表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/122

勘違いなさらないでっ! 【22話】

 こんにちは!「なろうラジオ」読上げシーン候補という連絡を13日にもらい、おもわず前倒しで予約しました。

推薦してくれた方々に感謝致します。

ありがとうございます!!読まれなくても、候補として頂けたことを嬉しく思います♪



あ、念のため。今回のサブタイトルは“王妃様の大暴走” です。警告しないという警告…?

 ゆっくりと近づいてくる女性のその顔は、まるで汚らわしいものを見るようだった。


「なんて浅ましい女なんでしょうっ!」


 怒り狂った甲高い声が響く。


「誤解ですわ。わたくし迷っただけです」

「白々しい嘘をおっしゃい!お前があちこちで殿方を誑かしているのは知っているんですよっ」

「それこそ誤解ですわ。わたくしは何もしていませんわ。あちらから……」

「お黙りなさいっ!こんな女に息子が求婚しているだなんて、考えただけでもゾッとします!金輪際あの子の周りに姿を見せないでちょうだいっ!」

「そんなっ!わたくし達は本当にお互いを……」

「お黙りっ!この売女!」

「待って下さい、お義母様!」

「おぉ嫌だっ!お前に母なんて呼ばれる筋合いはなくってよっ!2度と顔を見せないでっ」

「そんなっ!せめて彼にひと目っ」

「お前の口が息子を呼ばないでちょうだいっ!さっさとお行きなさいっ」



 こうして金髪の彼女は使用人達に引きずられるようにして、部屋から追い出された。



【完】



。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆



(はい?)


 パチパチパチと手を叩く音が横から聞こえてきた。

 王妃様がにこやかに拍手をしていると、栗色の夫人と金髪の彼女の2体の人形が再び舞台に出て、ペコリとお辞儀をした。 

「良かったわ、ありがとう」

 王妃様が声をかけると、スタッフ達はいそいそと片づけを始めた。

「今のが『婚前、最後の修羅場』ってお芝居なの。続編で『涙の婚約、今日も義母は暗躍する』があるの」

 えぇっ!?なんですか、それ。

「脚本と監修はわたくしがしているの」

「えぇっ!?」

 あわてて口を押さえたが、素で驚いた。

「コンセプトは『嫁と姑は分かちあえる』なの」

(えぇええっ!?)

 なんとか口に出さず、心の中だけですんだ。

 全っ然分かち合ってませんよ?むしろ嫌悪感全面に出て、このまま行くと修羅場どころか殺人すら起きそうなお芝居だった。

 あの人形、王妃様とわたくしを模したように見えたのは気のせいだろうか……。

 顔を黒い布で隠したスタッフが、ササッと片付けているのを眺めていたら、侍女がスッと後ろに現れた。

 黙って椅子をなおしてもらい、わたくしは王妃様と対面する。

 そもそもここはとある一室。内庭に面した豪華な客室だが、ごてごてと飾りがあふれているわけではない。あくまで庭を愛でるための部屋のようで、豪華なのはテーブルや椅子、庭に面したテラスにある長椅子などの家具だ。大きな窓も透明な硝子が曇り1つなく磨かれ、格子さえなければ窓を閉めているかどうかわからないくらいだ。


 鍛錬場のトンネル付近で侍女と護衛を引き連れた王妃様に声をかけられ、挨拶をして顔を上げたら、いつのまにか両脇にオレンジと緑のドレスを着た侍女がいた。

「お茶しましょぉか?」

 うふふっと、意味ありげな笑みを浮かべた王妃様。

 わたくしは両脇に控えた侍女に追い立てられるように歩き出し、そしてこの部屋に入った。

 最初はこの白く丸いテーブルを挟んで座っていたのだけど、近くにある白い衝立(ついたて)が気になっていた。

 緑のドレスの侍女が「準備できました」と言えば、王妃様は小さくうなずいてわたくしに言った。

「浮気って怖いの」

 

 ……どういうことでしょうか?


