第436話 玉座の間
「うむ……少しばかり間が悪かったのぅ」
『玉座の間』へと突入した俺たちを待ち受けていたのは、ひとりの老人だった。
作務衣のような服を着た、白髪白髭の男。
宮殿の中にありそうな、荘厳な雰囲気をした空間の中にあって、中央のきらびやかな飾りがまぶしい椅子がひとつ。
おそらく、あれが玉座なのだろうと思う。
ただし。
その椅子には誰も座っていない。
空の玉座と、その横にたたずむ白髪の御老人。
何というか……想像していたのと少し違うシチュエーションに思わず戸惑ってしまう。
そんな俺たちを見つめる老人の表情にも、少しばかり困惑した色が見える。
「……まさか、途中階をすべて飛ばして、ここに至るとはの。おかげで、こちらも歓迎の準備が整っておらんのじゃ」
「あなたは……? いや、それよりもルーガはどこに?」
「儂か? 儂はヴェルガゴッドの世話役じゃな。名はブリアンと言う」
そう言いながら、どこか愛嬌のある表情で笑う御老人。
ただ、その言葉を聞いて、俺が思い出したことは。
「……もしかして、ルーガの『お爺ちゃん』ですか?」
「祖父と孫の関係じゃな。ふむ、確かセージュと言ったかの? ヴェルガゴッドが世話になったようじゃな。儂からも礼を言っておこうかの」
「はぁ……」
何だろう。
気合いを入れて、乗り込んでいったつもりが肩透かしを食らったような。
もしかして、ルーガって、無理やり連れ去られたわけじゃないのか?
俺がそんなことを考えていると――――。
横にいたカミュが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、驚いているのに気付く。
「ブリアン――――!? ブリアン卿か!? それがルーガの爺さんだと!?」
「……カミュ?」
「元魔王がなぜ生きている!? 当代の魔王が存命である限りは、その座を引き継ぐことはできないんじゃないのか!?」
「――――元魔王?」
感情を露わにして叫ぶカミュ。
その言葉の内容に、俺は俺で驚く。
――――いや、ルーガのお爺ちゃんってことは、魔王である可能性は十分に考えられたはずだ。たぶん、カミュが驚いていることはそこじゃない。
「随分と詳しいのぅ? こちら側の事情に精通しておるということは、いずれかの代での接触があったかの?」
ふむ、と感心したように、カミュの言葉をどこか自問するような感じで、ルーガのお爺ちゃんがぽつりとつぶやく。
その言葉にカミュも眉根を寄せて。
「……あんた、覚えてないのか? 『神聖教会最大の汚点』の当事者だろうが」
「残念ながら、今の儂の記憶にはないのぅ。ふむ……ではおそらく、それは今の儂よりも後の儂が何かしでかしたことであろうな」
「……何だと?」
……どういうことだ?
カミュの話も唐突でついて行くのも大変なんだけど、ルーガのお爺ちゃんの方も、どこかおかしなことを口にしている気がする。
「カミュ、その、ルーガのお爺ちゃんって有名なのか?」
「ああ……『教会』の中ではな」
「その、『最大の汚点』ってやつでか?」
「まあな。かつて、『神聖教会』でも中枢にいたとある人物が、突如として『教会』を裏切る事件があったんだ。その際に手引きをした人物がブリアン卿――――当時の『魔王』だったヴェルガブリアンだとさ」
あたしも生まれる前の話だ、とカミュが付け加えて。
「今でも『教会』の中では禁忌とされている話だ。何せ、その時裏切ったやつってのが何を隠そう、先々代の『教皇』だからな」
「へっ!? 『教皇』って確か……」
『教会』のトップじゃなかったか?
その地位にいた人が『魔王』の手引きに乗ったって……。
うわあ、それすごい醜聞だな。
「ああ。今でも、あたしらにとって、頭の痛い問題のひとつだよ」
「そう言われても、儂にも覚えがないのでな。どう言われても対応できんぞ?」
「……わかってる。さっきのあんたの言葉で、何となく状況が理解できた」
ふぅ、と嘆息しながら、カミュが顔をしかめて。
「あの野郎、信じられないことをするな……そっち系の能力では、エヌよりも上か……」
そう言いながら、ぶつぶつと口の中で何かをつぶやくカミュ。
いや、それはそれで気になるんだが、それよりも――――。
「それで、ルーガは今どこに?」
「生憎じゃが、今は寝室で休んでおる。少しばかり、身体への負担が大きすぎたのでな」
「――――え!?」
「おい……ルーガのやつに何をしたんだよ、あんた?」
「なに、今のままでは不完全なのでな」
そう言って、黙るルーガの――――いや、ブリアン翁。
その奥に秘められた意味を感じ取る。
『不完全』。
『欠片』。
あの時、エヌさんは何て言っていた?
『割れてしまった』。
『なり損ない』。
――――それはつまり、『魔王』として。
「おい! 爺さん! ルーガに何をしたんだ!?」
思わず、口調が荒くなることを自分でも抑えられない。
ルーガの家族だって話だから、ある程度は敬意を払っていたつもりだったけど、この爺さん、今、何て言った?
「そのために儂がおるのだからな。そのための『世話役』じゃ。ヴェルガゴッドを『魔王』として大成させることが、儂の大義じゃ」
「どういうことだ!?」
「あれだけの才を埋もれさせるのは勿体ないという話じゃ。ヴェルガゴッドの能力は、歴代のそれと比べても、比する者がない程に条件が緩い」
「――――!?」
「……確かにな。あたしも気になってはいたが、あいつの能力発動への制約はかなり緩かったな。何せ――――」
臣下であるはずのない、あたしの能力まで持っていかれた、とカミュ。
その言葉にブリアン翁も頷く。
「そうじゃ、ヴェルガゴッドがきちんと、その力に目覚めれば――――不毛な争いに終止符を打つ、絶対的な存在になり得る。それは間違いないのじゃ。だからこそ儂は――――」
「肉親の情を捨てて、か?」
「否定はせぬよ。何が、重要か、じゃ。力を持つ者には責任が生じる」
それだけの話じゃ、とブリアン翁。
「嫌な言葉を聞いたな……一応、聞いておくが、それはもう終わったのか?」
「いや……もうしばらくはかかるのぅ。『欠片』の片割れが逃げてしもうたからな」
「……片割れ?」
「城の中にはおるようじゃが、逃げ足が速くてのぅ」
「……てことらしいぞ、セージュ」
そう言って、シニカルな笑みを浮かべるのはカミュだ。
――――そっか。
つまり、そういうこと、だな?
俺もカミュに笑い返す。
「つまり、今、爺さんを倒して、ルーガを助け出せばいいってことだな?」




