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勘違いなさらないでっ! 【58話】

 その日、王都から馬車で一日かかる交易の町サムパールは、年に数度の大規模な市が開かれている真っ最中。町の中はとにかく人が多くてお祭り騒ぎだった。

 ガタゴトとけっして乗り心地がいいとはいえない簡易馬車を、若くない農耕馬がゆっくりと引いて進んで行く。

 ガラスではなく薄い布を急きょ垂らして止めただけの窓からは、人々の声と出店からの匂いが入り込む。

 わたくしがアンバーに頼んだのは、簡易馬車と馬。そして指定する町までの御者。ああ、ついでに町で浮かない程度の服も買ってこさせた。


『俺、本当に恥ずかしかったんですからね! 知りもしないサイズやら何やらずーっと聞かれて、あの店の女将は絶対面白がっていたんですから!!』


 よほどその女将にいじられたらしく、顔を赤くしながら泣きそうな目でわたくしに買ってきた服を押しつけた。

 今日はそのうちのやや暗めの緑色のワンピースを着て、アンに借りた首の下で結ぶタイプのつばの広い帽子をかぶっている。

 武器にもなる日傘は市では邪魔になるからやめ、代わりに鋼鉄のピンヒールを履いてきた。ついでに最近市井で流行り出した大きめのハンドバックに、鉄扇も忍ばせている。

 そこそこの宿に馬車をとめ、アンバーに自分で下りるから先に宿泊の手続きをするように伝える。

 アンバーが宿へ入ってから一息つき、これからのことを短く思い出す。

 

 1・第二市場東三番へ行き、手紙を渡す。

 2・アンバー手紙を託してイズーリへ帰国させる。

 

 今日行うのはこの二つ。

 手紙の最終目的地は、サイラスではなくエージュ。

 マニエ様が紹介してくれた商人はイズーリ国貴族街出入りの商人で、伝手をつたえばサイラスのお屋敷出入りの者に連絡がつくらしい。当然渋るだろうが、そこは商人にお任せしている。

 アンバーへは手紙を二通渡し、一通はナリアネス経由で。もう一通はアンバーが軍の友人を頼って、貴族街の警邏兵としている者から直接お屋敷へと届ける方法をとる。

 

