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第百十九話 事件発生

「えー、鏡さんならこっちの方が似合うよー」


「ちがうってば! こっちのドレスの方が絶対似合ってるって!」


「……ふふふ。二人ともわかってないなあー。妃愛ちゃんには絶対このメイド服の方が……あたっ!?」


「……時雨ちゃん? ちょーと、お話いいかな?」


 そう言って私はどうやって調達したのかわからない服を持った二人の友人の前から時雨ちゃんを連れて抜け出した。

 今しがた時雨ちゃんの脳天に振り下ろしたチョップは、意外とダメージがあったようであうあうしながら時雨ちゃんは私に引っ張られている。

 そして、教室から出て左手にある女子トイレの前まで連れてくると、なぜこのような状況になっているのか、その説明を時雨ちゃんに促していく。


「で? どうしてこんなことになってるのかな?」


「こ、こんなことって……?」


「現在進行形で私が着せられてるこの服のこと以外に何かあるとでも?」


「ひぃ! い、いやいや、べ、別にふざけてるつもりはないよ! で、でも想像以上に妃愛ちゃんが色々な服着こなせちゃったから……」


「つまり? 私が! 着せられるがままチャイナドレスを着ている私が! 全部! 悪いと!?」


「ぴぃ!? ……ご、ごめんなさい。調子に乗りすぎました」


「はあ……」


 遡ること数十分前。

 私はクラスメイトが一生懸命文化祭準備を行っている傍、自分が立てた計画の素晴らしさを噛み締めながら教室の隅っこでうとうととまどろんでいた。

 だというのに、そんな私を教室の外から発見した時雨ちゃんが、無理やり腕を引っ張りながら他クラスの教室に私を連れ込んだのだ。

 そしてそこで待っていたのがこの惨状。

 連れ込まれた教室は時雨ちゃんのクラスが使用していたらしく、現在は何やら演劇で使用する衣装を仕立てている最中だったらしい。なんでもまともに裁縫ができるのが、時雨ちゃんと先ほどの二人を合わせた三人しかいないようで、人手が足りなかったとのこと。


 いやいや、だったらなぜ私が?

 私、裁縫なんてできないよ?


 と、瞬間的に思ったのだが。

 テンションが上がった時雨ちゃんにそんな言い訳は通用しなかった。

 裁縫が出来なくても試着してくれるだけでいいと言い出したのだ。


 その結果。

 今、私は胸の奥からこみ上げてくる羞恥心を必死に押し殺しながら時雨ちゃんに物申している。

 文化祭期間中は制服以外の衣服の着用が認められている。

 無論、あまりにも風紀を乱すような衣装や、場の雰囲気にそぐわない服は禁止されてるし、制服以外の服での登下校は禁止されている。

 しかし。

 しかしだ。

 さすがにこれはダメだと思う。


 今、私が着せられているのは体のラインがしっかり見えてしまうチャイナドレスだ。

 チャイナドレスはその特徴から色々と刺激が強い衣服と言える。今は一応体育用のジャージを下に履いているためなんとかなっているが、それを加味してもこの格好は問題があると言わざるを得ない。

 そしてあろうことか、時雨ちゃんたちはそれ以上に派手な服を私に着せようとしてきたのだ。ここは色々な人の目がある学校。そんな場所でこんな恥ずかしい服をこれ以上着せられるわけにはいかない。

