勘違いなさらないでっ! 【32話】
ご無沙汰してます。月に三回の更新にもかかわらず、読んでいただき本当にありがとうございます。
H26.8.5 アンバーとトキの設定が入れ替わってました。訂正しました。
母は謎の笑みを浮かべたまま、なぜか上機嫌でテラスを去る。
その後ろ姿を見て、わたくしは寒気を感じて自分を抱きしめる。
「嫌だわ。なんだかものすごく、嫌な予感。今朝届いた王妃様からのお手紙に、何か書いてあったのかしら」
尋ねようにもあの調子じゃ母は教えてくれないだろうし、かといって父に今聞きに行くのは面倒が増えそう。
「あぁ、もう。やっぱりこういう時は癒しよね」
癒しといえばプッチィとクロヨン。
今朝はお兄様のせいで(きっとそうよ。だって他家の番犬にも恐れられているもの)、まったく触れ合いができなかったのですもの。
そうと決まれば、とわたくしはくるりと上機嫌に反転すると、庭師から人参の入った籠を受け取る。
もちろんシーゼットは放置。
うちの庭師ったら気がいいからすぐ助けちゃうのよね。だからティナリアに懸想しているって言ったら、ちょっと真顔になってうなずいてくれた。
ふふふ。うちの妖精姫に手を出そうものなら、家族どころか家人全員敵に回すことになるのよ。覚悟はできているでしょうね……。
「あのぉ、俺達は……」
遠慮がちに話しかけてきたのは、トキ。
「あら、まだいたの」
「ひでぇ、シャナリーゼ様」
どんどん話し方が馴れ馴れしくなるアンバーだが、媚びるようなものがないせいか、わたくしは特に気にならない。
「あなた達は仕事に戻るといいわ。アシャン様がいるお部屋もこの近くのようだし。この辺りにでも立って、いつものように適当にしてればいいわよ」
「いやいやいや! いつも適当にはしてませんって!」
アンバーはぶんぶん手を振り否定し、トキも一生懸命うなずく。
えー、それは無理な言い訳だわ。げんにあなた達さっきサボっていたじゃない。
胡散臭い目で二人を見ていると、アンバーがうっと喉に何か詰まったかのように黙り込み、目をそらす。
「そ、そーだ!」
焦ったように顔を上げると、アンバーは指を一本立てて作った笑みを貼りつける。
「あの、さっきシーゼットさんが、ティナリアお嬢様に贈り物をしていたでしょう?」
「そういえばしていたわね。っというか、どこで手に入れたのかしら。だいたいうちに来てから半日よ?どこかで抜け出したというの? 今我が家は人の出入りを制限しているっていうのに」
そう。我が家は今、アシャン様の秘密の滞在につき大げさな警護はできないので、出入りする人のチェックを厳しくしている。特に夜間は緊急の用件以外は閉鎖となっているはず。
門番は表、裏とも男性のはずだから、シーゼットが惑わすことなんてできないはずだけど……というか、あの程度で惑わすとか片腹痛いわ!
「実はですね、シーゼットさんのあの贈り物。アレはイズーリから持参したものなんですよ。本人いわく『いつ、どこで運命の出会いがあるかわからない。だから、いつでも迎える準備をあるのさ』だそうです」
「バッカじゃないの」
気が付いたら口に出ていた。
アンバーもトキもわたくしと同じ意見のようで、二人とも苦笑している。
「でもまさか、護衛の任務だっていうのに持参しているのは驚きましたけどねぇ」
「『運命の出会い』と言っても、月にニ、三回あるらしいですよ」
「マジか!?」
トキの情報はアンバーも知らなかったらしい。いや、そんな情報知らなくていい。
つまり、月にニ、三回ある『運命の出会い』の一つにティナリアは数えられるというのね。
……うちのティナリアに出会ったことが、そんじょそこらに転がっている程度の『運命の出会い』と同等だというの!?
籠を持つ手が怒りでプルプルと震える。
自慢じゃないけど、うちのティナリアはめったに夜会に行かない。行けば男性どころか、先に女性に囲まれてちやほやされる人気者。そう、ティナリアは本気で女性陣からかわいがられている。
もし邪な気持ちで近づこうものなら、ティナリアの周りを取り囲む女性陣に敵認定される。だから声をかけたいという男性は、遠巻きに高嶺の花としてティナリアを見つめるだけだというのに。
会って半日で愛の告白とはどういうことかしらっ!
