勘違いなさらないでっ! 【35話】
梅雨……ちっこいお子様達が問答無用で腹痛、風邪ひきを起こす時期ですね!黄砂もPM2.5も――大っ嫌いだぁあああ!!
我が家に戻ると、玄関で執事に捕まった。
「旦那様と奥様がお待ちです」
「見逃してくれないかしら」
「ダメです」
にっこり皺の刻まれた柔和な顔で断られる。
渋々歩き始めたわたくしは、不満たっぷりに漏らす。
「わたくしお腹がすいたのだけど」
「後でご準備します。くれぐれも粗相がないように、お腹に力を入れて堪えてくださいませ。軽食はプーリモのチョコレートソースをかけたパンケーキに、卵と生ハム添え、果物でよろしいでしょうか?」
「~~~~~!」
わざとね。わざと言ったわね、クオーレ(執事の名前)!
ちなみにプーリモのチョコレートソースは、イズーリで買ってきた。店頭で『新作! かけるチョコレート☆』と書かれていたから、これは買いだわ! と即決して買ってきた。あれは熊退治直後だったから、ストレス解消で他にもいろいろまとめ買いしたわ。
サイラスだったら、きっと瓶ごと飲むわね。口が細くなった円筒のガラス瓶で売られているから、栓を開ければ片手で執務中だろうが、野外だろうが、サイラスなら飲む。
寝台の上から自由に動けない今、サイラスはきっとまだこの商品を知らないはず。
……なぜかしら。ちょっとだけ優越感。
そんなことを思っていたら、わたくしのお腹の内部がきゅうっと締め付けられ、かすかな音をたてた。
きゃあああ!
とりあえずすぐさまお腹に力を入れる。
かなり小さな音だったからと、ドキドキして前を行く執事を見れば何も言わない。
やがてたどり着いた両親のいる部屋の前に着き、執事がノックして声をかける。
「入れ」
父の声がしたので、執事が扉を開ける――寸前に呟いた。
「お嬢様、油断大敵ですぞ」
「わ、わかっているわっ」
やっぱり気づいていたかと腹立たしいまま、部屋に入った。
テーブルを挟み、両親と向かい合って座る。
「シャナリーゼ! お前はアシャン様をティナリアに押し付け、どこへ行っていたのだ!みんな心配したのだぞ」
「別にティナリアに押し付けてなどいませんわ。年が近いのでとても仲良くしているようですし、楽しそうにお過ごしです」
おかげで問題が起こっていますけど。
「それはそうと、シャナリーゼ。その恰好で王城に行くなど非常識だろう」
咎める父は、どうやらアンバーから行き先を聞いていたらしい。
「時間がありませんでしたの。どうしても皇太子殿下にお会いして、大至急、サイラスと連絡を取らなくてはならないことがありましたので」
そう言いながら、あぁ、お腹すいたわとため息をつくと、なぜか父が過剰反応を起こした。
バンとテーブルに手を付き、腰を浮かせて身を乗り出す。
「どうした!? 具合が悪いのか!? そういえば顔色が悪い気がするが……体がきついか? 熱はどうだ、あるか!? そうだ、吐き気はっ!?」
「は?」
何を言っているのかさっぱりわからず、わたくしは不審なものを見るように父の挙動不審な姿を見つめる。
「いつだ!? そうか、あの夜会。皇太子妃殿下のご懐妊発表のあったあの夜会の日、お前はしばらく姿を消していたな。ああ、そういえばあの時サイラス様もいなかった……そうか! そういうことかっ!」
「…………」
――勘違いが暴走を起こしている。
「まぁまぁ、落ち着いてあなた」
鼻息荒く興奮する父の袖を、隣に座ったままの母が引っ張る。
母に顔を向けた父が、一度わたくしを見て目をそらした後、気まずそうに腰を下ろす。