 白い衝立がメイド2人がかりで外され、王妃様の謎の言葉はそのままに始まったのは人形劇。

 内容は言い寄られた男を上手くあしらえず、そのまま何人もの男性を放置しておいたら彼氏が精神的ショックで倒れた。それを見た彼の母親が彼女に辛くあたるという物語。


 そして今に至る。


 オレンジのドレスの侍女が暖かい紅茶を持ってきた。

 ゆっくり紅茶を飲む王妃様を見て、わたくしは声がかかるのを待った。

 カップがソーサーに置かれ、王妃様はキッと顔を上げた。

「ナリアネスが出て来たと聞いたのだけど、まさかあなたに付いてウロウロしてるだなんて、わたくし本当にショックだったのよ。無視もいいけど、あの巨体ですもの、襲われたらあなた1人じゃどうにもならなくってよ?だからと言って人が多いとはいえ、男ばかりの鍛錬場に誘うのは良くないわ。まさか王城内の鍛錬場で言葉に出来ないような破廉恥なことは起きないと思っているけど、そうは言っても男は男よ。最大限気をつけてもらわないと」

 どうやら王妃様の浮気と言うのは、わたくしが熊といい感じになっているのではないかという話のようだ。

 勘違いにも程がある。

「ご心配ありがとうございます。ですが、わたくしとナリアネス様との間には何もございません」

 足蹴にし、鞭打ちし、服従されているがそれ以上でも以下でもない。むしろ以下って何?てくらい、最悪な出会いしかしていない。

「とてもそうには見えなかったわ。そもそもどこで出会ったの?」

 眉をひそめる王妃様。

 どうやらマディウス皇太子から、話がいっていないようだ。

「わたくしは嘘を申し上げたり致しません。わたくしはマディウス皇太子殿下のご命令で、昨日ナリアネス様のところへ行って来るように言われてお会いしただけです。サイラス様の部下であるエージュ様もご一緒いたしました」

「まぁっ!マディウスが!?」

 なぜか王妃様は、顔色を悪くして焦りだした。

「マディウスったらどういうことかしら!?自分の結婚の時には素直にわたくしの話を聞いてくれたと言うのに、まさか弟の婚約者候補に興味を!?なんてことなの、ミティアちゃんに即刻知らせて手を打たねばっ!!」

 結構大声でぶつぶつ言っているので、王妃様の考えは部屋中に響いている。

「お、王妃様?」

 わたくしは話題を変えようと話しかけたが、王妃様にはまったく聞こえていない。

 まさかのマディウス皇太子との勘違いを想定されているっ!

「授かり婚を狙っていたけど上手くいかなくて、こうなりゃとミティアちゃんのお茶に薬入れて、月のものを止めて無理やり妊娠疑惑に持ち込んで結婚させたこと感づいたのかしら!?でもあの子はミティアちゃん一筋だったし、ミティアちゃんも本当は好きだったくせにうじうじしてて、わたくしがでしゃばったのは陛下には怒られたけど、結果オーライで幸せそうだし。あぁっ!どういうことなの!?」

 ワッと王妃様は両手で顔を覆ってしまった。

 なるほど、それでイズーリ国の皇太子夫妻には、子どもがいるいないと曖昧な話が出回っているのか。

 ……謎は解けた。

 わたくしは自分に出された紅茶を冷たく見下ろし、絶対に飲むまいと心に決めた。

 

『たまに御自分の頭の中だけで、物事を解決させてしまわれることがある』


 と、昨夜サイラスが言っていた言葉を思い出す。

 今、まさにそれが展開されているようだ。

 チラリと目線を巡らせると、部屋の隅に控えているメイド数名と、王妃様のすぐ近くに控えている侍女が2名。部屋の入り口の扉には護衛の騎士が2名。彼ら全員驚くことなく立っている。

