勘違いなさらないでっ! 【25話】
こんにちは。今回ちょっと長め。やっと帰国ですよw
ガチャガチャガチャ…………
工具を持つ手にも汗が滲み、何度も床に叩きつけたくなる。
『あせっていはいけませんよ』と、優しいおじいさんにしか見えない凄腕鍵師が何度も言っていたわね、と思い出しては目を閉じ深呼吸して気持ちを抑えていた。
なのに。
「無理だ」
あっさり諦めたサイラスは少しだけ車椅子を後退させると、両手をのばして背伸びをした。
「やっぱりうちの鍵は開かないな!」
はははっと笑う。
「何諦めてますの。開かないと困りますわ」
目を細めて睨むと、サイラスも真顔で首を横に振った。
「いやいや、困るのはこっちだ。確かな腕と知識を持つ専門の鍵師ならともかく、伯爵令嬢に開錠される鍵を使っているなどとんでもない話だ」
確かにそれは言えますわね。
わたくしも手に持った工具を見てため息をついた。
「諦めたか?」
「他の手を考えますわ」
ふと目をとめたのは丸い窓。そして隣の花火を見た大きめの窓。
「あの窓からは出られないぞ。外壁に凹凸がないようにしてあるし、この部屋の上下にはバルコニーが一切ない。紐か何かで下に下りても、夜は訓練された大型犬がウロウロしているからな。無駄に騒ぎが大きくなるぞ」
「それは面倒ですわね。隠し扉なんてありませんの?」
「ないな。ここは療養室だからな」
その物言いからすると他の部屋にはあるようね。
でも、今はそんなこと聞いている暇はない。
サイラスは少し声量を落とした。
「護衛達はそこで待機しているだろう。普通に考えるといくら何でもここまで無視はしない。だが実行しているところを見ると、どうやら母上か侍女が側にいるんだろうな。エージュもライアンも足止めを食らっているんだろうし」
「側にいる、ですか」
わたくしは扉をじっと見ながら考えた。
王妃様とお会いしたのは、短い時間ながら結構濃い時間であったと思う。
もう1度これまでのことを、わたくしはじっくり思い出していた。
「そうですわ」
多分、そうだと思う。
1人納得したわたくしは、サイラスに近づくとこっそりと耳打ちした。
「とにかく反論しないで黙っていて下さいな」
「……何をする気だ」
訝しげに眉を寄せたサイラスに、わたくしは背を正しながら微笑んだ。
それからわたくしは目を閉じ、恥じらいを捨てて叫んだ。
「きゃああああ! やめて、痛いっ! お願いっ!!」
ややサイラスの顔がひきつったが、とりあえず黙っていてくれるようなので、わたくしはそのまま続けることにした。
「何でそんなひどいことするんですのっ!? やめてっ! お願いっ!!」
と、そこで扉が勢い良く開かれた。
「シャーリーちゃん!?」
焦って飛び込んできたのは、やっぱり王妃様だった。
いらっしゃいませ、王妃様。
「……あら?」
目が点になる王妃様。そして開け放たれた扉の外で構えている侍女と護衛騎士がそれぞれ2人、こちらも負けず劣らず目が点になっていた。
うんざりした顔をしたサイラスの側で、わたくしは悠然と勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、王妃様」
ハッとした王妃様は、まるでギギギッと音が鳴るくらいゆっくりと顔を上げた。
「……う、そ?」
「嘘ですわ、王妃様」
ニッコリと微笑むと、王妃様は拳を握り締めて体をこわばらせた。
「何で嘘なんてつくのっ! 心配したんだからっ!!」
