勘違いなさらないでっ! 【71話】
ニンジンと玉ねぎのポタージュ。
ニンジン入りレーズンパン
ニンジンとベーコンのオムレス。
ニンジン多めの温野菜。
ニンジン入りチーズスフレ。
ニンジンとナッツのハニーサラダ。
ニンジン入りマフィン。
ニンジン……。
ニン……。
……。
(いろいろ)頑張ったわねぇ。シェフとプッチィとクロヨン。
さっそく夕食から出てきたニンジン料理フルコースの数々。
本日の朝食にもしっかり出してもらう。
なぜなら、これが飼い主の責任だと思うの。
予想以上にプッチィが大暴れして、同調するようにクロヨンも暴れ、ニンジン畑は運動場と化した。
それでも老執事は焦らず、孝行爺のように微笑んで「楽しそうですねぇ」と言っていた。
笑っている場合じゃなかったと思うわ。
だって、わたくしとアンもおもわず「ダメ!」やら「それ以上かじらないで!」を、何度も叫んでいたもの。
サザールが出してくれたビタミン剤は水に溶かすタイプで、プッチィは微妙な顔をしつつ、アンがスプーンで口元へ持っていくと、ちびちびと仕方なさそうに飲んでくれた。
『食後だと飲んでくれないこともあります』
そうサザールに言われたので、おいしそうなニンジンを見せつつ食前に飲ませている。
「頑張って飲むんですよ、プッチィ。飲んだらおいしいニンジンがありますからね」
アンが励ましつつ飲ませているが、どうもおいしくないらしく目をそらして、それでも頑張って飲んでいる。
ニンジンは食材だから、このお屋敷みんなで食べるのであと一日くらいでニンジン料理からは解放されるらしい。
でも、わたくしが抱える頭の痛い問題は目下進行中。
わたくしの複雑な事情からか、噂が一人歩きを始めたらしい。
外でそれなりに『お見合い連敗男』として有名だったナリアネスのお屋敷に、素性のしれない女性が居ついており、その話し相手として末妹のエシャル様が足しげく通っている。
まあ、ここまでは本当のことだからいいとして、問題はそこから。
エシャル様といえば、元サイラスの婚約者候補筆頭で、正直裏では『先見の目を持つご令嬢』と言われているらしい。
本人いわく、興味がわいて関わった人がたまたま大物になったり、有力な情報源になったりしているだけで、別にえり好みをしているわけではないそう。
そんなエシャル様が頻繁に通う女性、ということで注目を浴びているらしい。
非っ常に迷惑だわ。
否定しても広がるなら、あえて何も言わずにいようとしたら、執事を筆頭としたお屋敷全員から誤解をされていることも判明。
使用人の間で、わたくし――『秘密の奥様』と呼ばれていることに今朝気がつきました。
「……ふう」
イズーリの新聞を読みつつ、ふと思い出したそのことについてため息が漏れる。
新聞の表にはゴシップ記事ばかりで目を引かれるものはなかったが、最終ページの小さな欄に『誘拐注意』という物騒な文字を見つけた。
どうやらナリアネスが言っていたものらしい。
子どもが要求もなく誘拐され、少ししてあちこちで発見される。怖い目にあったのか、しばらくぼーっとしており、誘拐された時の記憶はない。
ただみんな口をそろえて『楽しかった』というらしい。
なにを楽しいと言っているのか? それについては疑問が残ると書かれていた。
そして、最後に行方不明になった地点などがここひと月で分かっただけ、地図上に点で書かれていた。
「アシドナの宿はどこかしら。誘拐現場が近くじゃないといいけど」
「シャーリーお嬢様、プッチィのお薬が終わりました」
「御苦労さま」
新聞から目を離して顔を上げると、アンはいままでわたくしが見ていた記事を見つけて「あっ」と小さく声を上げる。
「どうしたの?」
「……ここ、アシドナの宿がある場所です」
何度かお使いに出ていたのでわかったらしく、アンが指差したのは最近子どもが消えた場所とされる地点の近くだった。
