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勘違いなさらないでっ! 【68話】

 ――頭が痛いわ。重くて鈍い痛み。

 体が熱いの。でも、汗をかいている感覚はない。

 そう、喉が渇いているはずなのに、だるくて指一本も動かしたくないの。


 寝てしまったのかしら。


 時々ふっと気がつくのだけど、重くて目を開けることはできない。

 でも、決まってそういう時は誰かがわたくしに飲み物を飲ませるの。

 ぬるくて甘いようなしょっぱいような、とてもおいしいものではないけど、少しずつ力のない唇の隙間から流し込まれる。


「お飲みください」


 最初は知らない声だったのに、今はアンの声に聞こえる。

 わたくしは飲もうとするのだけど、正直飲むのもすごくおっくうなの。

 だから、つい口からこぼれてしまうのだけど、彼女はすぐにタオルでぬぐってくれているみたい。

「ああ! 本当に大丈夫でございますか!?」

 誰かに言っているのか、わたくしに言っているのかはわからないけど、ずいぶん困惑しているようだから「ええ、大丈夫よ。でももう少し休ませて」と言いたかった。

 でも、口から出たのは息を吐くような声。

「んっ、……よ」

「お嬢様!?」

 パッと明るくなった声を聞いて、本当は言いたいことがあったのだけど、今できるのはかすかに口角をあげることだけ。

 大丈夫よ、と言いたいのに。


「大きな声を出し申し訳ありません。もうしばらくお休みくださいませ」


 逆に心配をかけてしまったわ。

 額に冷たい何かが乗せられて、気持ちがいいと感じてまた眠ってしまいそう。



☆☆☆



「……ぅっ」


 あら、寝てしまったわと思って身じろぎすると、先程まで重かったまぶたが簡単に開く。

 でも、最初は夢だと思った。

 料理の残り香のような空気のただよう部屋じゃなく、すっきりとしたミントのような爽やかな香りのする部屋。

 数日前にようやく背中の痛みがなくなり、慣れはしないものの眠れるようになった薄い布団の寝台ではなく、体を包み込むようなふわふわの寝台に柔らかなシーツ。

 うす暗いのは、寝台を覆う天幕カーテンのせい。

 薄い板の天井は見えず、代わりに革張りで銀細工の施された天蓋の裏が見える。

 アシドナの宿が劣悪であったというわけではなく、あれが平民の「普通」で、わたくし達貴族の「普通」とはかけ離れたものだったというだけ。

 アシドナの宿ではない、という不安があったものの、心はどこかホッと落ち着いている矛盾に気がついてため息をつく。

「お目覚めでいらっしゃいますか?」

 急に聞こえた他人の声に、珍しくびくりと肩が震えた。

「ご気分はいかがでしょうか?」

「……大丈夫よ」

「では、すぐにエシャル様にお知らせしてまいります。お待ちくださいませ」

 ゆっくりと体を横にして、明かりが透けている天蓋カーテンの向こうに見える人影が去って行くのをみつめる。


 エシャル……そうだわ、熊の妹。


「妹?」

 思い出して口に出るほどの容姿の違いに疑問が出る。

「……きっと異母姉妹ね」

 いえ、もしかしたら親族で養女かもしれない。

 貴族にはありがちだわ。政略結婚のための養子縁組なんて普通ですものね。そう考えたら、あの雰囲気の似ていなさは当たり前だわ。

 フッと笑いが出て、ハッと気がつく。

「そうだわ。あの子達!」

 ガバッと起き上がって少し眩暈と頭痛がぶり返すが、どうにか寝台を下りて天蓋カーテンをめくる。

 誰もいない部屋は広くて、客室といっていい部屋だった。

 窓のカーテンは閉められ、ほのかに室内を照らすオイルランプがあり、そのオイルにハーブエキスをまぜているらしい。

 おぼつかない足取りで部屋の中央にある長椅子までたどり着いて、背もたれに両手をついて立ち止まっているとドアがノックされた。

 ふう、と息を吐いて、長椅子から両手を離して姿勢を正す。

「……はい」

「失礼いたします」

 先ほど部屋からエシャル様に知らせに行った女性の声がして、静かにドアが開く。

