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スチームパンク2077  作者: 吉田エン
二章 或る令嬢の行方
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8. 女久重

 細かいこと、か。


 利史郎は呟き、考え込んだ。とても細かいことには思えない。例えば岩山は、恐らく事件の相当部分を知っている。あるいは〈黒女〉の正体をも知っているかもしれない。彼とレヘイサムとの繋がりも気になる。それに石川だ。彼はロシアでミヤコンと何をしていたのだ? そもそもロシア外交官の言っていたことは何処まで本当なのか。伊集院という男は行方不明らしいが、一体何があったのか。十分に調べる価値がある疑問ばかりだ。


 しかし最優先で対処しなければならないのは、知里の言うとおり山羽美千代の安全確保だ。だから利史郎も蝦夷行きには異存はなかったが、何か後ろ髪を引かれるような感覚を覚えながら歩いていた時だ。人の気配がして隣を見ると、大久保侯爵――ミッチーが笑顔で並んでいた。


「利史郎先生、蝦夷に行くんですか。美千代さんを探しに?」


 問われ、相変わらず彼をどう扱っていいのかわからないまま、慎重に答える。


「その、つもりですが。それとあと、先生というのは――」


「いいなぁ、そういうの! 俺も犯罪捜査とかやってみてぇ」


 ふと岩山の言葉を思い出し、利史郎は尋ねた。


「何故?」


「何故、って――格好いいじゃないですか! 俺、探偵物とか怪人物の小説、結構読むんす。通俗だ何だって馬鹿にされてますけど、俺にはむしろ辛気くさい古典とか何が面白いのかさっぱり」


「貴方は成人して貴族院議員になれば、追々内務卿、ひょっとしたら首相に推されるかもしれない人だというのに。何故探偵だなんて仕事に、それほど惹かれるんですか。僕には理解しがたい」


 ミッチーは答えに困り、無為に左右の人通りを見渡した。


「でも――探偵って、面白くないんです? ほら、先生がレヘイサムを捕まえた時の事とか教えてくださいよ。新聞じゃあ細かいことは全然――そうだ、俺もアレに入れてくださいよ! 少年探偵団! それで性癖異常者の猟奇殺人とかを追って――ほら、俺、この辺の連中には一通り顔は利きますし、何なら面倒ですけど華族の事も一通りどうにか出来ますし。絶対役に立つと思いますよ!」


 参ったな、と思いながら言葉を探していると、意外なところから助け船が現れた。


「あれ、ミッチーじゃん! 元気か?」


 交差点の向こうから現れたのは、相変わらず労働者風の灰色のコートを厚く着込んだハナだった。そういえば宝塚のあるこの辺も彼女の縄張りだ。応じるミッチーと利史郎を交互に眺め、不思議そうに言う。


「なに? あんたら知り合いだったの?」


「あんたら? ハナさん、利史郎先生と知り合いだったんすか?」


 驚いて尋ねるミッチーに、笑顔で胸を張るハナ。利史郎は仕方がなく言った。


「姉です」


「真面目に? これが川路男爵家の令嬢? まさか!」


「おいミッチー、今のは不敬罪だ。ちょっとあんみつ奢ってもらうぞ」


 言ってハナはミッチーの腕を掴み、パーラーに引いていった。


 ミッチーとしての大久保候の顔が広いというのは確からしく、二人は何となく知り合い、何となく話をするような間柄だったという。きっと変人同士、気が合うのだろう。しかし互いに何者かはよく知らず、ただ互いに金持ちの暇人くらいにしか思っていなかったらしい。


