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お礼小話5-(1) ~エージュの退屈しない日々【前編】~

お気に入り登録が8000件超えていました。

ここでいろいろありましたが、エージュ視点のお礼小話をお送りしたいと思います。正直彼の視点はサイラスばかりです。イメージだいぶ壊れたサイラスが、もっと壊れるかもしれません。 孤高(←すでに崩壊)のイメージはぶっ潰して下さい。

 エージュ・マロウ、25才。

 実家は爵位は持たないが、古くから王家、そして王族に仕える執事を輩出する名家の次男として生まれた。

 現当主はイズーリ国王陛下の筆頭執事、つまり侍従長の役職であり、6つ上の長兄はその後を継ぐため週の半分を将来皇太子殿下となられるマディウス王子の側で過ごし、残りは父について学んでいる。

 7歳になると、当然のように第2王子であるアドニス様にお目通りした。

 アドニス様は3つ年上であったので、候補として10才の従兄弟も一緒だった。

 おしゃべりなアドニス様は優しくて、気さくに声をかけてくださり、緊張していたわたしと従兄弟もすっかり気を許していた。 

 3人で楽しくお茶を飲み、お菓子を食べていたところに、王妃様が5才の末王子を連れてやってきた。

「まぁまぁ、楽しそうね」

「……」

 末王子は王妃様のドレスのスカート部分を掴んで、その身をその後ろに隠していた。

 わたしと従兄弟はあわてて椅子から立ち上がり、それぞれに名を言って挨拶をした。

「さすがマロウ家の子ども達ね。ほら、あなたもご挨拶なさい」

 後ろに隠れたままの末王子を、王妃様は背中に手を添えて前に連れ出した。

 俯いたままの黒髪の末王子は、人見知りなのかなかなか顔を上げない。

 やがて意を決したように顔を上げた末王子は、間違いなくわたし達を敵意剥き出しで睨んでいた。

「サイラス・ホトス・イズーリだっ」

 子どもなのに搾り出した声に迫力があり、従兄弟は「ひっ」と小さく悲鳴を上げて腰がひいた。

 わたしはというと、細い目を見開いた時の限界値が更新したのだった。


 あとから聞いたところ、サイラス王子は緊張していただけで、別に怒っていなかったそうだ。

 でももう会うこともないだろう。

 その日の夜、父からアドニス様付きになるという話がきたのだから。 


 だが翌日、あの下町の悪ガキといい勝負しそうな、目つきの悪い王子に呼び出された。


 王城の一室には王妃様とサイラス王子、そして昨日はいなかったが乳母とその乳兄弟の少年が待っていた。

 乳兄弟だと思われる少年は頬にガーゼを張っており、母親に並んで立っていた。

 昨日と同じ目つきの悪い顔を上げていたサイラス王子は、ビシッとわたしを指差した。

「おまえめがほそいな。だがきのうのかおはおもしろかった」

 人が気にしていることを尊大な態度でおっしゃる王子だったが、目のことはお互い様ではないだろうかと、心の中で反論しておいた。

「おまえけんはできるか?」

「はい」

 ある程度であるが、そこそこ護身術も兼ねて学んでいる。

 剣術の師は退役した騎士だが、彼からも筋がいいと褒められている。

「よし、やるぞっ」

「え?」

「ぜひお願い」

「……はい」

 王妃様にお願いされてはしかたない。適当に負けよう。

 だが、王妃様は微笑んだまま続けた。

「手加減しちゃダメよ?ちょっとうぬぼれてるから、泣かせてちょうだい」

「なかせるもんならなかせてみろっ」

 ふんっと胸を張った目つきの……いや、生意気王子にちょっとだけ腹が立った。

 そして10分後、それはそれは盛大に泣かせた。

 最初は涙目になりながらも頑張って打ってきていたが、片手で相手をして力の差を見せ付けると、自尊心が高いのかサイラス王子の涙腺が決壊した。

「うわーん!」

「あらあら、ダメねぇ」

 やり過ぎた、と怒られる覚悟を決めて立っていると、王妃様がポンと頭を撫でてくれた。

「ありがとう」


 その一言がすごく嬉しかった。


 だがその夜、わたしは父からとんでもないことを言われた。

「アドニス様にはマーシャルが就くことになった。お前はサイラス様に就くのだ」

 その時ポカーンとして声が出なかった。

 7才にしてクビ、そして言葉は悪いが左遷だ。

 