 そう考えた私はできるだけ微笑みを絶やさないようにしながら時雨ちゃんをあの場から連れ出したのだ。


「……ねえ、時雨ちゃん。これでも私、暇じゃないんだよ?」


「それは嘘でしょ。うとうとしてるのばっちり目撃してるし」


「……。……こ、こほん。と、とにかく! もう着替えるから! 異議は認めない!」


「えー。なんでなんでー。妃愛ちゃん可愛いし、金髪だからどんな衣装でも似合うと思うんだけどなー」


「……い、いや、そもそも私に服を着せることが目的じゃないでしょ。あくまで演劇の衣装の試着ってていでは?」


「ぶーっ! 妃愛ちゃんのケチ!」


「……怒りたいのはこっちなんだけど」


 そう言って私と時雨ちゃんは先ほどの教室に戻っていく。

 通り過ぎる生徒たちは皆、笑顔を浮かべ一週間後に迫った文化祭へ胸躍らせていた。

 この一週間。

 特に何も起きなかった。

 強いて言えば私の家に帝人を名乗る男の人がやってきたり、でもそれはお兄ちゃんが追い払って、后咲さんにその人の話を聞きに行ったり。

 というか、それは全てお兄ちゃんから聞いた話で私は何もしてなかったり。

 そんなこんなであっという間に一週間が過ぎてしまった。

 私の周りは文化祭ムード一色であり、授業はあるものの放課後は完全に生徒だけの空間が出来上がっていた。

 そして今日も気づかないうちに太陽は沈み始め、夕日が少しずつ私たちを照らしてくる。

 時雨ちゃんたちが無理やり着せてきた衣装から制服に着替えているうちに辺りはすっかり静かになってしまっていた。


「それじゃあ、私、帰るねー」


「うん。ごめんね、妃愛ちゃん。私たちまだ作業があるから一緒には帰れないや。気をつけて帰ってね」


「うん、大丈夫。わかってるよ。時雨ちゃんたちも気をつけて。また明日」


 そう言って教室を後にした私は、最後に自分の教室も覗いてみることにした。


 昨日はまだこの時間になっても作業していたはず……。


 そう思ってガラガラと自分の教室の扉を引いたのだが、そこに人影はなかった。

 それは少し不気味だった。

 いくら太陽が沈み始めたからと言って、まだまだ外は明るい。

 時間的に言えば十七時前後といったところだろう。

 それなのに教室に誰もいないという状況は本当にありえるのだろうか。


 とはいえ、今は深く考えても仕方がない。

 そう判断した私は、そのまま教室を後にして下駄箱まで歩いていく。

 私たちの教室は三階に位置している。そこから校門近くの下駄箱に向かうには近くの階段を降りて少しだけ歩かなければいけない。

 そして当然、この文化祭シーズンであればたくさんの生徒とすれ違いながら目的地に到達する。


 はずだった。


「……おかしい」


 下駄箱を開けて自分の靴を手にした瞬間、その違和感が一気に強くなった。


 誰ともすれ違わなかった。

 それどころか人の気配がない。

 誰とも会わずとも学校という空間は必ず人の気配が残っている。

 だが、今私が立っている空間には。


「……まるで生徒が消えたみたいに静か」


 何もなかったのだ。

 人がそこにいた痕跡が。


 瞬間。

 何かが飛んできた。


「ッ!?」


 反射的に体を反らしてそれを回避する。

 飛んできたそれは窓ガラスを粉砕して遠くの地面に突き刺さった。

 だが、やはり。

 これだけ大きな音が鳴っても人がやってくる気配はない。

 代わりに。


「……あなたがやったの?」


「ふ、ふははははははは! これは愉快だな! まさか俺の『人払い』にかからない人間がこんな女子中学生だとは。……つくづく運命ってやつは皮肉だな。お前もそう思うだろう?」


「……」


 気がついた時には濃密な殺気が空間を支配していた。

 動きが鈍くなるのがわかる。あまりにも大きな殺気はそれだけで体を重くしてしまうのだ。

 突然現れたその男は顔が見えないくらい深いフードを被り、私を見つめていた。眼球は見えない。だが、確実に視線が合っていると直感が告げてくる。

 男の姿は妙にやせ細っており、黒いパーカーにボロボロのジーンズ。決してダメージジーンズなどではなく、何かによって切り裂かれたかのような傷がつけられていた。

 そしてそれらの服には視界に入れたくない赤い染みがいくつもついている。


 ……今、視線を逸らしたら、やられる。

 場所は学校の中でも障害物が多い玄関。下駄箱を盾に戦おうにも身動きがしづらい。

 加えて、まだ学校には時雨ちゃんや他の生徒がいるはず。


 私はできるだけ冷静にそう考えると、相手との距離をはかりながら徐々に間合いを詰めていく。

 しかし男はそんな私を不気味な雰囲気を醸し出しながら見つめていた。


「いいねえ、いいねえええええ! どうやらお前は『塊人(かいじん)』じゃないみたいだが、それでも戦い甲斐がありそうだ。さあ、俺をもっと楽しませてくれよおおお!」


 そう告げた直後、男は私に向かって何かを投げつけてきた。

 その攻撃をギリギリで躱した私は廊下を転がるように移動して、そのまま玄関裏にある中庭へ逃げ込んでいく。

 おそらく男が使用したのは「人払い」という力だ。

 これについてはお兄ちゃんから聞いたことがある。

 魔術を応用、いや正確には魔術の基礎を利用した簡易的な結界であり、その効果を受けたものは一定範囲内に侵入することができなくなる、というものだ。

 しかも感覚的にその結界を避けるように動かされてしまうため、対象者は人払いの影響を受けているということ自体認識できない。

 しかし、この力には大きな欠点があり、一定レベルの魔力を持つ者には全く効果を示さないのだ。それゆえ、何かを隠したり何かを遠ざける場合は人払いではなく隠蔽術式が使われることが多い。

