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勘違いなさらないでっ! 【69話】

『……シャナリーゼ』

 

 優しく呼ばれて振り返れば、白くかすみがかった世界に、ぼんやりと黒い影が見える。

 わたくしより大きなその影が、ゆっくりと歩み寄ってくる。


『シャナリーゼ』


 少し恥ずかしげにもう一度わたくしの名を呼んで、ぎこちなく腕を差し出す。


 わたくしは慣れた手つきで――でも、本当は心の中では少し恥ずかしく思いつつ、その腕につかまってあげる。


 彼のそばでゆっくりと深呼吸して、愛しげに息を吐く。


――ああ。毛深い。

そして――ケモノ臭い!!


『無理ですわぁあああ!』

 絡めた腕を、逃がさないとばかりに引き寄せ、わたくしは渾身の左ストレートを繰り出す。


『ガォッ!?』

 ゴッ!


 鈍いうめき声と音が聞こえて、わたくしの腕から全てが遠ざかる。

 同時にかすみの世界から、わたくしも消える。



そして、眉間に皺を寄せたまま目が覚める。

「……(イラッ)」


 本日も、とても目覚めの悪い朝だわ。



☆☆☆



 熊のお屋敷で目が覚めて、三日。


 プッチィ達のお世話はアンが一手に引き受け、わたくしの希望で同室飼育させてもらっている。

 クロヨンはすっかり食欲も回復し、見た目にもとても元気になった。

 ただ、プッチィだけは少し違う。

 あれ以来吐くことはないが、食欲はほぼ半分。

クロヨンとは元気にじゃれ合って遊ぶけど、すぐに離れてごろごろと休んでしまう。


「精神的なものかもしれませんわねぇ」


 毎日のように様子を見にやってくるエシャル様。

 今日も別室で、わたくしと二人でお茶をしていた。

「ウィコットを獣医に、というご希望はわかりますが、ウィコットを診ることができる獣医は専門職で限られております。未登録のウィコットを見つければ、すぐさま王城への報告がされますわ。もちろん、サイラス様の登録があっても、異国の地にいるウィコットがいるとなれば同じです」

「そうですか。でも、そのままサイラスに報告がいけばわたくし達はすぐさま帰国、とはできませんでしょうか?」

 エシャル様は少し困った顔で微笑む。

「わたくしも、その方法を探しております。さすがに家に盗難の疑いがかかりますのは困りますし、ですがシャナリーゼ様のお気持ちも良くわかるのです。こっそりサイラス様だけにお伝えしたいのですが、愚鈍な兄がことごとく失敗して目をつけられてしまったようで」

「「はぁ」」

 おもわず二人して深いため息をつく。

 沈んだ表情でエシャル様は顔を上げる。

「……メデルデアは一部開国を条件に、貿易拡大を狙っているのですわ。何度か交流のあった我が国を頼ってきているのはわかるのですが、さほど親しくもないのに婚姻外交をちらつかせるなんて。相手にされないので、相手にされるまで、とにかくいろいろ理由をつけて滞在しているようです」