 入ってきたのは三人。

 知らせに行って戻ってきたメイド服の女性と、シンプルなワンピース姿のアン。そして、わたくしを道で介抱してくれたエシャル様。

 部屋に入ってきたエシャル様は、困ったような微笑みを浮かべる。

「シャナリーゼ様。あまり無理はなさらないでお休みくださいませ。医師からは数日は安静に、と言われております」

「このたびは誠にお世話をおかけしまして、ありがとうございました」

「いえ、これもきっとご縁があってのこと。ご挨拶が遅れましたが、わたくしはエシャル・ビルビートでございます」

 優雅に一礼されて、わたくしも頭を下げる。

「こちらこそご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたくし、シャナリーゼ・ミラ・ジロンドと申します」

 言い終えると、またふらりと立ちくらみがでた。

 サッとエシャル様のわきをすり抜けてアンが駆け寄り、そっとわたくしの背に手を添えて支える。

「まあ、無理をなさらないでくださいませ。どうぞお座りください」

「い、いえ。わたくしは……」

「お帰り頂くことはできませんわ。それに、お体を悪くしてまで大切になさっているウィコット達なら心配ありません。あとでお連れしますので」

 そう言われて、横で支えるアンの顔を見ると、安心したような目をして小さくうなずく。

「さあ」

 頬笑むエシャル様に促され、わたくしは長椅子へと座った。

 楕円のテーブルを挟んだ長椅子に、エシャル様も座ってメイドを下がらせる。

「シャナリーゼ様は熱中症になられたのですわ。イズーリでは秋といっても昼は天気しだいで相当暑くなります。帽子も召されず、そのうえ鬘を被っていらしては熱がこもって体調を崩されて当然ですわ」

「面目もございません」

「でも、偶然とはいえ通りかかりまして本当に良かったですわ」

「あの、わたくしはどれくらいお世話に?」

「シャナリーゼ様をお連れしたのが、昨日のお昼過ぎです」

 

昨日!?


 予想外に長い時間寝ていたことになり、一気に頭痛も吹き飛んでしまう。

「えっと、今は……」

 そう言いながらチラリと部屋の時計を探してみると、もうすぐ六時になろうとしていた。

 エシャル様の着こなしから、今が朝の六時である可能性は低い。

「ふふふ。しばらくは時間を気にせずお過ごしください。慣れない異国、生活でお体が相当お疲れなのですわ。医師の指示でスープやリゾットなど、軽食はいつでもご用意できておりますので」

「ですが」

 と、言いかけると、微笑みを浮かべていたエシャル様が急に真顔になった。

「シャナリーゼ様」

 少しキツイ口調で一拍おく。

「すべての基本はご自身のお体です。あなた様に万が一のことがあれば、ウィコットもアンもどうなさいます。あなた様を匿っていた宿も、元兵士もお咎めナシとはいかぬかもしれません」

 確かに、と前半はうなずけるものの、後半のお咎めについては間違いだわ。

「お言葉ありがとうございます。ですが、お咎めなどという話はお間違いですわ。わたくしには何の後ろ盾もございませんので」

 エシャル様は一瞬きょとんとした顔をされたが、すぐにいつもの微笑みを浮かべる。

「まあ、シャナリーゼ様ったら。サイラス様がおかしなことに巻き込まれておいでなので、すねていらっしゃるのですね?」

「いえ」

 そこは違う、と目を座らせながらきっぱりと強く否定する。

 だが、エシャル様はクスクスと笑う。

「確かにサイラス様の今の状態は複雑なものですが、シャナリーゼ様がお困りなのに助けられないはずがありませんわ。兄から理由を聞いておりますが、対策をこうじなかったその点はサイラス様の落ち度だと思います」

 そう言ってエシャル様はちらりとアンを見る。

 わたくしもその視線でアンから話を聞いたのだ、と察知する。

「シャナリーゼ様。あなた様の味方はサイラス様だけではございませんわ。その気になれば王妃様やマディウス皇太子殿下をお味方にできましてよ?」

「!」


 お……王妃様に、ま……マディウス皇太子殿下ぁあああああ!? 

