5.思うがままに
アキが、ランディの部屋から外に出てみれば……早くも日が傾いていた。
夕焼けの街を、家路につく人々が行き交う。
ランディに渡された、現代語訳の古書を入れた麻袋を抱え直して、アキは――そんな人の流れと同じに素直に家へと戻るのではなく。
遠回りをするような形で、小高い丘の方へと足を向けていた。
……少しばかり、頭を整理したかったのだ。
そして丘へ登れば、彼の望み通り――冷静にものを考えるにはちょうどいい、涼やかな風が吹く。
「…………」
ここで視線を巡らせれば、〈庭都〉の石造りの街並みと、それを取り囲むように広がる麦畑が――夕日に照らされて、金色に輝いていた。
人間たちは、ここで生まれ、生き――。
そしてやがて個としての命を終え、〈イカバネ〉を経て、いずれ星へと還りゆく。
そのサイクルを、アキの生まれる前からずっと続けてきた。
そしてそれは、さらにずっとはるか前から続いていて……この先も、いつまでも変わらず続いていくものだとアキは思っていた。
いや、今でも思っている。
そう思っているのだが……。
「……まさしく、『違和感』だな……」
麻袋に視線を落とし、アキはぽつりと呟く。
争いというほどの争いも無く、慎ましやかに正しく廻るサイクル――あまりにも『当然』であるそれらを、『当然』とすることへの……そこはかとなく胸を過ぎる、焦燥感や罪悪感といったものに近い、微かな衝動。
決して大きなものではないのに、しかし無視も出来ない――刺さったままのトゲのような感覚。
それと気付かなければ、意識もしなかったかも知れない――しかし一度認識してしまえば、もはや忘れ去ることなど出来ない感覚。
――先生には、その答えが見えているみたいだったが……。
俺にも、同じものが見えるんだろうか――。
麻袋の中にある、〈新世生命論〉なる古書。
それによって、ランディは『気付き』を得たという。
ならば自分も、これを読むことで同じ気付きを得られるのだろうか。
「いや、そもそも……。
俺は本当に、その答えを見るべきなのか?
――見たいと、そう思っているのか……?」
何とも言いがたい、複雑な感情を溜め息一つに任せ……アキは麻袋から目を上げる。
そして、そろそろ戻ろうかときびすを返して――
「――こんにちは」
そこに、人が立っていたことに気が付いた。
小柄な、恐らくは少年と――その少年と手を繋ぐ、より幼い少女。
揃いの、フード付きのケープを羽織った二人がいることに。
治安を守る〈イクサ〉として、ごくまれに暴れることがあるイカバネや、人々の諍いを腕っぷしで押さえ込む――そんな仕事のために、訓練によって感覚を磨いてきた自負があるアキ。
そんなアキだからこそ……自分が気付くことなく、こんな子供たちに背後を取られたことにまず驚きがあった。
だがそれは、それほど深く物思いに耽っていたというだけかも知れない。
そのことよりも――。
……このあたりに、こんな子たちが住んでいたか……?
そんな疑問の方が、アキの思考を占める割合は大きかった。
考えてみても、まるで思い当たらない。
しかし、その疑問は――少年が今一度挨拶を投げかけたその途端、消え去ってしまう。
――アキ自身、それを不思議と感じることも無く。
「あ、ああ……こんにちは、少年。
――あ~、いや……もうそろそろ、こんばんは……か?」
「そうだね。難しい時間だ」
アキのおどけたような返事に、少年もフードの奥で微かに笑っていた。
「いや、あるいは――総じて悩みというのは、そういうものかも知れないね」
「……はは、これはまた大きく出たな。
だが……どうしてそんな風に思う?」
「案外、当人は答えを分かっていて……けれど状況がそれを分かつところとか、かな。
同時に――当人が決めたどちらをも、正しいと言えるところなんかも」
少年の答えに、アキは小さく唸る。
……いかにも言葉遊びで、煙に巻かれていると取れなくもなかったが……なぜか、そうだと切り捨てる気にもなれなかった。
それどころか……妙に、胸にしみ通るように感じる。
何が、という明確な理由もないが――どこか、腕の中の古書に通ずるものがあるような気がして……アキは自然と、麻袋に再び視線を落とした。
「だから――キミの。キミたちの、思うがままに。
その『違和感』の正体に気付いたとき、どの道を選ぶのかは。
きっとその根ざすところは、すべての人たちもまた――同じはずなのだから」
「――――!?」
少年のその言葉に――自らの心の内を見たかのような言葉に、アキは反射的に目を上げるが……。
そこに、少年と少女の姿はなかった。
まるで、そもそも初めから誰もいなかったかのように。
「……今のは……」
まさしく、幻でも見たかのようだった。
だが――そうではないと、彼の感覚が訴えていた。
それは、驚きや恐怖ではなく――
……懐かしい、と。
初めて出会い、僅かに言葉を交わしただけであるのに――。
アキの胸には、そんな思いが残ったのだ……強く。
まるで……惑いの中にある自分の背に、そっと。
古い友人が、手を添えてくれたような――そんな気がしたのだ。