「わたくしの演技もなかなかのようですわね」
「褒めてませんよっ! 息子の性癖疑ってしまったわっ!!」
「閉じ込めたりするからですわ」
この言葉に、さすがの王妃様も声を詰まらせ目をそらした。
だがそらした先にいたサイラスにも咎めるように見られ、王妃様は再度そっぽを向いた。
「母上、あなたが何かするたびに悪い方向へ向かっている気がします」
「なんですってぇ!?」
王妃様はショックを受けたらしく、しばらく硬直すると拳を握り締めてプルプルと震えだした。
そしてわたくしにビシッと人差し指を突きつけた。
「勘違いしないでね、シャーリーちゃん! わたくしは息子に負けたのです!!」
そのまま競歩のような速さで王妃様は去って行った。
もちろんその後には侍女もあわてて付いて行き、わたくしと目が合った護衛騎士2人は静かに扉を閉めた。
あなた達、もうちょっとだけお待ちなさいね。ふふふっ。
「……寝る」
サイラスは肘宛に肘をついて頭を抱えてつぶやいた。
「息子の一言がやっぱり1番効くみたいね」
「一時的なもんだ。30分もしないうちに立ち直るさ」
ふふっと笑いながら、わたくしはため息をつくサイラスの車椅子を押した。
寝台の横につけると、あとは自分で移った。
車椅子をもっと寝台に寄せて留めると、寝台に腰掛けたままのサイラスに「シャーリー」と呼ばれた。
「はい?」
その場で向き合うと、以外に近くて少し迷ったがそのまま立って座るサイラスを見下ろした。
「何です?」
「これでチャラにしてやる」
そう言うと、サイラスが左手をわたくしの腰に回して引き寄せた。
倒れるようなことはなかったが、胸の辺りにはサイラスの頭があり、腹部には顔をくっつけているようで温かい体温が感じられた。
ちょっと前なら叩き倒しているところですが、まぁ先程いらぬ疑惑をばら撒いてしまったので我慢しますわ。
別に鳥肌がたったり悪寒が走ったりしませんし、ただちょっと自分の心拍の音がうるさい気がしますけど……。
しばらく黙ってお互いそのままの姿勢でいた。
その沈黙に耐え切れなくなったのはわたくしだった。
「サイラス、そろそろ寝ないと傷に良くないわ」
少し砕けた言い方で軽く頭を撫でた。
ガチャ。
と、ここで再び扉が開かれた。
ノック無しで書類を手に戻ってきたエージュは、別に驚きもせずわたくし達を見ていた。
ちなみにこの時のわたくしの顔は、きっと先程の王妃様のように目を丸くしていたと思う。
サイラスもわずかに顔を動かしたので、きっとエージュを見ていたのだろう。
「お邪魔でしたね。失礼します」
あっさりとした口調で頭を下げると、硬直したままのわたくし達を残して退出した。
パタン、と扉が閉まる音でわたくしはハッと我に返る。
「おっ、お待ちなさい!」
「いてっ!」
ベリッ引き剥がすようにサイラスを放り出すと、わたくしは形の崩れたチョコレートの箱を手に持って駆け出した。
「しゃ、シャーリー!?」
「ごめんなさいね、サイラス。ではおやすみなさい!」
「……チッ」
舌打ちしたサイラスは放って、わたくしは急いで部屋の外へ飛び出した。
左右の廊下を見渡すも、エージュの姿はどこにもない。大方その辺りの空き部屋にでも潜んでいるのだろう。
だとしても、いくらなんでも部屋を次々確かめていくということはできない。一応わたくしはお客様なのだから。
エージュのことだから言いふらしたりはしないでしょうけど、弱みを握られたようでモヤモヤするわ。 いつか絶対弱みを握ってやるっ!