そういえば、サイラスも突然の求婚の申し込みだったわね。イズーリの男って段階とかそういうことを踏めないの!?
「お嬢様」
イライラしているわたくしに、庭師がそっと声をかける。
そしてシーゼットを黙って指差す。
「人目がありますので、馬小屋に。あの人参も馬にやりましょう」
わたくしの怒りをわかってくれたらしい、庭師の提案にうなずく。
「お願いね」
「もちろんですとも」
いい笑顔だわ、庭師。
馬に蹴られてしまえっ!
刺又を持った庭師が、のっしのっしとシーゼットに近づいていく。
それを不安そうに黙って見ているアンバーとトキを見て、わたくしはわざと大きくため息をつく。
ハッとしてこちらを向いた二人に、わたくしは目を細める。
「シーゼットの件で誤魔化したなんて思わないでね。さっさと仕事しないと、あなた達もどうなるかわからなくてよ? ……ハゲたい?」
「「い、いいえっ!」」
ビシッと姿勢を正して直立した二人をその場に残し、わたくしは今度こそ癒しを求めてお屋敷の中へと戻った。
勘違いなさらないでね。うちの馬、頭髪なんて食べませんわ。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
さぁ、来たわよ。
プッチィとクロヨンのいる部屋の前に立ち、わたくしは人参の入った籠を抱きしめる。
いつも通りノックをして(いきなり入ると驚くの。サイラスのお屋敷ではノックが合図だったみたいね)、ゆっくり扉を開ける。
いつもならここで名前を呼ぶのだけど、今日は我慢。
パタンと扉を閉めて部屋を見渡すと、もの陰には隠れず少し離れたところからじぃっとわたくしを見ている二匹の姿があった。
「ご飯よ、プッチィ、クロヨン」
できるだけ優しく言いながら、ニ、三歩近づく。
気弱なクロヨンがプッチィの後ろに隠れるように身を小さくしたが、プッチィはじっとわたくしを見ている。
あんまり警戒はされてないみたいね。
わたくしはその場にしゃがみ込み、床に置いた籠から人参を取り出して二匹に見せる。
ぴこっと耳を立てて反応したのはプッチィ。そのままクロヨンを置いてわたくしにゆっくり近づいてきた。
あと少し、というところで立ち止まり、プッチィは後ろ足で立ち上がりわたくしをじっと見上げてひくひくと鼻を動かし様子をうかがう。
「どうしたの? 食べないの?」
「みぅ」
一声鳴いて、プッチィは一気に駆け寄り人参に噛りつく。
それを見てクロヨンも急いで走ってきて、プッチィの人参を食べようとするが、プッチィはわざと体を回してそれを邪魔する。
「クロヨンはこっち」
籠から別の人参を取り、クロヨンに見せると、大きなしっぽを振りながら噛りつく。
ガジガジ、ゴリゴリと見た目に合わない音がするが、食べている姿を見るだけで心がほっこりする。
夢中になってわたくしにお尻を向けて食べているプッチィに、そっと手を伸ばしてみるがどうやら気が付かないらしい。そのまま丸めてた背中を触らせてもらう。
ふわっとした毛並みがサラサラと指の間を通り、温かい体温も感じる。
幸せだわ~!
プッチィを撫でつつ、クロヨンにも手を伸ばす。
クロヨンは頭をわたくしに向けていたけど、手を伸ばしても見向きもしない。
人参は各自一本。
自分の分を先に食べ終えたプッチィは、籠の中にまだ人参が残っているのに気が付いたのか、鼻をひくひくさせて籠へ近づく。
「ダメ。お腹こわすわよ」
籠を持ち上げ、わたくしは部屋にある数少ない家具であるテーブルの上に置く。
最初はこのテーブルも排除しようかと思ったのだけど、二匹がテーブルの下やテーブルの足を挟んで追いかけっこをしたりしていたので、まぁいいかとそのままにしている。ただの何もない部屋じゃ、二匹ともつまらなそうだし。
部屋の隅にはボロボロの犬のヌイグルミが転がっている。主にプッチィが噛みついて振り回すのだが、数日でダメにしてしまう。元気がいいのは良いことなんだけど。
スカートに縋りついてくるプッチィを、そっと抱き上げる
「みぅ」
かわいく鳴いて、おとなしく抱かれるプッチィ。
ほらね! やっぱり朝の警戒はお兄様が原因なんだわ!