 これでダメなら――最終手段もある。


 よし、と短く息を吐いて馬車から下りる。

 ざわざわと忙しく楽しそうに、様々な表情をした人々が宿の前の道を行きかうのは、町で一番大きな市が近くにあるからだろう。

「お待たせしました!」

 宿の馬預かり人に馬車と番号札見せて、アンバーが小走りでやってくる。

「部屋は二階の角です」

「そう」

「東の三番でしたね。第二市場はもっとも広くてにぎわっている市場だそうです。場所、聞いてきましたよ」

 気がきくでしょ、とばかりに得意げな顔をするアンバーに、やれやれと微笑む。

「ありがとう。こんな大きな市は初めてだもの。時間の無駄は避けたいわ」

「では、すぐに行きましょう」

 張り切って歩き出すアンバーの後ろを付いて、とにかく人の多い方へと歩き出した。


☆☆☆


 四角や三角の形をした大小のテントが密集し、そのテントの中を人の壁が覗き込んでいる。

 秋晴れで風もささやかにあるのに、この周辺では風が止まったように蒸し暑い。

 市の所々に大きく番号の書かれた木札が立っている。どうやらこれが目印になるらしい。

「えーっと、この辺りが三番、らしいんですけど」

 ずらりと並ぶテント見ながら、アンバーが振り返る。

「買い手が多いし売り子もいるから、こりゃあ、商人を探すのに一苦労しそうですね。扱う商品はなんですか?」

「生地よ。布地」

「うへ! ここほとんどそんな商人のテントばかりですよ~」

 そう言いつつ、アンバーは手近なテントの人混みの中をかき分けて探しに行く。

 わたくしも周囲を見わたし、あまりアンバーから離れないようにして探す。

 そうやってアンバーの「違いました……」という、疲れた声を何度か聞いた頃。

 ひときわ目立つ黄色と緑の大きなテントに、黄色いバンダナを巻いた男女の売り子達が何人も忙しそうにいた。

 やや人ごみに揉まれてよれてしまったワンピースの裾を伸ばし、わたくしは場を仕切っている三十代くらいの男性に視線を合わせる。

 何かに気がついたかのように、従業員とテント奥で話していた彼が顔を上げる。

 従業員に何かをまかせ、彼はスルスルと忙しいテント内を器用にすり抜けてわたくしの前へとやってきた。

「……時間通りかしら」

「……少し待ちましたが、問題ないですよ」

「……」

 マニエ様との打ち合わせにない言葉だが、何かあったのかしら。でも「問題ない」と言うのなら大丈夫だろう。

「こちらですよ」

 そう言って彼は肘にかけて垂らした濃い黄色い布地を差し出す。

「……ではこちらを」

 布地で周囲の目から隠したのだろう。

 そっと渡した手紙を自然なしぐさで胸元へと納め、代わりに板に挟んだ領収書のようなものにサインをしてわたくしへと渡す。

「確かに。ありがとうございました」

 グイッと押しつけられたのは、先程まで目隠しにしていた布地。

「十分に染料は落としておりますが、やはり数度は白いものと混合して洗わぬようにご注意ください」

「ええ、伝えておくわ」

 そう言って彼は次の客への対応に離れて行く。

 わたくしは布地を胸に抱いて、人混みをかき分けアンバーの元へと戻る。

「買ったんですか?」

「……そうよ。ちょっと喉が渇いたわ。休憩できるところに行きましょう」

「なら、あちらの五番だと果物がたくさんありましたよ」

「そこでいいわ」

 アンバーの後ろついて行くと、器用に人を避けていくのがわかる。

 別にわたくしが付いて来ているか確認しろとは言わないけど、たまには確認のために振り向きなさいよ。

 人の多さと熱気にややわたくしの機嫌が悪くなるが、それを見越したようにふっとアンバーが振り向く。

「やっぱり苦もなくついてこられますね!」

「……」

 笑顔で褒めても、わたくしの機嫌はなおらなくってよ。

 人混みをすり抜ける洞察力なんて、夜会でどれだけ鍛えられたと思っているのかしら。重いドレスと、宝飾品で着飾って踊る女性の脚力を侮ってもらっては困るわ。

 五番では果物や野菜など食品が多く取り扱われており、切り株のような分厚い板の上に果物を置き、ナタのような大きな包丁で豪快に割って布に入れ、それを剛腕と言う名にふさわしい腕の男性がぎりぎりと木で作った万力のようなもので締め上げていく。

