勘違いなさらないでっ! 【61話】
やっと大雨終わったっぽい!
舗装された通りの両脇に住居用の建物がズラリと並び建ち、路肩には荷台や簡単なテントを張って露店が出ている。
しばらくして大きな白煉瓦の道を横切っていると、アンバーが御者台から半分顔を傾けた。
「えーっと、とりあえずこの道をまっすぐ進むと貴族街です。歩いていくか、貴族街を走る専用の馬車に乗らないとダメですね」
同じような形の荷馬車が多い中、あきらかに上等な箱馬車と何度もすれ違う。
サムパールの町で箱馬車から荷馬車へ替えるのは珍しくないから、と道中でもあまり目立たないように地味なものにした。
目指すサイラスの私邸は貴族街の奥で、王城のすぐ東側。立地的に周囲には高位貴族のお屋敷しかないようなところ。当然、警邏隊の見回りもかなり厳しいだろう。
「万が一にそなえてこの荷馬車は手放せないわ」
「もちろんですよ。今から行くところも間違いなくちゃんとしたとこですよ。信用ないなぁ」
笑いながらアンバーは白い煉瓦道を渡り終える。
ふと振り返ると、眉間に皺を寄せて見ているアンがいた。
「アン、今からでも戻りなさいな。一人分なら旅費があるわ」
ハッとしてアンが首を振る。
「いえ! 絶対帰りません。帰るときはお嬢様と一緒です」
ピンと背筋を伸ばし、膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめて宣言する。
「……ありがとう。今回はプリーモのチョコレートもワインも楽しめないけど、帰りは二人で戻りましょうね」
ふふっと笑いつつ「怒られに」と付け加えると、アンは嬉しそうにうなずいてくれた。
やがて馬車が止まったのは、派手さはないがしっかりした作りの大きな宿屋の前だった。
「ここ、でしょうか」
アンが窓から外を見て不満そうにつぶやく。
「ふふふ。いいんじゃないかしら。わたくしはもう伯爵令嬢ではないんですもの」
宿屋の入り口のすぐ近くに荷馬車を止め、アンバーが腰を浮かせる。
「あの、ちょっと待っててくれますか? 話してくるんで」
「知り合いなの?」
「ま、まぁ」
なぜか歯切れがよくない返事をし、御者台を下りて宿屋の中へと入って行った。
アンは心配そうに、アンバーの消えた宿屋の入り口を見続ける。
「……大丈夫でしょうか」
「そうねぇ。いざとなったら、真っ先にこの子達をつれて逃げなさい。わたくしは大丈夫だから」
パッと振り返り、アンはすごい剣幕で怒る。
「なんてことをおっしゃるのです! どんなことがあっても、わたしはお嬢様から離れませんからね!」
「あ、戻ってきたわ」
サッとアンも振り返り、頭を押さえながらアンバーが戻ってきた。
わずかに痛みに顔を歪めて、わたくし達に言う。
「部屋とれたんで、このまま馬車を裏に止めます。先に下りますか?」
「いいえ。あなたと一緒の方がいいんでしょう?」
「そうしていただけると助かります」
なんだか弱弱しいわね。宿屋の中で何かあったのかしら。
アンもわずかに首を傾げて見ているが、アンバーは何も言わずに馬車を動かした。
そうして宿屋の裏に止め、アンバーが一番大きな荷物を持ち、わたくしがプッチィ達の鞄を。アンが小さな鞄二つを持って宿屋の入口へと歩く。
宿屋の入り口をくぐると丸みを帯びたカウンターの受付があり、右側はひらけた食堂になっていた。
時間的に夕方ということもあり、そこには一人の客が奥の席に座っていただけで、あとの二十近い席は空いて――――いや、目の前の席にテーブルに肘をつき、頭を深く下げうなだれた様子の体格のいい男女が座っていた。
「「…………」」
わたくしとアンはその二人が出す、妙に沈んだ雰囲気に首を傾げる。
アンバーはちょっと遠い目をしながら、その男女へと近づく。
「あのさ、連れて来たんだけど」
遠慮がちにアンバーが言って数秒すると、声をかけられた男女はダンッと同時に両手をテーブルに叩きつけて憤怒の形相で立ち上がった。
「このっ……」
男性のほうが野太い声で怒鳴ろうとして、一瞬で目が点になる。
女性のほうも怒鳴る前に、口をポカンとした気の抜けた表情になる。
二人の意表を突かれたような目がわたくし達に注がれているのに気がついたのは、たっぷり十秒は経過した後。
アンバーは茫然とする二人に、やや頼りない笑みを浮かべてわたくし達を紹介する。
「あー、さっき言っていたお客さんね。どう? 驚いた?」
ヘラッと笑うアンバーの横で、宿屋の主人夫婦らしい体格のいい男女は茫然と立ったまま動かない。
ご挨拶したほうがいいわよね……たぶん。
お世話になります、と一言口にしようと口を開きかけると、食堂の奥からパタパタと小さな足音が近づいてきた。
「あ、お兄ちゃーん!」
姿を現したのは五、六歳くらいの男の子。
「お、リンク。元気にしてたか?」
リンクと呼ばれた男の子は、まっすぐにアンバーに駆け寄って足にしがみつく。
「おかえりー」
「ただいま」
リンクの頭を優しくなでながら、愛おしそうに目を細める。
その様子をじっと見ていると、ふと顔を上げたリンクと目が合って、わたくしはドキッとなる。
だって、わたくしのこの顔……子ども受けしないんですもの。
この嬉しそうな顔が歪むのかと予想していたら――、なんとこの子はにっこりと笑った!
