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勘違いなさらないでっ! 【20話】

うひひっ☆とまだ笑いが止まらない上田リサです。

タイトル付きですが、なしもあります。

なしなら、あのおみ足が全面に……よし、そのバージョンも……。

 グルルッと唸り声を上げそうな勢いで睨むナリアネス隊長……もう、熊でいいかしら、熊。

 最近城の中で運動不足を実感していたわたくしは、今朝からサイラスに贈られたあの凶器の靴をたまたま(・・・・)履いていた。その靴で踏みつけた後頭部は靴跡をのこし、鞭が触れたのか鼻先がほんの少し赤い。

 そんな彼とテーブルを挟んで座っているのが、わたくしとエージュ。

 あぁ、わたくしの側には丸めた鞭がありますが、応接室の壁に飾ってあった大小の剣は先程失神しかけて、思わず冬を待たずに天に召されようとした老執事と、2人の男女の使用人がササッと慣れた手つきで回収して行った。

 ついでに鎖か荒縄で締め上げてくれても良かったのだけど、そういえばこちらはお願いする立場だったわと思いなおして言うのをやめた。

 そんなわけでわたくしの鞭は回収もされなければ、目に付かないところへしまうことも言われずに堂々と出している。

 だって控えているのはエージュはともかく、あの老執事だけ。次、熊が暴れたら間違いなく命が危ない。


 ……主に老執事が。


 御老体を危険にさらさないためにも、わたくしは睨みつける熊と目線をぶつかり合わせていた。

 もう、本当ならバチバチと火花が飛んでいてもおかしくないかもしれない。

 「……うぅっ」

 熊が弱く唸った。

 あら、これは勝てそうね。

 わたくしは内心ニヤリと口角が上がりそうなのを押さえ、最後の追い込みにかか……。

 「シャナリーゼ様、相手は人間です。お間違えなきように」

 横から冷静なエージュの声がして、ハッとわたくしは我に返った。

 「ナリアネス隊長も、どうか警戒を解いて下さい。可憐な女性を相手に失礼ですよ」

 「かっ可憐!?この者のどこがだっ!?」

 失礼にもほどがある言い分に、わたくしはスッと目を細めた。

 なぜかビクッとうろたえた熊は、立ち上がりかけた腰を素直に下ろした。

 そしてチラチラわたくしと目が合うものの、先程のようなあからさまな敵意は消えていた。

 ふふっ、ウィコットならまだしも、熊に容赦はしませんわ。

 「本日はマディウス皇太子殿下の使いで参りました。ご用件はお分かりですね?」

 ゆっくり諭すようにエージュが言うと、熊は1度大きく深呼吸した後目線をそらした。

 「何度も言うが、これはけじめだ。中隊長である我輩が小隊を上手く誘導できずにいたせいで、サイラス様が大怪我を負うことになったのだ」

 「ですがサイラス様もだいぶ回復されております。あなたが自主謹慎なさっていることは御存知ないかと思います」

 「別に自主謹慎を知って欲しくてやっているのではない。何度も言うがけじめだ。無駄に頑丈な体ゆえ左腕の骨折程度で済み、守るはずの方に大怪我をさせてしまったのだ」

 それっきり口をつぐんでしまう。

 エージュも言うのをやめ、そっとわたくしに耳打ちした。

 「いつもここで終わるのです。もう何を言っても聞いてもらえませんし、返ってきません。こちらが根負けして引くのをお待ちなのです」

 「そう、なら仕方ないわね」

 そう言ってわたくしはゆっくりと長椅子から立ち上がった。

 警戒するように熊の目線がわたくしを追うが、全く気にせずゆっくりと庭が見渡せる窓に近づく。

 丁度右側に熊が座る長椅子から少し離れた位置に立ち、前庭の広がる景色を眺めていた。

 その間も視線は時々感じる。

 エージュは何も言わず、ただ黙って座っていた。