 それこそお兄ちゃんやマルク国王が使っていた隠蔽術式がそれに当たる。

 しかしこの男が使ったのはあくまでも人払い。

 であれば――。


「ふははははは! 逃げても無駄だぜえええ! お前は俺の人払いを破った。ってことはお前もこっち側の人間ってことだ。俺の存在を知られた以上、見逃すわけには行かねえんだよ!」


「……だったら殺してみれば、私を」


「はあ? だからそう言って……」


「遅すぎるよ」


「ッ!?」


 私を追って中庭に侵入した男は、また私に何かを投げつけながら一気に近づいてきた。どうやら投げているそれは鋭く尖った石のような何かで、地面をえぐる威力があるらしい。

 だが。

 いや、だったら。


「私も戦えるかな」


「ぐはっ!?」


 接近してきた男の懐に入り込んだ私はそのまま拳を相手の鳩尾に叩き込んだ。

 男は何が起きたのかまったく理解できていない様子でよろめきながら膝をついてしまう。


「……ば、馬鹿な!? こ、この俺がこんな子供ごときに……」


「あなた、魔人だよね?」


「……そ、それがどうしたっていうんだよ」


「別に。ここ数ヶ月、魔人や帝人と戦うことが多かったから、もしかしたらそうかなって思っただけ」


「帝人? そ、そうか、お前まさかあの対戦の参加者か……!」


「さあ、どうかな。……でも、私は前より強くなった。というか、今まで戦ってきた人たちよりもあなたが弱かっただけかな」


「お、俺が、弱い? こ、この俺が弱いだと……?」


 実際私の実力はマルク国王と戦った時よりも格段に上がっていた。

 お兄ちゃんは夏休みが終わって私を鍛える時間が少なくなったと思ってるみたいだけど、実際はむしろその逆。お兄ちゃんが教えてくれたことを私なりに解釈し、練習する時間を新たに作ることができていたのだ。

 そしてそれは私の得意分野。

 自分なりに噛み砕いて吸収するのはまさに十八番。

 伊達に学年一位の成績は取っていない。


 だからこそ相手がどれくらいの実力を持っていて、今の自分に戦うことができるか、それくらいは判断できるようになっていたのだ。


 少し前の私なら涙を浮かべて蹲ってたところだけど今の私は違う。

 月見里さんを救えず、マルク国王も助けられなかった。

 私が仮に戦えていたところでこの結果は変わらなかったのかもしれない。

 でも、強くなればできることは広がる。

 少なくとも自分を自分で守ることができる。

 だから――。


「……これ以上、学校で暴れるんだったら容赦しないよ。わざわざ人払いなんてしてくれてるぐらいだから、私もこれ以上戦いたくないんだけど、どうする?」


「……お、お前に俺の何がわかるっていうんだよ」


「何も。私はあなたをわかろうとはしないし、わかりたくもない。でも無差別に殺戮を繰り返す悪魔みたいな魔人じゃないってことぐらいは伝わってきたよ」


「ちっ……」


 私はそう言うと、一応お兄ちゃんに連絡を取るためにスマホを取り出していく。

 だがここで。

 私はもっと考えるべきだったのだ。

 この人払いが、関係のない人間を寄せ付けさせないようにするものではなく、大きな魔力を持った存在を探し出す罠の役割を担っていたことを。

 そして。




 襲撃犯が一人だと決めつけるには早かったということを。




「え?」


 気がついた時には男の首はなかった。

 赤い血が周囲に飛び散り、男の体は力なく倒れてしまう。


 それを目にした瞬間、真の恐怖が私に叩きつけられた。


「まったく、本当に使えんやつだったな。わざわざ魔人に改造してやったというのに。こんな子供一人倒せんとは。無駄骨とはこのことか」


 強くなったからこそ、わかるものがある。

 実力をつけたからこそ、見えてくるものがある。


 確かに私は強くなった。

 でもそれは驕りだった。


 上には上がいる。


 新たに現れたその存在は私ではとても敵わないほど大きな気配を持っていたのだった。


次回は8月8日21時に更新します。

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