勘違いなさらないでっ! 【77話】
エシャル嬢再び。
――ああ、気持ちがいいわ。
まぁるく円を描くように、ゆっくりとなでて揉まれていく。
指がゆっくりと動いて一点を慎重に押す。
「んっ」
じんわりと体が温かくなってくる。
ぼぉっとした頭の中で、次にどんな刺激がくるのかと少し楽しみで待ち構えている。
「ぁあっ」
つい声が漏れてしまう。
だって急に滑り下りていくのだもの……。
何度も往復させれば、滑りも良くなり力も抜けていく。
マリアが施す、オイルによるハンドマッサージは最高ね。
「気持ちが良かったわ。ありがとう」
「い、いぇ」
顔を赤らめたマリアが、ぎこちなくオイルなどの片づけを始める。
昨夜手が荒れている、ととっさにエージュに言ったことだったが、ナリーと言うふくよかな侍女頭が侍女のマリアを連れてきたのだ。
あまりこのお屋敷に侍女は必要ないからと、マリアの他にあと一人しかいないらしい。
少し前までもう一人いたが、こちらは縁談が決まり、行儀見習い終了として実家に帰ったという。
マリアも地方の子爵家の令嬢で、今年十六になったそう。ここへは、王族のお屋敷に行儀見習いすることで箔をつけにきたらしい。
どの国でもあることだけど、上位貴族のお屋敷に行儀見習いとしてあがれば、出入りの貴族に見初められる場合もある。下位貴族令嬢にとっては、お金のかかる社交界よりも利が大きい。
「マリアさん、大丈夫ですか?」
「は、はぃ」
「お嬢様はマッサージを受けますと、いつもこうなのです。前にサイラス様でも」
「ま、まぁっ」
なぜか顔が赤いまま、期待を込めるようにごくりと息を呑むマリア。
「ぐっすり眠っておしまいで」
「さようでございますか」
マリアは残念そうに眉を下げ、アンは「ここまで長期戦になるとは思いませんでした」と、なぜかこちらも残念そう。
ちょっとアン、あなたあの時わたくしにもサイラスにも怒っていたわよね?
気持ちがいいのを我慢することはない、とは思うけど、さすがに声は抑えなきゃと努力はしていたのよ。
でも少し漏れ出ていたみたいだけど。
マリアはオイルなどを簡単に片づけると、保湿のために放置していた手に残るオイルをふき取り、クリームを丁寧に塗り込む。
「またご就寝前に施させていただきます」
「ありがとう。サイラスにもあなたが施術しているの?」
「え!?」
なぜか激しく動揺するマリア。
「と、とんでもないことでございます! けしてそのようなことはございません!!」
首を横にふり、必死の形相で言う勢いに、わたくしの方がきょとんとしてしまう。
そして、あっと気がつく。
「何か勘違いさせたようね。あなたのように本格的な施術ができる侍女がいながら、このお屋敷にはそれらしい女性がいないものだから」
「!」
またもマリアの顔色が変わる。
「わたくしができますのは、前にお勤めさせていただきましたお屋敷で学んだことでして! こちらにあがってからは、ナリーさんや同僚を相手に練習をしておりまして、けしてサイラス様がどなたかを……」
「わかったから、もういいわ。別に気にしていないから」
「いえ、ですが!」
「お嬢様っ! 多少は気にしてくださいませ!!」
マリアを押しのけるように、アンが一歩前に踏み出して何かを言い始める。
なぜアンに怒られなければならなかったのかしら……。
☆☆☆
「行きたくない」
朝食の席からずっとそう言いながら、渋々レイティアーノ姫同行の訓練場視察へと重い足取りで出て行ったサイラス。
そんなサイラスが昼過ぎに戻り、しばらくしてわたくしを一階の客室へと呼び出した。
「あら、エシャル様」
ベラートに案内された客室には、サイラスとエージュ、そしてエシャル様がいた。
「ごきげんよう、シャナリーゼ様。お土産がございますの」
にこにこと微笑むエシャル様の横に座ろうと歩き出すと、急にサイラスが立ち上がる。
「俺はもう行くから、ここへ座れ」
エージュを伴い長椅子を離れたサイラスが、わたくしの前で立ち止まる。
「視察に戻る。ここへは、給料を理由に少し戻っただけだ。あと、エシャルには協力要請の依頼をしただけだ」
「はあ」
いきなり何を言いだすの? とポカンとしていると、サイラスの後ろからエージュの目が『何か』を訴える。
その『何か』がわかって嫌になりつつも、エージュが胸元から出した懐中時計をみせられてその意味を知る。
つまり『おだてて効率アップ。目指せ時間短縮!』ということよね。
急に言われても、エシャル様もいるのだから当たり障りのない言葉しかないわ。
「わ、わかったわ。い……いってらっしゃい、サイラス」
引きつるのを抑えてぎこちなく微笑めば、サッと目をそらしたサイラスが「ああ」と言って部屋を出て行く。
え、恥ずかしがっているの??