 こうしてわたしはサイラス様に仕えることになり、サイラス様と乳兄弟のオーリーを徹底的にしごき始めた。毎日年下を泣かすのは忍びないと思ったのは最初だけだ。

 剣術では勝てないと早々に悟った2人は、イタズラをしてわたしに仕返しを始めたのだ。

 5才児のイタズラだと侮ってはいけない。彼らに配慮と言うものはない。

 泥団子は投げる、水入りバケツが飛んでくる、虫を大量に部屋に持ち込む。もちろんメイドを巻き込んでの大騒ぎだ。

 極めつけは人がお茶を飲んでいる時に、いきなり変な顔をすることだ。

 よくぞここまで皮がのびるな、と感心したいくらいに柔らかい皮膚をお持ちの2人だった。

 ……もちろん仕返しは剣術の遊びでさせてもらった。

 正規の剣術授業の時も遠慮はしない。わざと姑息なことをした。

 今思うと問題児が3人に増えただけであったと思う。

 

。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆


 7年後、オーリーは剣術の腕を見込まれ、皇太子になられたマディウス第1王子の下へ引き取られた。

 幼馴染とろくに会えなくなったが、サイラス様は恨み言は言わなかった。

「オーリーを鍛えたのは俺だからな。兄上の役に立つようしっかり言ってやったぞ」

「立派です、サイラス様」

「……お前も話がきてるんじゃないか?」

「いいえ。わたしはずっとお側にいます」

「そうか」

 ホッとした顔をしたのだろうが、声は固かった。きっと信じていなかったのだろう。

 本当はクビになったアドニス様の次席執事として話がきていた。

 だが、そんなところ誰がいくかとお断りし、あまりにしつこいので、ストレスがたまっている時期の王妃様に泣きついてみた。

 けっしてアドニス様が悪いわけじゃないが、昔父からクビと言われたショックが今だ癒えていないだけだ。

『このままだと寂しさからサイラスが非行にはしるかもっ!なんてコトなの!そうなったら十代前半で女遊びに賭博、後半は薬に手を出し、兄の治世見る前に廃人となって抹殺されてしまうわ!!』

 こうして話はすぐ消えた。

 何したんですか?王妃様。

 だが王妃様は何を間違えたのか、サイラス様に超精巧(リアル)な顔立ちの人型人形を贈りつけてくるようになった。

 時間差で瞬きするとか、本気で怖い。

 ネコやウサギのヌイグルミもあったが、やはりこちらもリアリティーを追求した一品だった。唯一ウィコットだけはメルヘンなものだった。


 これが原因でサイラス様はウィコット保護法に全力を尽くすことになる。


。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆

  

 やがてサイラス様は気楽な第3王子という立場からか、次第に外に興味を持つようになり、周囲の反対も少ないのでさっさと名門学校に入学していった。

 正直羨ましかった。

 サイラス様が学校に行かれている時間は、わたしは専任の教師や先輩に付いてまわり学んだ。

 王子の身分は伏せられ、王妃様のご実家の公爵家の縁者として入学し、それなりに楽しい毎日を過ごされていた。

 時に女性の影がちらつき、送迎時に男性のお友達もたくさん出来たようだが、実はそのうち何人かが熱烈なファンになり、私物盗難事件まで起こそうとするとは思っても見なかった。

 そんな時に知り合ったのが、隣国ライルラド国の第1王子ライアス殿下だった。

 元々交流があり、お互いを知っていたお2人はすぐに意気投合された。


。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆


 16才になられた夏季の休みに、ライルラド国の式典に参加するため行かれた時もわたしは同行していた。

 滞在3日目、お2人は学校からの宿題を。わたしは教師からの卒業課題をせっせとこなしていた。

「お前の妹、今いくつだっけ?」

「10だ。それがどうした?」

「いやぁ、ちょっと聞いた話なんだけどさ。うちの上位貴族の38才のある侯爵がさ、12才の令嬢を婚約者にしたいって届出があったらしいんだ」

「は?」

 さすがにわたしの手も止まった。

 サイラス様ははっきり顔を歪めていた。

 ライアス王子の話では、その小さな令嬢の婚約話が簡単に受理されて大騒ぎだということだった。

 対してサイラス王子の態度は冷めたもので、貴族の結婚だから仕方ないと、何とも模範的な回答を淡々と言われていた。

 その後ライアス王子は自分達の結婚についても不安げに意見されていたが、やはりサイラス様は淡々と同じ答えを繰り返していた。

 そういえば、女性とお付き合いがあってもいつの間にか消滅していることばかりだ。しかも期間が短い。

 何か問題があるのかもしれない、と疑いを持った。


 ちなみに独断で噂の小さな令嬢の絵姿を入手した。

 どこまで本当かわからないが、少なくとも金髪のかわいいより綺麗な大人びた美少女だった。ただ、その、なんというか目つきが悪……いや、鋭過ぎのような気がする。とにかく気が強そうだ。