 わたくしはスゥッと息を吸い込むと、凛とした態度で言った。

「王妃様、マディウス皇太子殿下はわたくしをお試しになったのです」

「まぁっ!もう契ってしまったの!?」

 ほらきた勘違い。しかし想定内だから大丈夫。

「違います。サイラス様にふさわしいかどうか試練をお与え下さったのですわ」

「ふさわしい試練?」

 ちょっと大人しくなった王妃様に、わたくしはゆっくりとうなずいた。

「サイラス様もご存知ですわ。合格したかどうかはわかりませんが、ナリアネス様を職場復帰させるというのがご命令でしたので」

「まぁっ!それなら合格よ。例えあなたに惚れていても、サイラスのお嫁さんに手を出すなんてことはしないわ。諦めきれないなら、運命の相手を探すまで返ってくるなってことで放り出してやるわ」

 嬉々として手を合わせると、今度はじっくりとわたくしを見定めるように見た。

「……やっぱり似るのねぇ、好みって」

「え?」

「はっ!」

 突然王妃様が何かに気づき、大きな瞳を更に大きく見開いて震えだした。


「まさか兄弟で互いの妻を共有しようと!?いやぁあああああ!なんて背徳的なのっ!」


 恐怖する王妃様。

 発想が飛躍し過ぎて、もはや王妃様の頭の中はショート寸前。

 と、そこへ緑のドレスの侍女が手に新しいお茶を持って近づいてきた。

「ミントティーです、王妃様」

「あ……ありがとう」

 青ざめ震える手でカップを持つと、王妃様はゆっくり全部飲んでいく。

「ふふっ、なんてことあるわけないわね。うちの子達ったら独占欲強いから」

 カップを口から離した王妃様は、コロコロと笑っていた。

 あまりの身の変わりように呆然となっていると、視界の端に移った緑の侍女がかすかにうなずいていた。

 ……さすが侍女。ギリギリのタイミングで王妃様にブレーキをかけたようだ。

 できたらもっと前でブレーキかけて欲しかった。

「あぁ、そうそう。今日シャーリーちゃんとお話しようと思うのって陛下に言ったら、お話する前に渡しなさいって言われていたものがあったの。うふふっ、うっかりしていたわ」

 そう言って王妃様が差し出したのは、1枚の手紙。

 陛下からのお手紙、と聞いて緊張しないわけがない。

 とんでもないことが書いてあったらどうしよう、と主に悪い方向の内容を想像しながら、おそるおそる手紙を開いてみた。



『ごめん』



 これはどう受け止めればいいのでしょうか。

 たった一言のお手紙。右下にはイズーリ国陛下のサインがある。

 3文字の言葉なのに、なぜこんなに重いのでしょうか。嫌だわ、怖い。


 わたくしは必死に頭を働かせた。

 この『ごめん』の意味はなんだろう。

 

 え?もしや昨夜の花火30発の件!?

 まさかわたくしの年齢を陛下も30だと誤解していたの?だから『ごめん』なのかしら。


 え?もしかしてマディウス皇太子殿下の件!?

 もう苦手も苦手。明日でおさらばなので、もういいです。


 え?実はそれに関連して熊の件かしら!?

 大丈夫ですわ、陛下。引きこもりの熊は、冬眠から目覚めて自分のやるべきことをやり始めました。


 え?まさかサイラスの件!?