気をよくしたわたくしは、プッチィを抱いたまま棚に置いてあるブラシを手に取る。
途中食べ終えて後ろをついて来ていたクロヨンも抱き上げ、やはりこの子達の遊び道具となっている一人掛けの椅子に座る。
膝の上で目を輝かせて見上げてくる二匹に、丁寧にブラシをかけていく。
「だいぶ抜けなくなったわね。ずいぶんフサフサしてきたし」
これが冬毛、というものなのかしら。サイラスの持ってきていた飼育書には、冬毛に生え変わると毛が伸びてくると書いてあった。つまりもっとフサフサになるということ。
「毛玉ができないように念入りにしないとね」
「みぃうう」
「みぃ~、くぁ」
クロヨンがあくびをして、目をとろんとさせている。
「あら、寝るのね」
わたくしは立ち上がって、大きな丸いクッションの真ん中に穴をあけたような巣穴に二匹を連れて行く。
クロヨンはおぼつかない足取りで巣穴に潜り込むと、そのまま猫のように体を丸めて眠りについた。
一方プッチィは、お腹いっぱいのはずだが、目は爛々としておりとても眠りそうにはない。
今も目はわたくしに向けられており、何かしてくれといわんばかりに輝いている。
「そぉねぇ。ここで遊んだら、クロヨンが寝れないだろうし」
仕方ない、とわたくしはプッチィを抱き上げてブラシを手に取り、棚に戻す。同じ棚の別の籠から、散歩用の茶色の胴輪と紐を取り出す。
それを見て、プッチィは大きなしっぽをブンブンと勢いよく振る。
「さ、お散歩に行きましょうね」
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
イズーリでは珍獣と言われ、保護対象の希少動物のウィコット。お屋敷は高い塀に囲まれているとはいっても、いなくなってしまったらどうなるかわからない。
……たぶん、プッチィは人参畑で捕まりそう。
クロヨンは怖がりだから、物陰に隠れて出てこないかもしれない。
一階の、先ほどシーゼットを懲らしめたテラスに面した部屋にくると、プッチィに胴輪をつける。
部屋に常備されている散策用の日傘を手に取り、左手に長めの紐を巻きつけて窓を開けると、プッチィは元気よくテラスへと出た。
すっかり涼しくなり、庭の木々も紅葉し始めている。
短い手足のプッチィに合わせて、わたくしはゆっくりと庭を進む。
プッチィは風に舞う落ち葉にじゃれついたり、芝生の匂いをかいだりと一時も落ち着いていない。
「シャーリーお嬢様ぁ!」
ふと後ろからアンの声がしたので、立ち止まったまま振り返る。
アンは大事そうに白く細長い箱を抱き、小走りに駆け寄ってきた。
プッチィは何事かと後ろ足で立ち上がるが、またすぐ風に舞う葉っぱに気を取られ遊びだす。
「どうしたの、アン」
と、聞くがわたくしはアンが持っている箱が気になる。
「お届け物なのですが、まずはこちらを」
そう言って差し出したのは、箱ではなく、先ほどは見えなかったが一緒に持っていたらしい二通の封筒。
「お嬢様が気にされていた、シェナックス孤児院と、フェリム孤児院からのお手紙です」
わたくしはプッチィの紐をアンに預け、代わりに手紙を受け取ってその場で開封した。
内容を確認し、わたくしはホッと安堵する。
「お嬢様?」
どうでしたか、とアンがわたくしを見る。
「大丈夫。花火の件、喜んでお受けするとあるわ」
「まぁ! ようございました」
「あまりに返事が早いから、ダメかと思っていたけど。ついつい忘れそうだけど、やっぱりライアン様は皇太子殿下ということね」
実は、花火を譲ったあの日、ライアン様に追加でお願いしたことがある。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
『アセドの町で上げたいだと?』
『はい』
『アセド……あぁ、お前が支援しているシェナックス孤児院がある町か』