 いくら気が強くても12才の少女に変わりはない。

 サイラス様の12才なんて、まだイタズラを仕掛けていたし、マディウス皇太子殿下に追い掛け回されていた。あれはなぜかわたしまで連帯責任で……セーザに泣いた。


。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆


 その後セイドリック様というライルラドの侯爵家の御学友ができ、剣術の腕も師匠が太鼓判を押すようになり、とうとう軍部へと足を運ぶようになられた。

 最初はどうなるかと思ったが、王族が軍部に入ることは珍しくないので黙認された。

 そして我が国の軍部は新人に容赦はない。

 貴族だろうが王族だろうが関係ない。新人として立派にしごかれる。

 新人軍人の共同宿舎に寝泊りし、時には遠方へ行き野宿。夜間訓練、早朝訓練、耐久訓練と時間関係なくしごかれていると、やはり脱落者が出る。

 だがサイラス様は遠慮の一切ないその訓練を耐え切った。

 この頃ちょっとだけ女性関係が激しくなったが、それも軍人には良くあることらしい。

 それを軍の将軍や王妃様達から聞かされ、なんだか置いてけぼりをくらったような空しい気持ちになったのは秘密だ。

 わたしは執事なのだから、他にやることがある。

 サイラス様には私邸として王都の一角にある、先代王の別邸を与えられることが決まっていたので、そちらの整備に向かった。

 あぁ、そういえば先代王に始めて会ったのは、サイラス様の側に仕えるようになってすぐだった。

 すでに老人の域ながら、がっしりした体格は衰えず堂々としており、何より白髪交じりの口ひげと彫りが深く鋭い目の持ち主だった。

 しかも声が野太い。

 後で聞いたが大抵の子どもは泣くそうだ。

 わたしは毎日先代王そっくりな目の王子が側にいたので、まったく泣かずにすんだ。それは父にも母にも褒められた自慢だった。


。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆


 サイラス様が19才になったある日、ライアス王子の誕生日と皇太子としてのお披露目を兼ねたパーティーに出席する為、再びライルラドを訪れていたある日のことだった。

「おもしろいものを見たぞ!」

 子どものように目を輝かせて戻ってきたサイラス様を見て、正直驚いた。

 軍部に入ってから過酷な訓練や現場の成果精悍さは増したものの、以前のような柔らかい表情がなくなっていたからだ。

 最近など無言でどこかを睨みながら、手に甘いチョコレートを持っていることがある。アンバランス過ぎて困る。

「どっかの令嬢だと思うが、ライアスを蹴っ飛ばしていた。しかもあいつ『男になるか、ゴミになるか』と迫られていたぞ」

「それって立派な暴言ですが」

「俺も『ゴミ』の王なんて嫌だからな。ライアスがそうなったら、俺が真っ先に侵略してやろうと誓ったよ」

 はははっ!と楽しげに笑っているが、今の言葉は充分物騒なので軽々しく口にしないで欲しい。どこに暗部がいるかわからないのだから。

「あの令嬢おもしろいな。ちょっと探すか」

 だが国中の貴族が出席するパーティで彼女は見つからなかったらしい。

「よし。ちょっと聞いてくる」

 聞くといっても意中の彼女を射止めたばかりのライアス王子に、一部始終を見ていたことをバラすと脅しをかけて話を聞いてきた。


 シャナリーゼ・ミラ・ジロンド伯爵令嬢。


 その名を聞いてわたしはあの小さな令嬢だと気がついた。

 結局会うことが叶わなかったので、12才の時の彼女の絵姿なら持っていますよと親切心に言えば、毛虫を見るような顔でドン引きされた。

 幼女趣味はない。ただ毎日忙しくて捨てる機会を逃し、そのままこれまでの報告書の一部としてしまっていただけだ。

 腹いせに帰国してから探しますと言ったっきり放置した。

 毎日のようにまだ見つからないのか、と小言が振るようになる。

 3日したら毎時間ごとに小言が振るようになった。

 そろそろ見せるかなと思っていたら、次の日わたしの部屋を荒らすサイラス様がいた。

 勘弁して欲しい。報告書はまだしも、私物の書類にはとても公に出来ないことが山ほど書いてあるのだ。

「俺が巨乳好きってどういうことだ!」

 ほら、関係ないの読んでる。

「新人時代の酔っ払い騒動の1つじゃないですか。同じ班の仲間と飲みに飲んで酔っ払ったあげく、誰かが『巨乳の彼女に挟まれるのが夢なんですっ!』て宣言した班員に同意したそうじゃないですか。あぁ、ただ『手の中に納まるのもイイッ!』と悶えた班員にも同意されたとか」