よしっと決意したわたくしは、何事かと様子を伺っている護衛騎士の方を、何事もなかったかのように向いた。
「さっきは……」
よくも閉じ込めてくれたわね、と小言を言いたかったけど、ここはグッと飲み込んで幾分口調を柔らかくしてみた。
「王妃様がお願いなさったみたいね。お仕事とはいえ大変だったわね。それでこれをあなた方にお渡ししたいのだけど」
肘を曲げ両手で差し出したのは、箱の形が崩れたあのチョコレート。
護衛騎士の2人は黙って目線で会話した。
そして動いたのは右の騎士だった。
「申しわけございません。我々はお受けするにはいかないのです」
そうでしょうとも。もちろん知っているわ。
でも引き下がりませんわよ。
「大丈夫。サイラス様からの労いですわ」
ここで”天使”を発動。少し首をコテンと傾けてみた。
「しかし……」
頑張る騎士に、わたくしは少し泣きそうな顔をして上目遣いに1歩近づいた。
うっと僅かに表情が歪む騎士達を見て、わたくしはそっと目線を下げた。
「……そうね、受け取っていただけないわよね」
しょんぼりと肩を落としたわたくしを見て、右の騎士が思わず左の騎士を見てまた目線で会話すると、少しだけ腰を折った。
「あの、今回は特別に頂きたいと……」
「まぁ、嬉しいわ!」
最後まで言わせずパッと顔を上げると、そのまま肘をのばしてグイッと箱を押し付けた。
「では失礼しますわ」
何も言わせずその場を立ち去る。
騎士達は箱とわたくしを交互に見て、やはり少し困っているようだった。
まぁ、困るのはこの後ですわ。
ふふっと気づかれないように笑みをこぼす。
外見はきれいなプリーモのチョコレートの箱だったが、あきらかに開けた後のあるものだった。しかもサイラスと押し問答をしている時に気がついたが、なんだか箱の表面がゴツゴツしていて、箱の蓋が少し左右高さがずれていた。
ようするに持ってきた御令嬢とやらが、何かしているに違いないものだった。
中身は知らないが、どうかわたくしの気をスッキリさせるくらいのものであって欲しい。
もう1度ふふっと心の中で笑い、とある部屋の前を通り過ぎようとした時、なぜかその部屋の扉がかすかに動いた。
わたくしはピタリと足を止め、まだサイラスのいる部屋から遠くないその部屋の扉を睨みつけた。
エージュ、あなた見てたわねっ!
もういいわ、あなたのサラサラの黒髪が一刻も早く薄くなるように呪ってあげるわっ!
成就まで待っていられないからライルラドに帰って、速攻で育毛剤を送りつけてやるっ! 育毛剤を見て精神的にショックを受けるといいわっ!
最後にもう1度睨むと、わたくしはそのままイライラした気持ちで部屋に戻った。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
「おかえりなさいませ」
ずっとわたくし専属についてくれていた十代半ばのメイドが待っており、頭を下げた。
「休んで良かったのに」
「いつも早めに下がらせて頂いておりますので、最後となる今夜はぜひお手伝いさせていただきたいのです」
確かに今日の晩餐のドレスは少し脱ぐのに手間がかかる。
「じゃあ、お願いするわ」
「はい。あとお湯の準備も整っております。明日は御帰国ということですので、どうぞごゆっくりお過ごし下さい」
簡単に化粧を落とし手早く髪をほどいてもらい、宝飾品を外すとようやくホッとした。
このまま眠りたいけど、明日からの帰路を考えると贅沢なお湯にゆっくり浸るのも悪くないわ、とわたくしはドレスを脱いで浴室に向かった。
来た時はレインがひどく酔ってしまったので、明日の帰路はきっとペースを落とすだろう。
護衛の関係でライアン皇太子殿下とセイド様だけ先に帰るということはできないし、来る時もお忍びでということで最少人数で来ているからイズーリ国から護衛をお願いすることもできない。
メイドに渡された香油を浴槽の中に垂らしてみる。
温められた香油が、ふんわりと新緑のような香りを漂わせた。
「これ、いいわね」
イライラがスーッと治まるような気がする。