 しばらくして、ようやくわたくしは意見がまとまった。

 やはりこれしか言いようがない。

 うんうん、と1人小さくうなずいていると、痺れを切らしたように熊が早口に言った。

 「一体なんなんだ!?何が言いたい!」

 「まぁ、よろしくて?」

 クスリと笑うと、そのままゆっくり熊の座る長椅子に近づいた。

 ぐっと息を潜めて警戒しつつ見上げる熊を、少し高い目線からしっかり見据えた。

 そして腰に両手を当て、すぅっと息を吸って短く言った。


 「ちっさっ!!」


 は?と熊の目から警戒が抜けた。

 わたくしは蔑んだ目で見下ろすと、そのまま勢いよく話し出した。

 「小さいと申しましたのよ、小さいと。まったく体は熊のような大男ですのに、少女のような肝の小さな考え方をなさいますのね。もう、小さすぎて怒る気力もありませんわ。あぁ、嫌だわ、これじゃあお見合い15連敗もますます更新のようですわね。まったく図体ばかり育った強面で頑固で短気で唸るなんて、嫌われ要素満載ですわね。土壇場では牙をむくというウィコットのほうが、断然勇ましいですわ。あの可愛らしい姿から想像できまして?胸が熱くなりますわ。でもあなたから感じるのはイジケ虫ですわ。わたくし毛虫は苦手ですの。小枝でつまんでポイですわ」

 馬鹿馬鹿しい、とわたくしは踵を返した。

 「帰りましょう、エージュ。こんな腑抜けは軍に、いえ、サイラスの下にいらないわ。とっとと除隊でも出家でもしなさいな」

 むんずっと鞭を掴むと、そのまま熊を見ることなくドアへ向かう。

 エージュは何も言わず黙って立ち上がった。

 まったく本当に馬鹿馬鹿しい。

 異国の地で誰にも祝ってもらえず誕生日を迎え、朝からサイラスに群がる令嬢達と、彼のそっけない態度にうんざりしてちょっとだけイライラしてるってだけでも最悪なのに、トドメにイジケ虫のお世話なんてやってられますかっ。

 これはプーリモに寄ってもらわないと割りがあいませんわ。


 「待てっ!!」


 重低音の唸り声が響いた。

 釣れましたわ、とか間違っても思わない。むしろかかわりたくない。 

 早くプーリモに行って癒されたい。

 なんだって今日はハズレばかり釣れるのかしら。

 腕が鈍ったのね、と2年のブランクがここ最近如実に現れている。

 足は止めるが顔は見たくない。

 そもそもうんざりしたわたくしの顔も見せたくない。

 だが熊は()えた。

 「いらん、だと!?そなたに何がわかる!仕える主君を庇いきれずに重傷を負わせ、どの面下げて会えというのだっ!」


 プッチーン、と数年ぶりに何かが切れた。


 「……勘違いなさらないでちょうだい」

 抑揚のない低い声と、完全に感情が消えた顔でゆっくりと熊を振り向く。

 視界の隅のエージュが黙って1歩後退して、わたくしと熊の延長線から消えた。

 「いらない、と申し上げたの。首を差し出されても迷惑ですので、このまま勝手に除隊して引きこもっていらして。もしくは出家なさって、ずっと後悔と懺悔と自分の言い分に酔っていらしたらいいわ」

 「なんっ……だと」

 熊の握り締める拳がブルブル振るえ、血管が浮き出ている。

 目も血走って見開き、唇もかみ締めているせいか震えている。

 「こっ小娘が調子に」

 「ご自分の責任って本当にわかってらっしゃるのかしら」

 熊の言葉を遮り、コツリと1歩前に出る。

 しっかり熊の睨みを受け止めながら、わたくしは言葉を紡ぐ。

 「サイラスは自分の責任を達成する為戻ったのだわ。でもあなたはその責任から逃げてる。勝手にサイラスを守れなかったと理由付けて、さっさと家に引きこもって反省してるふりをしているだけよ。あなたを見習って自主謹慎してる隊員もいるようだけど、そろいも揃って馬鹿ばっかりね。わたくしならそんな部下いらないわ」