「そういや弟君、ハナちゃん超合金製ゼンマイは好調?」


 尋ねられ、鞄に収めていたゼンマイを取り出す。


「え。えぇ。問題ありません。それより一つ質問が。ここの外装が外れるようになっていて、中に二桁のダイヤルと赤いボタンが付いていますよね。これは一体――」


 途端にハナは破顔して、相変わらず爆発している頭を掻いた。


「あー、見つかっちゃったかー。これはなんと、自爆ボタンだよ」


 自爆、と絶句する利史郎に対し、ミッチーは奇声を上げて喜ぶ。


「さすがハナさん、やっぱ自爆は浪漫すよね!」


「いやいや、自爆なんてしませんよ僕は。一体何の目的で――危なすぎますよ。これが壊れたら範囲百メートルは粉々になるって前に――」


「だいじょぶだいじょぶ、ダイヤルが安全装置で、〈87〉じゃないと起動しないから。それでボタン押して三十秒。気が変わったら、その間にダイヤル別のに変えればだいじょぶ。それにほら、これは取り外しできて、なんと二百メートルくらい離れてても信号を送れるの。最新の電波送信技術だよ。ほら、安全でしょ?」


 安全の意味が違う。やっぱりこの人は天才だが、変人だ。


 ともかく二人は本人そっちのけで、利史郎の活躍話を始めた。どれもたいした困難はなかった仕事だが、やはり利史郎自身の感覚と周囲の評価は別だった。ここのところ、ずっとそればかり感じている。何故か酷い疲れが抜けず利史郎は無言で珈琲を口にしていたが、ミッチーは先ほどの出来事に言及しはじめていた。自らが侯爵だというのを、巧妙に隠しながらだ。


「そんで蒸気二輪は壊れちゃうし、修理代無茶苦茶ふっかけられるし。散々でしたよ。でも利史郎先生にかかったら、この事件も楽勝でしょう。美千代さんもすぐに見つけられて――」


「いえ」と、利史郎は遮った。「これほど困難な事件は扱ったことがありません。何もかもが奇妙だ」


 口を噤むミッチー。ハナは神妙な顔でスプーンを操り、餡を掬いながら言った。


「どの辺が? ちょっとハナちゃんに話してみ?」


 確かに、心から信頼して話が出来る相手はハナくらいだ。今はミッチーという余計な存在はあったが、どうにも頭の混乱が収まらず、自分で一つ一つ解きほぐしながら言った。


「結局の所、一番の問題は、時間です」レヘイサムが言っていたこと。「過去に何かがあった。それを調べようにも、事態は進行している。相手は死体じゃない、生きている人なんです。過去を追うことで事態の原因を突き止めるべきなのか、現在を追うことで事態に追いつくべきなのか。知里さんは後者を主張し、僕もそう反論はないんですが――それでも、気になってならないんです」不明なことが多すぎ、推論することすら難しい。普段ならば仮定を改める時間があるが、今はそれがない。「そうだ姉さん、彼らの開発していた〈機関〉がどのようなものか、想像出来ますか」


 まずは一つ一つだ。そう利史郎は手帳に記した横浜の実験機器の構造を示すと、ハナはろくに見ようともせず答えた。


「話からすると燃焼とかじゃなく、薬品か何かの反応を使った機関のように思えるけどねぇ。わかんないよ、そんな常識外れの代物なんて」


「常識外れ、ですか」


「だって鞄くらいの大きさで、全力出したら五千馬力くらい出るかもなんでしょ? それって三号並みじゃん。三号機関って知ってる?」


「蒸気機関車に使われてる代物だということくらいしか」


「そそ。大きさは――鞄の千倍くらい? だから弟君、その美千代ちゃんが作ってた機関ってのは、常識の千倍くらい凄いってこと。いくらハナちゃんが天才でも考えるだけ無駄なレベルだなー」そうですか、と項垂れる利史郎に、ハナは身を乗り出させた。「つかそれよりさ。さっきから出てる田中久江って、あの田中久江と何か関係あんの?」


