1-9. 狩りは順調あとはどう料理しようか②
【ヴェロニカ視点・一人称】
「うう、いたい、助けて……!」
「ヴェロニカ! おまえが本当は心優しい女だってことは、ボクもよく知っているよ! なあ? 婚約者で第三王子でもあるボクを、まさか見捨てたりしないだろう? あぅっ…… つっ…… 」
聖女アナンナと、第三王子ヨハン ―― いいえ。
潰れたゴミクズどもが、己の所業も忘れて懇願してくるわ…… 優越感が気持ちいいわね。
クズが素敵なのは、好きなようにオモチャにしてかまわないからなのよ。
私は脳内で一句、ひねり出す。
―― 風魔法使ってみたああなんて心地よきうめき声 (自由律俳句・異世界ふう)
もっとも私は、個人的な恨みでふたりに風魔法を仕掛けたわけではない。くだらないテンプレ婚約破棄や襲撃命令など、取るに足らないことだもの。
私がヨハンとアナンナの馬車を転覆させた理由。それはもちろん、このふたりをゴミクズと認定できたから。
襲撃のあと私に忠誠を誓った、王家の暗部 【土狼】 の首領ことテン。
彼は私に、ヨハンとアナンナの所業をすべてバラしてくれたのだ。
―― ヨハン王子とアナンナは単に、侍女科の生徒たちを愛人として囲っていただけではなかった。
なんとそのうえで彼女らを、媚薬の試験台にしていたのだ。
そして、媚薬の製造・開発元から謝礼という形で副収入を得ていたという。
この世界の媚薬は、前世でいう違法ドラッグに近い。
使えば一時的に神経の興奮、陶酔感、多幸感を得られ感覚が鋭敏になる ―― そのため、貴族や金持ちの間では 『非常に幸せな恋愛行為ができる薬』 として高値で取引されている。
中毒性や依存性があることは知られているが、正規品として出回っているものは、用法・用量を守る限りは低リスクだ。
リスクを抑えられるよう、何度もテストを繰り返し成分を調整していくのだと聞いたことがある ――
その新薬の厳しい試験を、ヨハン王子は趣味と実益をかねて請け負っていたのだそうだ。
「証拠? そんなの王子の狩猟の館に行けば、すぐわかるって」 とテンが言うので、さっそく裏をとるために現場に向かっていた途中 ―― たまたまヨハン王子とアナンナの乗る馬車を見かけたので、ちょっと襲撃のお礼をしただけ。それが、いまの状況だ。
前菜にもならないわね。
なにしろ、このあとはヨハン王子とアナンナを本格的にいたぶれるはずなのだから。
ただし、先に証拠確認はするべきだ。
前世からの私の信条、それは 『好きにしていいのは悪人だけ』 なんだもの。
だから、いまは少々、遊んであげるだけに留めておくわね。
「まあ、なんということでしょう! こんなところで、どうされましたの?」
私はヨハン王子に近寄るふりをしながら、その手をハイヒールで思い切り踏みつけた。とてもイイ音がする。
「いだっああああ゛!」
「ああら、ごめんあそばせ? うっかり、いたしましたのよ?」
抑えようとしても口の両端が上に引っ張られてしまう……
ああ、楽しい。
そうだ、忘れずにきっちり、精神的にちくちくと屈辱も与えなければね。
「ヨハン殿下にアナンナさん? 助けて差し上げたいのですけれど、残念ながら、わたくしの馬車はもういっぱいですの……」
「まさか、このボクを、み、見捨てるつもりか!?」
「まさか。わたくしにとて、人の心はありましてよ」
前世では、中央値からはかなりズレてると判定されていたわけだけれど…… みなさま、そんなにザマァはお嫌いかしら?
私は頬に手をあて、おっとりと首をかしげてみせながらため息をついた。
「けれど、騎士さまは馬で従走してくださるそうですので問題ないとしても…… アナンナさんの従者は軽く怪我をしているでしょう?」
「ハンスがなんだっていうのよ!」
「そう、彼ね、ボックスが横転した際に外部座席から跳びおりて、少し足を痛めてしまったのだそうですわ。それに、メアリーも乗っていますし」
「なっなによ! アナンナは光の聖女なのに! 従者や侍女を優先するっていうのっ!? アナンナ、こんなにケガしてるのにぃ! あぐぅっ!」
私は風魔法でアナンナとヨハンの身体をわずかに地面から浮かせた。
ふたりの喉から、ことばにならない悲鳴が漏れる。
それは痛いだろう。全身打撲と骨折だらけなのに、身体が浮くほどの強風を常に浴びている状態なのだから。
「な、な……」 「うう…… な、に…… よ……!?」
「ですから、こうして運ぶのがよろしいかと…… わたくしの風魔法の訓練にもなりますし?」
「いたいぃぃぃ!」 「あああああっ…… た、たすっ……」
「あら、おめでとうございます。とっても痛そうでなによりですわ」
痛いということは神経がまだ生きている、ということにほかならない。
ヨハンとアナンナのために喜ばしい、と私は心から思い、ほほえんだ。
前世ではサイコパスだと散々、言われたが、私にだって人類に対する愛情はあるのだ。
そんな私を、隣に控えていた男たち ―― ザディアスとセラフィンは、驚いたように見ていた。
「いたっ あああああ…… 」 「あっあっ ううううううう…… いたいいいい」
ヨハン王子とアナンナの、獣のそれより意味ない叫びを楽しみつつ、私たちは馬車で進む。
やがて、木々の向こうに立派な建物が見えた。
どうやら、ここらしい。テンの合図で、馬車が止まった。
食べ物の匂いが漂ってくる。
「そろそろ夕食だな」 とテンが呟く。
「あら、食事はきちんと与えていたのですね」
「まあ、な……」
テンが言葉をにごす。