ひぃいいいいい!! 絶対にい・や! ですわぁあああああ!!


 頭の中で大絶叫中のわたくしに、エシャル様はこてんと首を傾げる。

「お手紙、お渡しいたしましょうか?」

「いいえ!!」

 思わず身を乗り出して大声でお断りする。

 そんなわたくしの様子にエシャル様は驚きもせず、まったく残念そうにない顔で「残念ですわ。でも、気が変わりましたらおっしゃってくださいね」と言った。


 いえいえいえ! 絶対に気が変わることはありません!!


 そこでハッと気がつき、おそるおそるエシャル様に尋ねる。

「あの、わたくしが入国しているということは、どなたかにご報告なさっているのでしょうか?」

 ビルビート侯爵家は軍人家系。

 報告、連絡、相談は軍の大前提。

 教育上、すでに父である侯爵様あたりには報告済みかと思ってのだけど、エシャル様はゆるく首を横に振る。

「報告、という話なら最初に兄に連絡をしました。兄は最近下町の情勢を把握していましたので、実は知っているのではないかと。

案の定、馬を飛ばして我が家の馬車を追いかけてきて、道の真ん中で大変迷惑でしたわ。馬から下りていたなら無視できたのですが、馬と馬を衝突させて怪我させるわけにはいきませんので止めましたの。とりあえず大声がうるさくてこちらの話を聞かないので、日傘で喉を突いて黙らせました。あのような醜態をお見せすることがなくてよかったですわ」

 うふふ、と笑うエシャル様だが、言葉には棘がちらほらしている。

「と、まあ、ある程度お話は伺いました。わたくしも父には内緒で良いと思いましたので、シャナリーゼ様のことを知るのはごく一部の者ですわ。ああ、こちらは兄の屋敷なのですが、執事のトーランドとはご面識があるようでしたが?」

 ナリアネスのお屋敷の執事、といえば――ああ、あの何度も気絶しそうになりながら終始顔色の悪かった苦労性の初老の執事かしら。

 少し考えてから、名前は知らないわねぇと思いつつ、前にマディウス皇太子殿下とエージュにはめられてここに来たことを話した。

 エシャル様は時折り目を丸くしてかわいらしく驚かれていたが、最終的には、

「腑抜けの兄で申し訳ありませんわ。そこまでお世話になったのに、まるで役に立たぬ兄で申し訳ございません。とっとと昇進して使えるように精進させますわ」

 兄に対してもまったく容赦なく毒を吐いていた。

 そして小さくかわいらしいため息をつき、ふと何かに気がついて顔を上げる。

「シャナリーゼ様、起きてから何かお飲みになりまして?」

「え、いえ」

「いけませんわ。細かな水分補給を、と医師から言われております」

「すぐに」

 サッと頭を下げてアンが寝台近くにあった水差しから、コップに水を注いでもどってくる。

「さ、お早く。また倒れてはウィコットにお会いになれませんよ」

「……では、いただきます」

 格上の令嬢にはお茶ないというのに口にする、というのはマナー違反だけど仕方ないわと口をつける。


 ……ああ、この味だわ。寝ている時に時々飲まされていたあまりおいしくない水。


 しっかり顔に出ていたのか、エシャル様が微笑む。

「おいしくない上に常温で申し訳ありませんわ。ですが、医師にが言うにはそれが体にいいのだそうです」

「お薬だと思えばさほど辛くございません。お気づかいありがとうございます」

「そのようにかしこまらないでくださいませ。いずれは……ふふふ」

 突然何かを企んでいるかのような、今までのほんわかとした笑みではなく、なんというか……にたり、とどこかで見た笑みを浮かべて口元を手で覆う。

「……」


 どうしましょう。この方もやはりよからぬことを?

