勘違いなさらないでっ! 【65話】
夏休みじゃあああ!
詰所は下町の大通りから商業区に入って、一本小道に入ったところにある三階建ての木造家屋。
わたくしは詰所に入ってすぐ別の若い兵士に渡された。
「おい、ひどい腫れじゃないか! 紫色だぞ」
「何があったんだよ、お前」
「~~!」
ここへわたくしを連れて来た兵士の唸り声を聞きつつ、わたくしは二階へと連れて行かれて小部屋へ入れられる。
小さな窓、天上からはランプがぶら下がっており、三つの木のイスと小さな机が置かれているだけだった。
「武器は持っていないな?」
「調べませんの?」
「女一人詰所で暴れてもどうにもならん。大人しくすることだ。で、武器はないか?」
「芋の葉っぱならありますわ」
「……座れ」
胡散臭そうにジロジロとわたくしの顔を見て、顎をしゃくって机の前の椅子に座るよう言う。
わたくしもフンッと顔を背けて、腕を組んで椅子に座った。
ノックもなしにドアがわずかに開き、廊下側から「おい」と声がかかる。
わたくしをここまで連れて来た兵士がドアに寄り、廊下側の相手と小さな声でやり取りをする。
やがて「は?」という驚いた声を出し、疑惑の目でわたくしを見る。
「じゃあ、ログ、頼んだぞ」
「あ、ああ」
ログ、と呼ばれた部屋の中の兵士は、ため息をつきつつ机を挟んでわたくしの前に立つ。
「お前、うちの兵士を負傷させたらしいな」
「負傷? ああ、いきなり連行されて気持ちが動転して、何度も転びそうになった時に助けてくれた兵士さんのことかしら?」
「足の指を負傷している」
「まあ。申し訳ないわ。でもその痛む足で何度も助けてくださったのねぇ」
淡々と言うわたくしに、ログは「もういい」と軽く頭を振って、先程ドアの隙間から渡された書類を机に置く。
「名は?」
「……シリーよ」
「家族は?」
「……」
「お前は自分がなぜここに連れてこられたのか、ということがわかっているのか? そんな態度も時期にできなくなるからな!」
少しイラつきを声に乗せて目を吊り上げるログに、わたくしはため息をついて見せる。
「では聞きますけど、わたくしは手紙を投げただけよ? どこに危害を加える要素があるの? 祭りで芋以外を投げてはいけないなんて知らなかったの。だって、最近こちらに来たんですもの」
「どこの出だ」
「……」
「答えないといつまでも帰れんぞ!」
ライルラド、とは言えないし。アシドナの宿の名を出せば女将さん達に迷惑がかかるし、なによりプッチィ達が見つかる可能性が高い。
……都合よくアンバーの知り合いがいるといいのだけど。そうしたらそのうちアンバーが手を回してくれるかもしれない。
ツンとしたまま黙っていると、ログもまたムッとしたように口をへの字に曲げて睨んでくる。
おほほほほ。お兄様やサイラスの目つきに慣れていましてよ。その程度の眼力など、ちっとも怖くありませんわ~!! ほ~ほっほっほっほ!
余裕でログの睨みを受け止め、口元に優越の笑みすら浮かべているわたくし。
「「……」」
しばらく――いえ、かなりの時間黙っていた。
時々ログは苛立たしく机を叩いたり、足で床を蹴ったりしていたけど、わたくしに危害を加えるようなことはなかった。
机を叩いていたのも、わたくしへの脅しというより自分の苛立ちを消す努力らしい。
なかなかねぇ、とわたくしはログが苛立つ自分を抑えるさまを楽しく観察していた。
彼はきっと長く付き合わされる買い物や、長々としたおしゃべりにも対応できるのでしょうね。すばらしいわ。
時間が経つにつれ、連れてこられた時の苛立ちが薄れてきた頃、ソレはやってきた。
ダダダダダ、バァアアン!!
階段を駆け上がる大きな足音と、ドアが開く音。
ログが驚いて顔を上げた目が、さらに見開くまで時間はかからなかった。
黒髪の大きな体格の男が、ドアを片手で壁にめり込ませる勢いで押しつけながら肩で息をして立っていた。
やっときたわね、熊!――じゃない、ナリアネス!!
目を細め、心のどこかでホッとした。
じわっと小さく広がった何かは、本当は安堵だったのかもしれない。
「な、なな、ナリアネス隊長! どうしてこちらへ!?」
ログが椅子から転げ落ちそうになりつつ立ち上がり、片手を胸に当てて敬礼をする。
だがログの質問に答えることなく、ナリアネスの目は混乱したままわたくしへとそそがれている。
何度かナリアネスの口が声を発さないまま動き、ようやくログがわたくしとナリアネスの間に漂う妙な空気に気がついて「え? え?」と狼狽えて首を振る。
「……し……しゃ……」
「!」
マズイ、と思った時には――すでにわたくしは立ち上がり、ログより前に出てナリアネスとの距離を詰めていた。
「シャ……おぐっ!?」
バチィイイン!
