『天地創造RTA(4)』
「遅いですよ、何やってたんですか」
と言われながらもニラヤマのインスタンスに戻ってきた豆腐は、ワールドの跡形もないほどの変わり具合に驚くことになります。
豆腐がスポーン地点から辺りを見回すと果てしない平らな地面は消えていて、恐らく大聖堂である建物の柱や壁の細かな出っ張りといった凹凸部分が、全て直方体に差し替えられた不思議な空間の中に立っていました。
「とりあえず大聖堂のアセットを購入してから、間取りをCubeで再現してstandardシェーダーに置き換えていったんです」
「このようなワールドを創ることもできたのだな」
と驚く豆腐に、ニラヤマは面倒くさそうに言いました。
「例の“お告げ”とやらにある、正式サービス後にも使えるワールドを意識したんですよ。私のワールドで守るつもりはないですけど、これは豆腐が自分のために創るワールドだから“現実”ばっかり追い求めても仕方ないじゃないですか」
白くのっぺりとした四角形の平面は、それが人為の模造物であることを強調するような異質さを醸し出していました。
そして白で統一された色合いの建造物に、豆腐は先程のインスタンスで見たミズナラの白い肌――白い競泳水着と同じような印象を受けます。
豆腐はそのことをニラヤマに言ってから「この色合いのままで、どこかに赤色を用いることはできないか?」と尋ねます。
「やるなら教会のカーペットや垂れ幕とかじゃない?ちょうど順路を示すのにも使えるし」と、ニラヤマは『毛刈り棒』を使ってその場で垂れ幕とカーペットに赤い布地のマテリアルを付与します。
それだけで白一色だった屋内に目を見張るような赤色が現れて、訪れた人々がどこに向かって歩いていくかが赤いカーペットで、どこを見上げれば良いかが赤い垂れ幕によって示されます。
「今度は豆腐がこれをやる番、あんたには『空』を選んで欲しいんです。これが白い建物であればこそ、全体的な色合いはきっと天窓から見える空の光によって決められる。こればっかりは表現したいものが頭の中にある人じゃないと、できない作業ですからね」
ゲーム制作ソフトで遠景に用いられる空は『スカイボックス』と呼ばれて、無限遠まで遠ざけられた立方体の裏側に、六枚の連続した絵を張り付けるような構造になっています。
豆腐はニラヤマから渡された教会の空に、製作ソフトを介して様々な市販のスカイボックス用素材を割り当てていきます。
そして豆腐がニラヤマの言っていたことを心から理解したのは、なんとなく真っ赤な夕暮れ空のスカイボックスを選んだ時でした。
天窓の外から見える空だけが赤に染まったのではなく、斜めに差し込む夕日が教会の中を赤く照らし出して、同時に柱の陰や天窓の裏といった場所がねずみ色の影で染め上げられたのです。
「面白いでしょ?元から大聖堂っていう場所が広さの割には内装の光源も少なくて、太陽の陽射しに依存するような構造をしているはずだから。建物の構造を真似るだけなら行ったことのない人にもアセットを使えばできるけど、その場所に訪れた自分の目にその景色がどんな風に映っていたかってことは、あんたにしか分からないんですよ」
ミズナラに借りた『知恵の実』でニラヤマの言葉を聞きながら、豆腐は他にも様々なスカイボックスを割り当てては教会の変化していく印象に驚きます。
直射日光だけではなく天に大きく広がる、屋外ならば視界の半球を覆い尽くすほどに存在する『空』という輝きも、地面や家屋といったオブジェクトたちを照らす光源となっているのです。豆腐は現実の世界でもそうであることを、改めて認識しているのでした。
そうして幾つかの空を切り替えて試した後に、豆腐は迷うことなく一つの空を選択してアップロードしました。
「……夜?」
「ああ」
ワールドを訪れたニラヤマの驚きの声に、豆腐は短く肯定の返事をします。
月夜の教会で陰となる部分は濃い群青に、ねずみ色に近い彩度の低い青色の月光が差し込んで、入口から見上げることができる祭壇と赤い垂れ幕を照らしています。
「どうして?」というニラヤマの問いに豆腐は「我が教会に足繁く通っていた時、この時間帯の景色がとても印象に残っていた。夜の礼拝よりも更に遅い時間、普通であれば入ることができないのだがな」
ニラヤマは一通りに中を見て歩いた後で「ミズナラの姿もよく月光に映えそうだ」と言います。
クラスの人気者や被写体、としての側面ではない静かなミズナラを、豆腐よりも多く見ているであろうニラヤマの言葉に、豆腐は「……うむ、そうかもしれん」と肯定の返事をしました。
「不思議なものだな。頭の中にあるものを具現化しているだけなのに、どういう方向に転がっていくかが、まるで分からない」
「自分の頭の中の世界を最初から、丸ごと分かっている人間なんて滅多に居ませんよ。その頭の中にあるものを外に出したらどうなるかなんて、尚更にね。思い通りに行かない部分があったり、反対に思わぬところで良いと感じるようなものが生まれたりする。だけど自分では気付いてなかったとしても、そうして出来たものが貴方自身の本当の姿だと思うんです」
ニラヤマという『別の理想』を持った人間の存在もありますが、ゲーム制作ソフトを介して自分がぼんやりと描いていた理想が、実際にはどのような景色になるのかを知って、創ることで――ここはこうで、ここはこうではない、といった選択や修正を繰り返していくうちに、自分でも知らなかった自分の想いに気付いていくことができる。
豆腐は少し迷いましたが「それを知っていくのが楽しい、というような気がする。我には美少女アバターと触れ合うよりも、こういうEDENの方が向いているのかもしれん」と素直な気持ちを口にしました。
ニラヤマは「……ふん、生意気ですね」と、心なしか嬉しそうな声で言葉を返します。
ミズナラは自分のファンとのスキンシップというより、その行為を求める相手の期待に応えてやることが好きなのだと豆腐も分かっていました。
人が喜んでくれる行為が好きだから、そして喜んでくれた相手にはまたするようになる。一緒に居るための数ある手段の一つ、ミラー前に集まってとめどない会話をしたり、ゲームワールドで一緒に遊んだり、それこそワールドを観光したりだとかと同等の行い。
そして、それを手放しに肯定してくれる大勢の人間と、拒絶するほどでもない少数の人間に囲まれて、何時しかその行為は『当たり前』になっていく。その行為をもし受け入れられない人が居れば、別の場所へと去れば良い。そうやって現実とは違う価値観で『当たり前』の行動が、どの場所にも形成されていきます。
ですが、その“遊び”にも豆腐は参加することができないのです。
律法体は美少女でないだけでなく、誰かを撫でるための腕も生えていない。豆腐が最初、ミズナラに触れられたり乳を押し付けられて悲鳴を上げたのは、美少女の皮を被った男性という概念が気味悪かったからでも、距離感の近いアニメ顔の美少女からスキンシップを受けることへの免疫のなさでもありませんでした。
むしろ、そういう行為にEDENを訪れる前は少しばかり期待していたにも関わらず、相手に『触れてもらう』という奉仕を与えられた時に『触れ返す』だとか『可愛いアバターで反応する』といった対価を何も返すことができない、自分の無価値さを否応なしに自覚させられるからでした。
誰にも共感されないだろうから言うことができない豆腐の気持ちに、ニラヤマの言った『頭の中の世界』という繋がり方は一つの救いでした。




