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勘違いなさらないでっ! 【37話】

今回の主役はマニエ嬢ですw

 屈強、と言えばいいのかしら。

 揃いもそろって、体格で選んだ絵に描いたような悪人面。

 お兄様のところで足止めをくらっている者達は知らないが、よくもまぁ、ここまで揃えたものだわ。一人くらい知性を感じさせる者はいなかったのかしら。

 黙って眉を潜めるわたくしとマニエ様を見て、余裕を取り戻して勝ち誇るフェリーナがふふん、と鼻で笑う。

「お貴族様の周りには身だしなみの良い者ばかりで、この者達を前に、ずいぶん困惑されているようですねぇ」

 フェリーナの言葉に、六人のならず者達も口元を醜く歪めて笑う。

 

 すばらしい勘違いね、フェリーナ。

 人の顔色すらうかがえないなんて、商人の娘としてもどうかと思うわ。

 わたくしもマニエ様も、怯えたりしていない。ただただ、残念過ぎる頭の持ち主であるフェリーナに、不快感を通り越して呆れている。

 彼女の中でエンバ子爵は国王陛下、いえ、神様にでもなっているのかしら。そうでなければ、こんなバカなことをした先の未来を考えられないわけがない。


「はぁ」

 と、マニエ様の艶っぽいため息が漏れる。

「ごめんなさいね。まさかこんなタイミングで襲撃されるだなんて」

 すまなそうに頭を下げるマニエ様に、アシャン様は黙って首を振る。

「よい。おもしろい余興だ」

「そう言っていただけると嬉しいですわ」

 にっこり頬笑んだマニエ様が、わたくしにも目を向ける。

「問題ありませんわ」

 わたくしも微笑み返す。

「ふふふ、頼もしいわ」

 のんびりとした会話をしていると、無視されっぱなしだったフェリーナが怒鳴りつけてきた。

「あんた達! 状況わかっているの!? どこまでバカにしているのよ! たった二人で何ができるっていうのよ!」

 金切り声をあげたフェリーナは、激しく頭を振ってビシッと指をさす。

「奥の女よ! あとはどうでもいいから、とにかくめちゃくちゃにして!」

笑いながらじりじりとならず者たちが近寄ってくる。

「殺すな。血は嫌いだ」

「「はっ!」」

 アシャン様の命令に、二人は更に緊張を高める。

 そうよね。殺すより生かして黙らせるほうが大変よね。でもね、わたくしもできるなら血を見るのは嫌なの。頑張って。

 そっと二人にエールをおくる。

「エミ」

「はい!」

 マニエ様の合図で、窓側に立っていたメイドが動き、熱い湯の入ったポットをならず者達に向け投げつける。

 残念ながらポットはかわされてしまい、地面に叩きつけられ熱いお湯が飛び散る。

 その様子にフェリーナとならず者が気をそらせた瞬間、アンバーが一番手近にいた男へと一気に距離を詰め、抜刀した剣の持ち手で下から顎を打つ。

「がっ!?」

「このっ!」

 他のならず者達も動き出す。

 トキはアシャン様を背に、前に飛び出すと、相手の剣を交わして鞘に入れたままの剣で相手の喉を突く。

 男は悲鳴も上げずにのけ反り、そのままテラス下へと落ちる。

「こちらへ!」

 さっきポットを投げたエミというメイドがアシャン様のそばに駆け寄るが、アシャン様はチラッと顔を見ただけで、てのひらを見せ止める。

「このままでいい」

「そんな!」

 困ったメイドがわたくしとマニエ様を見るが、わたくし達にもどうにもできない。

 苦笑するわたくしを見て、メイドは顔色が悪いままアシャン様の隣に立つ、と決めたらしい。なかなかの心構えだわ。

 その間にも、アンバーとトキはならず者達をテラスへ上げまいと、階段で攻防戦を繰り広げている。

「減給を撤回しようかな」

 ポツリともらした言葉を聞いて、わたくしは二人に聞こえるように言う。

「減給撤回も夢じゃないわよ~!」

 ほほほ、と笑っていたら、ガツンとテラスの壁に金具のようなものがひっかかり、すぐにそこから男が顔を出した。

 にやりと笑った顔が気持ち悪い。

