勘違いなさらないでっ! 【38話】
大変ご無沙汰してます。
「さて、騒々しいのも終わったことだし、ここは場を移しておしゃべりタイムとしたいのですが――アシャン様、いかがでしょう?」
「ん、任せる」
「では、すぐに」
にっこりとマニエ様は微笑み、執事のバルサー(さっき名前を知ったわ)へ準備を言いつける。
マニエ様の目には、硬直したまま動くことができないエンバ子爵の姿などすでにないらしい。
そんなエンバ子爵の姿を、わたくしは冷ややかに見つめるものの、何も言うことはない。
強いて言えば、彼が抜けた穴を埋めるために働く仕事場の同僚と部下への労いくらいかしら。この人、これで結構優秀らしいから。
その後警邏隊が来るまで、お兄様とアンバーが主体となって見張りに立ち、アシャン様にはこのままトキが付くことになった。
余談だが、エンバ子爵は万が一に備え、私兵を数人連れてきていたようで、硬直するエンバ子爵に代わり、マニエ様がさっさと自宅の警護に当たらせていた。
ちなみに硬直したエンバ子爵は、同情した執事のバルサーの計らいにより、家人に運ばれて寝込み――いえ、別室で休んでいる。
「バルサーは優しいのね。でも、いつまであの硬直が続くか試したかったのに」
扇で口元隠しつつクスリと笑うマニエ様だが、その言葉は冗談でなく本気だ。
数時間、いえ、もしかしたら夜が明けてもあのままの姿であっても、マニエ様は放って観察するに違いない。でも、時々つついたりするかも。
あんなに見事に真っ二つに破られた婚姻届は、さすがに無効となる。
せっかく先代様のサインまでもらったのに、またやり直し。
先代様は息子だからと大目に見ていたが、正妻だけは自分も口出しすると、マニエ様を自ら選んでいた。もちろん、先代様はマニエ様には優しかった。
そんな先代様が隠居して領地に引っ込んでからがすごかった。
離婚騒動の際、その様子を知った先代様の怒りは凄まじいもので、杖でエンバ子爵を打ち据えたらしい。
まぁ、いいきみだわ、と思った。
だって、先代様に事細かにマニエ様の冷遇についてご報告したのはわたくしですもの。証人だって子爵家の家人がしてくれたから、本当に胸がスッとした。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
場所が変わって、テラスのない部屋にてお茶会が始まる。
「おもしろい余興だった」
満足そうにうなずくアシャン様は、扉に張り付くように立つトキへと視線を移す。
「お前たちの減給はなかったことにする」
「はっ!」
直立不動で返事をしても、内容がねぇ……。まぁ、でもよかったわね、二人とも。
「それにしても、マニエの元夫は排除しなくていいのか?」
そう、それ。わたくしも何度も言っているんですよ、アシャン様。
アシャン様とわたくしが見つめる先で、マニエ様はまるで恋する少女のようにふんわりとほほ笑む。
「排除なんてとんでもない。わたくしは彼のことを愛していますの」
「「は?」」
アシャン様とわたくしの声が重なり、妙な沈黙が降りる中、マニエ様は小さく恥ずかしそうにうなずく。
「実を言えば、わたくしが先に一目ぼれしたのですわ。外見はいいでしょう? でも、まさかあのような内面があるなんて驚きましたが、ともあれ今は両想いですし。ふふふっ」
ほんのり頬を染め、恥ずかしそうに俯き加減になり、手に取ったクッキーを弄ぶ。
わたくしは呆けていた自分に気がつき、ハッとして前のめりになって口を開く。
「マニエ様本気ですの!?」
「両思いなのにあの仕打ちか!?」
アシャン様も驚いている。
わたくしも初めて聞いた「愛している」の一言に、正直熱でもあるのではと疑う。
でも、マニエ様は正気らしい。顔を上げ、いつもの勝気な笑みを浮かべる。
「あれくらいしなければ、あの人は手に入りませんもの。多少なりとわたくしに依存させておかないと。さすがに若さには勝てませんし、かといってあの方は外見が若々しいでしょう? また第二、第三のフェリーナが現れては面倒ですものね」
ふふふ、と笑うマニエ様に言いたい。
わたくしが見たところ『多少の依存』どころか、すでに『どっぷり依存』しておりますわ。もう、これ以上がないくらいに……。
「け、結婚する気なのか?」
珍しくアシャン様がどもって聞く。
「再婚ですか? えぇ、考えるならエッジだけです」
「では、あのタルカッタ侯爵は……」
そう聞いたわたくしを、マニエ様は目を細めて見る。
「……あなたにひどい心の傷を負わせた一族なんて、何があってもお断りです。まぁ、彼に迫られたおかげで、エッジが必死で先代様に頭を下げて婚姻届のサインをもらってきたのだけど。感謝するのはその一点だけかしら」
「わたくしもあの方とマニエ様の縁談だけは、全力で壊したいですわ」
「タルカッタ侯爵の性格からして、あの方を屈服させるのはとても難しくやりがいがありそうだけど。やっぱり、それを差し引いてもエッジを手放すのは無理ね。惚れた弱みというものだわ」
ふぅっと物憂げにため息をつく、マニエ様。
全然、そうはみえませんけどね。弱み? どこかにありましたか?