「お客さんだぁ。いらっしゃいませ」
アンバーの足にしがみついたままだったけど、確かに笑いながらぺこりと頭を下げる。
「まぁ、良くできた子どもさんですわ」
びっくりして固まってしまったわたくしの代わりに、アンが微笑み返す。
「でしょう? いい子なんですよぉ」
デレッとした兄バカのアンバー。
「お兄様に似てないところがすばらしいですわ」
「本当に、俺に似なくて助かっています」
「……」
アンが悔しそうに目をそらす。
どこまでも自己評価が低い、もしくはダメだということを認めているのか、アンバーに毒は通じないみたい。
そして、わたくしはいまさら気がつく。
「ここって、アンバーの実家?」
「ですよー! で、こっちで魂抜けている二人がうちの親で、でっ!?」
「黙れバカ息子っ!」
特大の拳骨がアンバーに落ちた。
頭を押さえてうずくまるアンバーを、リンクが心配そうに声かけする。
フンッと鼻息荒く腰に手をあててアンバーを睨んでいた男性が、ハッとしてわたくし達へ向き直る。
「こりゃまた、お見苦しいもんを! 急に戻ってきたら除隊しただの、わけありの女性のお客がいるだのとわけの分からないことを言ったもんで」
焦る旦那さんの腕をおさえ、女将さんが前に出る。
「とりあえずお座りくださいな。宿屋にも干渉不干渉がありましてね。他のお客を危険にさらすようなことにはことはできませんので」
「あー、だから人探しに来てるんだってば。だから滞在期間はふめ……」
「お黙りバカ息子! お前はとっとと水でも出しな!!」
しっしとばかりに手を振られ、リンクに手を引っ張られながらアンバーはすごすごと食堂の奥へと歩いて行った。
「さあ、どうぞ」
柔和な笑みを見せる女将さんにうながされ、二人の前の席にわたくし達は座る。
さて、どうしたものかしらね。
ここは王都。サイラスの近くに来たからには、いろんな想定が必要だわ。だからと言ってすべてを正直には言えないし……。
人探し、とだけ伝えようとわたくしが顔を上げた時、隣から「あのっ」と思い詰めたアンの声が響いた。
わたくしや女将さん達の目がアンに向くと、一度口を閉じつつアンは予想外の話をし出した。
「あの、わたし……人を探しているのです。えっと、実はこんど結婚することになりまして、でも、その方とはなにもないというか。その……。わ、わたしは別の方が好きで、その方がこちらの貴族街に出入りする方だったのです。そ、それで、最後にお別れをきちんと伝えようと思いまして!!」
「……で、そちらの金髪のお嬢様は?」
「わ、わたしが一人で行こうとしたらついて来てくれたのです! 一人では危ないから、と」
「女二人でも危ないものはありますよ。で、うちの息子とは?」
「え、あの」
女将さんの質問に、とうとうアンが行き詰る。
わたくしはどこでもありそうな話をすることにした。
「アンバーさんには助けていただいたのです。女の二人旅だから、と料金を上乗せされまして、おかげで王都まで無事に……」
「どちらからおいでに?」
「……ライルラド、のちょっとした町からです」
「まあ、ライルラド!? 最近は交流がより密になって、行き来する馬車便も多くなったと聞いていますが、まだそんな人の足元を見るような商売人がいるんですねぇ!」
「で、どのくらいの日数だね」
今まで黙っていた旦那さんが口を開く。
「……よろしいんですの?」
「そちらのお嬢さんが駆け落ちするんなら面倒事だと思うがね、別れを言いに来たってことなら話は別だ。しっかり自分にケリつけることは大事だ。人生はいいことばかりじゃない。思い通りにならないことだってある。逃げずにけじめをつけることは大事なことだ」
「あんた、良いこと言うね!」
女将がバシバシと旦那の太い腕を叩く。
「お前も受け入れるつもりだろうが」
「あら、良くわかったね」
「最初に理由聞いて、こっちのお嬢さんに声かけしたからな」
「さすがあんた! あたしのことわかっているね!!」
「……二十年夫婦してるんだ。わからんわけがない」
「だってさ! よかったね、お嬢さん方。で、商売の話といこうじゃないか」
サッと金額の話になって、わたくしもアンもハッとして財布を取り出す。
お金を数えながら、アンバーの両親を見て少し心が温かくなる。
お互いのちょっとしたしぐさや言葉を見逃さず、それを咎めるのではなく気持ちをくみ取る材料としている夫婦。
一定の距離を置きつつも、わたくし達の手助けをしてくれるらしい。
