勘違いなさらないでっ! 【66話】
蝉の声に日暮が……あ、オリンピック。こち亀の日暮さんが登場する年だ~(笑)
「……」
うつろな目。
冴えない顔色。
無言。
意欲無く朝の掃除をするアンバー。
服は昨日の祭りの名残をどこかでつけたのか、葉っぱをつけたままでそれを気にすることもない。
寝てもいないらしい目の下のクマが、顔色を一層悪くしている。
「……」
昨日、ナリアネスと再会したが、アンバーには結局会えなかった。
宿の食堂の時間もあって、とりあえず付いて回るナリアネスがうっとうしくて送らせてあげた。
そうそう、くれぐれも出入りするんじゃないと厳命。営業妨害絶対阻止。
何度も振り返るナリアネスに同じ数だけ追い払うように手を振って、ようやくその姿が見えなくなると、タイミングを計ったかのようにアンバーが息せき切って現れた。
『よかった~! 無事で!! もう伝手が全然使えなくて、アンさんに報告しようと戻ってきたんッスよぉ』
『伝手って、わたくし迷子になったわけじゃなくってよ?』
『知ってますよ! 騎士連中に連れて行かれたって聞いて、マジで、本当に冷や汗噴き出したんですから!!』
あの時わたくしとはぐれたアンバーは、必死に探していた矢先にキースと踊る姿を見て驚いた。
そして馬車が来て人混みの中でまた見失い、今度は連行されたと聞いて思考が停止。
必死に知り合いに訪ねまわっても、わたくしのいた詰所はアンバーの知り合いのいない所だということで、少々行き詰ってしまう。
こうなれば、とお咎め覚悟で王城に向かいナリアネスに連絡を取ろうとしたら、肝心の彼が戻って来ていない。そう言われてショックのまま、今度はアンに相談しようと急いで戻ってきたのだという。
『いや~、本当に良かったですよ! 辞めてからも隊長に会うなんて嫌ですからね。それに事情を話しても、絶対俺にとばっちりがきますし、退職金とかナシになりそうですし。ああ、もしかしたら除隊願いも取り消しになったりしてー……』
あはは、と笑っていたアンバーの顔から血の気がサッと引いて表情が硬くなる。
……戻ってこい、とは言っていないわよ。熊。
わたくしの後ろに現れた陰にため息をつき、振り返る。
そこには、鬼の形相をしたナリアネスが仁王立ちしていた。
『アンバー・ユハル!!』
『ギャアア!! っはいぃい!』
悲鳴と返事を同時にし、ピシッと姿勢を正して怯えたままナリアネスを見上げる。
『来い』
『~~!』
いやだ、とアンバーの目は訴えていたが、口から出たのはこれまでの躾の賜物なのか「はい」という小さな返事。
『ナリアネス、先程も言ったけどアンバーは無理に巻き込んだの。お世話になっているのだから、無理はしないでちょうだい』
『……承知しております』
不服そうな返事のあと、アンバーを睨みつけて従わせつつ去って行った。
その夜はこの光景を見た誰かが歪曲して広めたらしく、興味本位とお祭りでいつも以上にお客が多いのに、いつものちょっかいが全くなかった。
じろじろ見られるのは慣れているのだけど、明らかに怯えるようにわたくしを見る兵士達にはにらみを利かせて黙らせておいた。
――で、朝掃除にでたら、コレ。
「アンバー」
「……」
「アンバー!」
「……」
「アンバー・ユハル!」
「! はいっ!?」
「……」
ようやく気がついてわたくしを見てくれたけど、どう見ても脅されているわね。
「朝のお掃除はわたくし一人で大丈夫よ。あなたは少し休みなさい」
「いえ! 大丈夫です!」
「使い物にならない、と言っているのよ」
「……」
あ。また灰のようになってしまったわ。
あれだけ言ったのに、手間をかけさせるだけねナリアネス。今度会ったら文句を言ってやるわ。
そして「今度」はすごく早く訪れる。
朝の食堂に、まったく似合わない地味な安い平民服を着て現れたナリアネス。
変装の髭も身の丈を小さくしようとしているのか、丸い猫背もまったく意味がないほどどう見ても不審者丸出しのナリアネスの後ろから近づき、持っていたトレイでお尻を思いっきり叩く。
「!」
ピンと背筋が伸びたところで、挨拶無用とばかりに無言で裏庭へと引っぱって行った。
あ、女将さんが目を丸くしていたけど、わざと気がつかないふりをしておいたわ。他のお客様もごめんなさいませね。