「時期が合いませんわよ、あなた」
「何っ!? ではいつだ! ま、まさか我が家への滞在時にっ!!」
またも父が暴走しようとしたので、母が父の耳を笑顔で強く引っ張った。
「あたっ!」
「あなた。少し黙っていてくれませんこと。まったくお話になりませんわ。それに娘が何も言っていないのに勝手に突っ走って考えて、またあの子が傷ついたらどうしてくれるんですか。あなたがそうやってどんどん勝手に突っ走るから、ジェイコットもお慕いしている方がいるのにわたくし達に話してくれませんし、ティナリアも『秘密の花園』に入り浸っているではないですか。やっとまともな縁談がきたので浮かれているのはわかりますが、あなたが暴走すれば今度こそ我が家は大事な娘を一人失い、あなたのせいで息子は人の道を外れ、末の娘も永久に不思議の国へと飛び立つでしょう」
「なっ、な……」
ひどく狼狽えて顔色を悪くする父に、母は重々しくうなずく。
「そうなればジロンド伯爵家は後継ぎ問題へと突入するでしょう。幸い年の離れたあなたの弟様がいらっしゃいますけど、未婚ではお話になりません。没落も見えた伯爵家にどこのご令嬢が嫁いでくださるでしょうか。もはや醜聞が醜聞を呼ぶ没落決定。領地、爵位返上。いずれこのお屋敷は幽霊屋敷となり、夜な夜な不可思議なことが起こると評判を呼び、やがて王命により取り壊されるのです」
「~~~~!」
母の言葉を聞いて、父の顔色はますます悪くなった。
じっと父の目を見つめる真顔の母。
さまざまな悪い未来を憶測し、一人蒼白になる父。
そしてそんな二人を、黙って見守るわたくし。
「ということで、よろしいですわね、あなた。くれぐれも妙な暴走はしないでくださいまし」
急ににっこりほほ笑んだ母に、父は黙って何度も首を縦に振る。
「さて、シャナリーゼ」
笑顔のまま、わたくしの顔を見る母。
怖いっと思いつつ背筋を伸ばす。
「無断で家を飛び出すのはおやめなさい。お父様もわたくしも大変心配したのです」
「申し訳ありません」
「わかってくれたらいいのです」
心配する両親は、わたくしが皇太子殿下と親しいのは、リシャーヌ様との仲をとりもったからと思っている。それは嘘ではないけど、諜報部員の真似事のようなことまでしていたのは知らない。
……知られたら、お兄様も巻き込んでの大騒ぎとなるに違いない。
ついでに母の怒りは父の暴走以上だ。
この際わたくしの心の変化を待つという態度を一転させ、すぐさまサイラスとの婚姻に強制的に送り出すに違いない。
「嫌いじゃなければ好きなのです!」とか絶対言いそう。
「恨むならわたくし達を恨みなさい! でも先に裏切ったのはあなたですからね」などと叫び、泣きながらわたくしの良心に訴える母の姿。
きっとお兄様も想い人を強制的に告白させられ、結婚させられるわ。
……こっちはそれでいいかもしれないけど。
ただ、お相手の方、なんだか事情があるみたいだし。お相手の方を大事にしているお兄様としては、やっぱり不本意な結婚となるのかしら。
しかし、
「「独り身だから危ないことをするのだ(よ)!」」
最終的にはこの考えで両親は暴走するだろう。
そんなことを考えていたわたくしに、母が首を傾げる。
「どうしたの?」
「あ、いえ」
「危ないことはしないでね、シャナリーゼ。あなたもサイラス様とのお話がある以上、いつも以上に行動には気を付けてちょうだいね」
「はい、お母様」