何か裏がまだありそうだ…… けれど、そこまで虐待をしていないというのであれば、ヨハンとアナンナをいたぶるのも若干は、手加減せねばならないかしら。
私は少しガッカリしたのだが、それも束の間のことだった。
メアリーにヨハンとアナンナを見張るために馬車に残ってもらい、私とザディアス、セラフィンの3人はテンの案内で建物のなかへと入る ――
そこでは、信じられない光景が繰り広げられていた。
透けるような薄物のドレスに狐の耳と尻尾をつけた少女たちが、食事をむさぼっている。
床にはいつくばり、ひとつの飼い葉桶に顔をつっこむようにして。
ぐちゃぐちゃに混ぜられた、一応は食べ物の匂いがするなにかを。
互いを押しのけあいながら、一心不乱に。
「…… 許せん」
ザディアスが怒りもあらわに呟いた。
セラフィンは無言だが、灰青色の瞳が凍てつくように鋭くなっている。
「食事に試験用の媚薬をつっこんで与えているのですね」
「ああ」 と、テンがうなずいた。
「彼女らはもう試験台としては使えない愛玩用だから、与える量はテキトーに少なめだ。アナンナと王子は彼女らが食事をむさぼるさまを嘲笑って楽しみ、そのあとさらに媚薬をエサにして彼女らでゲームしていた。刺激的な使い方を考案して、それも売るんだよ」
「本格的な新薬の試験には、まだ媚薬に慣れていない新入りを使うのでしょう?」
「正解…… 俺のことケーベツするか?」
「いえ特には。あなたは普通の人間なのだと、理解していますわ」
ヨハン王子とアナンナの後始末をさせられていたのは、セラフィンだけではなく、テンもだった。
テンは試験台としても愛玩用としても使えなくなった少女たちを片付けるよう命じられていたのだ。
そのため、セラフィンでは知らなかった内部事情にも詳しかったわけだが……
詳しいだけでなにもしなかったことを、テンはひそかに恥じていたようだ。
「わたくしがあなたなら、ヨハンもアナンナもすでに殺しているでしょうけど…… まともに生きている善意ある人間は、違うでしょう? 彼らが己の立場をとんでもなく大切にすることは、知っていますもの」
「………… そうか」
目の前でひどいことがなされていると知っていても、たいていの人間はなにもしないし、なにもできないものだ。
なぜなら元凶を叩き潰そうとすると、己が犯罪者になってしまうから ―― 世の善人たちがそれを嫌うのは、前世も今世も同じ。
そしてなにもできないことを嘆くか、無感覚になっていくか、である。
―― だから、私のような人間が、しっかりお掃除してあげなきゃね。
せっかく、今世は身分の特権で大体のことは揉み消せそうなんだし。
さて、それはともかく。
この館の人間たちはどうやら、ここで行われていることに対して無感覚になるほうを選んだようだ。
その証拠に、私たちが入ってきても使用人たちは誰ひとりとして咎めだてしてこない。
私たちはテンに案内されて、地下へと降りていった。
むき出しの土壁と床、牢獄のような広い部屋 ――
床の上には、数人の少女たちが寝転がっていた。
夢うつつをさ迷っているような顔はやせこけシワだらけ。身体中に黒っぽいできものが巣くっており、ひとめで死期が近いことがわかる。
「部下にはなるべく清潔にしてやるように言ってるんだけどな、これで精一杯なんだ」
テンが申し訳なさそうに言い訳した。
いっぽう、セラフィンは無言でひとりの少女に近づき、その額に手をおいている。
セラフィンの手からは、闇の魔力の波動が感じられた。
目には見えないセラフィンの魔法が、乾いた棒切れのようになった身体を包みこんでいく。
少女のうつろに見開かれた目が閉じ、規則正しい寝息がもれはじめた。
―― 闇魔法は、身体を休息させ回復力を高める、癒しの魔法なのだ。
「セラフィン殿下は闇の魔力持ちだったのですね?」
「はい。ただし、私の魔力で完全に回復できるかは、あまり…… みな、臓器がぼろぼろですので」
「まあ良いのではなくて? そもそも、このような目にあって、これ以上生きていたいと、この子たちが思うかは、わからなくてよ」
ふと、騎士からの物問いたげな視線を感じる。
「ザディアス、どうかしまして?」
「……っ! いえ、なんでもありません!」
彼の金の瞳が、いたましそうに少女たちに向けられた。
適切に看護し闇魔法をかけつづければ救える者もいるかもしれないが ―― 大半は、手遅れだろう。
「彼女らは病院に運びますか?」
「いえ、公爵家にしましょう。噂になればこの子たちやご実家が困ってしまいますわ」
「かしこまりました。ひそかに運ぶよう、手配いたします」
「ありがとう。よろしくね」
ザディアスが、また驚いたように私を見る ―― 以前のヴェロニカは、騎士にいちいち礼なんて言わなかったからね。
高慢なのではなく、身分的に言わないのが当然と思い込んでいただけなのだけれど。
「さっそく馬車と人手を呼んできてくれますか? ここは大丈夫ですわ。セラフィンとテンもいますから」
「はっ、かしこまりました」
ザディアスが去ると、私たちは地下の廊下を渡り、小さな階段を上って半地階に移った。壁の上のほうに明かりとりの窓がついている。
テンによれば、そこは新薬の試験をされている 『新入り』 のエリア。
まだ薬に汚染されきっておらず正気を保っているため、ひとりずつ個室があるそうだ。
食事もまともに与えられているという。薬物入りではあるけれど。
―― メアリーの友だちのステラも、そこにいるのだろうか。