 女だけで何ができる、と言いたいのだろう。

 わたくしは立ち上がり、真顔で近づく。

「へへ……え?」

 余裕の顔が一転する。

「お下がり」

 冷たく睨みおろし、右手に持った扇で薙ぎ払うように男の左頬を打つ。

「ぐべっ!」

 よだれと汚い悲鳴をあげて、下へ落ちる。

 大丈夫、ここ一階だし。でも顔面崩壊したら、罰だと思ってあきらめなさい。

 右手に痺れるほどの衝撃がきたが、扇には何の損傷もない。さすがだわ。

「ぐあっ!」

 階段を攻めている、ならず者の誰かが落ちていった

「何をしているのよ!」

 フェリーナが怒鳴る声がする。

 数では勝っているが、予想外にアンバーとトキが活躍しているらしい。

 と、その時お屋敷の中から大きな音がした。

「お嬢様ぁああああ!!」

 わたくし達を案内した執事が、髪を振り乱し、槍を構えて飛び込んできた。

「まぁ、バルサー」

 珍しく驚くマニエ様の前に立ちはだかり、そのままマニエ様とわたくし達を素早く見渡す。

「お早く、中へ! シャナリーゼ様、そんな所にいてはなりません!」

 壁際にいたままだったので、執事の言うとおりに席に戻る。

 焦る執事に対して、女性陣は笑えるほど落ち着いているので、やや必死さが空回りしているように見える。

 奮闘するアンバーとトキの間を掻い潜って、いつならず者が襲ってくるかもしれないと構えている執事の後ろ姿を、マニエ様は微笑んで見ていた。

 なかなか頼もしい執事ですわ。ただ、絶対戦闘向きではありませんわね。腰が……少し引けていますもの。

「もうっ! 本当に何をやっているのよ!」

 フェリーナの金切り声が響く。

「……そろそろいいわね」

 マニエ様は小さくつぶやくと、その豊かな胸の谷間からスッと何かをつまみ出す。

 細く短い茶色い棒のような笛を口にすると――――音は聞こえなかった。

 おや? と首を傾げたアシャン様が、理由を尋ねるようにわたくしを見るが、わたくしにもよくわからない。

 だが、マニエ様は満足げに笛を口から離し微笑む。

「マニエ様、何を?」

「ふふふ。すぐに来てくれるわ」

「え?」

 わたくしを見たマニエ様は、妖しくしなを作る。

「わたくしのかわいい護衛、よ」

 そうマニエ様が言うが早いか、フェリーナの悲鳴が響いた。

「いやぁああああ! あっちへお行き!!」

「うわぁああっ!」

「ぎゃああ!」

 フェリーナの悲鳴をかき消すように、男たちの悲鳴も上がる。

 ふと見ればアンバーとトキは肩で息を整えながら、唖然として階段下を見ていた。

「どうした?」

「見てまいります」

 立っていたわたくしがアンバーとトキの後ろへ立つと、そこにはたくさんのさまざまな犬種の犬に襲われているフェリーナと男達が慌てふためく姿があった。

 フェリーナは噛みつかれたのか、左腕を右手でかばうようにしながらも足を前に蹴り出して、自分を囲んで威嚇する三匹の犬に怯えている。男達も似たようなもので、ただ手にした剣やこん棒のようなもので犬の威嚇から身を守っており、とてもこちらへ来る様子はない。

「アシャン様! シャーリー!」

 庭側から駆け付けたお兄様も、思わず立ち止まってこの惨状を見て唖然としている。

 サラッと衣擦れの音がして横を見ると、マニエ様が扇を口元に当て目を細めていた。

「ジェイコット様、それ以上はお進みにならないでくださいませ。わたくしのかわいい護衛達が、間違って襲ってしまいますわ」

 それを聞いて、わたくしはピンときた。

 良く見れば、見覚えのある白い大きな犬がいる。

「気が付いた? あの白い犬は、あなたが離婚前にわたくしの元へ連れてきて調教を依頼した犬よ。今ではとても面倒見のいいリーダーなの」

「他にも見覚えのある犬がいますわ」

「そうねぇ。わたくしのリハビリ用に、あちこちから犬を持ってきたのはあなたですものね。何匹かは手離したのだけど、ここにいても暇だから、近くで問題になっている犬を連れてきてもらったのよ。ふふふ」