素直に頭を下げて、わたくしは部屋から退出することができた。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
自分の部屋に戻ると、扉の前にナリアネスが立っていた。
その顔がどうも芳しくない。
まさか、と部屋に入ると、不機嫌そうなアシャン様が腕を組んで立っていた。その後ろでアンがおろおろして控えている。
「まぁ、アシャン様」
「……置き去り」
嫌だわ、どうしよう。お腹がすいて頭が回らないわ。
妙な言い訳などはなしにしよう、とわたくしは決めた。
「サイラス様に許可をもらいに行ったのですわ」
「許可?」
訝しむアシャン様に、わたくしはうなずく。
「わたくしが『心の姉』と慕う女性がいらっしゃいますの。とても利発ですてきな方ですわ。ただ、アシャン様の件はわたくしに任せられているとはいえ、事前にお会いする方がいるなら報告したほうがいいと思ったのです」
ハッとしてアシャン様は目線を動かし、なぜかアンをとらえる。
「そう、なのか?」
「え!? は、はい。サイラス様も近況が知りたいはずですわ」
焦りながらも、もっともらしいことをアンは言って切り抜ける。
「その女性のことはサイラス様もご存知ですので」
「兄様も!?」
普段の乏しい表情が消え、アシャン様は驚いている。
すうっと表情を戻しつつ、ぶつぶつと「兄様が」とか「まさか」とかをしばらく呟いた後、おもむろに顔を上げる。
「会いたい」
サイラスが知り合いだということで、よけいに興味がわいたらしい。
「はい。ご一緒に参りましょう。今日は無理ですが、早ければ明日にでも。すぐに連絡を入れてみます」
「ん。楽しみ」
目を輝かせてほんのり笑みを浮かべる。
あら、アシャン様。初日よりずいぶん表情豊かになりましたわねぇ。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
二日後。
馬車からお兄様の手を借りて、玄関前のテラスに降りる。
お屋敷の玄関扉は開けられており、壮年の執事がテラス中央で礼をとっていた。
「変ねぇ」
小さなわたくしのつぶやきに、アシャン様に手を貸そうとしていたお兄様はすぐに反応した。
「どうしたシャーリー」
「いえ、いつも玄関に警備の者が立っているんですけど」
左右を確認しても姿がない。
アルシャイ子爵家の別邸であるマニエ様のお屋敷には、最低限の家人しかいない。門の警備の者はいるが、それだけではダメだと意義を唱えた人がいた。
それは、マニエ様の元旦那であるエンバ子爵。
よりを戻したいエンバ子爵は、マニエ様の滞在するお屋敷の警備に不満を持ち、なんと自ら警備員を派遣すると言い出した。
そんな提案受け入れらるかっと思ったのだけど、マニエ様はあっさり受け入れ自由にさせている。
絶対マニエ様の監視役も兼ねていますよと忠告したが、マニエ様は微笑むばかり。全部知ってのことらしい。
そのエンバ子爵手配の警備員がいない。
これは、とうとうエンバ子爵がマニエ様との復縁を諦めた!?
思わずにんまりと笑いそうになったが、鋭く辺りを警戒するお兄様を見て、あわてて口元を引き締める。
「どうなさったの? お兄様」
「普段と違うということは、それなりに警戒が必要だ」
お兄様は馬車の中のアシャン様に「お待ちください」と言い、近くで待つ執事のもとへ歩み寄る。
「いつも警備の者がいるそうだが?」
「はい。実は、今朝になっていないことに気が付いたのです。こんなことは初めてですから、エンバ子爵様へ使いをだしてはいるのですが……」
「まだ返答がない、と」
「はい」