 「知ったような口をっ!」

 「わたくしが欲しいのは使える者よ。無能はいらない。非凡でなく凡人でいいの。自分ができることを、今おかれた状態で最大限努力できることができるなら、その者は財産だわ。だけどあなたは何?寝て起きて引きこもって大層よいご身分ね」

 「…………」

 とうとう熊が黙った。

 「あなたがいかに優れたと称される軍人であっても、今のわたくしには引き止めるだけの価値がないわ。あなたはサイラスやマディウス皇太子様にお会いしようと思っているのでしょうけど、わたくしがサイラスなら門前払いだわ。けじめという隠れ蓑に隠れたイジケ虫に会うより、正規軍に上がろうと必死で訓練を受ける訓練生の相手をしているほうがずっと有意義だもの」

 真っ直ぐ見て言い切れば、熊は少しずつ目を伏せた。

 「……帰るわよ」

 空気になっていたエージュに声をかけ踵を返す。

 ドアの近くにいた老執事はさぞかし顔色が悪いだろうと思っていたが、なぜか微笑んでいる。

 ……何かの精神を刺激してしまったのだろうか。

 執事職を引退させ、早急に治療が必要となってしまったのかと、わたくしは一気に怒りが消えた。

 だが、老執事は黙って一礼した。

 それはまるでお礼を言っているかのようだった。

 「……行くわよ」

 一瞬立ち止まったものの、わたくしは前に進んだ。

 と、野太い大きな声が背後から響く。

 「待てっ!」

 止まるもんですか。あなた何様ですの?あぁ、イジケ虫の熊隊長サマでしたわね。

 歩き続けるわたくしを止めたのは、ずっと黙っていたエージュだった。

 「シャナリーゼ様」

 「……わかったわよ」

 静かな声ながら拒否できなかったわたくしは、渋々後ろを振り返った。

 「何か?」

 「……我輩に償いができるのだろうか」

 目を閉じたまま懇願するような声がしたが、わたくしにとってはどうでもいいことだ。

 「知りませんわ。でもわたくしはこれからやることがありますの。あなたを見ていたらすぐ思いつきましたわ」

 「何をするのだ?」

 教えて欲しい、と顔を上げた熊の顔は凶暴性を抑えた小熊のようだった。

 あらあら、どうあっても子犬には見えないわ。熊は熊ね。

 わたくしはツッと口角を上げた。

 「あなたに代わって愚鈍な隊員の再教育ですわ」

 ぎょっと目を見開いたのは熊だけではなく、今までずっと冷静だったエージュもだった。

 「ふふっ、イジケ虫の隊長の下でのほほんと惰眠(だみん)しているから、今回のようなことになったのでしょう?2度とこんなことがないようにきっちり教育をしなくてはいけませんわ。あぁでも、勘違いなさらないでね。わたくしはマディウス皇太子様にご進言申し上げるだけですわ。本当なら直接この鞭で打ってさし上げたいけど、他国の女にはそんな権限ありませんものね」

 「た、他国?」

 熊はあわてたようにエージュを見た。

 「な、なぁ、エージュ殿。先程からサイラス様を呼び捨てにするこの令嬢は一体?」

 「あぁ、お名前だけでしたね。こちらサイラス様を、目下怒涛の勢いでフッているライルラド国の伯爵家御令嬢シャナリーゼ様です」

 妙な説明の仕方が気になるが、もっと気になったのは、熊の口が顎が外れんばかりに開き驚愕するその顔だった。

 「さ、サイラス様の御婚約者様……」

 「候補ですわ、候補」

 ちゃんと訂正をしたわたくしはエライ。

 「御用はそれだけ?さぁ戻りますわよ、エージュ」

 手に持った鞭を腰の飾りの中に押し込み、わたくしはドアを開いた老執事の横を通り過ぎた。

 直後に熊の声が聞こえた気がしたけど、きっと幻聴ですわね。

 まったくとんだムダでしたわ。

 心の中で愚痴を吐き出しながら歩いていたら、後ろから迫る気配にまるで気がつかなかった。

 ガッと大きな手が肩に乗り引き止められた。

 「お待ちを、シャナリーゼ様っ!」

 「また出たわね、熊」

 間近に見た熊の必死な表情に、わたくしは思わず言葉をこぼしてしまった。

 しかもお待ちを、というより強制的に止められている。

 うんざりした顔で見上げれば、そこには覇気を失った熊がいた。

 サイラスよりもずっと大きな身長に、鍛えられたぶ厚い体。改めてみれば、なるほどこの体で骨折する事故だったのなら、サイラスのあの怪我も案外軽くすんだほうかもしれない。