「あの子、大丈夫かしら」
「リンクのことですか? 聡明そうな子ですから、用心はしていると思いますが」
胡散臭い自警団のキースがいるけど、誘拐が続いている限り役にたっていないんじゃないかしら。
アンバーの弟を思い出し、ふと案が浮かぶ。
「そうだわ。アンバーのご両親へのお礼は、マナー学校で使う文具や生活品にしましょう。それなら受け取ってくれるわ」
昨日、アンに手持ちのお金を全部持たせてお礼に行かせたのだけど、頑として受け取ってもらえなかった。
途中帰ってきたアンバーも、両親に味方してアンを送り届けてきた。
その道中で、アンはアンバーから軍を辞めた本当の理由を聞いたのだ。
聡明なリンクを一流のマナー学校に通わせる。
それがリンク本人の夢であり、家族の目標らしい。
宿屋の仕事は面倒、とアンバーは軍に入っていたが、その願いを知って学費と寮費を稼ぐために無駄使いを止めて、実家への仕送りに精を出していたそうだ。
そのリンクも来年には受験できる年となり、合格すれば家を出る。
そうなると宿の手伝いが必要だから、とアンバーは資金が貯まったこともあってちょうどいい、と辞めたのだという。
まさかわたくしの旅に付き合わされるとは思わず、しかも今もナリアネスに使われているので、宿の仕事が引き継げないと泣きつつ「まだまだ稼げそうです」と笑っているという。
「去年、商業区で迷子になって、貴族の方の執事様に助けられたそうです。その振る舞いを見て、どうしても貴族の方々へ仕えたいと思ったようですね。マナー学校は七才から十才になる子どもを受け入れ、二年後からは実地として実際のお屋敷などへ出されます。なかなか厳しいところです」
アンも自分のことを思い出したのか、苦笑する。
「わたしはお嬢様のところへ、という前提の目標がありましたし、お話もあってとても恵まれておりました。ですが、成績は優秀でも後ろ盾がないとうまくいかないこともあります」
「……そうね。個人の能力を潰す行為だとしても、やはり縁故はどうしてもその後の家の利になったりするから、どうしてもなくならないわね」
「でも、あの年で自分からなりたいものを言えるのはすばらしいことですわ。それに、家族もあんなに後押ししてくれて。あのアンバーも少し見直しましたわ」
剣の腕がどれほどかは知りませんけど、と付け加えてアンが笑う。
こうしてゆったりと午前中を過ごし、午後からは囲いの張られた庭の一角でプッチィ達を遊ばせ、エシャル様がやってきてお茶をする。
今日は少し早めにエシャル様が来たので、まだ遊び足りないプッチィ達をアンに任せて、呼びに来た侍女とともに室内に戻る。
わたくしにつけている侍女から話を聞いたのか、ふとしたことから噂の話になった。
「シャナリーゼ様も気分を悪くしますわよね。あの兄の奥方なんて、間違っても思われたくないでしょうに」
「お屋敷の中で言われるのは気になりますが。……まあ、少しの間だけですから」
「寛容なお心感謝いたしますわ。
それから兄がご紹介した獣医ですが」
意味ありげにエシャル様が口を閉じたので、何か裏があったのかと飲んでいたお茶をソーサーに置く。
「兄の友人とはいえ、用心のために調べさせたのです。誰がどこを担当しているというのはあまり知られていませんが、彼の担当は――サイラス様のお屋敷も含まれておりました」
「! 本当ですの、エシャル様!?」
「間違いありません。一応昨日彼の後をつけさせたのですが、ウィコット保護園に行く前に、サイラス様のお屋敷へと入ったのが確認されておりますわ。サイラス様のお屋敷の担当獣医は二人だったのですが、最近三人になったようです」
「……」
わたくしはしばらく呆けていた。
いえ、頭の中でいろんな考えが芽生えては消えてを繰り返していた。
使える。
使えるわ、あの獣医っ!!