まぁ、もちろんエージュへの恨みが消えたわけではないので、育毛剤送りつけは確定。
すっかりお湯を堪能して浴室を出ると、後片づけを終えたメイドが立っていた。
「あなたにもずいぶん良くしてもらったわ。今日の香油は珍しいわね」
長椅子に座り、メイドが差し出したレモン水を飲む。
長湯した体には丁度いい冷たさだ。
「あ、その……王妃様から頂きました」
「王妃様から!?」
なぜ今頃言うの、と咎めるように目を細めると、メイドは泣きそうなほど縮こまった。
「あの、申し訳ありません! 侍女様方から口止めされておりまして」
「それをわたくしに言うの?」
「も、申し訳ありませんっ!」
メイドは勢い良く頭を下げた。
口止めされているにもかかわらずわたくしに言うのは、厳密に言えば命令違反だ。でもわたくしとしては教えてもらって良かったと思う。
「頭を上げて。別に怒らないわ」
そぉっと顔を上げたメイドに、わたくしは香油の瓶を見せた。
「その代わりこの香油はわたくしが気に入って持って帰ったと伝えて。それから甘い香りよりスッキリした香りが好きで、でも林檎の香りだけは別。それからシナモンティーは美味しかったと伝えてちょうだい」
ポカンとしているメイドに復唱させ、わたくしは最後に忠告した。
「今回はわたくしのためにはありがたい情報だったけど、どっち側に付くかは明確にしておかないと面倒ごとに巻き込まれるわよ? あなたは王城のメイドなのだから、何があっても王族の命に逆らってはダメよ。自分の身は自分で守らなくては。どっちつかずな態度を見せると、その隙をつかれて利用されてしまうわ。わかった?」
「は、はいっ!」
すっかり恐縮しているメイドに、わたくしはプリーモで買っておいた小さなクッキーの小袋を突きつけた。
目をパチクリさせるメイドに、わたくしはちょっと目線をそらして言った。
「まぁ、こういう甘い誘惑に引っかからないようにってことですわ。目の前のお菓子と仕事、どちらが大切かしっかり肝に銘じておくことですわ」
小袋を受け取らないので、わたくしはビリッと開けて1枚のクッキーを差し出した。
「ここでお食べなさいな。これはわたくしに説教されたという口止め料ですわ。あなたが貰う最初で最後の賄賂ですわ」
もう1枚取り出すと、わたくしはそれを口に含んだ。
「美味しいですわよ、どうぞ」
またまたポカンとしていたメイドの口に押し付けると、彼女はたまらず口を開いた。
「お、美味しい」
「そうでしょう?とりあえず袋の中にはあと数枚残ってますわ。あなたが食べないと明日帰るわたくしにとってはゴミになります」
「いっ、いただきます」
手を伸ばした彼女にわたくしは袋ごと押し付けた。
「もう寝ます。良いメイドになってね」
「はっ、はいっ!」
元気に退出していったメイドを見ながら、わたくしは長椅子から立ち上がった。
寝台に横になって、そういえばあのメイドがメインになったのは2日目からだったと思いだした。それまでは先輩と思わしきメイドがずっと一緒だったはずなのに、いつの間にか1人で御用聞きに来ることが多くなった。
見るからに新人なメイドを客人に付けるかしら、と思って気がついた。
せっかく気持ちよく寝るはずだったのに、どうして思いついてしまったのかしら。
まぁ、憶測ですけどね。
……マディウス皇太子殿下、まさかと思いますが新人教育までわたくしに押し付けましたの?
しかし軽く頭を振ってそんなことはないわ、と自分に言い聞かせた。
いえいえ、さすがにそこまでなさらないわ、と念を押す。
それから程なくしてわたくしは眠りについた。
それこそ香油の効果なのか、メイドが朝を告げに入ってくるまでグッスリと眠った。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
イズーリ王城での最後の食事は、これから帰路につくわたくし達、というよりレインのことを考えたかのようなあっさりとしたものだった。
最後、ということでライアン皇太子はイズーリ王室の方々と共にしていていないものの、セイド様はレインの横に座っていた。