 別邸に引きこもりっきりで、よく退屈なさいませんねと思っていたけど。なるほど。マニエ様なりに、忙しくも楽しい毎日をお過ごしらしい。

「お前達、今のうちに倒してこい。犬に負けるなど無給だぞ」

「げっ!」

「はい!」

 アンバーはともかく、トキはしっかり返事をし、二人はあわてて駆け下りて行った。

「あら、犬は大丈夫かしら」

「心配ないわ。ジェイコット様もどうぞ!」

 見ればマニエ様は、またあの茶色の笛を口にしていた。

 音は聞こえなかったが、犬達がいっせいに引き下がる。

「バルサー、縄を」

「はい」

 槍を下げた執事が、すぐに部屋の中へ走っていく。

 その姿を見届けた後、ふとアシャン様を見ると目を輝かせてマニエ様を見ていた。

「すごいな、マニエは!」

「恐れ入りますわ」

「誰かに習ったのか?」

「祖父がこうしたことが得意なので、わたくしも幼少の頃より教えてもらったのです」

「そうか。すごいな。素質があったのだな」

「恐れ入ります」

 マニエ様が軽く頭を下げた頃、やはり大急ぎで戻ってきた執事が一礼してすぐ階段下へと走る。

 上から見ると五人の男をお兄様とアンバーとトキで縛り上げていた。

「あれ? もう一人は?」

 トキがキョロキョロと辺りを見渡す。

「……取り逃がしたか」

 低く唸るように言うお兄様に、アンバーがビクッと後ずさる。

 あ、とわたくしは思い出す。

「アンバー、あっちの壁の下を見てちょうだい。さっき一人登ろうとして顔を出したから、叩き落としたのだったわ」

 何とも言えない顔をするお兄様から逃げるように、アンバーは確認に向かう。

「いた!」

 どうやらあの一撃で気絶していたらしい。

 ……あら? そうなると、一人足止めしたんだからわたくしが一番の功労者じゃないかしら。手が痺れるほど強くたたいて良かったわ。


 お兄様のそばでがっくりと地面に座り込み、茫然としているフェリーナの周りに、縛られた男達六人も転がされる。

 あらやだ。わたくしが成敗したあの男が、見た目的に怪我が一番ひどく見える。扇で叩かれた顔面の左側は赤くはれており、鼻血も出ていて顔が汚れている。口は半開きでよだれが出ており、その前にアンバーとトキにやられた傷も重なって一番ボロボロだ。


 ねぇ、お兄様。その男を見て目を伏せた後、わたくしを何か言いたげな目で見ないでくださいませ。

 わたくし正当防衛ですわ。

 結果的に一人戦闘不能にして足止めしたのですから、ちゃんと褒めてくださいませ。


 ムスッとしたわたくしの顔を見て、お兄様は短くため息をつく。

警邏隊(けいらたい)を呼びに行かせております。トキ殿、アシャン様を中へ。マニエ嬢もよろしいですね」

「えぇ、承知しましたわ」

 トキが階段を上がってくる。

 その後方のお兄様の足元で座り込むフェリーナが、再びあの憎らしげな目をこちらに向ける。

 トキがアシャン様の椅子を引いて立ってもらい、最後までこの場に残ったメイドが部屋の中へと案内している。

「……マニエ様、参りましょう」

 わたくしとしては、フェリーナなんて無視してよかったのだけど、マニエ様は違ったらしい。じっと彼女を見ている。

 やがて、絞り出すようなフェリーナの声がした。

「……あんたさえいなくなれば……」

 ぶつぶつと呪詛のように繰り返す。

 お兄様も足元のフェリーナを睨むが、今の彼女はマニエ様を見ているだけで、他の誰の視線も気にならないらしい。

「ちょっとお待ちになって。すぐ戻ります」

 そういうと、マニエ様はくるりと踵を返して部屋の中へ入っていく。

 フェリーナはマニエ様の消えた先を睨み、まだぶつぶつと呟いている。

 男達のそばに立つアンバーは気味悪そうにフェリーナを見ていたが、気をそらすようにお兄様に話しかける。

「ジェイコット様、そちらにも男達がいたようですが」

「四人だ。全員気絶させ、縛りつけて屋敷の者に見張らせている」

 訓練中にも力が入り過ぎて、たまに相手を気絶させているお兄様。やり過ぎだと上から怒られることもあると言っていたっけ。

「シャナリーゼ、お前も早く中へ入れ」

「あら、お兄様。マニエ様が戻っていらっしゃるわ」

「お前が待つ必要はないだろう」

 確かにそれはそうだが、なにかおもしろいものが見られそうな予感がするの。ふふふ。

 お兄様の注意に、わたくしは目線をそらす。

 いい風だわ~と、秋の涼しい風を堪能していると、コツコツと足早にマニエ様が戻ってきた。――手に二つ折りされた真っ白な紙を持って。

 マニエ様はわたくしの横に立ち止まらず、そのまま階段下へと降りていく。

 お兄様が俯いているフェリーナの前に一歩出ようとするが、それをマニエ様がやんわりと止める。

 そして二メートルほどの距離を取って立ち止まると、二つ折りされた紙を開いて突きつけるようにフェリーナに見せる。

「これを見ても、あなたはわたくしがいなくなれば幸せになると言いきれるかしら?」

 ゆっくりとうつろになった目を上げ、フェリーナは突きつけられている紙を見る。

 あれ、何かしら?