困ったように執事は頭を下げ、馬車のほうを見る。
「お嬢様より、大切なお客様とお聞きしております。大変失礼ではありますが、このままお帰り頂くのもよろしいかと」
「それがいいのだろうが、とても楽しみにされているのだ」
「さようでございますか。当家もすぐに手配できず、申し訳ございません」
「そのために護衛の我らがいる。見回りの許可をもらいたい」
「それはぜひ。どうぞ、よろしくお願いいたします」
執事はまた頭を下げ、お兄様はうなずいてわたくし達のところへ戻ってくると、事情を説明してくれた。
「帰りますか? アシャン様」
「嫌だ」
即答したアシャン様は、お兄様が手を貸す前に馬車を下りてしまった。
わたくしとアシャン様の左右に、トキとアンバーがつく。
「何かあれば、笛を鳴らす」
「わかりましたわ、お兄様」
護衛の二人も真剣な顔でしっかりうなずく。
お兄様はアシャン様へ、右手を曲げ胸につけ深く頭を下げる。
「しばらくおそばを離れます」
「んっ」
わかった、とうなずいたアシャン様を見て、お兄様はその場でわたくし達がお屋敷の中へ入るのを見送ってくれた。
執事に案内され廊下を歩いてすぐ、前から歩いてくる人物に気がつく。
あれは……。
「シャナリーゼ?」
ふいに立ち止まったわたくしに、アシャン様は不思議そうに見上げて立ち止まる。
そしてわたくしが見据える、目線の先を見る。
案内役の執事も歩みを止めてわたくし達を振り返るが、前から歩いてくる 男性のために、そっと廊下の端に身を寄せる。
貴族は階級社会。レディファーストがあるものの、それはあくまでも親しい間柄でのこと。目上の階級の者には道を譲るのがマナー。
もちろん、厳密に言えばアシャン様がいるこちらが上なのだけど、あくまでアシャン様はお忍びですもの。この場ではわたくしの家の爵位が適応される。
と、なると道を譲るのはわたくし達。
だってこの男性の家柄は侯爵家。――それに絶対親しくなんてなりえませんもの。
廊下の端に寄ったわたくしを見て、アシャン様とその後ろの護衛二人も黙って付き従ってくれる。
ただ黙って頭を少し下げ、この侯爵が過ぎ去るのを待つ。
ああ、嫌だわ。せっかくマニエ様に会いに来たのに、なんでこの人がいるのかしら。
心の中で散々悪態をついていると、ふいに足音が近くで止まったことに気が付いた。
行儀悪く舌打ちしたくなったけど、さすがわたくし。我慢できたわ。
「…………」
「…………」
無言が続く。
案内をしている執事が、居心地が悪そうに頭を上げる。
「い、いかがなさいましたでしょうか」
「そこの女に聞くがいい」
尊大に突き返され、執事はわたくしをそっと振り返る。
……言われたからには、わたくしも言わせていただくわ。
ゆっくりと顔を上げると、少し距離を置いて立ち止まった男の姿が目に入る。
年は三十前。中肉中背に、肩までの青みがかった灰色の髪。目鼻立ちはくっきりしており、年をとれば渋い男となるだろうが、今見る限りでは単なる仏頂面。苦虫を噛み潰した顔というのは、きっとこういう顔なのだろう。
チラリとアシャン様の様子を窺えば、こちらは特に気にした様子もなく黙って目の前の男を観察している。
「……あいわらず礼儀を知らん女だな」
わたくしが黙っていたのが、よほど気に食わなかったらしい。
毎回毎回黙って見ないふりができない方だから、本当に疲れるわ。
それでは、と小バカにしたように、うっすら笑みを浮かべながらわたくしは形だけの挨拶をする。
「お久しぶりでございます、タルカッタ侯爵様」