 「我輩はどうすれば……」

 しゅんとうな垂れる、熊。

 肩に乗るその手を払いのけて立ち去るのは簡単だけど、熊にほとんど隠れているエージュの目が何かを言っている。


 ……わかりましたわ。捨てたら捨てるだけ、厄介になるかもしれませんものね。


 わたくしはそっと廊下を見回した。

 さっきの応接間といい、熊の話し方といい妙に気になったことがあった。

 「あなた、東の国がお好きなの?特にシャポンが」

 「はっ、え……」

 動揺する熊に、わたくしはなだめるようにゆっくりと話す。

 「わたくしも好きよ。あの国にはブシという騎士がいるそうだけど、この辺りの主流である両刃剣とは違い片刀の細い剣を使うそうね。先程の部屋にもあったわね」

 「あ、その……」

 「お好きなら隠そうとせずに、堂々となさればいいじゃない。例えばあちらの飾り壷の間にある皿のようなものは、イケバナ用の花器でしょう?お花を生ければよろしいじゃない。あと応接室から遠くに隠れて見えた東屋、あれも珍しい形の屋根でしたわね。木々で隠していらっしゃるようですが、それ……きゃぁあっ!」

 涼しい顔をして話していたわたくしだったが、急に足が宙に浮いた。

 目線もグルッとまわり、気がつけば熊に横抱きにされていた。

 「こちらへ、シャナリーゼ様」

 「え?」

 その小声はエージュにも聞こえなかったようだ。

 急に走り出した熊の後ろから、エージュが驚愕という表情を顔に貼り付けわたくしの名を叫んだ。

 力強く走る熊の振動に大きく揺らされ、バーンと開け放たれた部屋の中で、わたくしはようやく下ろされた。

 どんな罵声を浴びせてやろうかと思っていたが、その部屋の中を目にしたとたん、わたくしの中からそれらが全て吹き飛んだ。


 部屋の中に建物があった。

 建物と言っても東屋に等しい簡素なものだ。

 建物は木製で、屋根は小枝のようなものがびっしり積み重なっている。

 壁は土壁のようだが白く、木の枠がはめ込まれており小さな窓がある。建物の右には大きい木枠があり、そこには紙でできた横にスライドさせて開閉するシャポンのドアがあった。

 ポチャンという音がして横を見ると、そこには丸い池があり赤い大きな魚が数匹泳いでいた。良く見るとわたしは石畳の上に立っており、池と石畳以外は丸い小石をで埋め尽くされている。


