『バーチャルアイドル、ミズナラ(2)』
ニラヤマが“カナン”を破壊を目論んでいると知った時、ミズナラは正面切って問い質したり、その目論見を否定しようとは考えませんでした。
好きな場所、好きな相手のところに行くことができるEDENでは、協力的でなかったり口うるさい相手とは別の場所に行く自由があるから、ニラヤマが自分を避けるようになるのが一番怖かったのです。
代わりにミズナラが考えたのは『知恵の実』を使って“カナン”のみならず、ニラヤマがEDENで行きたいと思った全ての場所に行けるようにすることでした。
豆腐の“お告げ”ワールドを紹介するため、多くの視聴者や有名人との『知恵の実』の繋がりを増やしていった今、彼らの属する様々なコミュニティにニラヤマと訪れることができれば、わざわざ今ある場所を破壊しようとしなくなるだろう、と考えたのは確かです。
「ニラヤマさんは僕ばかりが遠慮する必要はないと言ってくれて、僕が失いそうになっていた何かを豆腐さんと協力して創り直してくれました。だから今度は僕がニラヤマさんの持っている何かを、ニラヤマさん自身の手で奪わせないようにする番なんです」
異なるインスタンスから互いの見ているものを共有したり、言葉を交わすことができるのが『知恵の実』を分け与えられたユーザー達は、お互いが見ているものを共有して誰かが面白そうなワールドに居ればそこに集まり、或いは一緒に過ごしていて楽しいと思える相手と集まれるようになりました。
そしてニラヤマ以外で『知恵の実』という“便利なツール”を使い続けられるのは、共有された視覚や話している内容から豆腐たちに会わせても大丈夫とミズナラが判断したユーザーだけです。
つまりEDENに元からあったフレンド登録機能の上に、より密接な『知恵の実を共有する者』という繋がりを作るようなものでした。
そして『知恵の実』の繋がりに限った話ではなく、大きくなったコミュニティは例外なくコンテンツとしての側面も持つようになります。
つまり身内にだけ見せる製作途中のワールドや、コミュニティ内で行われるイベントなどの知名度が上がれば、それ目当てで参加したい人が増えていきます。
けれどインスタンスの参加上限を越えた人数が常時そこに行こうとして、インスタンスへの参加が満員になるまでの早い者勝ちになれば、常連同士で集まる『コミュニティ』としての側面を維持することは難しくなってしまうのです。
「私たちが『知恵の実』の繋がりの中で楽しい時間を過ごせば、結果としてEDENを良くしていくことに繋がるんです。全体公開の治安の悪さや別のコミュニティの人間関係に不満を感じている人に、そうではない場所もあるんだと証明することになりますから」
そう言ってミズナラは『知恵の実』を会員制にして、一つのインスタンスに収まる人数より多くのユーザーに分配しないようにしました。
いずれ訪れることになるニラヤマや『知恵の実』による集まりを主催する自分、そして既に参加している有名人や創作者たちにとって、気が合う人たちと時間を過ごせる『コミュニティ』としての側面を守るためです。
そして口外無用であったはずの『知恵の実』の噂をどこかから聞きつけて、自分にも分けてくれないかと頼んでくるユーザーが増えてから、ミズナラは『知恵の実』を持つユーザー以外は来ることのできない友人限定や招待限定で過ごす時間が増えていきました。
一方でミズナラは特別な技術を持っている人や面白いコンテンツを提供できる人には、自分とムロトの交友関係を駆使して『知恵の実』の繋がりに勧誘して行きました。
そうすれば既に会員になっている人たちは、わざわざ外に出なくとも気心の知れた常連の人たちと一緒に、新しい出し物を見ることができるからです。
言うなれば帰り道のコンビニや誰も居ない教室の代わりに、色んなワールドやイベントを開催しているインスタンスがあり、気心の知れた相手とそれを楽しむことができる『終わらない放課後』だとミズナラが理想を語れば、疑問を唱える人は『知恵の実』の繋がりの中には居ませんでした。
――それが嘘っぱちであると、誰よりもミズナラ自身が『知恵の実』でニラヤマを繋ぎ留めておけないことに気付いていました。
皆の過ごす場を提供するワールド製作という行為を名刺代わりに社交辞令を駆使して、ニラヤマは決して少なくない繋がりを見つけてきたはずでした。
それなのにニラヤマはまるで今ある繋がりは『次』への足掛かりでしかないように、新しい出会いを求め続けているのです。
そんなニラヤマを見ていると、ミズナラは気心の知れた相手といつもの場所に集まって過ごすのは怠惰なことだと否定されているような気になるのでした。
無論ニラヤマは自分が一つの場所に留まれない性質だから、決して自分以外がそうする必要はないのだと答えるのでしょう。
ですが自分たちが楽しいと思うものを受け容れようとせず、自分たちのものではない価値を求めて去っていく他者の姿は、時にどんな言葉よりも自分たちの価値を否定するものです。
だから根無し草のニラヤマでは作れない大きなコミュニティの主になることで、ニラヤマを見返してやりたいという気持ちもあったのです。