厄介者であることには間違いないのに。こんな面倒見のいい夫婦の息子だからか、いろいろ文句を言いながらもアンバーも面倒見は良いわね、と似たところをみつけて小さく微笑む。
アンバーが水を持って戻ってきた頃、わたくし達は手持ちの金額と日数で話の折り合いをつけようとしていた。
「うーん、日数は不明といっても、一から探すんでしょう? ここは人も多いし、祭りみたいに一か所に人が集まる機会も今はないしねぇ」
「確かに一ヶ月分はある。だが、帰りはどうするかね。それに、うちは食事が別料金だ」
腕を組む旦那さんは、同じタイミングで顔を見合わせた女将さんとうなずき合う。
「あんた達、うちの夜の酒場を手伝ってくれないかい。そうすりゃ、賄い飯を出そう。働いた分だけ金は出す」
「でぇええ!?」
驚きの声を上げたのは、アンバー。
わたくし達の前に水を二つ置いただけで、手を止めてトレイごとテーブルに置く。
「何を驚く、バカ息子。料理運ぶだけの仕事だ。いくらお嬢さんでもそれくらいはできるだろう。それに来るのは宿の客ばかりじゃないし、その辺の者も多い。情報は集まるだろうよ」
「え、いや、でも……」
「まあねぇ、こんな美人さんが二人もいたら、うちも忙しくなるかもねぇ」
意味ありげにアンバーを見る女将さん。
「いや、そういうことじゃないってば!」
「お願いいたします」
「えぇええええ!?」
うるさいアンバーを一睨みして、わたくしは女将さん達に軽く頭を下げる。
「料理は経験がありませんが、計算と注文取り、そして給仕くらいならできます」
「わ、わたしもできますので」
遅れながらアンも頭を下げる。
「そうかい。それじゃあ、明日の夜から頼もうかね。今日は疲れただろうから、うちの宿を見ていておくれ。代金はとりあえず半月分もらおうかね」
それで話は終わり、とテーブルに広げたお金を持って女将さん達は立ち上がる。
「あんた、しっかりお世話するんだよ!」
呆けるアンバーに女将さんは睨みをきかせて、旦那さんと奥へと行ってしまった。
「……ですって、アンバー」
「いや、うちそこそこ忙しいですし、客層なんて本当にうるさいおっさんとかばっかりですよ!?」
「同性より扱いやすいわ。さ、この子達が騒ぐ前に部屋に案内して」
「は、はい」
もう知りませんから、といいつつアンバーはトレイをリンクに渡して片付けるように言うと、こっちですと部屋に案内してくれた。
通された部屋は一階の奥。
寝台が二つ。テーブルが一つに丸椅子が二つ。服をかけるための棒が左右に二ヵ所打ち付けてある。
「言っときますけど、うちの標準の部屋ですよ。もともと仮眠室だったんですけど、この部屋だと他の部屋よりちょっと引っ込んでいて離れているんです。裏には洗濯場がありますけど、屋根があるから上からの階からも見えないし、夜はだれも近寄りませんから、時々ならウィコットの散歩もできます」
鞄を置きながら、アンバーがアンに鍵を差し出す。
「裏に行けるドアの鍵です。倉庫を通った先に勝手口があります」
「同じ鍵なの?」
「そうですよ。いくつも鍵があるなんて、富裕層か貴族くらいですよ。あと、高級店とか。うちはしがない下町の宿屋。人の出入りが多いし、客層もいいほうではありませんからね。まあ、とりあえず鍵は大事にしてください。
それから、左右には物置で左側の物置は掃除道具とかが置いてありますんで、毎朝人が通ります。右側はほとんど使われてないです」
「では、朝の掃除をわたしがすれば大丈夫でしょうか?」
人の出入りを少なくするために、とアンが申し出ると、アンバーは苦笑しながら「聞いておきます」と言って部屋を出て行った。
寝台の上に鞄を置いて中を開けると、じっとわたくしをみつめる二つの目があった。
「まあ、クロヨン起きていたのね。偉いわ、鳴かないで待っていたのね」
頭を優しくなでてあげると、嬉しそうに目を細める。
鞄の底では、体を丸めたプッチィがぐぅぐぅ寝ていた。
寝ているプッチィはそのままに、起きていたクロヨンを抱き上げてなでる。
「クローゼットもありませんね。お洋服が丸見えですわ」
「選ぶほどの服もないわ。それより、鬘を手配したいんだけど」
「わたしが買って参ります。わたしの髪は目立ちませんし」
「色も長さも任せるわ。あと、人参をおねがい」
朝の掃除の仕事ももらえました、と戻ってきたアンバーを急きたててアンは出かけて行った。
読んでいただきありがとうございます。
あんまり進展しませんでしたね。
次回下町シャナリーゼの生活が始まります。
木曜くらいに活動報告に予告でも書きます。
そうやってモチベーションを高める上田でした。