体のひねりを加えた右手でナリアネスの頬を打つ。
不意打ちに思わず体勢が崩れたナリアネスは、おもわず片膝を床につく。
「~~!」
ログが蒼白な顔のまま顎が外れるのでは? というほど口を開け、声にならない悲鳴をあげてガタガタと震え出す。
わたくしはじんじんと痛む右手を左手でそっと胸の前で押さえ、驚いているナリアネスを見下ろす。
「ゴメンナサイ。頬ニ虫ガイタノデスワ。危ナイトコロデシタ」
抑揚のない淡々とした声に、ログがわたくしの背に目をやりビクッと怯えていたなんてしりません。
ナリアネスは口をつぐんで、赤い手形を頬に残したまま立ち上がる。
「この張り手……まさしく本物っ!」
「……」
どこで区別しているのよ、熊っ!!
目を細めて睨んでから、スッと体を横にずらしてログの存在を気づかせる。
わたくしが何を言いたいのかすぐ気がつき、上官の顔つきとなったナリアネスがログへと退出を命じる。
「はっ、はいぃい!」
ログは逃げるように部屋を去った。
「これでよろしいですか?」
「……まあ、いいでしょうね」
さっき見たことを口止めするのを忘れていたわ。
でもまあ、別に何を言われても問題ない。
だって、ナリアネスが来た今、わたくしがこの国に滞在する時間もわずかだということだもの。
「お久しぶりね。ここに来たということは、手紙が届いたのかしら?」
「やはり。この手紙はシャナリーゼ様だったのですね」
そう言ってナリアネスは、胸元から芋づるの絡まったくしゃくしゃの手紙を取り出した。
「女が違反物を投げた、と報告があって一緒に届けられたものです。兵士はなじみがありませんのでこの紋章にピンとこなかったようですが、騎士が気がついて某へと持ってきたのです。……今日はサイラス様の護衛責任者でしたので」
「届けてくれるかしら?」
スッとナリアネスの顔に影が落ちる。
「……視察中に何らかの紋章入りの手紙が投げ込まれたという話を、同行していたメデルデアの文官が耳にしております。今、サイラス様周囲にはメデルデアの者が多く付いており、手紙が検分される危険があります」
「これはサイラス直通のはずよ」
「そうなのですが……。サイラス様もわかっていて周囲を放置しているようでして」
「おかげで我が国のわがまま公爵令嬢が暴走して大騒動だわ!」
「誠に申し訳ありません!」
きっちり腰を曲げて頭を下げるナリアネス。
わたくし腕を組んでフンと目をそらす。
「し、しかし、シャナリーゼ様はなぜこちらへ?」
そぉっと顔を上げるナリアネスをチラッと見て、わたくしはため息をつく。
「サイラスとの縁談の話が打ち切りになった、ということでプッチィ達目当てのバカ貴族がうるさいの。とくにライアン様の従妹姫様が、お父上の公爵を味方に付けて暴走しているのよ」
「なんと! しかし、あのウィコットは正式にサイラス様がシャナリーゼ様へ贈られたものですぞ」
「サイラスという王族の後ろ盾をなくした中流伯爵家に、王弟殿下一家に逆らう力はないわ。ライアン様も公務で不在。リシャーヌ様は大事なお体だから、余計な心配をかけたくなし」
「それでこの手紙をサイラス様へ……」
「ずぅっと突き返されて……」
舌打ちしたいのを我慢してポツリと漏らすと、ナリアネスが思わず眉を潜める。
「なんとひどい……」
「ああ、勘違いしないでちょうだい。うちの公爵が実力行使に出そうだったから、さきにわたくしが動いただけよ。手紙を突き返されて怒りはあれど、悲しみはほんの少しもないわ」
ナリアネスの心配そうな視線が嫌で、わたくしはフンと顔をそらす。
「どうせメデルデアの文官とやらが、わたくしの手紙を排除していたんでしょうね。わたくしの周りにもいるって話を聞かされていたから、ない話ではないわ」
「度が過ぎます。今からでもサイラス様にお伝えします。ですから、どうかご安心ください。明日にでもサイラス様の元へとお連れできるよう尽力を尽くします!」
「いえ、結構」
「は!?」
ズバッと断れば、ナリアネスの顔が「なぜ!?」と固まる。
わたくしは迷惑気に眉を寄せる。
「色恋沙汰の争いはもううんざりなの。サイラスが政略結婚するにしても、それは王族の義務だからわたくしには関係ないことよ。もともと異国人だし、サイラスが勝手にわたくしの周りをうろつくから、こちらの王妃様にも変な勘違いをさせているの」
「い、いえ。サイラス様は本気ですぞ!」
「熱い男ほど冷めた時の落胆が大きいの。わたくしはわたくしを守りたいの。それだけよ。そして今一番守りたいのがプッチィとクロヨン、というわけ。あの子達に関してはサイラスは過保護でしょ?」
「もちろんです」
しっかりと力強くうなずくナリアネスに、わたくしはクスリと笑う。
