潜入調査へ
・仲夏の月 1日 征討士本部
痩せぎすの団長は扉に背を向け、遠くを見る表情をしていた。ノックされるまでその顔に隠されていたのは懊悩だった。団長アーレは扉をたたく音で元の精神状態に戻った。入るよう促すと、ジラレスが礼にかなった動きで執務机の前に立った。
ジラレスはこの征討士本部で一番奇妙な存在だと、アーレは思っている。能力も隙がない。やろうと思えばいくらでも礼儀正しく振る舞える癖に、実際の任務では度々暴走する。前歴から独自の人脈も持っている。
その奇妙さゆえに、アーレはジラレスに賭けてみることにしたのだった。
「来たか。君が班室を整理しだしたと聞いて、慌てて呼んだのだが……」
「もうあらかた終わってしまいましたよ」
「それは無駄骨だったな。君に新しい任務を頼みたいのだが、場所が場所でな……」
「待ってください。頼みたい?」
任務は通達されるものだ。やり方に口出しもできるし、懸念も表明できる。が、任務は任務であり断る権利はない。これは征討士本部が正常に機能している証とも言える。
にも関わらず頼みたいと言ったのは、これが嫌な役回りだということを示しているといえよう。
「君に頼みたいというのはこれだ」
机の上に軽い音とともに出されたのは3枚の仮面だった。色は真っ白で造形はただキレイな人間の顔をしているだけだ。
「潜入捜査ですか……しかし、私は王都では顔が売れすぎています」
「場所が場所だと言っただろう。君には西のアトフォードに行ってもらいたいのだ」
「そのこころは?」
「先日の“辰砂の貝”の取り調べで分かったことだが、物資の輸入元がここだったのだ」
「なるほど。確かに現地の支部には任せておけないでしょうが……随分と調査に時間がかかりますよ」
要は現地で冒険者として活動しつつ、その細かいところをマメに報告しろということだ。だが、物資の流れを追うほどになると真に現地の人間と交友を重ねつつ……そして裏切ることになる。
「意外だろうが、こう見えて私にもそれなりの正義感というものがある。そのなけなしの価値観でいわせてもらえば、麻薬は駄目だ。売りつけている連中の首をねじきってやりたいが、それは別の団の管轄だ。だからできる範囲で探りたい。君はどうかね?」
「私としては友人の正道に泥を塗る連中をねじきってやりたいだけです。ですが、先日の薬に関しては大きな企みを感じます」
「ならば我々は同志とも呼べる。引き受けてくれるな?」
「私は協力しましょう。ただ、ミテスとローレンをどうすればいいのか……」
「連れて行けば良い。団としては君以外に冒険者の内情を知る人材が欲しいところだ」
「……了解しました。ただ、目を離した私がどうなるかはお忘れなく。それと押収室の物資と当座の金を貰いますよ」
「どうせろくでもない連中を切り倒すんだろうな。金は銀貨で持っていきたまえ……と、これも言う必要は無かったな」
ジラレスはそれが嫌味かどうか判別することができないまま、団長室をあとにした。少なくとも自分が団長になるというタースの見込みが外れてくれて良かった、そう思いながら。
・仲夏の月 2日 征討士本部
朝になり、ジラレス班の班室にミテスとローレンもやってきた。ジラレスは二人にどう切り出せばいいのか悩んでいたが、この際正直に言ってしまおうと思い至った。嫌なら置いていけば良い。
「さて、新しい任務だが……西のアトフォードの街で、潜入調査になる。珍しいことだが、この任務は拒否権がある。嫌なら残って別の班で手伝いでもすることができる」
「はい! 潜入調査ってなんですか?」
「日頃は冒険者として活動して、掴んだ情報を征討士本部に流す。かなり長期の任務になることが予想されるし、後ろ暗い。拒否権があるのはそういうわけだ。メリットは金。征討士としての給金に加えて、冒険者としての実入りがあるからな。デメリットは命の危機と、裏切り者として過ごすことだ」