王都の西は総じてのどかな場所が多い。アセドの町はそんな王都の西の端っこ。王都と並ぶ侯爵領の境の小さな町。
ライアン様はわたくしがその孤児院を支援していることを知っているので、特に驚いた様子はなかった。だが、セイド様は目を丸くしている。
『王都で一介の伯爵家がどうこうできる権限は限られております。ライアン様の直筆のお手紙があれば、アセドの町も喜んで受け入れてくれると思うのですが』
うーん、とライアン様は腕を組む。
その様子を見ながら、レインがそっとわたくしに話しかける。
『シャーリーってば、そんなことしてたの? いつから?』
わたくしはセイド様の手前、あまり言いたくはなかったが、どうせいつかはバレることだと簡潔に言うことにした。
『もう三年になるわ』
『まぁ! あのね、今、孤児院の慰問はセイド様のお義母様がなさっているのだけど、今度ご一緒することになっているの。どうしたらいいかしら?』
高位貴族は暗黙の義務として、孤児院やその他の施設を慰問することが多い。
ハートミル侯爵家も例にもれず、支援する孤児院へ慰問しているのは知っている。
貴族の慰問は家人を連れ、品物も家人が渡す。貴族たちはそれを笑顔で見守ることが第一。経営やその他のことなどは世間話程度に会話し、決して深入りしないこと。昔からこれが正しいとされている。ただ、今は売名行為ではなく、慈悲を持って接する貴族が多いと言われてはいるけど……。
それが悪いわけではないけど、わたくしがやっていることをレインがすることはない。
『そうね。あなたはハートミル侯爵家の代表として慰問するのだから、その笑顔のまま挨拶するといいと思うわ』
『シャーリーもそうしてるの?』
『いいえ。でもそれが正しい貴婦人の慰問だわ』
レインは戸惑ったように口をつぐむ。
だってハートミル侯爵家の次期女主人が、畑を耕したりできるわけないじゃない。一緒に畑の虫で騒いだり、栽培や収穫、芋を剥いて料理したりできるわけがない。それはレイン個人としてじゃなく、ハートミル侯爵家という家柄が許さないということ。
だから……。
『でも、子ども達に本を読んであげてはどうかしら』
『本?』
『子ども達にとって本は貴重品。字を読めない子も多いわ。だから心を込めて本を読むの』
本、と呟いたレインは、次の瞬間パッと目を輝かせた。
『わたくし、本を読むわ! 楽しいお話ならわたくしも小さなころ大好きだったもの』
『ハートミル侯爵家代表として、下手な朗読はダメよ。下手かどうかなんて子どもはすぐわかるわ』
『もちろんよ! 帰宅したら、さっそく本を選んで練習するわ』
俄然張り切り出したレイン。
もしかしたら余計なお世話だったのかもしれない、とセイド様の様子をうかがうため顔を前に戻す。
と、そこには穏やかな笑みで、小さくうなずくセイド様がいた。
不覚にもドキッとしてしまうほど、美しい笑み。
『ありがとう、シャナリーゼ。レインはずっと慰問について悩んでいた』
初めて穏やかに話しかけられ、わたくしは急に居心地が悪くなる。
『勘違いですわよ、セイド様。別にレインのためじゃありません。下手な朗読を子ども達が聞かされないよう、レインには注意しただけですわ』
『……本当に素直じゃないな』
『まぁまぁ、いいじゃないか』
呆れるセイド様を手で制し、ライアン様がわたくしを見る。
『アセドの町についてはわたしが書簡を出そう。あくまで打診だ』
『皇太子殿下の打診を断る町長なんておりませんわ』
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
もし断られたら、どれだけ威厳がないんですか? とライアン様を罵り倒すところだったけど、それはしなくていいみたい。
ふふふっと笑うわたくしに、アンは咎めるように目を細める。