 ……なんとも言えませんわ。あぁ、女性問題でしたら、今すぐきっちり白状させますわ。


 でもどれもこれも、なぜか陛下の『ごめん』の重みほどはないように思えた。



 と、なると正解は1つ。


「シャーリーちゃんどうしたの?」

 ニコニコと微笑む王妃様だ。

「ボーっとしてどうしたの?何か嫌なこと書かれてたの?」

「い、いえ」

「見せて」

 はいっとばかりに差し出された白い綺麗な手に、わたくしはそっと手紙をお渡しした。

「変な手紙ね。訳がわからないわぁ。まさかあの人ボケたんじゃないでしょうね。最近頭抱えていたから、きっと脳内血管詰まり始めて頭痛が酷いんだわ!」

 サッと顔色が悪くなった王妃様に、オレンジのドレスを着た侍女が左側にそっと近づいた。

「大丈夫ですわ、王妃様。陛下は偏頭痛をお持ちなのです」

 緑のドレスの侍女が右側からお茶を持って近づく。

「ミントティーです、王妃様。こちらの手紙は御家族、特に王妃様以外の女性に当てた手紙と言うことで、素っ気無く簡素に書かれているのですわ」

「まぁ、そうなのね。わたくしったら、ふふふっ。そういえば以前頂いたお手紙は8枚も書いてあったわ」

「陛下が王妃様を愛していらっしゃる証拠でございますね」

 まぁ、とかほぉ、というため息がそこかしこで漏れる。

 それって王妃様が勘違いなさらないように、起承転結必死で書かれたお手紙であったのではないのでしょうか?なんて口が裂けても言えませんわ。

 2杯目のミントティーを飲んだ王妃様は、また何かを思い出したようだ。

「あ、そうだわ!アレを持ってきて」

「かしこまりました」

 一礼してオレンジのドレスの侍女が持ってきたのは、1枚の紙と朱肉、そしてペンだ。

「シャーリーちゃんのフルネームを教えて欲しいの。忘れちゃいけないから書いてね」

 ペンと一緒に差し出された紙は真っ白で、でもなぜか王妃様は下のほうを指差した。

「ここにお願い」

「はい」

 ペンを持って書こうとしたのだが、ふと違和感が沸いた。

「……これ1枚ですか?」

「1枚よぉ?」

 コテン、と可愛らしげに首を傾げた王妃様。

 だがわたくしは目上の方だというのに信用せず、左手の親指と人差し指で素早く紙をこすった。

 ぺリッと音がして紙が2枚になった。

 しかも2枚目にはびっしりと文字が書かれており、わたくしが書けと言われていた所は署名欄だった。

「王妃様?これは」

「婚約承諾書よ」

 パッとわたくしは手をどかした。

 だが、それより早く王妃様がわたくしの右手を掴んだ。そしてそのまま親指に朱肉をつける。

「拇印でもいいわよぉん」

 ニタリと笑った王妃様に、わたくしはサイラスの影を見た。

 目つきは似てないが、間違いなく親子だ!

 グッと押させようと力を込める王妃様。

 押してなるものかと持ち上げるわたくし。

 いつの間にか2人して腰を浮かし、両手で持って押して押さないの攻防戦を繰り広げていた。

「ふっくぅっ!諦めなさいな、シャーリーちゃん!」

「くぅっ!人生諦めたらそこでおわりですわっ!」

 鍛えているはずのわたくしが力負けしそう。この王妃様すごい。

 同じことを思ったのか、王妃様の目がパチリとかち合う。

「嫁に来なさい!」

「横暴ですわ、王妃様!」

「やっぱり既成事実が1番だわ!言い聞かせなきゃっ」

「強姦反対ですわっ!一生許しませんっ」

「嫌いから始まる恋もあるそうよっ」

「軽蔑から始まる愛はありませんわっ」

「いいじゃないっ!嫁に来てっていってるのにっ」

「色恋沙汰の問題とか嫌なんですっ」

「サイラスのどこがいけないの!?」

「サイラスがいけないとは言ってませんわっ!」

 パチクリと王妃様の目が大きく瞬きした。

 わたくしもしまった、と目を見開いた。

 きっと始まるわ、勘違い。


 だが。


「隙あり」

 王妃様はわたくしから目を反らすことなく、そのまま腕を押した。


 ペタリ、と親指に硬いものがあたった。


 ……わたくしは目線だけ下を向、自分の親指の位置を確認した。


 そして全身から血の気が引いた。


(ひぃいいいいいいいいいい!!!)