無意識にグッと右手を握りしめ、ほのかに唇が弧を描く。
「兄がようやく役にたちまして?」
面白そうに微笑むエシャル様に、わたくしは笑みを深める。
「まずはもう一度お会いしたいと思います」
「あの獣医を誘惑するのですね!」
「違います」
パッと目を輝かせよからぬ妄想の世界へと入ろうとしたエシャル様を引き止め、わたくしは指を二本たてる。
「考えは二つです。一つは、強硬手段ですが、サザール獣医にプッチィ達を直接運んでもらいます。
もう一つは、サザール獣医に手紙を託します。おそらくこの方法が一番確実です。
どちらも、サザール獣医の行動中にわたくし達は王都を出ます。
問題はどちらもわたくし達の準備と、サザール獣医のスケジュールがかみ合わないとできないことです」
「王都をお出になるより先に、獣医はサイラス様のお屋敷につきますわよ。いっそのこと当家においでになりましては?」
「サイラスのことです。すぐに目星をつけて怒鳴り込みに来ますわ」
「怒鳴り込む? いままで放っておかれたのに、いまさら怒っていらっしゃいますでしょうか?」
「……」
確かに、とわたくしも思い直す。
自然と「怒鳴り込む」なんて言葉が出てきたが、考えてみればそうだわ。いままで無視されてきたのだから。
それなのに、まるでサイラスがわたくしに未練があるかのような行動をとるなんて――わたくしの勘違いだわ。
自意識過剰、という言葉を思い出して恥ずかしくなる。
「そう、ですわね。わたくしの考え過ぎのようです」
「ふふふ。サイラス様も立場がございますから、そうそう下手な動きはできませんわ。しかも、今はメデルデアの文官が周囲におりますので、相当うんざりされていることでしょう」
「あ、でも、当家に参られますと母が大騒ぎで喜びますわね。そうなるとかなり面倒なことに、父も兄も出てきますから全力でひきとめられますわね」
「やはりお断りいたします」
「残念ですが、ことが落ち着きましたらぜひにおいで下さい。……妹様とポリーヌ様もご一緒に、ぜひっ」
語尾に力を入れるあまり、エシャル様の目がキラリと肉食獣のように光った気がした。
「では、さっそく獣医をまた呼ばなくてはなりませんわね」
「ええ。また頼んでみますわ」
そう話が終わったタイミングで、客室のドアが叩かれる。
エシャル様が返事をすると、侍女が入って来て、
「シャナリーゼ様にお客様でございます。昨日の獣医様が、経過診察をとおおせです」
というから、わたくしもエシャル様も顔を見合わせて微笑む。
「ここへお連れして」
「はい」
「わたくしアンを呼びに行きます」
「シャナリーゼ様、そちらもわたくしが行かせていただきます」
侍女が申し出てくれたので、そのままお願いしてサザールが入ってくるのを待つことにした。
入ってきたサザールは、エシャル様がいることにかなり驚いて、なぜかどもりながら後ずさる。
「どうなさったの? 様子を見に来てくれたのですよね?」
「あ、でも、ご来客中とは……」
「まあ、わたくしのことはお気になさらず。兄がお世話になっておりますわ」
「ええ!?」
眼鏡が落ちるほど驚くサザールに、エシャル様は「はい」と微笑む。
熊に白鳥の妹がいるとは思いもよるまい。わたくしもそうだったもの。
「獣医様、診察前に少々お話があるのですが」
そう言って、わたくしは空いている椅子にサザールを座らせる。
あえてわたくしもエシャル様もサザールに近い位置に座り、グッと身を傾ける。
「な……なんでしょうか?」
じぃっと見るわたくし見て、ひきつった笑みを浮かべるサザールに、他言無用と念押ししてすべてを話した。
サザールが一番驚いたのは、プッチィとクロヨンがサイラスからもらったウィコットだという話し。つまり、最初のほうだった。
おかげで茫然としたサザールは、口をはさむことなくわたくしの話を聞いていた(のかしら?)。