そしてナリアネスを裏庭に連れて行き、アンバーが使えなくなったと愚痴を盛大にぶちまける中で薪割りをさせる。
途中、様子を見に(手に麺棒と鍋を持って)きたダンさんが「ぶふぉっ!?」と驚きのあまりいろんなものを口から噴き出したが、かまわずナリアネスには二日分の薪を割ってもらった。
「朝から良い汗をかきました! 森で修業したことを思い出しました」
「……」
額の汗をぬぐい、すがすがしい笑顔を見せるナリアネス。
勘違いしないでちょうだい。これは嫌がらせのはずなのに……。あなたのその前向き過ぎる思考がうっとうしいわ。
☆☆☆
暑苦しいナリアネスが仕事に行き、部屋に戻ってようやく落ち着いたところで、アンがプッチィ達の残したニンジンを差し出す。
「また残したのね」
「はい」
アンは心配そうに足元で遊ぶ二匹に目を落とす。
「元気はあるようですが、毛艶も少し落ちたように思えます」
「そうね。ここでできる手入れも食事の質も、今までより落ちてしまうものね」
「ですが、ナリアネス様にご連絡がとれたなら安心です」
「ええ。少しでも早く保護してもらわないと」
クイッとスカートの裾を引っ張り、じっとわたくしを見るプッチィを抱き上げて頬ずりする。
体つきは痩せているわけではないが、やはり頬に触れる毛のふわふわ感が少し硬くなった気がする。
プッチィは目を細めてわたくしに頬ずりを返していたが、やがてフンフンと指先の匂いを一生懸命嗅ぎ出す。
荒れてささくれやヒビが入った指先。
整えることを止めた爪も筋が入り、艶もない。
「ごめんなさいね。何か匂いがしたのかしら? それとも痛かった?」
「みぅうう」
違う、とばかりにプッチィは鳴くと、小さな舌を出してペロペロと指先を舐めてくれた。
「……ありがとう、プッチィ」
「みゅう」
ギュッと抱きしめると、目を閉じて顔をこすりつけてきた。
もう少しだわ。耐えてね、プッチィ。クロヨン。
そして――もう少しだけ一緒にいさせてね。
☆☆☆
これもダメね。
朝食後にいつもの八百屋でニンジンを見るが、やせ細っているものばかりだった。
最初に来た時はそれなりに見えたのだけど、最近は確かに細い。
「あれ、買わないのかい?」
すっかり顔なじみになった、頬骨のちょっと高い笑顔のおばさんが首を傾げる。
「悪気はないのだけど、最近ニンジンが細くなった気がして」
「ああ。もう収穫が終わるからねぇ」
そういえば、最近肌寒い日が多い。
目の前のおばさんも数日前からショールを羽織って商いをしている。
「形のいいものは、貴族街や商業街に出荷されるからねぇ」
しかたないよ、と笑うおばさんにまた来る、と伝えてわたくしは商業区へと歩き出した。
少し高くても、プッチィ達のために新鮮でおいしいニンジンが欲しいわ。
シェナックス孤児院で採れた野菜で形のいいものや大きい物を見て、シスター・メイラや子ども達が「わあ!」と喜びの声を上げたあとに「高く売れるよ」と笑顔で言っていたのを思い出す。
あの時は「よかったわね」としか思わなかったけど、わたくしが毎日食べていた物もそうして選ばれた特別なものだったのね。
お酒もそうだわ。ワインもエールも薄めたものだし、わたくしが今まで飲んできたものとは質も味も違う。
わたくしの手はもちろん、肌も最近乾燥からかピリピリとした小さな痛みがはしることがよくある。
アンに「少し、お痩せになりましたね」と言われたけど、わたくしからすればアンも慣れない仕事と環境のせいかやつれている。
一日二日体験するのと、生活していくのとは違うと思っていたけど、こうも体に出るとは思わなかったわ。
ため息をついたら負ける気がして飲みこむが、商業区で目にした質のいい野菜の値段を見た時は盛大に頭を抱えてしまった。
値段が倍、じゃすまない……。
甘かったわ、わたくしの認識。
とりあえず一本買えたので(そんな客は滅多にいないのか、1本買うと戸惑われたわ)購入し、大事に胸に抱いて歩きながら考える。
今あるお金を使えば数日は持つだろうけど、帰国までの路銀はなくなる。そうなるとまた貯めればいいけど、この国に長居するのはあのナリアネスに見つかった今は考えたくない。
世話を焼きたがるナリアネスだから、あっという間におかしな行動が目について――サイラス、いえ、下手をしたら王妃様に見つかってしまうかもしれない!
それは絶対に嫌!!
