勘違いなさらないでっ! 【46話後半】
ご無沙汰してます。
休憩室に入ると、そこは女性が十数人いるだけの静かな場所。
閉じられたドアの向こうからホールの音楽がわずかに聞こえるが、この白で統一され余計なものがほとんどない部屋では、ささやくように交わされる声を打ち消すのにちょうどいい。
部屋の隅には軽食と飲み物を準備したテーブルがあり、給仕するメイドが数人。庭園に面した壁は全てガラス張りになっており、その庭園を眺められるように長椅子がいくつも並び、部屋の中央にも対面できる配置でテーブルと長椅子のセットがいくつか設けられている。
かがり火で照らされた庭園が見える位置に設置された長椅子にレインと並んで座ると、メイドが静かに飲み物を持ってきた。
丸いサイドテーブルも運ばれ、わたくしはようやくほっと一息つく。
「このまま帰りたいわ」
「ふふ、それはダメよ」
やんわりとレインが笑う。
「わたしも疲れちゃった。ちょっとお腹もすいたし」
「つまめるものがあるはずよ」
そう言ってわたくしは近くのメイドへ目線を送って呼ぶと、短く用件を伝える。
メイドが持ってきたのは、一口大のパイ生地の上にチーズやハム、野菜の酢漬けや果物やクリームが乗せられた軽食。少しの果物も添えられている。
「いただくわ」
そう言っておいしそうに食べ始める。
飲み物をおかわりしたレインに、わたくしはちょっと驚く。
「レイン、飲み過ぎよ。あとでホールに戻れば嫌でも飲むことになるのよ? その、辛くなるわよ?」
わたくしが言わんとしていることがわかり、レインは急に声をさらに下げる。
「大丈夫よ。わたし、今日はイズーリのコルセットをしているの。とっても楽なの」
イズーリのコルセット。
それは去年あたりから大人気で品薄になっている、イズーリ国から輸入された新しい形のコルセット。
ライルラドの主流派背中側を下から上まで、一本でぎゅっと締め付けるものであったが、イズーリのコルセットは少し手間がかかるが、いくつかのパーツを組み合わせてぎゅっと締め上げることもできるが、組合せなくても部分的な締め上げだけができ自由度が高い。ついでに柔軟性のある新素材で作られており、薄くて軽いくせに丈夫。
サイラスや熊がおかしな発明ばかりするから見方がおかしくなったが、もともとイズーリは改良という探究心が強い製作者が多いらしい。
「シャーリーも試したらどうかしら?」
「それ高いし数が少ないもの」
イズーリ国でも品薄らしく、この間の訪問時にレインがやっと二つ手に入れたと大喜びしていた。
「でも、せっかくお願いできそうな方がいるのに」
「彼に借りを作るのは絶対嫌、なの。それにそんなの贈ってもらったら、迷わず『変態』と罵ってやるわ。かわりにあなたの分を追加で頼んであげましょうか?」
「ま、それはダメよ。絶対ダメ!」
急に慌てて首を振り、少し声も大きくなる。
そんな自分の声に気が付いて、レインはそっと声量を落とす。
「せ……セイド様に怒られてしまうわ」
真っ赤な顔をしてもじもじとうつむく。
「でしょうね」
ええ、それが普通でしょう。妻がよその男から贈られるなんて、あの溺愛夫が黙っているわけがない。
言ってみただけよ、とわたくしは飲み物を口にするが、レインはしばらくもじもじと顔を赤くしながらなにやら惚気たことを言っていた――気がする。