 「ご覧下さい、シャナリーゼ様」

 間違ってもわたくしにうっとりしてはいない。

 熊はこの部屋にうっとりしていた。

 「も、もしかして茶室ですの?」

 「はい!2部屋くりぬいて改装いたしました」

 嬉しそうに言う熊に、わたくしは黙って自慢の茶室を見渡した。

 「茶室の入り口というのは狭いと書いてあったけど、ずいぶん大きいのね」

 「……自分が入らなかったのです」

 でしょうね、とわたくしはシュンと頭を垂れ静かになった熊を見上げた。

 「サイラスはヨーカンが好きよ。ツテがあるなら山積みにしてお見舞いに持っていくといいわ」

 ハッと熊の目に光が宿る。

 「シャナリーゼ様!」

 と、そこへ少し眼鏡のずれたエージュが走ってきた。

 「ナリアネス隊長!一体何を!?」

 「落ち着いて、エージュ。このお部屋を見せたかったそうよ」

 「は?部屋?」

 眼鏡の位置を直したエージュが、入り口から観察して、はぁっと深いため息をついた。

 「2年がかりでひそかに改装工事を行ったという話がありましたが、まさかこの部屋の話ですか」

 「むっ、なぜそれを!?」

 熊の眉間に皺がよる。

 「こそこそしているのを見つけるのが得意な者がおりまして、あぁ、もちろんサイラス様の部下ですが」

 「うぅっ」

 今日何度目かのうめき声を上げ、熊は黙った。

 「まぁ、よろしいんじゃなくて?せっかくだからここにサイラスを呼んでお茶をするといいわ。ここまでするんですもの、あなたお茶もたてられるのよね?」

 「あ、はい」

 素直に熊はうなずく。

 「ヨーカンは前もって渡すとして。あとカスティーラとかいうお菓子、あれも好きそうだわ」

 「粗目入りですか?」

 「ザラメ?何それ」

 「カスティーラの片面に粒の荒い砂糖をまぶしたものです。シャリシャリして美味しいです」

 似たようなことをサイラスが言っていたのを思い出す。確か溶け残った砂糖を砕くのが好きとか言っていたわね。

 「ザラメたっぷりがいいわよ」

 「わかりました」

 「あ、あの、お2人とも?」

 わけがわからないといった顔で、エージュがこっちを見ていた。

 「あら、ごめんなさいエージュ。多分わたくしがシャポンが好きだと言ったから、勢い余ってこちらのお部屋を見せてくれたんだと思うの」

 「はい、そうです」 

 すっかり大人しくなった熊は、いつの間にかわたくしに敬語を使うようになった。

 「じゃあ、いいわね?ヨーカンを用意して謝りに行きなさい。軍には明日から顔を出すこと」

 「はい。シャポンで最上級謝罪様式ドゲザをさせて頂きます」

 「なんだかわからないけど、最上級ならいいんじゃないかしら?」

 確か座って頭を下げているイメージ図があった気がするけど、今はちょっとピンとこない。

 「用事はすんだわね。帰るわ」

 「あ、宜しかったらお茶を」

 帰ろうと踵を返したわたくしを、熊は遠慮がちに引きとめた。

 「結構よ。わたくし帰ってやることがあると言ったでしょう?それとも何?あなたまさかわたくしに惚れたの?」

 クスッと笑って振り向くと、熊はいきなり床に片膝をついて頭を下げた。

 「とんでもない!惚れるなんて恐れ多い」

 あら、それどういう意味かしら。

 頭を下げたまま熊は声高々に宣言した。

 「(それがし)、いえ、わたしはサイラス様の次にではありますが、貴女様に仕えるべきだと本能的に悟りました!」

 その宣言を聞くや否や、わたくしは思いっきり冷めた。

 「いらないわ」

 「そんなっ!」

 「いらないったらいらない。カスティーラだけちょうだい。行くわよ、エージュ」

 断られたせいで苦悩する熊を置き、わたくしはさっさと部屋を出た。

 後方から熊の声がしたり、途中で力尽き壁に寄りかかり顔色の悪い老執事を追い抜き、わたくし達は玄関を目指した。

 エージュが裏手に行き馬車を回してくると、邸の中からまた熊の声が聞こえてきたので、礼儀には反するが、わたくしは玄関の扉を閉めた。

 「出してちょうだい!」

 驚く御者に言うと、わたくしが乗り込んだ直後にガタンと動き出した。

 小窓からエージュは御者に何か伝えると、微笑んでわたくしと向き合った。

 「成功おめでとうございます、シャナリーゼ様」

 「おめでたくないわ。わたくしの機嫌は最悪よ。もう1度あの頭を踏みつけるところだったわ」

 「お似合いですよ」

 「……いつかあんたも踏みつけてやるわ」

 憎らしげに睨むが、エージュには通じない。

 その代わり、エージュは説明をしだした。

 「ナリアネス隊長は武人輩出が著しい、ビルビート侯爵家の次男のお生まれです。ビルビート侯爵家伝統の訓練を幼い頃から幾度となくお受けになり、今ではビルビート侯爵家随一の武人です」