その後ろに続くエージュは、わたくしへ深くお辞儀をしていった。
パタン、と乾いた音を立ててドアが閉まると、はじけたようにエシャル様が笑う。
「まあっ、本当に聞いた通りの症状ですわ! すっかり惚れこまれてしまいましたね、シャナリーゼ様」
「笑い事ではございません」
少し気恥ずかしい気持ちのまま、サイラスがすわっていた席へと座る。
「あ、そうですわシャナリーゼ様。わたくしが呼ばれた理由は、サイラス様のもとでお手伝いすることなった件でしたの」
「え?」
「まず手始めに、明後日レイティアーノ姫にお会いすることになりましたの。面倒ですけど、命令ならしかたありませんわ。失敗しても、サイラス様の紹介したお話し相手との相性が合わなかった、というくらいでしょうし。装いも、まあどうとでもなりますわ」
あまり責任は感じていないようで、やる気も感じられない。
「シャナリーゼ様の滞在が伸びても、わたくしがお相手致しますのでかまいませんわよねぇ」
微笑みながらどこへ行きましょうか、と失敗した先のことを考えている。
それってわたくしの帰国が遅くなり、あの妙なサイラスを見続けなきゃいけないってことですわよね!?
しかたがない、とわたくしは「エシャル様」と、急に話題をふる。
「リンディ様に少し前にお会いした時、サイラスにも会っておりますの。とてもいいアイデアが浮かんだとはしゃいで帰られましたわ」
「!」
パッとエシャル様の目の色が変わる。
「アイデアは鮮度、と言われておりましたわ。もしかしたら、製作に入られているかもしれませんわね」
「~~!」
少し悔しそうな目をするエシャル様。
ええ、他国の発行物が手に入るのは、どうしても発売日より遅くなる。
だから新作ができている、と公の発表を前に知っているのに読めない悔しさ。
エシャル様はまさに『それ』にはまっているのだ。
そして、そのまま少し間を置いて、その悔しさが貯まりつつあるのを見て口を開く。
「リンディ様に頼めば、この国で一番にお手にできるかもしれませんわ」
「まあ! さすがシャナリーゼ様ですわ」
「でも帰国しないことには、リンディ様にお会いすることもできませんわ。サインも」
「大丈夫ですわ! さっさとレイティアーノ姫を大臣から離してみせますわぁああ!!」
頼まれごとは面倒、と言っていたエシャル様がこんなに嬉しそうに、そして気合を入れて引き受けるなんて……。すごいですわ、リンディ様。
と、そこへドアがノックされる。
返事をすると、ナリーがワゴンを押して入ってきた。
「あ、そうですわ。お土産をお持ちしておりましたの。昨夜のお詫びに」
「それはサイラスがすべきだわ」
「うふふ。それはそうと、兄がサイラス様のお好きな物を作りましたの。受け取ってもらえて良かったですわ」
「え?」
サイラスの好きな物を作った? 熊が!?