「お詳しいですね」

 当然です、とばかりに、にっこりするエシャル様。

「シャナリーゼ様が王妃様には内密に、とおっしゃるので、王室に近い姪に聞きましたの。その姪は相当お怒りで、周囲の者が毎日宥めるのに必死ですのよ」

 その姪、という方を思い出したのか、エシャル様の目が優しく緩んでわたくしを見る。

「気になります?」

「いえ」

 本当にまったく気にならないので、とりあえず正直に言っておく。

 だが、こうわたくしが言っても、言いたいことは必ず言ってくるのがエシャル様。ここ数日で良くわかってきた。

「まあ、知っていて損はありませんわ。わたくしの姪ですが、サイラス様の従妹でもありますので」

「やはり無用です」

「いえいえ! シャナリーゼ様も一度お会い……いえ、見たことがありますのよ?」

 それを言われ、エシャル様を見た初めての日に少女がいたことを思い出す。

「……ああ、なんとなく思い出しましたわ。わたくしをにらんでいらっしゃった方でしょうか?」

「ふふふ。そうですわ。赤毛のうるさい令嬢はすでに別の方に押しつけましたので、もう出てくることはありませんわ」

 ああ、あのわたくしがストレス発散で口げんかを受けようとしたのに、マディウス皇太子殿下がやってきて余計ストレスが溜まってしまった、というオチになった件ですね。

 その後、すべてのストレスを熊にぶつけました。

「わたくしの一番上の姉が、王弟殿下に嫁ぎましたので、その娘であるアリーナからの情報ですわ。

 ああ、そうそう。わたくしがなぜサイラス様の婚約者候補になっていたか? なんてしりたくありませんか?」

「いえ、別に」

「まあ! そうおっしゃらずに聞いてくださいまし。のちのちシャナリーゼ様にも関わることですし」

 おおげさに驚きつつ、最後は他人の不幸を面白がるように笑うエシャル様に、わたくしはぎょっとして目を丸くする。

「じょ、冗談じゃありませんわ! のちのちも何も、金輪際関わることはありませんわ!!」

「うふふ。聞いておかれて損はありませんわ」

「いえ、結構です!」

「まず、姪はアリーナと申しますの」

「……」


 出た。エシャル様の「聞かない」ふり!!

 

 こうなってはダメだ、とわたくしは、エシャル様とティナリアの共通点を聞かされた二日前に悟っていた。

 観念して黙り込んだわたくし(黙らなくてもどんどんお話になるので、黙っていた方が早く終わる)に、エシャル様は微笑んだまま楽しそうに思い出して語る。

「アリーナ・エレル・ケンダートは十一才の夢見る少女ですわ。年齢差があるにもかかわらず『サイラス様と結婚するのはわたくしです!』と、いつでもどこでも言いふらしているわがまま娘ですの。まあ、とりあえず周囲は子どもの言葉と笑っていたのですけど、かなり本気でして。それでわたくしが婚約者候補となるきっかけになったのです。

 わたくしも十八になり」

「!?」

「? どうなさいました? いつになく興味があるようなお顔ですわ」

「い、いえ」

 そっと目をそらして、どうぞ、と先を進めてくれるようにお願いする。

 ちなみに、わたくしが驚いたのはエシャル様の年齢。

 実はわたくしより年下とは思っていなかった。

「とにかくわたくしも十八になって婚約者もなく、本にのめり込んでいてはダメだと両親も周囲もとにかくうるさくて。そんな時に、サイラス様の婚約者の話を持ってきたのがアリーナでしたの。

 アリーナが成人するまでの数年、サイラス様の婚約者となってというのです。もちろん、アリーナが成人したらすみやかに交代ですわ。

 わたくしは周囲から何も言われなくなるし、アリーナは大好きなサイラス様と結ばれてハッピーエンド、ですって。あまりの子ども的な発想に、ついおもわずうなずいてしまいましたの。おほほほほ」

 笑っているエシャル様を前に、わたくしは片手で頭を抱える。

「でも、わたくし達はサイラス様から言われておりましたのよ。大事な方がいるから、わたくし達の誰も選ばない、と。

 それなのに、あの赤毛の侯爵令嬢が図々しく居残っていたので、わたくしもアリーナがわめくので居残っていたのですわ。正直あの時は面倒だと思ったのですが、こうしてシャナリーゼ様にご縁が繋がって最高に幸せですわぁ。うふふふ」

「……」

 

 ――なぜかしら、少しだけ恥ずかしさが込み上げてきた。


 でも、すぐにエシャル様の笑みを見て苦笑する。

「わたくしとの縁、というよりリンディ様繋がり、ではございませんこと?」

「まあ! シャナリーゼ様あってのご縁ですわ」

 そっと真綿を包むように優しく両手を胸の前で合わせ、目を閉じて妄想の世界へと一瞬で飛び込むエシャル様。


 幸せそうに目を閉じたまま微笑む彼女の頭の中は――ボーイズラブ(年下限定)で埋め尽くされているに違いない。


 そう。エシャル様はまさしくティナリアと同じ趣味をお持ちの、引きこもり本好き侯爵令嬢だった。

 男性嫌い、というわけではないが、自分の本の趣味をとやかく言われるなど言語道断。

 秘密にしたいわけじゃないが、できたらおおらかな気持ちで受け止めて欲しい。もしくは無関心でいて欲しい、らしい。

 もちろん妻としての義務は果たすが、少しも自分を咎めるような目で見られるのは我慢がならないらしい。


『自分が好きになったものを、他人の価値観でとやかく言われたくありませんわ。わたくし達の思想は、絵画を愛でるものと同じですわ!』


 芸術、と言い切るエシャル様の力説は忘れられない。

 わたくしが寝こんでいる間に、アンは荷物を取りにアシドナの宿に戻ったのだが、そこでアンバーに出会ったという。

 わたくしが目覚めた翌日、エシャル様はアンバーを商業区のおしゃれな喫茶店に呼び出し、いままでの苦労をねぎらうふりをして探りを入れたのだ。

 必要最低限のことしか答えないアンに対し、アンバーは熊の妹であり、清楚な美人という姿からすっかり気をゆるませて、いろいろ情報を垂れ流したらしい。

 

