を後にする。彼女にも別に仕事を任せてある。用もないのに側に控えさせる趣味はなかった。そうして水鬼が去った後、風鬼が問いかけた。
「・・・良いのですか?」
「うん?」
「水鬼とて、千方様に心酔しているわけではない。あれは単に制約に従っているだけです」
「くっ・・・なんだ、そんな事か。そんな事は百も承知だ」
風鬼からの問いかけに、千方が笑みを浮かべる。水鬼も甲斐甲斐しく側に仕えていたが、実は千方に心酔して、というわけではない。同じく制約に縛られて従っていた。まあ、その点は風鬼も金鬼も一緒だ。
が、後ろ二人は制約に関係無く、今では千方に心から従っていた。千方の復活を主導したのも、この二人だった。逆に水鬼も隠形鬼と同じく動きを束縛される事を厭って、反対したぐらいだ。それでも妨害しなかったのは、やはり一応は主だから、と言う忠誠心があったのだろう。
「別に問題は無い。あの二人はもともと戦闘面であれば、貴様らに劣る。影への潜行を持つ隠形鬼は兎も角、水で敵を飲み込むしか出来ん水鬼は特に、だ。奴の役割なぞ、豪風を起こす貴様で事足りる。隠形鬼は兎も角、水鬼の方が裏切られて問題は無い」
「・・・確かに」
千方からの言葉に、風鬼がもっともだ、と頷く。水を生み出して敵を飲み込む力、といえば聞こえがよく、そして豪風で敵を吹き飛ばす力、といえば何処かあっけない。
が、実際としては別だ。水に飲み込まれたからといって、普通は即座に死ぬわけではない。魔術師であれば、焦る事さえ無ければ様々な方法で呼吸を確保する事は容易だ。おまけに人魚等の異族であれば、水に飲まれた所で意味が無い。もともと水の中で暮らしている。
だが、風で吹き飛ばされれば、速度によってはそれだけで加速度の影響で死ぬ。そうでなくても上空数千メートルまで吹き飛ばされれば、地面への衝突で大抵の魔術師も異族も為す術もなく死ぬ。空を飛べるのは一握りの極わずかだ。千方にとって優先順位は水鬼が一番下だったのである。
「が、それはさておき奴は忠誠心だけは隠形鬼よりもある。監視役をさせるぐらいが丁度良い。監視役が居る、というだけで隠形鬼はやりにくそうにする。水鬼とて儂から与えられた仕事にやる気を出しているわけではあるまい。この程度の仕事で十分だ。戦うべき所では戦うしな・・・それに、二人して裏切られた場合はきちんと考えてある」
「御意」
考えているのであれば、問題は無い。なので風鬼も金鬼も主の考えに従う事にして、彼らもその場を後にする。彼らも彼らで別に仕事を抱えているのだ。そちらに取り掛かったのである。
そうして、千方もまた自分の成すべき事――身体の定着率を上げる為の薬品作り――に取り掛かる事にして、浬達の知らない所で戦いの狼煙が上がったのだった。
お読み頂きありがとうございました。