「プッチィとクロヨンにはとても癒されたわ。だから、あの二匹には幸せになってもらいたいの」
「それはもちろんですが。まさかそのような事態になっていたとは……。しかし、どうやってここまでいらしたのです? まさかお一人!?」
クワッと目を見開いて迫るナリアネスを片手で制して、やんわり答える。
「アンバーに連れてきてもらったわ」
「アレにですか!? なにか失礼をしませんでしたか!? と、いうかアレはまだそちらにいたのですか!!」
「いたわ。旅費がないから、我が家で働いていたの」
「~~!」
巨体を丸め、ナリアネスは片手で頭を抱え込む。
「……やけに退職手続きにこない、と思っていたのですが。まさかそのようなことになっていたとは」
唸るナリアネスを見て、本当にアンバーは個人的な理由で辞めたのだ、とようやく納得できた。
――まあ、辞めたアノ理由が本当かどうかはわからないけど。
「と、とりあえずご無事で何よりです。これより某が責任を持ってお世話させていただきますので、もうそのような姿や変装などでお気を使われることもありません」
「あら、聞いてなかったの? わたくしはプッチィ達の保護を求めに来ただけで、サイラスに会うことも、あなたの世話になる気もないのよ」
「そうはいきません!」
大声を出すナリアネスに、わたくしは一つ軽く息を吐く。
「――サイラスは何かをしようとしているのでしょう?」
「!」
ピタリ、とナリアネスの勢いが止まる。
「面倒だから、すべての問題が片付くまで近づくな、と言っているの。そう言ったわたくしがサイラスに会う、なんて許されないわ」
「ですが、シャナリーゼ様がこちらにいらっしゃるのは想定外だと思われます。それに、これはどの国でも同じですが、ご令嬢が協力者もないまま下町でお過ごしになるのは困難です。万が一危ない目にでも遭えばどうするのですか!」
「あら。こちらの下町は自警団もいるじゃない」
「……あれは最近で来たばかりの、下町の住人による自警団です。我々との情報共有はなされておりません」
「大丈夫。あなたにプッチィ達を預けたら、わたくしは帰国するわ」
「お一人でですか!?」
「いいえ。アンも一緒に」
「!」
またも顔色悪くうつむいて巨体を丸める。
「……女性の二人旅……」
「アンバーは良くやったわ。退職金上乗せしてあげてね」
ナリアネスは遠い目をしながら「検討します」とだけつぶやいた。
それから先、しばらくナリアネスとの攻防が続く。
早い段階でサイラスへの報告はしない、と納得はしてもらった。
だが、どうしてもわたくしとアンを帰国まで保護するのだと言って聞かない!!
「世話になる義理はないわ!」
「いえ、知ってしまった以上許されません!」
「忘れなさい!」
「できません!」
「わたくしの平民修行を邪魔しないで!」
「修行なものですか! 酒場にまで出ているとは何事です!!」
「給仕よ!」
「先ほどの話からして、それだけでは済んでいないようですが!?」
「だから撃退できているわ!」
「こうなったら某がその宿に常駐します!!」
「営業妨害よ!!」
そして、もちろんこの言い合いに勝ったのはわたくし。
本当に渋々と言った感じでナリアネスが出した、これ以上無理という条件は、アンバーを自分とのパイプ役に使うことだった。
この件は、あとからアンバーを呼び出して了承させるらしい(アンバー、頑張って)。
そして、プッチィ達の件は少し時間がかかるとの事だった。
ナリアネスに連絡をとれたのは良いが、手紙の件を知られているので少々警戒し、受け入れ態勢を整えてからになった。
「……あきらめませんから」
「おだまり」
「なにかありましたら、すぐに連絡を」
「……わかったわよ」
ブスッとしたわたくしに、人目を憚らず叱られた犬のように付いて回って心配するナリアネス。
こんなわたくし達を見て、詰所では妙な勘違いが発生してしまった。
「おい。隊長が……」
「え、まさか!?」
ヒソヒソヒソヒソ……。
そして数日後、わたくしは憤慨していた。
勘違いなさらないでっ!!
追いすがるナリアネスを足蹴にする娘。
ついに隊長にできた、運命の人!!
冗談じゃありませんわっ!!
読んでいただきありがとうございます。
とうとうでました、熊(笑) リアルでも出てますね。
いるだけで営業妨害。
シャナリーゼの後ろを歩けば「捨てられた」男(犬?)。
ハゲそうだけど、かなり図太い神経と精神と毛根のおかげでずっとフサフサ。
それがナリアネス。
3巻では違う意味で大活躍したナリアネス。とうとうこちらでも活躍なるか!?
次回、元気印プッチィのトラブル……。そしてシャナリーゼは。
不遇のアンバー、冒頭から灰になって登場です!!(大笑)