「やったわ!」

 意気揚々と紙を両手で持ち上げ喜ぶ王妃様。なぜか拍手喝采が起きる。

 わたくしは見た目にわかるくらい青ざめ、ガタガタと震えだしていた。

 小躍りしている王妃様なんて、まったく見えない。


(なんてことなんてことなんてことなんてことなのぉおおおお!?)


 ガタガタ震えている場合じゃない。

 こうなったら切り替えが大事だ。

 そうよ、たかが婚約。されど婚約なんて言わせないわ。

 他国で醜聞を撒き散らすなんて難しいけど、でもやらなきゃやられる。

 お兄様やティナリアの未来に暗雲どころか、嵐が吹き荒れ我が家の存続危機になるかもしれない。でもそうなると本末転倒。わたくしは親兄妹には感謝している。


 ……こうなったら出家だわ。

 ちょっと早いけど、レインやマニエ様達とちゃんとお別れできないけど、お手紙で許して欲しい。


 どんどん自分の中で物事を決めていると、今2番目に会いたくない人の声が聞こえた。

「何やってるんです、母上」

「まぁ、サイラス!見て!母はやりましたっ!」

 胸を張り成果を見せる王妃様に、サイラスは車椅子に座ったままうんざりした顔で言った。

「無効ですよ。とっとと破って捨てて下さい」

「まぁ、何で?」

「皇太子殿下夫妻の時はお互いの了承があったのでしょうが、俺と彼女との間にはまだ何もないんです」

「そんなもの後でどうにでもなるでしょう?」

「……俺は一生彼女に嫌われるでしょうね。そんな結婚するくらいなら、俺にも考えがあります」

「え?」

 ちょっとだけ王妃様が身構えた。

 サイラスはサラッとそれを口にした。

「出家します」

「えぇっ!?」

 目が飛び出さんばかりに驚く王妃様。そしてどよめく侍女にメイドと護衛達。

「なっ……なっ……」

 口をパクパクさせ上手く言葉の出ない王妃様に、サイラスは更に言う。

「軍も役職も知ったことじゃありません。あなたがずっと言っていた俺似の孫は見せられませんが、あなたが崇拝する先王の容姿を持つ子孫は皇太子殿下夫妻か兄上、アシャンから生まれるかもしれません。どうか長生きして下さい」

「何言っているの!馬鹿な考えはおやめなさいっ!」

 顔を真っ赤にして怒鳴る王妃様と、それを冷静に受け止めるサイラス。

 王妃様が手にした婚約承諾書はすでにぐしゃぐしゃだ。

 サイラスの車椅子を押していたエージュは、それを黙って見守っている。

 え、わたくし?

 そうね。呆気に取られていたのだけど、親子喧嘩より気になるものを見つけてそれをじっと見ていた。

 それはエージュの後ろで、もそもそと動いていた。



 ねぇ、なんでヤギがいるの?



 柔らかそうな大きな赤いリボンを首に巻き、頭に小さな角が2本生えた真っ白なヤギが、なぜかこっちを見ていた。

 ヤギの目って結構怖い。

 孤児院でミルクが取れるからと育てているけど、最初見たときはあの横に伸びた瞳孔と悟ったような目に驚いた。今は意図的に目を見ないようにして慣れたが、なぜ王城にヤギがいるのだろう。

 しかも大事にされているようで、白い毛並みは艶々で角の先も丸く手入れされ、時々わたくしに向ける剥き出しの歯も白い。

 ……ねぇ、そんなに歯を見せなくてもいいわよ、ヤギ。

 

