6. 呪い的な何か
「コロポックルっていうのは、〈蕗の下の人〉っていう意味でね。森に住む小人の伝承。彼らは頭が良くて狩りが得意。そして時々、人と取引をした。でも決してその姿を見てはいけない。そういう取り決めだった。
それはもう何年前の事なのか――何十年。いえ、何百年も前の事かもしれない。何しろ当時の私たちは、そんなことはどうでも良かったから。とにかく私と兄さんは大人に言われて、彼らと取引をしに森に入った。彼らはいつも、蕗の影から手だけを出してきた。小さな手。赤子のような手よ。私たちはそれに、魚とかなんとか、そういうのを渡して、代わりに毛皮なんかを受け取る。それだけの仕事だったんだけれど――ある日、あの馬鹿が」舌打ちしつつ、「興味本位でコロポックルの手を掴み、影から引っ張り出した。言われていた通り、膝丈くらいしかない小人だった。でもその瞳はとても大きくて――その夜空のような瞳を見つめている間に、私たちは気を失った」
「そして、コロポックルにされた」
「多分ね。なにしろその頃の記憶は、あんまりない。兄さんは多少あるらしいけど――私が十にもならない子供だったからでしょうね。ただ次の記憶は、真っ白な部屋――そう、五帝国会議のDloopの部屋。あそことよく似ている部屋で、側には、彼らがいた」
「彼らは怪人に、一体何を――?」
「わからないわ」苛立った様子で、煙草を側舷から投げ捨てる。「正直、そこでの記憶もあんまりない。ただ悪夢のような世界だったことは覚えてる。色々な種類の怪人が、解体、されていた。バラバラにされ、そこら中に積み上げられ、私と兄さんも何かされていて――気付いたら、辺りが火に包まれていた。そして兄さんに腕を捕まれて逃げた。
でも私にとってそれは、夢の中の出来事のようなものよ。最近までは、本当に夢だったと思っていたくらい。でなけりゃエシルイネを連中に預けたりしなかったわよ。でもD領、そしてフクロウ博士の事で――まさか、本当にあったことなのかも、って――そして考えた。筋の通る推理は一つだけ。私たちはコロポックルにされ、何かがあってD領に囚われ、そこで何かされて――フクロウ博士のようにヒトに戻った。兄さんもその時の事については、あまり話そうとしなかった。でも脱出はあいつの算段だったんでしょう、間違いなく。それから私たちは、何から逃げているのかもわからないまま逃げ続けて――やがて兄さんは私を釧路の一家に預け、何処かに消えた」
知里が新しい煙草に火を付けて利史郎を睨み付けた時には、既に元通りの彼女の目をしていた。
「以上よ。別に隠してた訳じゃない。でも何の役にも立たない情報でしょう。私が兄さんと兄妹だってのも――そう、少し悔しいけれど、事件には何の関係もない。だから言わなかった。それだけよ」
ふむ、と利史郎は唸り、考える。
新しい情報ではあるが、予測の範囲内ではある。確かにレヘイサム、そして知里が元は怪人だったのではという推理は立てていたが、それが何処に繋がるのかは、皆目見当が付かない。
あるいは彼女の言うように、事件には何の関係もないのかもしれない。それは彼が類い希な知能を得た原因だというだけで、彼が今、目指そうとしている物とは何の関係も――
「だがそこに、彼が怪人を操れる理由があるはずだ」
思考を声に出した利史郎に、知里はため息交じりに応じた。
「正直、私にはわからないわ。ひょっとしたら兄さんには、本当にそういう力があるっていうだけなのかもしれない。コロポックルからヒトに戻ったとき、彼は十五、六だった。だから私がコロポックルとして持てなかった力を彼は持っていて、それがヒトに戻された時にも残っていたのかも」
「ですがそうであれば、彼は怪人たちに対し、自分の素性を隠す必要はないはずだ」
「知らないわ」諦め、投げ捨てるよう知里は言った。「でもそういうことなら、Dloopに聞いた方が早いんじゃない? 連中、あんたになら話してくれるんじゃ?」
「彼らとの関係は、そう簡単なものではないんです。そもそも――」
そこで利史郎は何かの手がかりを感じ、言葉を止めた。
そうだ。確かにその視点はなかった。これまでレヘイサムの視点から考えようとしていたが、果たしてDloopの視点で考えたなら、どうなる?