「久しくどころか、一生お前の顔など見たくもない」
いえいえ、でしたら無視して素通りなされば良かったのに。まったくもって面倒な方。
「まぁ、わたくしもですわ」
いっそう笑みを深め見返すと、タルカッタ侯爵はフンッと鼻を鳴らす。
「物好きな隣国の王子がお前を見初めたと聞いた。さっさと出て行けばいいものを」
「タルカッタ侯爵様も、早くお相手をお迎えになればよろしいのに」
「お前のおかげで、我が侯爵家は誹謗中傷の中へと巻き込まれたというのに。何年経っても変わらないものだな。」
実はタルカッタ侯爵家は、数年前まではなかなかの影響力のある貴族だった。だが今は、影響力をなくし、上位貴族でありながら肩身が狭い侯爵家。筆頭侯爵家といわれる、ハートミル侯爵家とは雲泥の差がある。
侯爵家とはいえ、醜聞のある家へはどうしても縁談が少なく、そんな家より爵位は下だが裕福な家、勢いのある家をと望まれるのが世の常。
つまり、自分の嫁がいないのを人のせいにしてもらっても困りますのよ。
文句があるなら、あなたの父親である前侯爵に言えばいい。言えるものならね、ふふふっ。
「まぁ、わたくしが変わる必要がありまして? それにお噂なら事実ですもの」
カチンときたのだろう。
もともと眉間に寄っていた皺が、ますます深く刻まれる。
まだ三十前だというのに、そんなに渋顔だとすぐに老けてしまいますよ。 いらないお世話でしょうけど。
「いい気になるな、小娘が。お前のような娘を持った親は、なんと哀れだろうな。まぁ、礼儀を知らないのはお前だけではなく、親もらしい。再三の謝罪要求に対し無視とは、ずいぶん当家を軽んじているようだな」
「まぁ、それはお互い様ではございませんか」
やんわりと言い返すと、タルカッタ侯爵の目が吊り上る。
「貴様っ!」
怒声あげるタルカッタ侯爵に、わたくしは真実を告げる。
「あなたのお父様が、十ニのわたくしに縁談を申し込んだのは事実ですのよ?」
今にも怒りで沸騰しそうだったタルカッタ侯爵が、グッと押し黙る。
それをいいことに、わたくしは少し顎を上げてあざ笑う。
「ご存知でしょう? あのまま結婚が成立しておりましたら、あなた様はわたくしの『息子』になっていたのですよ。妹のような年の女を母と呼べまして?」
ふふっと笑って様子を窺えば、タルカッタ侯爵の握りしめた両手がプルプルと震えている。
それを見てわたくしは笑みを消し、射抜くように目を細める。
「あなたは成人していたとはいえ庶子ですから、父親の愚行を止められなかったのも仕方がないことですね。でも、もしわたくしが本妻となっていたら、わたくしの子がタルカッタ侯爵家を継ぐことになっていたでしょう。少なくとも、当時後継ぎ候補にも指名されていなかったあなた様には、わたくし、感謝されてもいいと思いますけど」
ここまで言い切ると、タルカッタ侯爵は大きく顔を歪ませて歯を食いしばると、荒々しい足取りで立ち去った。
「ふふふっ」
タルカッタ侯爵の激高寸前の顔と、今まさに逃げ去った後ろ姿に、わたくしはつい笑いが漏れてしまう。
もし手を出されていたら、サイラス特製のこの扇で返り討ちにすることだって想定していた。扇の初陣ならず、残念。
ポカーンとしている護衛の二人はともかく、アシャン様は興味津々の目をわたくしに向けた。
「シャナリーゼ、今の」
「ふふっ、わたくしの昔の婚約者の息子さんですのよ。盛大に嫌われていますけど」
別にいいです。こっちも大っ嫌いですから。特に前侯爵なんて会いたくもない。生理的に無理!!