「お嬢様。そういう不謹慎な言葉は慎まれてください」
「あら、いつものことじゃない」
「だからです! 他人が聞いたら、また噂されてしまいますわ」
そうね。貴族に疎まれるのは慣れているけど。国民の支持率が高い王家に疎まれているなんて噂が広まったら、わたくしの静かに暮らすという生活基盤そのものが崩れそう。しかもわたくしが支援する孤児院がバレたら、みんなにも迷惑をかけるかも。面倒ね。
「気を付けるわ」
なんの反省も見せないわたくしに、アンはがっくりと肩を落とす。
「ところで、その箱はなに?」
「あ、そうでした」
アンは抱いていた箱を両手に持つと、わたくしへと差し出した。
リボンも包装もされていない白い長方形の箱。もちろんメッセージカードもない。
「サイラス様からお嬢様への贈り物ですわ」
その言葉に眉間に皺をよせ、わたくしは箱を睨む。
「……届いたのはこれだけ? カードもないの?」
「えぇ、これだけでございます。 先ほど使いの方がお持ちになり、お城へ行かなくてはならないとすぐに出ていかれました。わたしは旦那様からお嬢様をお探しして渡すようにと言われただけです」
「そう」
箱を受け取ると、静かに蓋を開けてみた。
白いふんわりとした紙が中身を覆っており、蓋を箱の下に重ねて紙を開いてみる。
「扇、だわ」
中に真綿に包まれておさまっていたのは、銀色の骨組みをした扇。銀色の骨組みには黒と青の小粒の宝石が散らされ、持ち手にはひときわ輝く赤いガーネットのような宝石が一つ。そして持ち手の先にはふんわりとした、白い毛がぶら下がっている。
指でその毛に触ってみる。たぶん、この毛はウィコットだと思う。プッチィの毛触りと良く似ているもの。
扇を取り出すと、アンが箱を持ってくれた。
持ってみると意外に重さがある。
「妙に重みがあるわね」
大粒の宝石をごつごつと付けているわけでもないのに、どうしてかしらと思いつつ扇を広げてみた。
白いレースに小さな色とりどりの花と蔓草が刺繍されている、サイラスが選ぶにしてはずいぶんかわいらしいもの。
全体を見ても、特に変わったものはない。
「キレイな扇ですね」
素直に褒めるアン。
「そうねぇ」
まだ疑っているわたくし。
何度か裏表とひっくり返すが、やはり何もない。
考え過ぎね、と一度扇を閉じる。
「あら?」
その違和感は、閉じた扇の持ち手の部分にある赤い宝石に触れた時に感じた。
「どうなさいました?」
「いえね、ちょっと」
わたくしは右手の親指で、その赤い宝石をなぞるように押してみる。
カチ。
赤い宝石がわずかに引っ込む。
「……まさか」
わたくしは赤い宝石を押したまま、左手で扇のレースの部分を持って引っ張る。
シャキッとわずかな金属音をたて、扇の持ち手となる銀の骨組みが約二倍に伸びた。
あっけにとられたアンは、口を半開きにしたまま扇を凝視する。
ほらね! やっぱり普通の贈り物じゃないわっ!
「たまには普通の贈り物がないのかしらねぇ」
呆れたわたくしは、大き過ぎる扇をわざと広げてみる。
うん、不恰好。レース部分はそのままで、骨組みだけ妙に長くてとても扇としては使えないわ。
元に戻すために扇を畳む。
まったく、なんでこんな珍妙な扇なんて寄越したのかしら。まるで使い方がないじゃない。
……使い方?
わたくしは引っかかった自分の言葉を信じて、畳んで伸ばしたままの扇を右手に持ち、軽く左手にポンポンと打ってみる。
ポンポンと打ったつもりが、バシバシとでもいうか、正直重いし硬い。
ふと目に付いたのは、足元でプッチィが転がして遊んでいる木の実。
「それちょうだい、プッチィ」
ひょいっとつまみあげると、プッチィは目で追ったものの、何をするのかと興味津々で近づいてきた。
わたくしはしゃがみ込み、木の実を石畳の上に置く。
そして扇を一振りして木の実へ振り下ろした。
ベキッ!