「もうっ!わかったわよ。でも大事な書類なんだから、簡単には捨てられないのよ」

 いつの間にか王妃様が折れていた。

 でも最後の悪あがきのようで、陛下に一度見せてから処分を考えると言っている。

「大丈夫です。あっという間に消えます」

「陛下のサイン入りの書類を燃やすことは禁止されているのよ?」

 ほほほっと何やら勝ち誇る王妃様。

「まず確認しますので、それを下さい」

 サイラスが左手を差し伸べると、王妃様は渋々ながらぐしゃぐしゃの婚姻承諾書を渡した。

 それをしっかり確認したサイラスが、わたくしの方を向いた。

「お前の意思はないな」

 言われてわたくしはビクッと体が震えた。

 何も言わなかったが、サイラスはうなずくとそのまま後ろを振り向いた。

「ミルク」

「メェエー」

 のっそり進み出たのは、あのヤギ。

「まぁっ、ミーちゃん!」

 驚く王妃様。

 え、まさか王妃様のペットですか?

「ほれ」

「メェエー」

 パクリ、とヤギのミルクは差し出された婚姻承諾書を口に含むと、そのままムシャムシャと食べだした。

「きゃぁああ!なんてことをっ!」

「これはこれは。ミルクにも見てもらおうと思ったのですが、まさか食べてしまうとは」

「ミルク様、すぐにお水をお持ち致します」

 馬鹿丁寧に膝を折り、エージュは「なんてことだ」と芝居臭い台詞を吐きながらメイドに指示していた。あんたその手に持った水入れは何?

「困りましたね。ミルクの腹から出すわけにもいかない」

 しれっとしたサイラスの横で、ミルクは忙しげに咀嚼している。

「ミーちゃん!なんでここにいるのっ。クーちゃんが寂しがってたわよ!」

 クーちゃんというのは、もしやヤギですか?王妃様。

 ヤギのミルクに駆け寄り、膝をついてまだ咀嚼中のミルクを心配そうに見ている。

 メイドから渡された水入れを床に置いたエージュは、またも不自然に思い出し焦る素振りを見せた。

「王妃様!いくら上質の紙とはいえ、紙は紙です。念のために胃薬を飲ませてさし上げたほうがよろしいかと」

「そ、そうね!」

 王妃様は立ち上がると、クルリとわたくしの方を向いた。

 その目にはなぜかうっすら涙がたまっており、少し悲しげな顔をされていた。

 勘違いなさらないでっ、王妃様。ミルクの腹痛には関わっていませんわよ?