焼きたてのふんわりしたパンと、外はパリっとして中はしっとりしたパン。バターもジャムも数種類並び、黄金色のスープに、温野菜のサラダ、卵料理が3種類。わたくし達が気に入っていたボルボアというベリーは、今朝はヨーグルトの上にかけるソースとして登場していた。
「甘酸っぱくておいしいわ」
一口食べて顔を綻ばせるレインに、自分の分もどうぞと差し出すセイド様。しかもスプーンですくって食べさせようとしている……。
ほらほら、御覧なさい。
レインだけじゃなくて、給仕やメイドも目のやり場に困っていますわよ。
「レイン、あなたまでできたの?」
「え?」
「ほら、甘酸っぱいの好きって。最近続くわねぇ」
「そうなのかっ!?」
詰め寄るセイド様。
周囲も今度は目線をレインに集中させている。
わたくしが生温い視線を浴びせると、レインは真っ赤になって首を振った。
「ちっ、違いますっ! 誤解ですわっ! 変なこと言わないでシャーリー!」
「何だ、嘘か」
「からかっただけですわ」
ちょっと残念さを滲ませたセイド様が、顔を上げた。
「そういうからかい方はよせ」
「あら、御二方が人目を気にせず朝から2人の世界に浸っているからです。周りは困っておりますわ」
「フンッ、そうか、嫉妬か」
なぜか勝ち誇った笑みのセイド様。
わたくし遠回しでしたけど、大変目のやり場に困り迷惑ですとお伝えしたつもりだったのに……。
「どうぞお好きに解釈なさって下さいませ」
やれやれ、とわたくしもヨーグルトを口にする。
ここで終わればいいのに、セイド様は終わらなかった。
「ここに来る前にサイラス様に挨拶に行ったが、午後には私邸に戻るそうだな。随分回復されていて、医者も驚いていた」
なぁ、と同意を求められてレインもうなずいている。
「そうですか」
「そういえば反対に護衛騎士の顔色が悪かったな。まぁ、サイラス様が私邸に戻るなら彼らの勤務も午前中だろうが、なかなかの悪さだった」
「まぁ、何か悪いものでも召し上がったのかもしれませんわね」
ふふっ、やはりあのチョコレートの中身は大変だったようね。
大方詰め所で開けて、そのまま交代の何人かで食べたんでしょうね。
「と、いうことでこちらは挨拶を済ませている。最後なのだから、ゆっくり挨拶してくるといい」
なるほど、気を効かせてやったぞと言っているらしい。
「大した話もありませんわ。すぐに出立の準備を済ませます」
「ライアン様も少し予定を繰り上げていいと」
「必要ございません」
ピシャリとはねつけると、セイド様はわざとらしく「はぁっ」と深いため息をついた。
「かわいくないな」
「どうも、ですわ」
続いて小声で「本当に可愛気のない……、どうしてサイラスは……」とぶつぶつ呟き、隣のレインに注意されていた。
聞こえていましてよ、セイド様。
わたくしだってレインに問い詰めましたもの。
セイド様のどこがいいの!? 女性の扱いに長けているかと思ったらそうじゃないし、度々勘違いさせて女性同士のケンカが発生している問題男ですわよって。
まぁ、レインの答えは半分泣き声交じりで切々と好きの一点張りと、惚気ばかりであまり覚えていませんけど。
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
朝食後、サイラスの部屋に足を運んだ。
確かに護衛騎士の2人は顔色が悪い。
昨夜の騎士とは交代しているので、わたくしを見てもいつも通り扉をノックしてくれた。
寝台の上では上半身を起こしたサイラスがいた。
エージュはいない。逃げたのかしら。
サイラスはいつものようにメイドを下がらせた。
「昨夜は散々だったな」
「……エージュから聞きましたの?」
ニヤリと意地悪く笑った顔を見て、わたくしは目を吊り上げた。
「エージュはどこっ!」
「そう怒るな。あいつは俺の部下だ。見たこと全部報告する義務がある」
「だいたいあのチョコレートを、わたくしに押し付けるからですわっ!」
「あぁ、あれか」
ここでサイラスは面白そうに目を細めた。
「どうやら騎士の詰め所で開けたらしいぞ」