 そうして絞り出された果汁を、砂糖水で割って売っている。

「どれを頼みますか?」

「……」

 果物の置かれている台には、いろんな種類の飲み物が書かれた板がぶら下がっている。

 使いまわされる布を見て、味を選ぶ必要があるのかしらと疑問に思う。

 嫌悪感などはないけれど、いくつかまとめておいしい組み合わせを作ったほうが効率的なような気がするわ……。

「オレンジでいいわ」

「えー、冒険しましょうよ!」

 なぜか不満げに口を尖らせるアンバー。全然かわいくないから。

「オレンジでいいわ。なければレモン」

「じゃあ、俺は冒険してあのトゲトゲの紫色の果物にします!」

 一番怪しい果物に狙いを定め、アンバーは注文する。

 飾りのない扇で自分を扇ぎながらオレンジの果汁水を飲んでいると、横にいるアンバーが「うげっ!」とむせた。

「す……すっげー、すっぱいです。砂糖水の甘さが仇に!」

「そう。頑張って飲んでちょうだい」

 涙目で見た目は薄い赤の果汁水を見下ろし、アンバーは何度かむせながら飲み干し、口直しと言わんばかりに二杯目を買いに行く。

 そんなアンバーの後ろ姿に小さくため息をついていると、ふと日差しに陰りが出ているのに気がつく。

「やあ、外売りは終わりかい?」

「いやぁ、風に湿気がでてきたからな。早めに戻ったのさ」

「じゃあ、俺もぼちぼち戻るか」

 大きなかごに野菜を背負っていた男性の肩をたたき、商売人風の男性が片手を上げて立ち去る。

 どうやら天気が崩れるらしい。

「王道サイコー」

 ご機嫌で果汁水を呑みながら戻ったアンバーが「次どこ行きます?」と、嬉しそうに尋ねてくる。

「宿に戻るわ」

「え?」

「天気が崩れるらしいわ」

「まだ大丈夫でしょう?」

「用事もすんだわ。あなたも早く自由になりたいでしょうし」

「自由って、そんな……」

 アンバーと行動するのはわたくしが用事を済ませ、宿に戻るまでとしていた。

「忘れないで、アンバー。わたくしには時間がないの」

 あなたに預けたその手紙を、一刻も早く届けて欲しいという意味で見つめると、アンバーはハッとしてうなずく。

「……わかりました」

「でも、今日はお土産でも買って楽しんでちょうだいな。辞めてまでライルラドに滞在したくせに、手土産もなしにご実家には帰れないでしょう?」

「ははは。たぶん手土産ありでも親父には殴られますね~」

嫌だなぁ、と軽口をたたくアンバーに連れられ、わたくしは宿へと戻った。


「え!?」

 馬車はアンバーに渡す、と告げたら両手と首を横に振って断られた。

 わたくしの帰りを心配していたらしい。

でも、あなたがいないのにわたくし一人でこの馬車で帰れ、ということのほうが無理だわ。

「あなたはわたくしに御者になれ、というの?」

「あ、いえ、それは……」

「帰りなら大丈夫。すでに手配済みだわ」

先ほど手紙を託した黄色いバンダナの商人が手配してくれていると話し、とにかく急いでイズーリへ帰るように言った。

 心配顔で渋々馬車を操り宿を去るアンバーは、何度もわたくしを振り返って行った。


 ……まるでわたくしが捨てたようじゃないの。そんな顔しないでちょうだい!


 一度立ち止まった時には、つい無言で手で追い払ってしまったわ。

 やれやれ、とため息をついて宿に入り、用意されていた部屋へ入る。

 四角いテーブルに四つの椅子、カウチ、カーテンで仕切られた向こう側に寝台があるらしい。カウチの前には、わたくしが持ってきたトランクが一つ置かれていた。

 トランクをずらしてカウチに横たわる。

 顔の前で両手を交差させて、木の天井を見上げる。


「……これで終わり。後戻りはできないわ」


 もうわたくしにできることはない、とやり遂げた達成感はない。あるのは手紙が無事届きますように、という期待と不安、そしてほんの少しの後悔と寂しさ。

 もうすぐプッチィとクロヨンとの別れが現実になり、その日がいやおうなしにやってくるのだという実感。

 どんな結果になっても、わたくしとあの子達の別れは絶対。

 急に呼吸が深くなって、ドキドキと鼓動が早くなって悲しみがでてくるが、泣いてはいけない。

 ギュッと目をつぶって耐えているうちに、わたくしは少しだけ眠ったらしい。

 ドアがノックされる音で目が覚め、ゆっくりと出て見れば夕食を部屋でとるかどうかの確認だった。

 とりあえず部屋に運んでもらうことにしてドアを閉め、窓に近寄って外を見る。

 薄暗い雲が空を覆って、夕日を遮っていた。

「明日は雨かしら」

 アンバーの道中に差支えがないといいわね、と思ってカーテンを閉めた。



☆☆☆



 翌朝、朝食が運ばれてしばらくしてからドアがノックされた。

「どなた?」

 朝食を中断してドアの前に立つ。

「宿の受付の者です。あの、手紙が届きましたのでお届けにあがりました」

 少し緊張した女性の声がした。


 手紙?