もし前侯爵に会ったら、たぶんわたくし震えてしまうわ。それほどあの前侯爵がわたくしに植え付けた嫌悪感は深くて大きい。
息子侯爵だからこそ「わたくしのおかげで侯爵になれたのよ」と、いう最終兵器の恩着せがましい言葉があるから大丈夫だけど。
まぁ、これで次回からは無視してもらえると思うわ。
今まで何度か会っても、一方的に言われっぱなしで、わたくしはずっと無視していただけだったけど。言うと案外スッキリするものね。
「実は言い返したのは、これが初めてですの」
「シャナリーゼが?」
意外だ、といわんばかりに驚くアシャン様。
わたくしは、少し微笑んでうなずく。
「今からお会いするマニエ様に、少し前に言われましたの。わたくしは過去にとらわれ過ぎだと。まぁ、あの人は本人ではありませんけど、今言えたことで、少しスッキリしました」
「そうか」
何やら考え出す、アシャン様。
あの息子侯爵も、父親からは蔑にされていたみたいだし、愛人である母はその地位にあるために忙しく、庶子の中で唯一の男児である息子を強みに思っていた。だがその息子が成人しても、前侯爵は後継ぎ指名どころか、家名さえ名乗らせなかった。
そう。彼がタルカッタ侯爵家の名を名乗ったのは、前侯爵がわたくしが巻き起こす誹謗中傷で精神を病んだから。
世渡り上手で愛人関係もうまくやっていた前侯爵にとって、わたくしは初めて思い通りにできない人間だったみたい。
そうよね。侯爵なんて上位貴族に逆らうなんて人、そうそういないわ。
醜聞まみれの本家の当主になろうという一族はおらず、責任のなすりつけ合いのように庶子である彼を持ち上げた。
まぁ、そんなこんなで前侯爵は療養するべく、庶子である彼を後継ぎへ指名しさっさと地方領地へ隠居。息子は一族の補佐を受け、一昨年ようやくタルカッタ侯爵家当主となった。
簡単に彼の経歴を思い出していると、アシャン様はもう見えなくなったタルカッタ侯爵の後ろ姿を探すように、じっと廊下を振り返っている。
「シャナリーゼ」
「はい」
「惜しいな」
「は?」
くるりと向き直ったアシャン様は、わくわくしたように目を輝かせていた。
「あれ、調教」
玄関のほうを指差すアシャン様。
……いえいえ、無理です。
今ならわかりますが、たとえあのまま逃げきれずにわたくしが結婚していたとしても、愛人かあの息子によって死ぬか、幽閉されるかしていたに違いない。
当時のわたくしは本当に子どもで、今のような、自分で打破するなんてことをしない、普通のお嬢様だったのですから。
……でも。
そう。もし今のわたくしなら――。
打って、踏んで、転がして、吊るしているかもしれない。
外面的には融通の利かないような年上の男を、縛って足元に転がす。
…………。
……ダメよ。それはマニエ様が喜ぶ嗜好だわ。
わたくしは妄想を途中でやめ、ぶんぶんと軽く首を左右に振る。
「わたくしは調教師ではありませんわ、アシャン様」
「あの男が好き?」
「勘違いも甚だしいですわっ!!」
一瞬アシャン様の身分を忘れ、わたくしは全力で否定する。
「アシャン様、わたくしはあの一族にはかかわりたくないのです! 一っ生!!」
「ふーん」
本当にわかっています!?
今すぐ肩を掴んで揺さぶりたいが、さすがにそれはダメだろう。
う~っ! と、どうしようもない気持ちをなんとか抑えていると、グイッと左の袖口をアシャン様が引っ張る。
「大丈夫。三の兄様……幼女趣味ない」
「「「!!」」」
いえいえ! 言われなくてもわかりますわよ!?
幼女趣味が少しでもあるなら、求婚相手は間違いなくわたくしではなく、ティナリアでしょうとも! 童顔美少女の『妖精姫』!
「嫁に来れば、アレもいない」
ニタリと笑ったアシャン様。
わたくしも護衛の二人も、目を丸くして固まってしまう。
……なぜかしら。
女性版サイラスが見えるっ!
緩んだ隙を突いて、押しが入る!
やっぱり王妃様かマディウス皇太子殿下からか、何か密命を受けていませんか? アシャン様。
「ぷっ……!」
堪えきれず、トキがかすかに吹き出すも、あわてて両手で口をふさぐ。
それをじろりと睨んで黙らせると、アシャン様の言動に戸惑う執事をせかせてマニエ様のもとへといそいだ。
読んでいただきありがとうございます。
担当様から「発売まで1か月切りましたね」と言われ、改めて実感したものです。下旬にはアリアンローズ様HPで詳細が告知されるそうなので、またその頃活動報告で何かかけるといいなと思っています。
【クロヨンの日記①】
黒い毛並みのおとーさん似のボクの名前は、前は『チビ②』で、今は『クロヨン』。
茶色い毛並みのおかーさんのおとーさん――つまり、おじーさんと同じ茶色と白のブチ模様のお兄ちゃんは、前は『チビ①』で、今は『プッチィ』。
行動派のプッチィは、いろんなことをする。
この間は木の実をしっぽで叩いて割ろうとして、失敗した挙句に大泣きしてた。
あと、しょっちゅう食べ過ぎてお腹をこわして、トイレとお友達になっている。――ちょっと砂っぽくなるから、あまり近寄らないで。
だから、同じ頻度でお風呂に連れて行かれる。
「ふみゃあああああああ!!」
「……」
連れて行かれる時のあの涙目は、できるだけ見ないようにしている。
そんなプッチィだけど、お水遊びは大好き。ボクも好き。
あの大きな水に突っ込まれるのは嫌だけど、小さな水たまりなら平気!