 意味がわからず、利史郎はハナを見つめ返す。


「と、いうと?」


「田中久江って言ったら、普通あれじゃん。ゼンマイの」


 時々、ハナの言葉は要領を得なくなる。きっと天才過ぎて話を何段も飛ばしてしまうのだろう。それで重ねて問い返そうとした時、ミッチーは手を叩いて言った。


「あぁ、オリハルコンゼンマイの! でもあの人、百年も前の人ですよね」


「それなんだなー、ミッチー。それなんだよ。弟君、ちょっとその田中久江の写真見せてみ?」


 意味がわからないながらも、鞄から資料を取り出す。二人は交互に資料を流し読みしていたが、やがてハナは困惑した様子でポンと写真を叩く。


「やっぱり。ほら、こんな顔だったよねミッチー。田中久江って」


「俺は写真は見たことないっすけど。このレジデンス、田中家の物っすよ多分。この住所らへん、全部明治の頃に買い占めてたし」


「真面目に? 何であんた、そんなこと知ってんの?」


「ちょっと待ってください」さすがに利史郎は割り込んだ。「すいません、教えてください。彼女を知ってるんですか?」


 ハナとミッチーは顔を見合わせ、ミッチーが代表して答えた。


「ほら、俺、二輪好きだから知ってるんすけど。オリハルコンゼンマイって芝浦が最初に作ったんす」


 それを受けて、ハナが言った。


「そんで芝浦製作所って創業者大好きでさー、そりゃ偉大な人だよ? 田中久重、またの名をからくり儀右衛門。でも新入社員全員にあんな分厚い社史を配って、感想文書けってのは芝浦くらいだと思うなぁ」


「え、ハナさんって芝浦の社員だったんすか」


「いいからミッチーは黙ってろ。それで覚えてたんだけどさ、オリハルコンに最適なゼンマイ装置を発明したのが、田中家の田中久江。直系じゃないみたいだけどね。女久重とか呼ばれてたらしい」


「つまり〈黒女〉は、その女久重の子孫だということですか」


「それは違うと思うなー。女久重は未婚で、二十そこそこで失踪した」


「失踪? 理由は」


「ロシアかCSAに浚われたんだって言ってるのもいるけど、何なんだかね。ひょっとしたら、ただ単に駆け落ちしただけなのかもしれないし。そもそもオリハルコンゼンマイの設計書自体、彼女の捜索時に見つかったってんだから、物語性あるよね。舞台化出来るよね」


「じゃあ、その女久重とうり二つで同じ名前を名乗ってる〈黒女〉は、一体何者なんです」


「ただの他人のそら似とか?」


 言ったハナに、ミッチーは唸った。


「でも古い田中家のレジデンスに住んでて、国宝級のコレクションあったんでしょ? やっぱり田中家と何か関係ありそうですけど」


「〈黒女〉は、山羽重工に戸籍謄本の写しを提出している。これは?」


 だれとはなしにうなり声を上げ、テーブルの上に広げた資料を見つめる。


 そして最初に気づいたのは利史郎だった。探偵道具の中から虫眼鏡を取りだし、戸籍謄本に書かれた生年月日を見つめる。そして『20』の部分に、僅かな滲みを発見した。


「細工されている。この『20』は元のインクを薄くし、元の数字に上書きされたものです。姉さん、女久重の、誕生日は?」


「いや待って、そこまで覚えてない」


 三人で近くの書店に向かう。通俗本ばかりでなかなか見つからなかったが、子供向けの偉人伝記に記載があった。


「3月19日。横浜で死んだ田中久江と同じ。つまりこの戸籍謄本は、百年前に死んだ女久重の物に、最小限の改ざんを加えた物です」


 ハナとミッチーは口を半開きにして互いに見つめあった。そして必至に頭を巡らせている利史郎に、怖ず怖ずとミッチーが尋ねる。


「つまり、どういうことっすか?」


「可能性として一番高いのは――〈黒い血〉。彼女はそれによって、百年以上も生きていた改造人間だということです」


 高いといっても、客観的に見て当たっている可能性はごく僅かだろう。しかし利史郎の直感は、それが正しいと告げていた。

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