 うつろだったフェリーナの目が生気を取り戻すどころか、驚愕するように目をいっぱいに見開いてガタガタを震え始める。食いしばった口から、今日一番の大声が発せられた。

「嘘よっ!!」

 唯一女性ということで縄で縛られていなかったフェリーナが、叫ぶと同時に立ち上がろうとしたので、お兄様がすばやく両手で押さえつけ膝を付かせる。

 それでもフェリーナは目を血走らせたまま、体を暴れさせながら叫ぶ。

「嘘だわ! 偽物だわそんなもの! あの人の名前が書かれた婚姻届なんて、絶対偽物だわ!!」

 えぇ!? と声を出さなかった自分は偉いわ。

 フェリーナが言うには、マニエ様がもっているあの紙は婚姻届で、しかもエンバ子爵のサイン入りだという。

 お兄様に押さえ込まれ、ほとんど身動きは取れないものの必死で暴れるフェリーナに、マニエ様は右手で書類の下の方を指差す。

「偽物ではなくってよ。ほら、ここに先代子爵様のサインもあるの。やっとサインしてもらえたと、エッジは喜んで持ってきたの。ふふふ、あの人もずいぶん頭を下げたみたいね」

「何を笑っているのよ、この毒婦! 魔女! そんなものっ……そんなもの認めないわ!!」

「あなたに認めてもらわなくても結構よ。ただね、わたくしがいなくなったとしても、あの人はもうあなたのところへは戻らないわ。あなたもこんなバカな真似をせず、自分の立場を思い出していれば、きっとご両親が幸せな縁談を持ってきてくれたでしょうに」

 マニエ様は冷めた目でフェリーナを見下ろし、婚姻届を閉じる。

「あなたのご実家はエンバ子爵家だけではなく、他の貴族にも縁故を持つ商家の娘。こんなことをしてご実家に迷惑がかからないとでも思ったの? いくらエッジが優しくても、ここまでされては庇いようがないわ」

「うるさい! そんなことはないわ。エッジはいつだってわたしの味方だもの。わたしを幸せにしてくれる、運命の人なの! わたしを愛すには、お飾りの妻が必要なのよ! 子どもだってわたしが生むわ。実権もわたしのものよ! ただお飾りの妻として部屋に閉じこもって、自傷でもなんでもしてればいいのよ! あんたなんて大っ嫌いよ!!」

 一気に言い切ると、そのまま大声で泣き始める。 

 頭を地面にこすり付けるように激しく左右に振り、人目を(はばか)らず暴れながら泣く。


……すごいわね。

お兄様はともかく、隣に転がる男達もいっせいに変な顔をしてフェリーナを見ている。きっと頭がおかしくなったとでも思っているのだろう。

それにしても、最初から最後まで言ってることが自己中心的な女王様気質ですごい。

本当にそれで幸せになれると信じている。世間知らずという深層の令嬢でもないはずなのに、ここまで狂った考えを持ってしまうなんて――いっそ天晴れ、というやつかしら?