「今日は暑いから多めに入れてるけど、こぼさないでね」
シャナがボク達が入りそうなくらい大きな白くて丸い器に、いーっぱいお水を入れてくれた。
『おおぉ!』と、プッチィの目が輝く。
『だ、ダメだよ、プッチィ』と、言いながらも内心わくわくしてる、ボク。
――パタン。
『『…………』』
たっぷりのお水を前に、ボクとプッチィのしっぽがふさふさと揺れる。
揺れる。揺れる。――だんだん早く、大きくなる!
『遊ぼう!』
『だね!』
ついにボク達は誘惑の前に負けた。
ボク達は最初はお水を前足でちょいちょいとつついて、揺れる様子を見て楽しんでいただけだった。
ポチャポチャ……
パチャパチャ……
バシャバシャ、ビチャビチャ……
『そぉーれ!』
『あっ!』
楽しくなったプッチィが、両方の前足を大きく振り下ろした!
バッシャン!!
「みぃいい!?」
『…………』
とっさに横に逃げたボクの前で、プッチィは器をひっくり返し、盛大にお水をかぶってずぶぬれになってしまった。
「みぅっ!」
ブルブルと体を震わせて水切りをする、プッチィ。
『うわっ!飛ばさないでよ』
『だって濡れたんだもん!』
ぎゃあぎゃあ騒いでいたら、ガチャリと扉が開いて、白黒の『フク』を着たニンゲンが「まぁっ!」と驚いていた。
「ちょっと大きめの器でお水を用意すると、いつもこぼすのよねぇ。ウィコットって水浴びするのが好きなのかしら? シャーリーお嬢様に申し上げなくては……」
アン、とかいうニンゲンがボクをなで、続いてひょいっとプッチィを抱き上げる。
「クロヨンは大丈夫ね。では、プッチィ、いらっしゃい。本当にあなたってイタズラっ子ね」
「みぅううう! 『ボクだけじゃないよ!』」
抗議したプッチィだったが、アンにはわからない。
プッチィはボクを見たが、ボクはそっと目をそらした。
「みぃいいい! 『クロヨォーン!』」
『…………』
扉の向こうに消え、遠のくプッチィの声が切なく感じた。
……だからね、ご機嫌ナナメになったプッチィに、せめてものお詫びにとボクは自分の分のニンジンを分けてあげる。食べるふりして巣穴に隠しておく。ボクもお腹がすくから、ほんの少しだけ。
昼と夜にわけたら、プッチィの機嫌はすごく良くなった。
このくらいなら食べ過ぎなんてことにならない。
――そう思ってた。
翌朝、というか夜中から、プッチィはトイレの住獣と化した。
行動派で楽観的なプッチィだけど、胃腸はすごく繊細らしい。
「みうみぅうう『なんでなんで!? 全然食べ過ぎじゃないのにっ』」
『ボクもそう思うよ』
兄弟の中で一番体が大きくて、元気で食欲旺盛なのに胃腸が弱い。まぁ、すぐ回復するけど。
そして今日もプッチィはお風呂へと連れて行かれる。
ボクはそっと見ないふりをして、鳴(泣)くプッチィを送り出す……。