 「武人というか野人のようだわ」

 「まぁ、訓練と言いますのがナイフ1本で森で生き抜くことですので、それを何度も幼い頃より繰り返してお受けになっていたら、武人の血が変な方向へ目覚められたようですね。そんな自分を落ち着かせるために、シャポンの文化ザゼン、メイソーを学ぶためにはるばる留学されたほどです。お見合いについても本能的に奥方様を見つけられるまで続けられますので、これからも連敗は続く見込みです。これは侯爵家の皆様のご意見です」

 その見合い相手になっている御令嬢もいい迷惑だ。

 本能的に奥方を見つけても、相手が拒否したらどうなるのだろう。

 ……考えたくないわ。よけい疲れそう。

 「そのビルビート侯爵家とやらは皆があぁなの?」

 「いえ、ナリアネス隊長が特異なだけですよ」

 先程からサラッとエージュは結構失礼なことばかり言っている。

 「まぁいいわ。このまま帰るの?」

 「はい、その予定です」

 「成功したなら寄り道くらい許されるでしょう?プーリモに行きたいわ」

 「まぁ、そのくらいならお時間があります」

 エージュが御者に行先変更を告げる。

 わたくしは黙って視界の遮られた窓を見ていた。

 その後プーリモで再び衝動買いをした。

 もちろん支払はエージュがした。元手はサイラスだから遠慮しない。


 