「……俺はさっぱり覚えていない」

 なかなかショックだったようで、暗がりで呆然とされている。

「そうですか。一応サイラス様の好みの女性を調べるように言われていたんです」

 ちなみに酔っ払い騒動その2でわかったのは、女性のネグリジェは白でもピンクでもなく、じつは青が好きらしい。これも同意していた。ちなみにリボンよりレース派。

「何のためにだ?」

 訝しげに顔を上げたサイラス様に、わたしは普通に答えた。

「婚約者様を選定する為ですよ。アシャン姫はともかく、婚約者がいないのはサイラス様だけですよ?」

 2ヶ月前、とある噂が発端となって、今までもめにもめていたマディウス皇太子殿下の婚約が整ったのだ。アドニス様はすでに決定されていたので、次はサイラス様というわけだ。

「兄上様方もある程度ご希望は叶いましたので、サイラス様もご希望があればとのことですが」

「……自分で探す」

 憮然とした顔で睨まれても、この年になると怖くもない。

「だったら王妃様をお味方に付けられて下さい。そうしたら議会も黙りますよ」

「母上か」

 何やら考えているようだが、王妃様のストレスがたまっていると話はややこしくなる。最近勘違い騒動を起こされたのはいつだっただろうか。

「まぁ、それより絵姿ですよね。ちょっと待って下さい」

 せっかく整理していたものが全部台無しだ、とわたしはため息をつきながら絵姿をお渡しした。

 じっと見ていたサイラス様が、眉間に皺を寄せた。

「確かにあの令嬢の顔をはっきり見ていないが、そうか、あいつ昔から目つきが悪かったのか。てっきり無理な縁談に怒りまくって、あぁいう目つきになったのかと思ったが」

「とんでもない思い違いですよ、サイラス様。あなたも生まれつきではないですか」

「お前もその視界で良く見えてるもんだな」

 ……まったく10年以上経っても同じことを言う。


 それからサイラス様に人が隠すものを探すことが大好きな、ものすごく便利で迷惑な知り合いを3人紹介した。

 その1人がわたしの部屋から私物を持ち出そうとしてたので、とっ捕まえて恥ずかしいお仕置きをしてやった。



「やめてくれっ!」

 男は今うつぶせにされ、木のテーブルに手足を拘束されている。


 目以外をほとんど黒い布で覆った男が、必死で懇願するが聞き入れない。


 わたしはその目も見るのも嫌になり、しっかり布で縛った。


 そして皮手袋を二重に重ねた手を振り上げた。


 乾いた音が薄暗い部屋に響いた。


 …………。


 成人した男が椅子に縛られてお尻ペンペンとか恥ずかしいだろう。

 これに懲りたら、例えサイラス様の言いつけでもわたしの私物に手を出さないで欲しい。

 わたしも尻をたたく趣味はない。

 100回叩いて解放したが、ちょっと目が潤んでいた。

 ……やめてくれ。そんな目でわたしを見るな。

 その後、依頼主にもお仕置きをしたかったが、いくらなんでもサイラス様の尻は叩けない。

 とりあえず剣術相手を申し出て庭で激しく打ち合った。

「お前、なんでそんなに上達してるんだっ!?執事だろっ!」

 やや劣勢になったサイラス様に怒鳴られたが、わたしはかまわず打ち込んだ。

 ちなみにお仕置きに使ったテーブルや皮手袋は、とりあえず不要だからと使用人に屋敷内から出して処分するように言った。わたしは見るのも嫌だが、製品としてはいいものなので、きっと今もどこかで使われているに違いない。


。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆


 サイラス様の機嫌が良くなった。

 シャナリーゼ嬢の報告が次々に入っているようだ。

 紹介した3人以外にも、似たような人間が集まって来ていた。あの人は無駄に人を惹きつけることがあるからいけない。

 だが犬もネコも懐かない。みんな怯える。

 ただしウィコットはその性質からか好奇心いっぱいで懐くので、サイラス様のウィコット保護はますます力が入っている。本人は知らないが、密かにウィコット大使なんて呼ばれている。

 初めて聞いた時、鍛えた表情筋と腹筋に感謝した。


 シャナリーゼ嬢はライルラド国では有名な悪い女だった。

 暴力的で卑劣で、他人の悔しがる顔が大好きで、好きになった男性にはとことんアプローチするという。だがどれもこれも長続きせず、彼女のアプローチを乗り越えた男女は必ず結婚しているという、妙な副産物もあった。