唖然としているわたくしの前に、ナリーがお皿とフォークをセットし、テーブルの中央に深緑色の布に包まれた茶色の木でできたような四角い箱を置いて蓋をとる。
「サイラス様より半分残しておくように、とのことでございます」
「……これは、もしかして」
大方の予想をつけたわたくしに、エシャル様がうなずく。
「シャポンの伝統菓子『オハギ』ですわ。こちらがコシアン、こちらがツブアンでございます」
茶色い箱の中で鎮座する、丸くて黒い物体。
「これ、本当に熊、いえ、ナリアネスが作ったのですか?」
「ええ。もともとシャナリーゼ様に『チャシツ』を使って振る舞うために用意していたようです。あんな大きな体をしておりますけど、我が一族の男は森によく放り込まれますので、自然と料理ができるようになりますの」
森でオハギは作らないでしょうけど、まあ、あの熊の意外な特技に驚きだわ。
――エプロンつけているのかしら。
と、つい考えて想像してしまいそうになり、思わず顔を横に振って映像を消す。
「シャナリーゼ様?」
「え、あ、では頂きますわ」
「はい。よろしければ、兄の馬鹿力が無駄なく発揮されたコシアンをお試しになってください。時々道具が壊れますけど」
そうエシャル様に勧められたコシアンのオハギは、舌の上でコシアンがスッと溶けるほど細かく裏ごしされていた。
美味しいわ、熊!!
中のほんのり甘いつぶつぶのもの。これが聞いているとおりなら『モチゴメ』ね。それがねっとりしていて、ばらばらにならないでまとまっている。
ああっ、このもちっとした感触がたまらないわ。
本人を前に褒めたくないけど、これはまた食べたいわね。できたらツブアンも試したいから、今度は小さめに作ってもらわないと。
子どもの握りこぶし以上の大きさのあるオハギを見て、わたくしはお礼の手紙に注文をつけることを決める。
「いかがですか?」
「美味しいですわ」
「良かった。兄も喜びます」
しばらくたわいのない話をして、ふと気がつく。
サイラス、ウィコットに好きな食べ物の名前を付けようしていたの!? 食べ物とかわいらしい物を愛でる気持ちは違うわよ!?
そういえばヨーカンも大好きだったわね、と目の前のオハギを前にやや食欲がなくなりそうだけど――やはり美味しいから食べてしまう。
「さて、わたくしもお茶会の準備をしなくては!」
わたくしが半分ほど食べてしまうと、エシャル様はポンと手を叩く。
「さあ、わたくしも気合を入れて参りますわぁ」
「頑張ってくださいませ」
「ええ!」
帰宅するエシャル様を玄関ホールで見送る(わたくしは出てはいけないんですって)。
玄関ポーチで見送ったベラートが戻ると、「シャナリーゼ様」と声をかけられる。
「エシャル様に何かおっしゃったのですか?」
「え?」
「エシャル様はあまりこのお話に、乗り気ではないように見受けられましたので」
「ああ、そのこと。確かに乗り気ではなかったようね。見返りの品が甘かったんじゃないかしら」
サイラスが提示した見返りが何かは知らないけど、少なくともエシャル様を喜ばせるようなことではなかったのは間違いない。
「ではどのようなものが良かったのでしょうか?」
「あら。それは秘密よ」
唇に指を立てて「ね?」と言えば、ベラートもすぐに引いてくれた。
「そうそう、夕食は軽めでお願い」
「承知いたしました。
それから、サイラス様は今夜お戻りはありません」
「わかったわ」
「……」
「なに?」
「いえ。なんでもございません」
サイラス不在の理由を聞いてほしそうにしていたが、別に帰ってこないとわかれば気にならない。
ごめんなさいね、ベラート。サイラスに興味を持ったとか、これ以上の勘違いは避けたいの。
残ったおはぎはサイラスの元へと届けられた。
そして、今日は軍部のほうに泊まり込みなんだそう。
ナリー曰く、明後日のエシャル様とレイティアーノ姫との顔合わせの最終調整を急きょ行っているらしい。
「ですから、ご安心ください」
そうナリーに胸を張って言われても、わたくし本当に興味がなかったからそっけなく「そう」というだけにした。
ベラートとナリーは夫婦らしい。
ああ、でも頑張りなさい、サイラス。
エシャル様が異常なやる気を出しているうちに……。
読んでいただきありがとうございます。
マッサージによる快感に弱いシャナリーゼでした。
実は少し長くなりすぎまして、二つに分けました。
続きは近日どこかで更新しときます。
ちなみに、ナリアネスはシャナリーゼにあげようとしたので、これでも小さめに作ったオハギなのでした。
エシャルの様子を見てシャナリーゼへの好感度を上げたベラートですが、彼女がサイラスへの関心が薄いと実感して焦りました。
↓
妻のナリーにそれとなく話すように言います。
とりあえず妻は言いましたが、やはりこちらも「反応が薄い!」とベラートと同じ危機感を持ってしまうのでした……。




