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第111章ー鹿児島の灯り

「馬鹿者、逃がしましたで済むか」三好重臣第2旅団長を、山県有朋参軍は烈火の如く叱り飛ばした。可愛岳突破に西郷軍が成功したのは、三好第2旅団長が西郷軍の奇襲に際し、油断していて部下の掌握に失敗したのが最大の要因だったから、山県参軍が叱るのも無理はない。

「ともかく西郷軍がどこに行ったのか、探せ」山県参軍の厳命が下った。だが、突破に成功した西郷軍の行方は中々掴めなかった。それで、山県参軍は、西郷軍の進出先として疑われる大分、熊本、加治木へと部隊を分散させざるを得ず、政府軍は拡散した。更に悪いことがあった。この時代は有線通信はあったが、無線通信はない。従って、一旦、部隊を乗船させてしまうと、下船するまで部隊に連絡をとる手段がないのである。後の鹿児島攻防戦に際し、結局、その場の政府軍が海兵旅団しかいなかったのは、これが最大の要因だった。


 山県参軍に可愛岳の突破に成功した西郷軍の確実な動向が入ってきたのは8月23日のことだった。8月21日に三田井の補給処が西郷軍に襲撃されたというのである。そこに現れた西郷軍の兵力から類推して、西郷軍の残存兵力の全てが集まっていると考えられた。それでは、このまとまった西郷軍はどこに行こうとしているのか。三田井に西郷軍が現れたということは、熊本に西郷軍が向かう公算が最も高い、と山県参軍は判断した。そのため、更に一部の部隊を乗船させ、熊本へ向かわせた。乗船できない部隊で西郷軍の追撃を開始したが、大部隊のために山間部の進軍は中々進まない。一方、西郷軍は皮肉なことに小部隊なので山間部の進軍が相対的に速かった。陸路を進む政府軍は西郷軍の進軍速度に追いつけず、引き離されてしまった。


 海路、加治木に配置されていた政府軍は第2旅団の約2000名だった。万が一、西郷軍が鹿児島方面に向かった際に阻止できるようにということで、実際に西郷軍は500名余りになっていたから、普通に考えれば阻止できるはずだった。だが、鹿児島に向かっていた西郷軍の兵は死兵だった。何としても鹿児島に西郷さんを帰らせる、その思いに駆られていた。辺見十郎太らを先頭に西郷軍は錐のように加治木の第2旅団に突入した。

「何としても西郷さを連れて鹿児島へと帰りもんそ」西郷軍の兵はその想いで、第2旅団の兵に喚きかかった。

「あれは人間ではありませんでした。死を覚悟した西郷軍の兵は、我々10人に1人で当たる勢いでした」加治木の戦いを経験した第2旅団の兵は口々に、後に取材に来た新聞記者に語った。西郷軍は第2旅団をたちまちのうちに突破し、鹿児島へと向かった。


「鹿児島の灯りが見えるぞ」夜の内に鹿児島へ入ろうと急行する西郷軍の兵の1人が叫んだ。後に続く西郷軍の兵の目にも鹿児島の灯りが見えてきた。だが、彼らの目に次に映ったのは、主に稲荷川を盾として構えられた海兵隊の堅陣だった。更に夜目にもその陣地には白地に誠の旗が高々と翻っているのが見えた。

「最期まで我らの前に立ち塞がるのか、新選組は」桐野利秋をはじめとして西郷軍の幹部は口々に叫んだ。その中には辛うじてここまでついてきた小倉処平もいた。

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