彼らは何故、怪人を集めている? D領で彼らに対し、一体何をしている? 彼らは意味のないことはしない。必ず重要で、かつ単純な理由がある。それは一体――
「彼らの目的は石油だ」利史郎は情報を整理しようと、声に出した。「彼らの行動の殆どが、それで説明が付く。しかし彼らがヒトから怪人を受け入れている事については、石油と全く関係しない」
「深い意味はないんじゃ? 怪人は世間を惑わす。それでDloopは五帝国体制の安定のために、ヒトの手に負えない怪人を受け入れている」
「米英戦争に干渉しようともしない彼らがですか?」
知里も奇妙に思ったらしく、確かに、と呟き、考えに沈んだ。
「D領で怪人は解体されている、知里さんはそう仰った」
「本当の記憶かわからないけど――」
「いえ。エシルイネさんも仰っていた。彼らに使われる怪人はごく一部で、他がどうなっているかは知らないと。あれは恐らく本当のことでしょう。彼らは怪人を解体している。何のために?」
「――調べるため?」
「他にありません。では何故調べているのか? 人知を超える彼らほどの種族が、何故怪人に注目し、執拗に調査を行うのか。これは不思議だ! 彼らはヒトでさえ、浚って解剖するようなことは――あるいはしているのかもしれないが――少なくとも公には知られていないし、噂にもなっていない。では、何故彼らは怪人に興味を持ったのか? 何故怪人は調査の対象に――?」
「ヒト以上に、異常な存在。彼らにとって未知の存在だから」
「怪人だけ。何故怪人だけなのです? 地球には数百万、数千万の生物が存在するというのに、何故怪人だけ――」この先は行き止まりだ。利史郎はすぐに直感し、更なる枝を探ろうとする。「怪人とは何か。そこから問い直してみましょう。知里さん、怪人とは何ですか」
「え? フクロウ博士から聞かなかったっけ。私が知っているのは、あれが全てよ。五類に分けられていて、古くから妖怪とか物の怪とか言われていた存在で、元はヒトだったり、動物だったり、人々の思いだったり――それが呪い的な何かを受けて変化した存在――」
「呪い的な何か。えぇ、その言葉は端的に表している。〈呪い的な何か〉。それに関連する存在は逆に、怪人だけだ。つまりDloopが理解出来ず、今になっても探っているのは――〈呪い的な何か〉ということになる」
ふん、と知里は鼻をならした。
「単に、Dloopだって全知全能じゃない、ってだけの話じゃない」
「そうでしょうか――彼らは伊集院の作った、小型の太陽のような爆弾すら知っている」その時ふと、利史郎の手首で揺れた金属に目がいった。「いや、〈黒い血〉。彼らの生存の根底にある液体。それは何故か、怪人に反応する。何故でしょう。偶然でしょうか。そうだ、もう一つ傍証がある。ピッチブレンド鉱石から発せられるエネルギー。それを彼らは〈放射線〉と呼んでいましたが――Dloopはそれ酷く嫌い、かつ怪人はそれを浴びると、ヒトに戻ってしまう」
不意を突かれたように知里は、顎に手を当てて考えた。
「Dloopも怪人も、その〈放射線〉ってのを苦手にしている――つまりDloopと怪人は、同じ種類の存在――そういうこと? Dloopは土星から来たんだったかしら。つまり怪人はDloopより遙か昔に、土星からこの星に来た異星人ってこと――?」いえ、と、すぐに自分で問いに応じる。「違う、違う。放射線を浴びた怪人は、ヒトに戻る。つまり怪人は、ヒトとDloopの会いの子、ってことにならない?」
最初、利史郎はそれが何を意味するのか理解出来なかった。しかしそこに繋がる様々な記録、情報をさぐるうちに、思いがけない要素と無限に繋がっていくのを感じ、息が詰まり、鼓動が早まり、やがてそれに促されるよう叫び声を上げていた。
「そうか! それです! それですよ知里さん!」
「――それ? 何が、それ?」
戸惑った知里が言った時、利史郎は既に思考が次の段階に及んでいた。次第に歓喜が焦燥に、そして恐怖に変わっていき、慌てて踵を返し下層ブリッジに通じる梯子を探しながら言った。
「しまった。彼の狙いは帝都じゃない! 違うんです!」
「どういうこと?」
利史郎を追って梯子を滑り降りる知里に、叫び返した。
「レヘイサムの狙いはDloopです! 彼はDloopに――D領に爆弾を使うつもりなんです!