「えっと、……それってわたしに不利ですよね。どう考えても。最悪サイラス様のお屋敷の担当を外されるかもしれないってことですよね!?」
「だから、手紙だけでもいいわ。エージュ、もしくは執事に渡して欲しいの」
「エージュ様は時々しかお見かけしませんし、執事様は……『得体のしれない手紙など受けとれませんね』とか言って、睨まれそうです」
ずいぶんおよび腰のサザールを見て、エシャル様がそっと立ち上がって近づく。
そしてサザールの肩を叩いて自分を振り向かせると、静かに耳に顔を近づけて何かを耳打ちする。
「……で、…………の。……では?」
「!!」
パッとのけ反って顔を離したサザールの顔は青ざめて怯えており、耳打ちした姿勢のまま微笑むエシャル様はニコニコと御機嫌の様子。
「お手紙、できますわよね?」
「~~!」
一瞬ビクッとして肩を震わせ、おそるおそるわけがわからないままのわたくしを見て、サザールは小さくうなずいた。
「まあ! 良かったですわね、シャナリーゼ様!!」
「え、ええ」
さっさと席につくエシャル様に、そっと心の中で呟く。
何をご存じなのだろう……。
少し哀れなサザールを見て、手紙には最後のお願いとしてサザールをそのまま担当獣医として替えないでほしいと付け加えておこう、と決めた。
「あの、シャナリーゼ様」
あまり元気のないサザールの声に顔を上げると、少しまだ顔色の悪いサザールが無理したように笑う。
「あの、この手紙をお届けする前に、ぜひお願いしたいことがありまして」
うずうずしているサザールの両手を見て、すぐにピンときた。
「クロヨンを抱きたいのね?」
「はいっ!!」
「いいけど、嫌がったらやめてね」
「もちろんですとも!!」
青かった顔が紅潮し、サザールは大きく一度頭を下げる。
「もうっ、昨日サイラス様のお屋敷に行ったら、あの高貴な黒色ウィコットが付いて回ったので『なんだろうなぁ』と思っていたのですよ!! 最後なんて番の茶色のウィコットにも付いてこられて、こんなの初めてなのに抱けなかったんですよ! もう生殺しっていうのはこういうことを言うんでしょうね!!」
すっかり興奮して一気にしゃべるサザール。
「……昨日、サイラスのお屋敷に? 行ったの!?」
「はい。子どものウィコットが発熱しまして」
「それってプッチィ達の妹!?」
「え、ああ、そうですね。でもここに来る前に見てきましたが、すっかり熱も下がって――今日は誰も付いてきませんでした」
そこでずーん、と一気に落ち込む。
そしてため息をつきつつ、つぶやく。
「昨日はすっかり懐いてくれたと思っていましたが、今のお話を聞いてわかりました。きっと子どもの匂いをつけて行ったから、親ウィコットが反応したんですね。今日は……」
そこでハッとサザールの目が見開かれる。
「しまった! 白衣を持ってきていない!!」
「「……」」
一人で一喜一憂しているサザールを、わたくしとエシャル様は見て思った。
……この人で大丈夫だろうか、と。
その後、サザールの思った通り、ズボンの裾には親の匂いがついていたらしく、プッチィもクロヨンも一生懸命匂いを嗅いで付いて回った。
だが、サザールが抱こうとするとプッチィは足蹴にし、クロヨンは身をよじって暴れ、二人ともズボンの裾の匂いを嗅ごうとばかりする。
「……いいんです。これでもいいです。触れたら、もうそれだけで幸せです」
結局ズボンの裾の匂いに夢中な二匹を、幸せそうになでまわすサザール。
その顔や手には、さっき二匹がつけた傷が輝いていた。
読んでいただきありがとうございます。
はい。お知らせです。
実は、この71話ものすごく長くなり、いろいろ考えて付け足して72話と分割しました。
で、この72話を近日に更新予約してます。
さあ、ウィコットラブ!な一歩間違うと変態になるサザール。
出番はそろそろ終わりです……。
エシャル様の毒舌はまだまだ続きます。
次回冒頭もエシャル様の悪意のない毒舌全開。