 わたくしはドアを開けるのをためらう。

 なぜなら、わたくしがここにいることを知っているのはこの宿を紹介したあの黄色いバンダナの商人と、マニエ様。そしてアンバーしかいない。

「……差出人は?」

「え、ええっと、エジュール・モンス・エンバ様、とあります」


 エンバ子爵!?


 思いもよらない名前に驚きつつ、そっとドアを開けて手紙を受け取る。

「確かにお渡ししました。サインをお願いします」

 サッとサインをして女性が立ち去ると、わたくしはドアを閉めて食べかけの朝食をそのままにカウチに座る。

 手紙は裏に名前だけがサインしてあり、封蝋などはない。

 部屋にあったペーパーナイフで封を切り、急いで書いたと思われる手紙を読む。

「……なんてこと!」

 ギリッと奥歯を噛みしめ、手紙を握りつぶす。

 手紙の内容は、昨日市場で手紙を託した商人のところへ業務審査が入り、今日わたくしが乗るはずの商隊が出発できなくなったという。もちろん、業務審査は急なことで何もやましいことはない。だが、タイミング的に裏から手を回されたようだ、と書かれてある。

 まあ、どこからというのは伏せてあるが、おそらくベルクマド公爵家が関わっているにちがいない。

 エンバ子爵はマニエ様に頼まれてこっそり見守るよう言われていたらしく、やはりマニエ様の読みはすごいと手紙の後半は延々と自分を頼ってくれたと賛美をつづっていた。

 最後にエンバ子爵はわたくしには宿を出ないで滞在し、自分からの連絡を待てという。


 わたくしは顔を両手で覆って天井を仰ぎ見る。

「最っ悪だわ」

 マニエ様も言っていたわ。公爵家が何もしないわけがない、と。

 この分だとアンバーも足止めされているかもしれない。

「……やるしかないわね」

 気を取り直して立ち上がると、寝台にトランクを乗せて中を開ける。

 一通の手紙を取り出して、宛名であるマニエ様の住所を指でなぞる。

 マニエ様には本当にお世話になりっぱなし。この手紙もマニエ様なら破り捨てられることなく、ジロンド家のためにいかすよう説得してくれるだろう。

こんな手紙を直接家に送ったなら、きっと父と兄は激怒する。母とティナリアも領地から王都へ戻ってくるかもしれない。

 今まで散々迷惑をかけ、それでも許してくれていた父も今度こそ許さないだろう。だって、つい最近も釘を刺されたばかりだ。

 母も兄も、わたくしを心配しながらもきっと父の味方になる。


 でも、――この先の未来で家の不都合があるなら、どうかわたくしを切り離して欲しい。


 よしっ!

 

 朝の支度に、と出していた荷物をトランクに詰めると、髪を巻き上げて帽子に入れ込んでかぶる。

 と、トランクを持とうとした時に、遠慮がちにまたドアがノックされた。

 一瞬ドキッとして緊張したが、廊下から聞こえた頼りない声にホッとした次の瞬間に焦りが出る。

 返事もしないまま、バンと乱暴にドアを開くと――そこには、困ったように猫背のままへらへら笑うアンバーが立っていた。

「……何をしているの」

「目! 目がすわっていますよ、お嬢様!」

「……何をしているのかって聞いているのよ。誰かに付けられてないでしょうね」

「付け、ああ」

 アンバーは何かを思い出したらしく、したり顔でにやりと笑う。

そっち(・・・)は大丈夫ですよ」

「そっち?」

「ただ、ですねぇ……」

そう言って苦笑しながらアンバーが目を泳がせたので、訝しみながらその方向を見て――息をのむ。


 アンバーから離れて立っていたのは、両手に大きな布バックとトランクを持ち、顔色の悪いアンだった。



読んでいただきありがとうございます。


九州、梅雨入りしました。

梅雨って……頭痛の季節ですよね(かってに断定)。

皆様 ジメジメにお気をつけて!


そして、シャナリーゼもこれから頭痛のする話をアンから聞くことになります……。


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