 ナリアネスの妹とはいえ、どちらかといえばティナリアのような雰囲気を持つ方だったので、つい油断していた。


 ん? ――ティナリア??


「ぁっ」

 おもわず小さく口に出てしまい、慌てて口元を手で隠してエシャル様も見るが、あちらはまだ顔を背けて「あらわたくしったら、つい」なんて言いながら、表情を元に戻そうとしては、にたりと含み笑いをするのを繰り返している。


 やっぱり。あの笑み――そう、ティナリアがアノ(・・)系の新刊を手に入れた時の笑みにそっくりなのだ。

 が、しかし、確信はもてない。

 ただ、あの笑みが悪意のないものだという可能性は非常に高い。


 とりあえずわたくしは気がつかないふりをして、今一番気になるプッチィ達の話題に戻すことにする。

「エシャル様」

「は、はい!」

 あわててこちらを振り向くエシャル様は、ちょっと頬を赤くしてずいぶんかわいらしく見えた。

「前にエシャル様のお兄様にお願いしました時に、ウィコットの受け入れのための根回しと準備が必要だとお伺いしました。まだお時間がかかるようでしたが、ちょうど準備ができた日にわたくしが倒れたのでしょうか?」

 コホン、とエシャル様は取り繕うように軽い咳払いをして微笑む。

「その件ですが、本当に兄は頭の中まで筋肉で固くて応用のきかない大バカ者であったと思います。ウィコットだけを迎える準備をしているから、無駄に時間がかかっていたのです。しかも、兄は根回しが苦手でさらに悪循環。わたくしに一言相談していたら、シャナリーゼ様にお会いした翌日にでもお迎えできましたのに!」

「まあ、そうなのですか」

 がっかり感をわざと出しつつ、本当に脳筋って使えないわね! と我が国で使えない認定しているライアン様と心の中で同列に並べて舌打ちしておく。

 そんなわたくしを見て、エシャル様は深いため息をつく。

「本当に使えない兄で申し訳ありませんわ。女性をお迎えする、という建前で動けばいとも簡単でしたのに!! あ、少々の噂は立ちますが、溺愛しているという尾びれをつけていれば、お屋敷に引きこもりっきりでも問題ありませんわ!」

「!?」

 

 ――わたくしは、今の自分の立場を正しく理解して顔をひきつらせた。


「お見合い三十連敗中(更新しているわね)の兄が女性を迎え入れた、なんて格好の噂のタネですが、まあ、これも緊急事態ですのでいたしかたありませんわ。喜んで暴走しそうな父母の妨害はわたくしがいたしますし、シャナリーゼ様はじっと引きこもっていただくだけで結構ですわ」

「……」

「大丈夫ですわ、シャナリーゼ様。サイラス様ならご心配ありませんわ。もとはといえば、サイラス様がはっきりしない態度をとっているのがいけないんですもの!

 ええ、そうですわ! このまま『やきもち大作戦』と、横やりを入れるのもいいかもしれませんわ!」

「だ、ダメです! 勘違いがこれ以上増えるのはもうたくさんですわっ!!」

「そうですか? お気が変わりましたらいつでもおっしゃってくださいませ。実体験はございませんが、知識としては熟女の皆様並に蓄えておりますので」

 うふふ、と両手を口の前で合わせて、とっても楽しそうに微笑むエシャル様。


 ――ああ、()えましたわ。

 この方、とんでもないトラブルメーカーですわ!!


読んでいただきありがとうございます!


お盆過ぎたら……蝉がめっきり減りました。ツクツクホウシの出番です。

カナカナカナ……という虫の声が早朝と夜に聞こえるようになりました。


さて、エシャルでずっぱりなお話でした。

次話は……動揺を隠せない熊が登場。ビルビート家の兄、妹に振り回されるシャナリーゼ。

頑張れ。



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