4.それは気付きか、戯言か
「……とまあ、ロナとそんな話になったもんだからさ」
〈カタス〉のロナの執務室を訪れてから、数日後――。
アキは再びランディのもとを訪れ、ロナと話したことを聞かせていた。
「…………そうか…………」
ランディは、今日もまたアキの買ってきたもので食事を済ませると……。
ゆったりと、大きく息を吐き出しながらその一言を呟き――椅子に背を預ける。
「もしかしたら、とは思っていたが……アキたちにもその感覚はあったか。
いや、きっと――」
――ランディは物心ついたときより、この世界・社会そのものに対し、何に起因するものかは分からない微かな『違和感』を覚えていた。
普段は顔を出さなくとも、ふとした何気ない瞬間、思い出したように浮かび上がるそれを……彼はずっと、単なる気の迷いと、心の奥底にしまいこんできた。
ただそれは同時に、その感覚は決して消えるものではなかったということでもある。
ゆえに彼は、半ば無意識のうちに、そうではない人々と――今を生きる普通の人々と、どことなく距離を取っていた。
交流を拒むこともなく、隠棲するわけでもなかったが……人々から『変わり者』と冗談混じりに評されるのも、それが原因の一つではあっただろう。
明晰な頭脳を持ち、それゆえに〈カタス〉のツカサとして招聘されながら、すぐにその職を辞し――子供たちに基本的な知識を教えるだけの、市井の一教師に戻ったのも、また。
しかし……彼はようやく、その『違和感』の正体を見出していた。
そう、みだりに触れるべきではないとされていた、過去の遺物と――。
一冊の、古びた本と出会ったことによって。
「きっと……皆が皆、その芽を抱いているはず、か……」
「……先生?」
アキに改めて声を掛けられ……ランディは一つ、頷いた。
「なあ、アキ……今、私たちが生きているこの世界は……平和だよな?」
「うん? ああ、まあ――な。
たまに小さな諍いが起こったり、秩序を乱そうとするヤツが出ることもあるが……。
皆が特に何事もなく、平穏無事に暮らせることをそう言うなら――まあ、平和ってやつなんだろうな」
ランディの唐突な質問に、アキは考え考えそう答える。
……なぜなら、彼の中には、明確に『平和』と対を為すような出来事の記憶が無いからだ。
それだけ長い時間、当たり前のように〈庭都〉は平和の中にあったからだ――大きな災いも争いも無く。
「……そうだな、私もそう思うよ。
だけど、それは……本当に。
本当に、私たちが、私たちの意志で――望み、築き上げたものなのだろうか?」
「それは――」
そうだろう、という当然の答えは……しかしなぜか、言葉となって出てこない。
そもそもが、まだ年若いアキはこれまであったものを受け継いだだけだから――実感が無いから、というだけではなかった。
あるいはそれこそが――ランディが抱いていたものと近しい、アキ自身も正体を掴みきれない……彼の中の微かな違和感によるものなのかも知れなかった。
「はっきりいつとは知れないが、何千年と昔、私たち人間は一度滅びかけた。
そうなった原因ももはや分からないが、そのことだけは確かだ。
そうして、僅かに生き残った人々が少しずつ集い、長い時間をかけて出来上がったのが――この〈庭都〉だ。
……はるかな過去からの、それまで連綿と紡がれてきただろう歴史とは切り離された、今という時代に」
「…………」
ランディの言わんとしていることは、アキにはまだ分からない。
だが、これは聞かなければならないことなのだと――昔馴染みだとかそんな関係性とは別に、聞いて、考えなければならないことなのだと――。
そう心が訴えるままに、静かに聞き入る。
「だが、それは……果たして、私たち自身が真に選び取ったことなのだろうか?
私たちは、学びを得て、今の平和に至ったのではなく――。
平和という枠組みのための、そのためだけの学びしか得ていないのではないだろうか。
そのためにこそ、過去と切り離されているのではないだろうか――」
ランディは、机の上に置いていた紙束をそっと手に取る。
……それは、彼が解読した古い本――〈新世生命論〉を、現代語に訳しているものだった。
「人は、過去の過ちから学びを得ることを、それをさらに先へと伸ばすことを忘れ……。
前へと進むことを――道を選び取ることをせずに。
そうと気付かぬままに、『誰か』の囁くままに……平和のうちに、足を止めてしまっているのではないか。
いや、止めさせられているのではないか――」
アキを、真っ直ぐに見据えたまま……ランディはその紙束を差し出した。
「それが、私たちの覚える『違和感』の正体ではないか――と。
私は、そんな風に思うんだよ……アキ」