『ライルラドのポリーヌといえば、イズーリでも重版は当たり前の大人気作家ですわぁあああ!!』


 清楚なエシャル様が崩壊した瞬間。

 ポカンとしたアンバーだったが、数分後には一人の世界に浸るエシャル様のために、店中の人々へ頭を下げていたという……。


 アンバーが苦労するのは全然OKです、エシャル様。

 しかし。

 わたくしを助けたお礼=リンディ様との面会とサイン、に決定するのはやめてください。


『約束ですわぁ~、シャナリーゼ様! お約束いただけたら、わたくし絶対に裏切りませんし兄よりお役に立ちますわ。なんでしたら、一回くらいなら我が家の名前を出してもかまいませんわぁああ!!』

『……努力はいたします』

『お願いいたしますわ!』

 目をギラギラさせたエシャル様に押されつつも、サッと考えただけでも見方は多いほうがいい。

 サインは最悪、鞭をいただいた時の手紙でもいいかしら。


 そんなことを考えていると、急にエシャル様が夢の世界から戻ってきた。

「あら、兄が戻ったようです」

エシャル様は耳が異常に良い。

置時計を見れば、まだ午後三時過ぎ。

「こんなに早くどうしたのでしょう。また失敗でもしたのでしょうか」

 妹の容赦のない悪態の中、部屋のドアがノックされてナリアネスがのっそりと入ってきた。

「まあ、お兄様。辛気臭い登場でお帰りなんて、またなにかメデルデアの誰かに目を付けられましたの?」

「またお前はいたのか。シャナリーゼ様が休まらんではないか」

「お兄様がお屋敷に女性を招いた、という噂の気苦労よりましですわ。しかも、どこかの誰か様がまったく情報を仕入れてこないので、わたくしがお伝えに参っているのですわ」

「……」

 そこは非を認めたのか、ナリアネスは黙ってエシャル様から目をそらす。

「ナリアネス、何かあったの?」

 兄妹ゲンカはそこまで、とわたくしが口を出せば、ナリアネスも気持ちを切り替えてうなずく。

「そうなのです。しばらく下町の治安部隊責任者を務めることになりまして、二日ほど不在いたします」

「あなたが下町を?」

「お兄様ったら、本気で降格されましたのね」

 あきれた目を迎えるエシャル様に、ナリアネスはムッとした顔で睨んだだけで無視する。

「……不審人物の噂があるのです」

「え?」

「甘いにおいを付けた紳士を追いかけた子どもが、町のどこかで行方不明になるのです。幸いにも子供は数日で発見されますが、場所は様々で、しかも子どもは外傷はない者の記憶があいまいで、しばらくぼーっとした状態になるのだそうです」

「医者はなんと?」

「医者の見解はありません」

「え?」

 わたくしの疑問に、ナリアネスはやんわりと気を使う。

「……医者は高額なのです。外傷もなく誘拐の後ともなれば、精神的に疲れているのだと休ませるだけなのです。そのせいで、王城への届けがずいぶん遅れたようです」

「それはお兄様が担当されるほどの事件とは思えませんわ」

「サイラス様からのご命令だ」

「!」

 無意識にわたくしの目が何か言っていたのだろう。

 ナリアネスがどこか心得たようにうなずく。

「これを機に道を作ります。いましばらくお待ちください、シャナリーゼ様」

「……ええ。頼りにしているわ」

「それから、ウィコットの獣医の件ですが、某の友人が獣医登録しておりましたので、どうにか秘密裏に連れてこれそうです」

「まあ、お兄様にもそんな交友関係がありましたのね」

「バカにするな。お前はもう帰れ。アリーナ嬢が探しているそうだぞ」

「あら。また新たな情報が手に入るかもしれませんわね」


 こうして騒がしい二人はお屋敷を出て行った。


 翌日もエシャル様はのほほんとした雰囲気のままお茶に来られ、アリーナ様からの新たな情報を話してくれたのだった。





数分遅れました。

読んでいただきありがとうございます。

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