「お話し中失礼いたします。シャナリーゼ・ミラ・ジロンド様でいらっしゃいますでしょうか?」
レインの惚気話を聞き流していた耳が、第三者の声を拾う。
ふと左側を見上げれば、三十ほどの落ち着きのある優しい面持ちの女性が、飾り気のないながらも上質のドレスを着て立っていた。彼女のすぐ後ろには、十をいくつか超えたくらいのまだ社交界デビューもしていないだろうという、金の巻き毛を背中に垂らした令嬢が立っている。
紹介や仲介人もなしに、自分の家より上の爵位の者への一方的な挨拶は非礼である、と貴族なら小さなころから徹底的に教えられる。
今日のわたくしは、招待客にすらなっていない介護人ですけど。
「ええ、わたくしがそうよ」
「ベルクマド公爵家のサリアナ様が、ぜひお話がしたいと申されております」
それを聞いてすぐ母からの講義を思い出す。
ベルクマド公爵家はライルラド国王陛下の実弟を迎えた公爵家で、古くから王家と密接に関わっている王族の一族。
ご婦人の後ろに立つ公爵令嬢は、金の巻き毛に細かい細工が施された髪飾りを付けたとびっきりの美少女。クリッとした大きな瞳は、ライアン様と同じ王族に多いと言う琥珀色。ふんわりした淡いピンク色のドレスがとても似合っており、なるほど、ライアン様の弟君の婚約者にと押されるはずね。
サッとレインと共に立ち上がり、公爵令嬢へと頭を下げる。
「お初にお目にかかります。シャナリーゼ・ミラ・ジロンドでございます」
「サリアナ・エーデル・ベルクマドよ。そちらの方は?」
「レイン・アナ・ハートミルでございます」
それを聞いて、サナリア様がにっこりほほ笑む。
「レイン様にも初めてお目にかかるわ。ご結婚式には体調を崩して欠席してしまってごめんなさい。ただの風邪なのに、マーテルと両親が言うことを聞いてくれなかったの」
チラッと目線を動かした先には、先程話しかけてきたご婦人がおり、そっと頭を下げている。
「いいえ、風邪と侮ってはいけません。悪化すると大病になることもございます」
レインがそう言うと、サリアナ様はわざと肩を上げる。
「そうかしら。でもすぐ治ったのよ。それにセイドリック様の花婿姿なんて素敵な光景を見逃すなんて、わたくし相当悔しかったわ。もう一度見られないものかしら」
悪びれもせずかわいらしく首を傾げると、金色の巻毛につけられた細かい細工の施された髪飾りがシャラリと鳴る。
今の言葉は、多感な時期であるがゆえの悪意がないものだと思いたい。
マーテルと言われたご婦人が、申し訳なさそうに眉を寄せる。
が、そんなわたくしとマーテルの心情なんて、きれいに吹っ飛ばすのがレインだ。
「まあ、でしたら記念に描いた絵がいくつかございますわ」
「……え?」
「はい、絵でございます」
どうやらセイド様に淡い恋心でも抱いていたらしいサリアナ様は、若干の嫌味を込めて言った言葉をきれいに弾かれてポカンとしている。
ほんわかとした笑顔のレインは、そんなサリアナ様の様子を別の驚きと受け取ったらしい。
「六枚ありますが、やはり多すぎでしょうか。もちろんセイドリック一人のものも別に一枚だけございます。わたくしのものはセイドリックが持っております」
サラッと惚気た!!
