2.『楽園』を意味する都で
――その地が、かつてウラルトゥと呼ばれ栄えていたことは誰も知らない。
いつ、どうして……その歴史が絶え、名が失われたかももはや定かではない。
しかし人々は、ぽつりぽつりと、彼の地に集まり始め……やがて再び、集落を築いた。
互いに、僅かに残った文明と文化を持ち寄り、知恵を寄せ合い――そこにまた、新たな人々が加わって。
そうしていつしか集落は、都と言えるほどに大きくなり。
まるで大いなる存在に導かれ、守られているかのように築き上げられたその都を。
住まう人々は、誰からともなく――
失われた言葉で『楽園』を意味する名……〈庭都〉と、そう呼ぶようになった。
「おーい、先生~。
ランディ先生、生きてるかー?」
明るい外から薄暗いその部屋に立ち入った青年は、目を細めながら奥に呼びかける。
案の定、返事はなかったが……気配は感じられた。
青年は慣れた様子で、雑多な――主に古びた本や紙片が散乱する部屋を、奥へと進む。
そうして、机に向かい、一際古ぼけた本を広げながら一心不乱にメモを取る若者の背後に忍び寄ると……木製の椅子をやや強めに蹴り上げた。
「うあああっ!?」
驚くとともに、本を取り落としそうになる――のを、これだけはとばかり胸に掻き抱いて何とか受け止め……しかし、バランスは崩して椅子から転げ落ちる。
「あ、悪い……やりすぎたか」
椅子を蹴った青年は、子供っぽい苦笑混じりに手を取って、若者を立ち上がらせた。
「ああ、アキか……まったく、イタズラもほどほどにしてくれよ?」
口を尖らせながら、若者――ランディは、何とか落とさずに済んだ古い本とともに、椅子に戻る。
「だから悪かったって。
そこまでハデに驚くとは思わなくてさ」
アキと呼ばれた青年は、いまいち悪びれた様子もなくそう言って、持っていた紙袋の一つを差し出した。
「――ほらよ、朝メシ。夜勤明けついでに市場で買ってきた。
どうせ先生のことだ、昨日の晩メシだってロクに食ってないんだろ?
一緒に食おうぜ」
「あ、ああ……ありがとう」
受け取った紙袋の中に入っていたのは、肉や野菜といった具材を挟み込んだパンだ。
まさに出来たてを買ってきたらしく、あたたかいどころか熱いとすら感じる。
「しっかしまったく、俺の部屋も大概だけど、先生にゃ負けるなー……」
悪態混じりに、紙片で埋もれたテーブルを適当に片付けたアキは……。
部屋の入り口近くの水瓶で満たしてきた水差しとともに、買ってきたものを並べてさっさと食卓を作ってしまう。
「……まさか先生、この水もいつ汲んできたものか分からない――なんてこと、ないよな?」
「…………」
「……おいおい、マジかよ……。
まあとりあえず、悪くはなってないみたいだし、大丈夫か……。
後で井戸行って汲み直しといてやるよ」
「ありがとう、アキ……すまない、何から何まで」
「いいさ。先生が世話かかるのは昔っからだもんな。
それに、ロナにも生死確認頼まれてるし」
朗らかに笑いながら、パンに齧り付くアキ。
それを待っていたように、ランディも続いて手を伸ばす。
「ロナは元気にやっているかい?」
「まあ、兄貴が兄貴なら妹も妹、ってところか。
仕事に飽き足らず、似たようなことやってるよ」
「……アキ、君は?
〈イクサ〉の仕事も大変だろう?」
「そうでもねえさ。基本、俺たちが出張ることなんてそうそう無いしな。
……ハッキリ言って、訓練生のとき徹底的に叩き込まれる〈カジワラ式〉の実技の方がよっぽど大変だったね」
あっと言う間にパンを一つ平らげたアキは、ため息混じりに大仰に肩をすくめた。
そしてそうかと思うと、やや真剣な面持ちでランディを――延いては、机の上の古ぼけた本を見やる。
「しかし先生……その本の解読、大丈夫か?
それが見つかった『部屋』のこともそうだけど……ヘタに知れると、懲罰対象になりかねないぞ?」
「分かっているよ。
それでも――」
ランディは、水差しからコップに注いだ水をぐいと飲み干し――アキに、真っ直ぐな目を向けた。
「私はこれを、読み解きたい。
いや――読み解かなければならないのだ、と思う」
「先生……」
「なあ、アキ……私たちは――いや、今の人間は」
もう一度、コップに水を注ぎながら……その流れに目を落としながら。
ランディは、まるで彼自身にも問うように――呟く。
「前へと、先へと……進んでいると思うか?
やらなければならないことをやっていると思うか?
そこから、無意識に目を逸らしていないと――言えるか……?」
「先生……?」
その言葉を拾いあげたアキの、訝るような声に、ランディは――。
「いや、すまない……ロクに寝ていないせいかな。
――あまり気にしないでくれ、変人の戯言だよ」
ゆったりと首を横に振りつつ、苦笑をもらした。