まぁ、いいわ。どうやら夢の魔法も溶けたみたいだし。あとはじっくり牢にでも入って考えればいいわ。これから時間はいくらでもあるもの。

それにしてもエンバ子爵。あの婚姻届は一体どうしたのかしら。


泣き崩れるフェリーナをそのままに、悠然と戻ってくるマニエ様。

じっと見るわたくしに、マニエ様は聞きたいことを感じ取ったらしい。

「うふふ。実はつい先週、エッジが持ってきたのよ。わたくしがその気になったらサインして欲しい、ですって」

「まさかサインを?」

「してないわ。まだその時じゃないでしょ?」

 もったいぶるその笑みに、わたくしは少しホッとする。

「もうエンバ子爵を許されたのかと驚きましたわ」

「許す、というより、そうねぇ。時期じゃないのよ」

 その時期って『調教』ですかね。

 頬笑むマニエ様に続き、わたくしも部屋に入ろうと歩き始めた時だった。


「マニエェエエエエ!」

「お待ちください!」

 バタバタと大きな足音がしたと思ったら、乱暴に部屋の扉が開かれる。

「マニエ! 無事か!?」

 乱れを知らないサラサラのストロベリーブロンドの髪と、優しいまなざしの青い目の見目の整った優男が飛び込んでくる。その乱れた服から、廊下を全力で走ったことはわかる。

 後ろから追いついた家人が、扉のところでオロオロとしている。

「あら、エッジ」

「怪我はないか!?」

 すぐさまテラスに出て、マニエ様の周りをチョロチョロして、触りたいけど触れないとばかりに手を動かして全身をチェックする。

「大丈夫よ。またお仕事抜けてきたの?」

「仕事より君だ」

「でしたら、ご自分の私生活の後始末位ちゃんとなさっていただきたいわ」

 棘のある口調でわたくしが言えば、エンバ子爵は少し驚いたようにわたくしを見た。

 自分を快く思っていないわたくしがいることに、エンバ子爵はようやく気が付いたらしい。まぁ、離婚の後押しをした女を、エンバ子爵も良くは思っていないだろうけど。何か言ってきたら「マニエ様を飼い殺しにしようとしたくせに!」と怒鳴ってやろうと決めているが、今のところその機会はない。

 でも、もしかしたら、今日はその機会が訪れるかもしれない。

 チラッとわたくしが視線で促した先には、泣きはらした目ですがるようにこちらを見るフェリーナの姿。

 とたんに、エンバ子爵の目が冷めたものになる。

「とんでもないことをしてくれたな」

 怒りを滲ませて、冷たく言い放つ。

 だが、フェリーナは最後まですがりつく。

「エッジ! 助けてちょうだい。あなたの目を覚ますためにしたのよ!」

「……最後の情けだ。印章の件は不問にする」

「目を覚まして!」

「目なら覚めている。君も早く目が覚めるといいな」

 愕然とした表情のフェリーナが、とうとう口を閉じた。

 その顔には「嘘でしょう? 信じられない」の文字が浮かんでいる。

「……行きましょう」

 マニエ様が歩き出す。

 これで二度とマニエ様の前にフェリーナは現れないし、マニエ様の心の中にも現れないだろう。歩き出すマニエ様の微笑に、わたくしも溜飲(りゅういん)が下がる。

 テラスから部屋に入ると、開けっ放しの扉のところに、アシャン様がうっすら笑みを浮かべて立っていた。もちろん、その横にはトキが控えている。

 どうやら、走るエンバ子爵を廊下で見て、興味がわいて戻ってきたといったところだろう。

 好奇心旺盛ですわね、アシャン様。

「そうだわ」

 ふと、何かを思い出したかのようにマニエ様は後ろを振り向く。

 そこには、テラスから部屋に入ろうとしたエンバ子爵の姿があった。

「エッジ、これなんだけど」

 足を止めたエンバ子爵に、マニエ様は先ほどフェリーナに突きつけた婚姻届を同じように見せる。

 それを見て、サインはされていないが、パッと顔を輝かせるエンバ子爵。

「考えてくれたかい!?」

「ええ」

 微笑みを深くしたマニエ様に、エンバ子爵は期待するあまり頬を赤く染める。

 三十代の男性が顔を赤くして似合うなんて、きっとあなたぐらいですわ。


「もうちょっと、私生活の後始末をしてちょうだい」


その言葉が言い終わるや否や、マニエ様はその白い指で婚姻届をビリッと引き裂いた。


「~~~~!!」


 声もなく、顔の赤みはどこへやら。一転して真っ青になったエンバ子爵は、その場で硬直した。


「すごいな。これが母様が前に言っていた『男を手玉に取る』ということか。さすがシャナリーゼの心の姉君。参考になった」

 興奮した様子でわたくしにお礼を言う、アシャン様。


 勘違いなさらないで、アシャン様! わたくし、貴方様に悪女になって欲しくて、マニエ様をご紹介したのではありませんわっ!!

偶然なんです!!


 ――はっ! 嫌だわ、へし折ったはずのイズーリ王妃様高笑いの未来と、マディウス皇太子殿下の薄笑い沈黙の未来が見え……そう?

か……勘違いであって欲しいわ!


読んでいただきありがとうございます。

いただいた感想が力になるとほとほと実感している毎日です。

どうぞこれからも、よろしくお願いいたします。


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