「シャーリーちゃん!」

「はい」

 グッと王妃様は右手を握り締めた。

「諦めないわっ!覚えてらっしゃいっ!」

 ビシッと指を差された。

 どうやら本格的に嫌われた……。

「どうっ?こんなものかしら!?」

 ん?なぜか嬉しそうに侍女達を振り向くと、緑のドレスの侍女が首を横に振った。

「いいえ、王妃様。ここはもっと顎をそらし、冷たく言い放つのがよろしいかと」

「まぁっ!露骨過ぎては本当に嫌われちゃうわ」

「では息子が味方してくれない可愛そうな母親、という心情で申しますならサイラス殿下にも一言おっしゃってはいかがでしょうか」

「そうね!」

 オレンジのドレスの侍女の提案に乗った王妃様は、気を取り直したように悔しげな顔でサイラスをビシッと指差した。

「母は悲しいわっ!」

「俺はもっと悲しいですよ」

「ひどいわっ、サイラスの馬鹿っ!」

 最後はたんなる痴話げんかになった。

 護衛がミルクを抱きかかえると、王妃様は残念そうに顔を伏せたまま扉に向かって歩き出した。

 でも、部屋を出る直前に顔をパッと上げてわたくしを見た。

「次は『再会の義母、息子に迫る嫉妬の嵐』よ!」

 なぜかニコニコの王妃様。


 なんですか?それ。


「またねー!あら。クーちゃん!」

 扉が閉まる寸前で見えたのは、黄色いリボンをつけた茶色い毛のヤギだった。

「メェエー」

 ミーちゃんかクーちゃんかどっちかの声がした。



 こうして嵐は去った。



 わたくしは扉を見つめたままつぶやいた。

「聞きたいことがあるんですが」

「だろうな」

 見れば車椅子の肘掛に左腕をついて、頭を抱えるサイラスがいた。

「まずエージュ、あなた芝居下手ね」

「わかっております」

 一礼したエージュはかすかに震えていた。

 恥ずかしさが今になってこみ上げたようだ。しばらく顔を伏せていた。

 いいわ。そのまましばらく羞恥に震えていてちょうだい。

「王妃様って結局わたくしのことが嫌いなのかしら?」

 さすがに好きなのかと聞くのはおこがましい。

「いやぁ、あの人はお前のことは気に入っていたぞ。ただ、皇太子妃とは違った関係を築いてみたいと言っていた。皇太子妃とは仲が最初から良かったからな。お前の前評判から嫁×姑バトルをしてみたいと言っていた」

「はっ!?」

「あの人は予行練習を人形劇でするんだ。多分見せられただろう?あのノリが欲しいそうだ。お前ならきっと良い罵りあいができると見抜いたらしい。多分最初に謁見した時じっと見られなかったか?あの人は観察眼だけはズバ抜けていて、正直そこが凄過ぎて勘違いに発展するんだ」

 わたくしは謁見の時に見られていたことを思い出した。

 確かに値踏みされるようにじっと見られていたが、まさかあの微笑の裏でそんなことを考えていたとはっ!