セイド様ったら、出張とかなったら絶対持っていくに違いない。あの人のことだから、毎日登城している時でさえ持っているのかも……おそろしいわぁ。
「……また、機会があったらね」
「はい、お待ちしております」
引きつった笑みを浮かべながら、どうにかそう返したサリアナ様。
笑顔のレインには悪意は微塵もありません。
奇妙な雰囲気になったのを察し、サリアナ様が小さく咳払いして気を取り直す。
「セイドリック様の件はとにかく、今日はあなたにお話があってきたの。イズーリ王子のそばを離れてくれて助かったわ」
「まあ、なんでしょうか?」
言い方的に面倒な話っぽいけど、と心の中でため息をつく。
サイラスの前で言えないことって、どうせろくでもないことだわ。
「あなた、ウィコットを所有しているって本当なの?」
「はい」
別に隠しているつもりはないが、周囲に言い触らすようなことでもないのであまり知られていないはずだけど、とは思ったものの、他家の内情を探るのは良くあることね、とまたも心の中でため息をつく。
「生きているの? 剥製じゃないわよね?」
「もちろんです。まだ子どものウィコットです」
そう言うと、サリアナ様はパッと輝くような笑みを浮かべ、目をキラキラさせる。
「すてきね! わたくし本と剥製でしか見たことがないの!! とってもふわふわなんだって聞いたわ」
「確かに柔らかい毛並みですわ」
「ニンジンを食べるのよね。一度でいいから飼ってみたいって、お父様にずぅっとお願いしているのだけど無理なんですって。でもあなたのところにはいるのよね」
欲しいものを見つけた子供のような目を見て、わたくしは最悪の言葉を想定してスッと冷めた目を向ける。
「わたくしの家におりますウィコットは、サイラス殿下より賜ったものでございます。ただの愛玩動物とは重みが違います。どうぞご了承くださいませ」
「え、でも二匹いるのでしょう?」
「サリアナ様」
主人の言葉を遮るように、少し大きな声でマーテルが腰を折る。
「そろそろお時間です」
「え、もう? まだ……」
「お母様とのお約束、でございますよ」
「……わかったわ。
では、ごきげんよう」
渋々うなずいたサリアナ様は、とても子供らしく残念そうに肩を落とす。
踵を返したサリアナ様に続こうとして、マーテルは深くわたくし達に頭を下げた。
サリアナ様二人がホールに戻って見えなくなると、ようやくわたくしは腰を下ろす。
「ねぇ、さっきのサリアナ様のお話だけど……」
不安げな顔をして横に座ったレインが、言葉を濁すように目線を下に落とす。
一つうなずいて、わたくしは何でもないように言う。
「そうね。きっとおねだりされていたわね」
「わたし、今思い出したわ」
がっくりと肩を落としたレインが、ぽつぽつと話し出す。
「サリアナ様は先月十四才になられたの。ちょうどイズーリに訪問していた時にパーティーがあったのだけど、欠席したから今までお顔を拝見したことがなかったわ。
でも、セイド様がお誕生日の品とは別に欠席のお詫びにと、ライアン様と一緒にサリアナ様がお好きなウィコットの人形をお贈りしたのは知っていたの。だけどまさか、あなたに直接言いに来るなんて思いもよらなかったわ」
「ベルクマド公爵家のたった一人のお姫様ですもの。仕方がないわ」
末席ながらも王位継承権を持つお姫様。それがサリアナ様。
国王陛下の唯一の姪で、天真爛漫で愛くるしいとライアン様もかわいがっている。もちろん、公爵家としてはこれ以上ない宝。
宝と言えば、そんな公爵家ではもうすぐ念願かなってお二人目のお子様がお生まれになるらしい、と母は言っていた。
「でも、まあ、いきなりあんな話をされたってことは、少なからずライアン様とセイド様が選んだ人形がきっかけの原因とみていいわね」
「え、や、やっぱりそうかしら?」
動揺するレインに、わたくしは口をキュッとつぐんだままゆっくりとうなずく。
今にも泣きだしそうなレインの顔をじっと見つめ、フッと笑みをこぼす。
「大丈夫よ。さっきも『サイラス殿下からの賜りもの』だって言っておいたから。いくらなんでも、隣国王子からの品を取り上げることはしないでしょ?」
「そ、そうね。ベルクマド公爵様は生物学の学者様でもある素晴らしい方だものね」
学者かどうかなんてことより、良識ある方という意味で太鼓判が欲しかったのだけど。
まあライアン様からも悪いうわさは聞かない方だし、いくらかわいい娘の頼みでもやんわり諌めてくれそうだわ。
とくにあったこともない方だけに、ライアン様から聞いた情報を元に安堵していたのだけど――今後わたくしは後悔することになる。
ライアン様の身内の話なんて、今後一切信用いたしませんわっ!!
読んでいただきありがとうございます。
今月ももう一つの話を終わらせるために、すこし更新が滞ります。
どうぞよろしくお願いいたします。