そうしてサイラスは「本当に食べなくて良かった」と話してくれた。
護衛騎士は深夜交代すると、あのチョコレートを詰め所に置いたそうだ。
朝礼の後開けてみると、それは今までのプリーモにない、斬新というか、平たく言えばごつごつと岩のように歪で形も不揃いであり、なおかつベタベタと指紋のようなものまでついていたチョコレートだった。
しかも中身も変わっており飴、キャラメル、何かの薬草や生の果物等が入っており、しかもその果物が悪くなっていたらしい。何かの薬草は強烈な異臭を放ち、これは何の罰だとあの夜勤務についていた2人以外は涙した。
詰め所となっている部屋で開けられたその匂いは、換気をしたがなかなか頑固に漂っているという。
「あなた御令嬢に暗殺されかけましたの?」
眉をひそめたわたくしに、サイラスはゆっくり首を振った。
「いや、あれは単なる手作りだ」
「手作り!? 手作りで体調不良にさせるほどのものを作れますの!?」
「悪意はないと思うんだが、俺は絶対食べない」
「賢明ですわ」
サイラスは名前を言わなかったが、わたくしはここで見た3人の御令嬢を思い出していた。
甘いもの好きのサイラスを思って、チョコレートの中に甘いものを入れたりするのは確かに悪意はないだろう。薬草もそう考えると薬だったのかもしれない。
でも組み合わせは大事ですわ、御令嬢。
見た目も結構大事ですわ。せめて指紋はつけないようになさらないと……。
「午後にはお邸に戻ると聞きましたわ。動いて大丈夫なのね」
「あぁ、随分回復した。骨折だけは気力じゃどうにもならないからな。まぁ、ゆっくりするさ」
「わたくしも家に帰ったらゆっくりしますわ。お見舞いに来たのに、こんなに疲れるなんて驚きですわ」
はははっとサイラスは笑って、手元にあった白い大きめの封筒を差し出した。
受け取って「これは?」と目で問う。
「中身は俺の私邸専用の封筒だ。そいつで出せば検分されず俺に届く」
「手紙を書け、とおっしゃるの?」
「この体ではしばらく自由に動けん」
わたくしは封筒を見つめ、フッと笑った。
「書くかどうかわかりませんけど、まぁ何かの時の為に頂いておきますわ」
「俺は筆不精だ」
「あなたの返事なんか期待しておりませんわ」
手紙を書けという人が堂々と宣言することではないと思うけど、まぁサイラスだから仕方ない。
「とにかく養生なさることね。甘いものばかり食べて太っていたら、指差して大笑いしてあげますわ」
「お前こそ浮気するなよ」
「浮気というのは恋人や夫婦での出来事ですわ。あなたはすばらしい手作りチョコレートを作ってくれる御令嬢や、その他の御令嬢の心配でもなさっていればいいのよ。わたくしにもし被害が及んだ場合、徹底的に返り討ちにしてあなたにも慰謝料請求しますからそのおつもりでっ!」
「はははっ、被害にあったらうちに来るといい。お前の部屋も準備してある」
「結構ですわっ!」
誰が逃げ込むものですか。
もう1度言いますが、返り討ちですわ。
さすがに女性に鞭は使わないけど、手を出されたら容赦しませんわ。
「まぁ、何はともあれご回復おめでとうございます」
急に姿勢を正しドレスの裾を持って礼をしたので、サイラスも一瞬キョトンとしていた。
でもすぐにうなずく。
「花火師の件だがな、2日遅れで出発させる。その間に打ち上げる場所を決めておけ。なんならライアンに相談するといい。話はしてある」
「まぁ、そうでしたわね。帰りの馬車の中で考えますわ」
「道中気をつけてな」
「えぇ。護衛には兄もおりますので、わたくし心強いですわ」
ここで終われば良かったのに、サイラスは余計なことを言い出した。
「そうだな。いざとなればお前が打ち倒すだろうな。ちゃんと携帯しておけよ?」
ニヤリとわらったその顔で、わたくしは鞭のことだとすぐわかった。
「し、失礼しますわっ! ごきげんようっ!」
知っていながら今まで知らないフリをされていたと気がつき、わたくしは笑って手を振るサイラスから逃げるように部屋を出た。
え、エージュッ! いつか絶対に偶然を装って打ってさしあげるわっ!!