……割れた。
間近で見たプッチィは、目を皿のように見開いて毛を逆立てたまま固まっている。
アンもまた驚いたまま口を開く。
「お、お嬢様……」
「どうやらあの靴と同じようね」
扇を元の大きさに戻し、立ち上がる。
おそらく鋼鉄入りの扇。
ヒールといい、この扇といい、あの人はわたくしを一体どうしたいのかしら!?
硬い木の実は粉々だが、扇にはもちろん傷はない。
大きく振り下ろすと、ブンッと風を切る音がする。
「だ、打撃用でしょうか……。もちろん護身用の」
「それってもう武器じゃないの?」
アンもそう思っていたらしく、苦笑して誤魔化す。
それにしても貴婦人の武器と言えば、話術にドレスと相場が決まっているのに、本当に武器を贈ってくるなんて……。
それとも何? わたくしに話術がないとでもいうの?
確かにレイン程の類まれな話術は持っていないけど、悪女とならしたわたくしですわ。それ相応の話術は持っております!
それとも何? わたくしが最終的には暴力で相手を押さえつけるとでも思っているの!?
失礼ね。だいたい暴力を振るってくるのは相手が先。わたくしは防衛しただけですわ!
「あ、お嬢様! 箱の隅にカードがありました!」
「見せて」
アンから受け取ったカードには、本当にたった一言。
【 使いこなせ 】
……。
本気であの人、何を考えてるのかしら。
サイラス、あなたわたくしを強化してどうするの?
いろいろ思うことはあるが、まずは決めたわ。
わたくしは扇を元の大きさに戻す。
そしてギュッと握りしめる。
「いいわよ、サイラス。次会ったら、必ずこの扇で成敗して差し上げるわ。ふふふっ」
その瞬間を思って、低く笑い続ける。
そんなわたくしを足元で間近に見たプッチィが、少しずつにじりにじりと離れて行ったのは言うまでもない。
きぃっ! せっかくプッチィと楽しんでいましたのにっ!!
おのれ、サイラス! 異国にいてまでわたくしの邪魔をしないでちょうだいっ!!
【プッチィの日記 1 】
いやー怖かった。 あのニンゲンの男、前に見たことあるような気がするんだけど、なんか怖かった。
後からこの『ヘヤ』に入ってきた女のニンゲンは覚えていたよ。
えーっと……名前……。
『シャーなんとか』
『そう! シャーなんとか』
弟のクロヨンは物覚えがいいな! ボクも頑張ろう。
『ボク達の名前つけてくれたヒトだよ。久しぶりだったけど、あの怖いニンゲンが、なんか睨むから余計怖かった』
『お前が怖がるからボクも唸ったけど、あれって前にシャー……えーっと、そう! シャナだよ。長いから短くしたシャナ! あのヒトのカゾクだった気がする』
すごいよ、ボク。クロヨンより先に思い出した!
ボクの言葉を聞いて、クロヨンも目を丸くする。
『あー! あのニンジンたくさんくれるニンゲンの?』
『そうそう。 あのニンゲンだけくれるよね。お腹痛くなるけど』
『プッチィは食べ過ぎ』
……そうだね。夜中にトイレから出られなくて、朝になってシャナが大騒ぎするのは、だいたいボクのせい。
『でも良かったね』
どこかホッとしたように言う、クロヨン。
『なにが?』
『おうちは変わってないけど、またどこかに貰われたのかと思ったよ』
『あー、そうだね。でも大丈夫じゃないの? だってここに来た時だって、おとーさんとおかーさんに言われたじゃん』
そしてボク達はお互いのおでこを合わせる。
『『いい子にしてればまた会える』』
前のご主人様もそう言ってたよねぇ。……名前忘れたけど。
すぐまた会えるからって、そう言ってた。
でもねぇ。ニンジンは美味しいし、ブラシに遊びに満足してるし、意外にこのままでもいいかもしれない。怒られないし。
『クロヨン遊ぼー!』
『何する?』
『しっぽバシバシ!』
これはお互いのしっぽをバシバシする遊び。前いたとこでもニンゲンがやってたよ。
ニンゲンはしっぽがないから、棒でやってたけど。なかなかおもしろい。
『いっくぞー!』
『いいよー』
……これするとさ、ニンゲンが「毛が……」と落ち込むくらいに落ちるんだよね。 ごめんね!