アシャン様は唖然としていたが、やがて伏せ目がちになる。
「どうなさいました、アシャン様」
問いかけたわたくしを見ることなく、アシャン様はテーブルの上に置かれた自分のティーカップを眺める。
「……人を傷つけない酷い言葉というのもあるんだな」
いえいえ、そんなものはございません。
否定したかったが、アシャン様ははぁっとため息をついて続ける。
「もともと話すのが苦手だった。六つくらいの時かな、母様に言ったのだ」
わたくしもマニエ様も、アシャン様の言葉を待つ。
すぅっと息を吸い込み、アシャン様は眉間に皺をよせ言った。
「『お母様はマウルスのようだ』と」
「「…………」」
お茶を飲んでいなくて良かった。
カチャッと音がしたが、どうやらトキが体勢を崩して鳴らした音らしい。
ひきつる口元と驚いた目をしながらも、なんとか立っている。
☆マウルス
その姿は現在確認されている猿の中で、もっとも大型の霊長類である。
筋肉の塊のような大柄な体に、少し短めの手足があり、知能も高い。
全身を淡い茶色い剛毛に覆われている。
顔は額部分が盛り上がり、目は小さく、鼻は横に広がっている。
発する声は野太く、吠えると耳を塞ぐほどの大きさを出すこともある。
強面な外見ではあるが子どもを手厚く世話をし、母性本能は高い。
~『子どものための秘境に住む珍しい動物図鑑』より~
……何と言えばいいのでしょう。
確かにイズーリの王妃様は亜麻色の髪をお持ちでしたけど、別に大柄でもなんでもありませんでしたよ。強いて言えば、時々――いえ、かなりの頻度で暴走されていましたけど。
でも、けっしてマウルスではありませんでした。
人でしたわ、人。大事だからもう一度言います。人です。
ポカンとした表情のマニエ様の横で、わたくしはそっと目を泳がせ考えた。
アシャン様はきつく目をつぶる。
「……当時、わたしは本当に口下手で、挨拶くらいしか話さなかった。いつも母様庇ってくれて、その感謝を口にしたのだ。それも、とても勇気を出して」
「つ、つまり『お母様大好きです』という意味で言われたのですね?」
「そうだ」
わたくしの問いに、アシャン様は深くうなずく。
確かにマウルスは子どもを大事に育てると記載されているが、まず『マウルスのようだ』と言われて、すぐそこに結びつくだろうか? いえ、結びついていないからこその、今のアシャン様の言葉遣いになったのだろう。
「あの、王妃様は……なんと?」
あっけらかんとスルーする王妃様が浮かばないこともないが……。
「倒れた」
「「…………」」
「大騒ぎになった。わたしは離され、医師の診察を受けた。どうやら母様は病で倒れたのではないかと疑われたらしい。そして三日寝台から起き上がれなかった」
「「…………」」
国を第一に、他人からの酷評も跳ね返す覚悟で王妃の位についていた王妃様だったが、さすがに愛娘からの一言(撃)は防げなかったらしい。
「すぐ後でメイドが言っていたのを聞いた。母様はわたしの言葉のせいで倒れたのだと」
噂好きは人として仕方ないとはいえ、場所を考えて話すべきね、メイド。
「それから……余計話すのが怖くなった」
アシャン様も極端すぎる。
この極端な性格が王妃様とアシャン様の共通点かしら。
「まぁまぁ、それでも知っている言葉で最高の褒め言葉でしたのでしょう? 王妃様は怒られたのですか?」
やんわりとマニエ様が聞くと、アシャン様はゆっくり首を左右に振る。
「わたしの乳母が、誤解を解いてくれた。だから、何も言われず、撫でてくれた」
「陛下やお兄様方には?」
一瞬ビクッと肩を震わせ、アシャン様はうつむく。
「……笑われた」
「「…………」」
なるほど。これも原因の一つらしい。
繊細過ぎるアシャン様にとって、家族から笑われるようなことをしたというのはとんでもないこと、という認識につながったのだろう。
おそらくその後アシャン様の話し方が前にもまして口数が少なくなり、原因究明のような調査の後、家族は初めてアシャン様が深い心の傷を持ってしまったことに気が付いた。だからこれ以上アシャン様が傷つかないようにと、家族は見守ることにしたのだろう。おかげでアシャン様の話し方は王妃様にも片言だし、完全に心を許していない。
そんなアシャン様がわたくしについて行くと言った時、王妃様とマディウス皇太子殿下はどんな反応だったのだろう。手紙を見る限り、喜んで送り出した気がする。
馬車に忍び込んでいたことを考えると、王妃様は率先していたに違いない。
「今度サイラスに会ったら、一発蹴ることにしますわ」
「そうね、わたくしも一言言わせて頂こうかしら」
「へ?」
「でもわたくしの技量では防がれますわね」
「だったらチョコレートパイでも用意して、それを投げつけて気を取られた隙に打ち込めばいいわ。なんでしたら、わたくしが投げます」