 夕食はレインと楽しんだ。

 姿焼きはさすがにまだ慣れないレインだったが、素直に美味しいと食べるようになった。

 レインに衝動買いした、チョコレートで出来た花を渡して部屋に戻ってくると、エージュがドアの前で立って待っていた。

 「マディウス皇太子様に報告は済んで?」

 「はい。お喜びでした。ぜひお礼がしたいと」

 「いいわ。あの約束さえあなたが守ってくれたらね」

 約束、というのは鞭を持ち、熊を踏みつけたことだ。エージュはうなずいてくれたが、こっちは弱みを握られたようで不愉快だ。

 「それより、サイラス様がお呼びです」

 「あら起きてるのね。いいわ」

 またあのご令嬢達がいるかもしれない、なんて思いながらエージュについて行った。

 ちなみに鞭は部屋に隠した。もう使うこともないだろう。


 部屋に入ると、エージュは「ではここで」と言って出て行った。

 残されたわたくしは、あの令嬢達がいないことに少しホッとしていた。

 サイラスは寝台の上で上半身を起こしていた。

 「ご機嫌いかがですか?サイラスサマ」

 「やっぱり怒ってるな」

 苦笑したサイラスに、わたくしは腰に手をあてふんぞり返った。

 「当ったり前ですわ。いろいろあり過ぎましたの」

 「ナリアネスの件は聞いた。明後日会う予定だ」

 「そんなこと聞いてませんわ」

 大急ぎでヨーカンを手配したのだろう。いや、あの熊なら常備しているのかもしれない。

 「それよりそこの窓を開けてくれるか?」

 指を差されたのはサイラスの寝台のすぐ近くの丸い窓。

 わたくしは言われたとおりカーテンを開けたが、サイラスは窓も開けという。

 夜のひんやりとした風が部屋に吹き込んでくる。

 窓から見えるのは首都の明かり。今もあの明かりの下で人々がそれぞれの時を過ごしている。

 「お前も誕生日は、実家で祝ってもらいたかっただろうに。こんな味気ない誕生日を迎えさせて悪かったな」

 「まったくだわ」

 遠慮なく不機嫌な声で返事をして、わたくしはくるりと振り返った。

 「おめでとうの言葉も、プレゼントもなく、今日わたくしが見たのは御令嬢方とマディウス皇太子様、そしてエージュに熊よ?」

 「俺も朝見ただろう?」

 「えぇ、たっくさん介抱されているお姿を拝見致しました」

 「クッ!」

 突然サイラスが吹き出した。

 「あれは勝手にやって来る候補の奴らだ。言っただろう?全部排除できずにいるけどって。あの2人だけは頑固なんだ。と、いうわけで助けてくれ」

 「女を女で排除するとろくでもないことになりますわ。ご自分で何とかしなさい」

 「俺が女に酷いことをしてもいいと?」

 「方法にもよりますけど、親を説得なさったほうがいいですわ」

 「ではそうしよう。お前が来てくれたおかげで、ようやく周囲が信じてくれたからな。もう一押ししてみるとしよう」

 「……やっぱりダシに使いましたのね。覚えていらっしゃい」

 キッと睨みつけるが、サイラスはニヤニヤと笑ったままだ。

 「どうでもいいですけど、さすがに冷えてきましたわ。窓を閉めていいかしら?」

 「あぁ、ちょっと待ってくれ。もうすぐだ」

 片手で制され、わたくしは訝しげに首を傾げた。

 そんなわたくしを笑ったまま、サイラスはゆっくりとだが寝台から立ち上がった。

 ぎょっとしたわたくしは、思わず側に駆け寄った。

 「立って大丈夫ですの!?」

 寝台の上のガウンを羽織り、サイラスは窓を指差した。

 「俺はいい。見てろ。そろそろ始まるぞ」

 「え?」

 サイラスの側に立ったまま、わたくしは窓に視線を移した。


 ドンッ!

 ヒュルルルル……ドパァアン!


 大きな音がして、夜空に花が咲いた。


 火花ではない。

 次々に音がして打ち上げられる花は、夜空に赤や黄色、緑、青といった色を咲かせた。

 「きれい……」

 思わず目を奪われていたわたくしは、それだけ口にするとそのまま立ち尽くしていた。

 「シャポンの花火という観賞文化だ。バルコニーがあるといいんだが、あいにくこの部屋にはなくてな。窓の近くに行こう」

 いつの間にか肩に回された手が、やんわりとわたくしを押した。

 いつもなら払いのけられるその手を、わたくしは素直に受け入れていた。

 きっとこの花火のせいだわ。

 夜風に乗って火薬の匂いが届く。

 今まではあまり良い匂いではなかったものの、この花火から漂うならその匂いも気にならない。

 窓に近づくと、ドンッという発射音の振動がビリビリと伝わってきた。

 視界いっぱいにひろがる花火は様々な色を花開かせたあと、白い煙を残して消えていく。でもまた次の花がその煙を打ち消して花開く。

 「なんとか50発手に入れた。今夜は30発打ち上げる予定だ」

 「あら、今日は何かのお祝いなの?」

 そんな話聞いてないわ。

 少しだけ花火から視線をそらし見上げたわたくしを、サイラスはきょとんとした顔で見下ろした。

 「何かってお前の誕生日じゃないか」

 「えっ」

 「お前に宝飾品贈っても無駄なのはわかってるからな。それならいっそ一瞬で消えるがこっちの方がいいだろう。いっとくが、イズーリでもこういった花火はなかなか上げないんだからな。今頃城下中大騒ぎだ」

 ハハハッと笑ってサイラスは少し右顔を押さえた。多分痛かったのだろう。

 「残り20発は家に送ってやる。打ち上げには専門の職人が必要だからな、そっちも同行させる。来週中に打ち上げてくれるといい。根回しはライアンに頼んだ。好きなところで打ち上げろ。これは珍しいからな、みんな(・・・)喜ぶぞ」

 ハッと見開いた目に、サイラスは黙って目をそらした。

 「ほら、もうすぐ終わるぞ」

 「え、えぇ」

 軽く動揺しながらわたくしもまた夜空を見上げる。

 「ハッピーバースディ、シャーリー」

 「……ありがとうございますわ」

 花火が終わるまで、わたくし達は顔を合わせなかった。


 まぁいいわ、今日の不愉快なこと全部許してさし上げます。




 でも……勘違いなさらないで、わたくしデレたりしませんわっ!




えーっと。ちょっとはサイラスの株持ち上がりました?

次回は師走の更新。どうか皆様体調に気をつけてくださいね。

インフルエンザとノロウィルス。嘔吐は最悪です。

♪手洗いうがいパンパカパーンツ!(←わかる人はわかるw)


長々とありがとうございました。


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