かなり正直に言ったジラレス。ミテスはともかく、ローレンは潜入に向いているとは言い難い性格だと思っているからだ。潜入調査はふとしたはずみで味方が丸ごと敵になる可能性もある。
「わかりました! 頑張ります!」
「分かったの……? 頑張っちゃうの……? えぇ……」
「ん。あたしもジラに着いていく」
「そうか……着いてくるのか……」
ミテスは単純に征討士だということをなんとも思っていないからだろうが、ローレンが乗り気なのは意外だった。彼女は理想としている征討士像があって、忌避するとジラレスは踏んでいたのだ。
もっといえば、それはジラレスの願望でもあった。単純に自分一人のほうがやりやすいからだ。これが人の上に立つ者の苦労なのか、そう思いつつも受け入れざるを得ないジラレスだった。
「分かった、二人の命は俺が貰ったと思っておくよ。それじゃまず格好からだ。押収物の扱いを好きにしていいと言われているので、全員で冒険者らしい格好に見繕おう」
「冒険者らしい格好ってどんなですかね?」
「よほど筋力に自信があるなら別だが、基本は布鎧と革鎧を組み合わせるよ。革の部分にはワックスをかけるとなお良い。さて、女性陣と同じ部屋というわけにはいかないし、俺は自分の部屋に行くよ」
ジラレスは自室に戻り、チェストから多くの物を取り出した。それは旅の道具一式であった。そして、一番底にあった革鎧を取り出して、またコレを着ることがあるとは思わなかったと苦笑いを浮かべた。
しばらくしてから、ジラレスは班室に戻って戸を叩いた。
「入るよー」
「はーい」
中に入ると、それぞれが思う冒険者らしい格好をしている二人がいた。ローレンは布鎧に胸当てをした、まるで弓手のような格好だったが、これはこれで悪くない。
もう一人、ミテスの服装は……
「……びっくりするほど軽装だね」
鎧下一枚にズボンを履いて、ローブを羽織っただけだった。
「一応聞くけど、革鎧とか着るつもりは……」
「無い。臭いの嫌だから着ない!」
「……まぁ良いか。ミテスなら動きやすい方が力を発揮できるかもしれないな」
ジラレスは二人の格好にあれこれ言うのを止めた。要は征討士と見られない格好なら何でもいいのだ。あとはバックパックと糧食を揃えれば良い。これに関してジラレスはローレンにあれこれ指示を出して、買ってくる店まで指定して送り出した。
ジラレスには出発前に行くところがあった。
・仲夏の月 2日 大聖堂
この日、ジラレスは割り込みはやめて、レーフィアの手が空くまで待つことにした。旅に出てしまえば、この大聖堂も見納めだ。今まで鬱陶しく感じていた華美な内装も、この日ばかりは悪くない気がした。
「お待たせしました。今日は一体どうしたんです、ジラレス」
「実は任務で旅に出ることになってね。当面のお別れと、俺の分までアランの無事を祈るのを頼みに来たんだ」
「また、厳しい任務になるのですね……」
「かもしれん、という段階だよ。実際にどうなるかは、それこそ神様ぐらいしか知らんだろう。それに、危険でもやらなくてはならないこともある。特に俺にはね」
「いいですか、ジラレス。どんな偉業や困難の達成よりも、貴方の無事を願っている者がここに一人いることを忘れないでくださいね。本当はもっといるでしょうけど」
レーフィアはジラレスの額に唇を一瞬当てた。何をされたか信じられないジラレスは幾度か額を撫でてから、少年のように照れくさそうに笑った。
「これは大問題になるんじゃないか?」
「ええ、でもこういう祝福もあるということです」
自分たちの関係は複雑過ぎて、もう友愛なのか恋慕なのかも分からない。だが、ジラレスはレーフィアがアランにもあの祝福を送るのかなと、少し気になった。