「まぁ、それはいい考えですわ。サイラスは甘いものに目がありませんもの。必ずチョコレートパイを受け取ってくれますわ」
「カスタードパイも用意しておきましょう。さすがに二つも投げれば気もそぞろに」
ふふふっと、マニエ様と顔を見合わせ笑い合う。
そんなわたくし達をアシャン様が、ポカンとして見ていた。
「……お前達変だぞ」
「「まぁ」」
心外です、とばかりにわたくしとマニエ様が口をそろえる。
「普通、先に『おかわいそうに』とか『大変でしたね』とか同情するだろう?」
「して欲しいんですか、アシャン様」
パチパチと目を瞬かせたわたくしの横で、マニエ様また「まぁ」と意外そうに口元に手を添える。
アシャン様は首を左右に小刻みに振ると、焦ったように手も振る。
「ち、違う! 同情はたくさんだ」
「ならばやることはうっぷん晴らしですわ、ねぇマニエ様」
「えぇ。ため込んでばかりいると美容と健康にもよくありませんの。ある程度のところで発散しなくてはダメだと、わたくし身を以て実感しました」
きりっとした顔で力説するマニエ様に、わたくしはまったくです、とうなずく。
「はぁ……そうか」
「どうせならアシャン様も発散されてはいかがです?」
「え!?」
今日のアシャン様は反応がいい。
マニエ様の提案に、アシャン様はチラッとなぜかわたくしを見てくる。
「…………」
その目が「どうしたらいい?」と訴えているが、発散と言っても王妃様のような暴走は困る。
「まぁ、サイラスも気が高ぶると甘いものを食べて発散しておりますし、アシャン様もこれから何か見つけていかれてはどうでしょう」
「そ……そうか?」
「でもアシャン様。シャナリーゼのように我慢を我慢できず、あちこちで小出しに発散させてはいけませんわよ」
「ま、マニエ様!」
その言い方だと、わたくしが短気のようではありませんか! わたくしだって怒っていい時とそうでない時の区別がつきます!!
「うーん、趣味、か」
アシャン様は腕組みをして首を傾げて考え出す。
と、ふと何か思い当ったらしく、何事か小さくつぶやいた。
「どうなさいました?」
「あぁ、シャナリーゼ。わたしにも楽しいものがあった」
妙に輝きだす目に、わたくしはなぜか不安を覚える。
「まぁ、どんなことでしょう?」
にこにことほほ笑むマニエ様に、アシャン様は扉の傍に立つトキをビシッと指差した。
「あれだ。ボーイズラブ!」
「「「!」」」
哀れ、指を差されたトキはビクッとした表情のまま顔色を悪くし、勘違いしたマニエ様からはねっとりと観察するように見られている。
トキの口が「ち、ちが」と小さく動くが、そんな声はアシャン様にも、マニエ様の耳にも入らない。
大丈夫よ、トキ。わたくしは知っているわ。
マニエ様によるトキの観察が続く中、アシャン様は悔しがるように言う。
「この間ティナリアの部屋で、あれを本通りに仕立ててやろうかと思ったのだが、すんでのところで逃げられた。そしてナリアネスに怒られた」
「まぁ、それは残念でしたわね」
ひとまず観察が終わったマニエ様が、なぜか次にわたくしを同じ目で見ている。
……嫌な予感。
「その手がありましたわねぇ。わたくしもやってみようかしら」
「楽しいぞ」
「衣装選びも楽しいですものね。シャナリーゼ、あなた時間ない?」
「ありません!!」
「なんだ、シャナリーゼを変装させるのか?」
顔色を悪くするわたくしを見て、アシャン様は楽しげに聞く。
マニエ様はにっこり笑って、ゆっくり首を振る。
「変装、ではございませんわ。世の中男性同士があるように、女性同士、すなわち『百合の世界』があるのですわ」
「聞いたことある」
「あと、現実世界において本のようなキラキラとした殿方がどれほど少ないかお分かりですか? そこいきますと、女性に関しては粗方着飾れば圧倒的な数がそろうのでございます!」
「そ……そうか」
ギラギラとした目で力説するマニエ様に、やや怯えるようにアシャン様は黙ってうなずいた。
そしてうっとりと力説を続けるマニエ様を前に、こっそりとわたくしに言う。
「見聞を広げるのはいいのだが、ちょっと濃い気がする。シャナリーゼには悪いが、わたしは冗談で変装させるくらいの趣味でいい」
「は、はぁ」
「そうそう。三の兄様はいくら理解があるからと言っても、同性問わず浮気は厳禁だ。うちの王家の一族は蛇のように執念深いからな。趣味は趣味だけにしておけ」
「はっ!?」
アシャン様に憐れむように見られたわたくし。
完っ全に、誤解してますわね!
勘違いなさらないでくださいまし、アシャン様。わたくし至って普通です。
――もちろん、間違ってもサイラスに変な情報を漏らしたりしてはいけませんよっ!
読んでいただき、本当にありがとうございます。
暑い夏、バテてませんか?
どうぞお気をつけてお過ごしください。
次回は登場人物紹介【イズーリ国】を更新します。