。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆
時間通り、最初に登城した時に通された謁見の間で最後の挨拶が行われた。
イズーリ国王陛下と王妃様、そしてマディウス皇太子殿下と、体調が回復しつつあるサイラスも車椅子に座って揃っていた。
ライアン皇太子の後ろに並んだわたくし達は、特に話すことはなかったものの、国王陛下から感謝の言葉を賜った。
穏やかながら厳格そうな雰囲気の国王陛下から、まさか『ごめん』の一言の手紙を頂くとは思っていなかったが、こうして見ると隣に座る王妃様もあの暴走が夢、いや別人じゃないかと思えるほど清楚な雰囲気を出している。
巨大な猫かぶり一家だったわ……。
来た時同様にひっそりと門を出た一行は、きれいに整備された町中ではやや足早に進み、道に凹凸ができるとスピードを落として進んだ。
わたくしとレインは後方の馬車に乗り、レインが話すおしゃべりを聞いていた。
レインは隣国の次期公爵夫人としてイズーリの上流階級のお茶会に出席したり、観劇を楽しんだりとしていたらしい。
「さすがね、レイン」
「観劇にはシャーリーも誘おうとしたんだけど、留守にしていたみたいだから。あの時どこかに行っていたの?」
「どこだったかしら?あ、さっきの話だけど、お招きしてもらったお邸の若奥様とどうなったの?」
「あ、それは…………」
話の続きを催促して黙って聞き役に徹する。
なぜならレインが誘ったというその日、わたくしは熊のお邸で鞭を振り下ろし彼を足蹴にしていたからだ。さすがにこの事実は言えない。
言ってもきっとレインは「ダメよ、そんなことしては」くらいで済ませてくれるけど、セイド様の耳に入ったら接近禁止令が出そうだわ。
やがてレインの話は尽きた。
そうなると出てくるのが馬車酔い。
「もう少しで休憩よ、大丈夫?」
「……んっ……」
口元をレースの付いたハンカチで押さえ、青い顔をして俯いている。
馬車の窓を少し開け、なるべく風を入れて気分転換させようとしているのだけど、やはりなかなか上手くいかない。
王都はすでにはるか後方で、こんやの宿を提供してくれる地方男爵のお邸まではもう少しかかるとのこと。
すでに日が傾いてきているので、安全面で言えば休息をせず進みたいがそうもいかない。
馬車を止めて休息に入ると、ライアン皇太子から提案が出た。
「俺が乗っている馬車へレイン夫人を。セイドは看病してやれ」
確かにライアン皇太子の馬車の方が少し大きく、クッション製もいい。行きも酔ったレインを乗せたので、ライアン皇太子も心得たものだ。
セイド様に体を支えられて馬車を移るレイン。
「少し先導者と話してくる」
先に乗っているようにと言われ、わたくしは大人しく馬車の中で待っていた。
そして事件は起きた。
ガシャンッ!!
と、いきなり椅子の下の板が外れた。
「え!?」
おもわず持ち込んでいたポーチの中に手を差し込む。
そう、そこにはもしもの場合にとアレを入れておいたのだ。
……決してサイラスに言われたからではありませんけどっ。
外へ、と思ったものの、外れた板の奥から出てきたそれを見て、わたくしは目を大きく見開いて絶句した。
ゴロリと転がって奥から出てきたのは、白い布を巻いた何かだった。
「狭い」
ムクリと起き上がった白い布がハラリとはがれると、そこには夜着のような薄着をしたアシャン姫がいた。
「ひっ、姫様!?」
「あ、いた」
驚くわたくしに対して、アシャン姫は相変わらず淡々としていた。
「どっ、どうなさったのです!? これは一体」
「んっ」
ズイッと右手で差し出されたのは2通の白い封筒。
嫌な予感しかしないその手紙を受け取り、わたくしは中身を広げた。
『ごめん』
たった一言書いてあった。
何が『ごめん』ですの、国王陛下っ!?
言いたいことはあったが、2枚目があるのに気づいてそちらを見ることを優先させた。
『よろしくね (キスマーク)』
きゃぁあああああああああああ!
わたくしは思わず手紙を放り投げそうになったが、何とか寸でのところで思いとどまった。
「許可、出た」
「何の許可ですのっ!?」
どう見ても押し付けてますわよ、この手紙。
最悪の内容の手紙を前に、わたくしは頭を抱えた。
そこへガチャリと馬車の扉が開き、戻ってきたライアン皇太子は目を丸くして固まった。
そして顔を青ざめ、なんとも生気のない声で言った。
「し、シャナリーゼ。いくらなんでも誘拐は良くない……」
勘違いなさらないでっ!バカ王子っ!!
読んでいただきありがとうございます。
メイドの話いらないかなって思いながらも書いちゃったw
さぁ、アシャンがくっついて来ましたよ。隠れ方はクレオパトラの言い伝えより拝借ww(となると、シャナリーゼがシーザー!?w)