 そんな彼女は夜会にはほとんど出ない。気まぐれにやってきて、一騒動起こして帰るという。

 そんな彼女の交友関係は広い。

 ライアス皇太子とその婚約者、軍所属の伯爵縁者、侯爵家にその他貴族。手広く商売をする貿易商に、各種の小さな店、そしてなぜか孤児院。

 彼らは彼女を庇いもしないが悪くも言わない。聞かれて相槌を打つ程度だ。

 その中でも怪しいのはシェナックス孤児院。特に院長は背の低い小柄な老女だが、とうの昔に消えたはずの罪悪感が蘇ってきて仕事にならないと言ってきた。

 ……もう1度あの仕打ちを受けたいかと聞けば、飛ぶように任務に戻った。


。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆


 そんなある日ライアス皇太子の結婚式に出席する為、もうだいぶ親しみのあるライルラド国へと向かった。

 あいかわらずシャナリーゼ嬢の報告を受けては、正直悪い笑顔しか浮かばなくなったサイラス様。もしかしてこの訪問時にシャナリーゼ嬢に接触するのではないか、まさか拉致とか考えていないだろうかと胃が痛くなる思いで心配していた。

 よく考えれば彼女も17才となっている。

 最悪の婚約を解消して2年以上なるはずだ。さすがに親としても相手を見つけたいだろう。

 伯爵家に隣国の第3王子。ちょっと重いか。


 結局わたしの心配は思い過ごしですんだようだった。

 

。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆


 ある日私用で町に出た時、数少ない友人である女性に偶然出会った。

 その彼女とお茶をすることになり、そこで彼女の悩みを打ち明けられた。

「最近わたしがお仕えしているお嬢様のことを、コソコソと人を使って調べている人がいるようなの。どうしたらいいかしら?お嬢様ったら怯えてしまって。気持ち悪いって窓にも近寄らないの」

 

 ……わたしはお茶を噴出すところだった。


 目からウロコとはこのことか?

 良く考えればなんとも不気味で怪しいことを、なんと2年も続けていたのだ。

 いつもの軍事的な任務と対して変わらない認識を持っていたが、良く考えればあの令嬢は一般人だ。

 サイラス様、あなたなんて粘着質なんですかっ。


「どうすればいいかしら?」

 困り顔の友人に、動揺を隠したわたしはアドバイスをした。

「逆に相手を同じ目に合わせてみてはどうかな。そして破滅させる」

「そんなツテないわ」

「教えるよ」

 マロウ家の直属ではないが、それなりの人物を紹介し彼女と別れた。

 そしてわたしは競歩でお邸に戻ると、そのままサイラス様の私室に乗り込んだ。

 任務でいないのはわかっていたが、いったいどれだけの報告書がたまっているのか知りたくなり、青くなりながら部屋を調べた。


 よかった。意外に少ない。


 出てきた書類が少なくホッとしたが、やることはまだある。

 サイラス様が帰宅後すぐにシャナリーゼ嬢の周辺から手を引くように諭したが、すでに専任としている者はいなかった。あくまでライルラド国の動向を見守っている者に、ついでに時々見に行かせているだけだという。

「あの令嬢、今セイドに付きまとっているんだ。しかもセイドの交友関係の特に厄介な女をターゲットにして、あちこち出没しているらしい。何するんだろうな」

 ニタリと黒い笑みを浮かべて報告書を読んでいるサイラス様を見て、わたしは小雨が振り出した窓の外に視線を向けた。


 アドニス様に就いた従兄弟は、日々平穏に執事の仕事をこなしているそうだ。

 あの従兄弟は主と腹いせに剣術をしたり、嫌味を言ったり、胃が痛くなる心配や仕返しを考えたりなんてしないのだろう。

 きっとあの時断っていなかったら、わたしも平穏に次席執事をこなしていたに違いない。

  

 だがなぜだろう。

 

 それがちっとも羨ましいと思わないのだ。


「エージュ、プリーモのチョコレートはどこだ?買ってきたか?」

「芸術的なチョコレートを片手で鷲掴みにするなど、とても言えませんので、オーナーに無理を言ってパウンドケーキの型にチョコレートを入れてもらいました。さぁどうぞ」

 ドンッとテーブルの上に置いたのは、飾り気のない延べ棒のようなチョコレートだ。

「お前、これじゃあ俺のストレスが解消できない」

「大丈夫です。味は一緒です。あ、こちらホットホワイトチョコです。熱いですよ」

 ぶつぶつ言いながらも延べ棒チョコレートにかじりつく主を見て、わたしは知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。



 はい、エージュ視点 前半! でした。

 後半は次回。 後半は出会い~現在の予定です。

 予想通り長くなった……。

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