「あの人は気に入ったものしか自分の世界に入れない。シャーリー、お前次回予告されたということはよほど気に入られたようだな」

「タイトルからしてあなたが何かされるのではなくて?」

「…………」

 サイラスは黙って目をそらした。

「……お前を見送ったら私邸に戻る」

「そうね。明日でお別れですわ」

「いろいろ世話になったな」

 向けられたサイラスの顔には笑みが浮かんでいた。

 その顔を見て、わたくしは無意識に目をそらした。

「勘違いなさらないで。別にあなたのためになんてしてませんわ。全部言われてさせられたことです」

「そうだな」

「たくさん散財しましたわ」

「プーリモの商品を店ごと買い取りでもしたか?」

「そんなに食べれませんわ。それにみんなの楽しみを奪うほど悪趣味ではありませんの」

「それは散財とは言わない。それから、お前あちこちで露出するな」

 ムッとしかめっ面になったサイラスを、わたくしは不快な思いで見下ろした。

「人をなんだと思ってますの?露出なんてしませんわ」

「鍛錬場で足を出したと報告があった」

「あれは仕方ないことですわ」

「いえいえ、シャナリーゼ様。サイラス様は嫉妬してらっしゃるだけです」

「馬鹿馬鹿しいわ。たかが膝下まで見せたくらいで。必要とあれば踊り子の格好だって出来るわよ」

「えっ!?」

 と、妙にマヌケな反応をした男2人を、わたくしは目を細めて睨みつけた。

「モノの例えよ」

「……そうか」

 しかしどこか納得していないサイラス。何を考えているの。

「ところで熊が持ってきたヨーカンは食べた?」

「熊?」

「ナリアネス隊長のことです、サイラス様」

 あぁと納得したサイラスは、首を振った。

「口があまり開かんからな。しかもあいつが持参したヨーカンは周りが砂糖でコーティグされて、ガチガチに固いギオヨーカンだ。まぁ、砂糖の下は普通のヨーカンだが」

「口の中もまだ切れてますのね。固いものは控えたほうが宜しいようね」

 ギオヨーカン。確かに普通のヨーカンより日持ちすると聞いたことがある。やはりストックしていたな、熊。

「溶かして飲もうと思う」

 可愛そうなギオヨーカン、と思ったのはわたくしだけかしら。

「あ、そろそろ戻りませんと、フィセル様がお怒りかと」

 ようやく立ち直ったエージュが、手にしていた懐中時計をパチンと閉じた。

「そうか。やれやれ、たしか薬の時間だったな。もういいというのに」

「小さい子みたいにダダこねないで飲みなさい、サイラス。熊なんて外で兵士をしごいてるわよ」

「……あとで俺も指示を出すか」

 あらやだ、ごめんなさいね3班の皆さん。

 結局サイラスのしごきは免れないみたいね。


。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆


「お薬です」

 フィセル様がにこやかに差し出したマグカップは、なぜか濃い白い色をしていた。

「王妃様からのお見舞いで、ミルク様の絞りたてミルクです。後はプーリモのホワイトチョコレートを溶かして、とても飲みやすく仕上がっています」

 渡されたマグカップを、サイラスとわたくしはじっと見つめていた。

「お薬ですから、そのままグイッとお飲み下さい」

 確認するまでもなく、薬湯にヤギのミルクのホワイトチョコレート入りを混ぜた怪しい飲物らしい。

 寝台の足元では笑顔のフィセル様と、もう諦め顔のエージュが白い布巾を持って待機している。

 わたくしもサイラスが飲んだらすぐ避難しよう。そして拭くのを手伝おうと思った。

 ……サイラスは飲んだ。

「うごふっ!」

「きゃあっ」

 堪えきれず決壊したサイラスの口から、薬湯ミルクがわたくしの胸に盛大に吐き出された。

 薬湯とミルクの相性が悪いのか、少しだけ粘りを帯びている。これはむせる。

 生温い薬湯ミルクを胸に浴びたわたしは、思いっきり顔をしかめて、さぁ文句を言おうと口を開きかけた。

 そこへバーンとノックなしで扉が開かれた。

「サイラス!次はシャーリーちゃんを…………」

 言いかけた言葉を止め、唖然とするわたくし達をたっぷり同じような顔で見ていた王妃様。

 控えている緑とオレンジの侍女は、ただ静かに立っていた。

「いやぁああああ!孫の種の使い方間違っているぅううっ!」

「何馬鹿言ってるんですか、あんたっ!」

 怒鳴り返すサイラスにかまうことなく、王妃様はいきなり全開で暴走した。

「空気に触れたら死んじゃうのよっ!外じゃなくて中よ!?」

「いい加減口を閉じて下さいっ!」

「いい!?男と違って女には専用の器官があるのよ!」

「誰かミントティー大量に持って来いっ!」

「ジャスミンティーにしなさいっ!いいらしいわっ」

「おいこら、シャーリー!遠い目するなっ」

「目に入ると危険なのよぉ」

「これはフィセル特製の薬湯ですっ!!」

 傷口が開こうがかまわず怒鳴るサイラス。

 決して引かない王妃様。

 フィセル様とエージュはさっさと片付けに入った。 


 勘違いなさらないでっ、王妃様。さすがの侍女達も慌てていますわ。


 あぁ、早く着替えたい……。





読んでくれてありがとうございます。


。・☆。・☆。・☆。・☆。・☆


 とある一室で王妃様はエサを食べるミーちゃんとクーちゃんを愛でていた。

「最初は角が生えた珍しい子犬だと思っていたのに、3日後に『メェエー』て鳴いてるの聞いて、本当にびっくりしたわ」

 ふふふっと笑っているが、王妃様の横にいる彼女の娘は笑っていなかった。

「……石になればいいのに」

「ふふっ、慣れてくればヤギってかわいいわ。角も素敵だし」

「……美味しく頂かれればいいのに」

「そうねぇ。もうちょっとダイエットが必要かしら?でも痩せ過ぎよりいいんじゃないかしら?ねぇ、アシャン」

 アシャンはそっとミーちゃんを撫でた。

「……毛皮」


 全く噛み合っていないような親子の会話だが、今日も親子はヤギを愛でている。

 誤解がないように言えば、アシャンは動物が大好きである。


 *アシャン : イズーリ国王女でサイラスの妹。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