そんなことを考えて歩いていると、目の前に影が見えたのでスッと避けてまた歩き出す。
でもプッチィ達の健康をこれ以上害したくないし、やはり背に腹は代えられないということね。アンに相談してみましょう。
さらにスッと影が現れたので、またサッと避けてどんどん歩き続ける。
そうね。もうこうなったらナリアネスがプッチィ達を保護してくれたら、その場でお金を借りて帰るしかないわ。お父様達のことはマニエ様にお願いしているけど、そう長くはもたないでしょうし……。
また影が見えて――。
「……」
「……」
「……ねえ、いいかげんにしてちょうだい」
わたくしはうんざりした顔をしてようやく足を止め、目の前に腕を組んでふてくされている男を見た。
「わっかりやすい無視だな」
「前方障害物を避けただけよ。あ、そうそう。あなた昨日捕まったんじゃなかったかしら?」
「いまさら!? それに捕まったのはお前だろ!」
「失礼ね。話を聞かれただけよ」
「兵士を怪我させたとか聞いたが?」
「誤解よ。よろけたので偶然踏んだだけ」
「的確に小指をかよ」
「偶然ですわ」
「……」
じぃっとわたくしを見ながら黙るキース。
「どいてくださる?」
そう言ってスッと横にそれて歩き出すと、キースも並んでついて来た。
「なにかご用?」
「おいおい、なんだよ。こっちは心配してきたっていうのに」
「頼んでおりません」
「あー、もう、わかった俺が悪かった。お詫びに商業区にある、わりと有名なスイーツ店のケーキをおごるぜ」
「いりません」
駄々をこねた子どものご機嫌をとるように言われても、わたくしには不愉快なばかり。
それに、ケーキなんて食べたってわたくしの不安は一蹴されないわ。
「今までの女性にはそれが通用したのでしょうけど、わたくしはそんな誘い文句で釣られるようなバカはしませんの。誰が行く前提の誘いなんて受けるものですか」
ツンと顔を背けたまま言えば、キースがサッとわたくしの前に出て引き留める。
「では、お誘いしてもよろしいでしょうか? お嬢様」
気取った調子で、軽く腰を曲げて礼を取るキース。
すでに周りは下町に入ったとはいえ、数人の目がちらほらとこちらを見ている。
「手ぶらで申し込もうなんて甘いわよ」
「ははは。相変わらず固いな、シリー」
あっという間に気取った態度を崩したキースを置いて、わたくしは鮮度がいいうちにとまた歩き出す。
わたくしのあとを追いかけて、またキースが横に並ぶ。
「俺には宝石なんて無理だからな。でも花くらいなら用意できるぜ」
「……花なんていらないわ」
「ん? それ、ニンジン?」
「ええ、そうね。ニンジンは必要かも……」
と、つい口にしてハッとして立ち止まってキースをみると、彼も予想外だったのか、きょとんとした顔をしてわたくしを見ていた。
――まるで、サイラスに初めて会った時のように。
「!!」
わたくしは急いで首を振った。
「かっ、勘違いなさらないでっ! ニンジンも花も何もいりませんわ!! とにかくあなたはうっとうしいの! ごきげんよう!!」
早口でまくしたてると、まだ立ち尽くすキースを置いて急いでその場から走り去った。
いやだわ。
いやだわ、いやだわ、いやだわ!!
あんな顔しないでよ!
いやでも思い出してしまうじゃないのっ!
お気に入りのサンドバックはここにはない。
こうなったらプッチィとクロヨンでしっかり癒されなくてはっ!!
キースに追いつかれたくない、と後ろも振り返らずに走って少し休んでを繰り返してアシドナの宿の部屋についた。
そして「どうしたんですか?」というアンには「新鮮なニンジンを早く食べさせてあげたかったから」ともっともらしい嘘を言ってニンジンを見せた。
丸々とした色の濃いニンジンを半分に割り差し出すと、二匹は今までとは違って勢いよく食べ出す。
もっと、とおねだりしてくるクロヨンを見て、わたくしはやはりナリアネスが保護してくれるまで、このニンジンを買おうと決めてアンに相談する。
「見つかったのでしたら、ぜひ!」
アンも喜んでうなずいてくれた。
ああ、これでしばらくプッチィ達に少しだけ贅沢をさせてあげられるわ。
☆☆☆
相変わらず多い夜の食堂に出て、昼間のこともあってキースが来たら無視しようと決めていたのに、彼は結局姿を見せなかった。
その代わりいつもの仲間は来ており、いない理由を聞くのも意識されていると思われるのが嫌で聞けない。
まあ、別にいないならそれでよかったので、わたくしはさっさと気持ちを切り替えて給仕の仕事に励んだ。
そして、翌朝早くにキースが裏庭に姿を現した――手に茶色い布の包みを持って。
「知り合いに頼んでさ、今朝引き抜いて来たんだぜ。ほら」
布をめくると、出てきたのは十本ほどの丸々とした立派なニンジン。
「~~!」
「どうした? 受け取ってくれるか?」
笑顔のキースが憎い。
わたくしの横では、理由を後で聞かせてください、と言わんばかりのアンの引きつった笑みが身に刺さる。
ああっ! またも黒歴史ですわ!!
もう二度とこの手は使いません。
読んでいただきありがとうございます!
えっと、ちょっと食欲不振のプッチィです。
さてさて、プッチィがらみは次回も続きます。
それから前向きも後ろ向きも極端なナリアネス。どちらにしろ図太いです。
変装。 ああ、書籍三巻でもちょっと(?)やりましたね。
やっぱヘタですね。
お盆もちゃんと更新しようと思ってます!!
少し字数が減るかもしれませんが、できたらお盆ということで二回やれたらいいなぁ~。
次回、プッチィの異変その②!!
ドヤ顔キースとデートはするのか!?
頑張ります~。




