第424話 農民、現実へと戻ってくる
「ふぅ……やれやれ」
目を開けると、そこは無機質な機械の箱の中だった。
久しぶりに戻ってきた現実に、ほっと安堵する。
――――ここだけ切り取ると普通のゲームって感じなんだけどな。
この『PUO』に参加して以来、最も長く繋がり続けていただろう。
時間にして、五日……いや、六日か?
そのぐらいは誤差範囲だろうけど、実に一週間近く、ゲームを続けていたことになる。
一応、長時間に及ぶVRゲームのプレイには制限がある。
家庭用のヘッドセットタイプならいざ知らず、この手のゲームセンターなどの巨大筐体の場合、一定時間以上のプレイは禁止されているはずだ。
まあ、それも健康上の理由だけじゃなくて、機械の回転率とかそういうものとの兼ね合いもあるのだろうけど。
そういう意味では、途中で強制ログアウトの処置などにならなかったのは、少し意外だ。
長時間のプレイは程々に、という風な注意は一色さんからも受けたし、ゲーム内でも疲労がひどくなれば、強制的にログアウトされるのは、自分の以前体験した通りだ。
ゆっくりと霧状のものが晴れていくのを見ながら、そんなことを考える。
……というか。
「……一週間近く、俺、トイレにも行ってないはずだよな?」
現実での生理現象はどうなってるんだ?
そのことに気付いた途端に、何となくトイレに行きたくなったから、完全に制限されているわけでもなさそうだし。
――――と。
『お疲れ様でした。イツキ様、ログアウト作業が完了いたしました』
響くのは機械を通した一色さんの声だ。
刷り込みじゃないけど、その声を聞くと『戻ってきた』という実感が湧いてくるから不思議だよな。
無事、旅行から家に帰りついた時みたいな感じというか。
そうこうしているうちに、カプセルが開いて、ようやく、表に出ることができた。
「今回の御使用は随分と長くなりましたね?」
「ええ。すみません、なかなか戻るタイミングがなくて」
「プレイ中も体調の管理は続けておりましたが、念のため、軽く検査をさせて頂きますね」
その後、いつものログアウト後よりもきちんとした検査が行われた。
何となく、ちょっとした人間ドックみたいな感じだと思いつつ。
何だかんだで、検査結果も『異状なし』だったので、あっさりと解放されたのだが。
多少催してもきたので、俺がそのまま部屋へと戻ろうとしたところ。
「イツキ様、今回の長時間接続の件で、改めて担当者がおうかがいしますので、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい、わかりました」
一色さんによると、自室で待機していてほしい、とのことだったので、承諾。
トイレを済ませた後で、しばらく、その担当者の方を待つこととなった。
◆◆◆◆◆◆
待っている間に、少しここまでの流れを整理しておく。
ラルさんの家での話の後、俺たちはそのままの足でサティ婆さんの家へと戻り、アルルちゃんとシモーヌちゃんがそこにいるのを確認。
そのまま、サティ婆さんも交えて、行方不明になっていた間のことなどで話せる部分については一通り伝えて、現状について認識してもらった。
ルーガがさらわれている状況に変わりはないので、できればすぐにでも動きたかったのだが、もうすっかり夜も更けている時間だったため、やむなく、『お城』への挑戦は翌朝行なうことにして、今日のところは現実へと戻ってきたというわけだ。
夜は魔獣が活性化する時間帯、とのサティ婆さんからの忠告を受けたから、というのも理由のひとつだ。
サティ婆さんも『精霊種』だけに、あの『お城』を下見に行った際、その在り方について、違和感を覚えたらしい。
『もしかすると、ダンジョンの可能性があるねえ』
規模については、『素材』を大量に集めれば、あのぐらいの巨大な『お城』を生成することは可能なようだ。ただし、その建築の際の術式が、サティ婆さんによれば、単なる精霊術の術式とは異なる要素も含まれていたそうだ。
その辺はラルさんたちと話をした際にも出てきた話題だ。
あれほど、大掛かりな術が、単なる『巻物』にまとめることが果たして可能なのか。
もしかすると、術の発動時に、別の要因が外から絡んでいるかも、と。
まあ、外的要因というか。
エヌさんの介入の一種だろう、というのがその意見だ。
この世界においては、エヌさんがどこに力を注ぐかで、大分バランスが変わってくるらしい。本来、『再現』につぎ込むべき力を削って、その分を『ダンジョン造り』に回せば、こういうことも可能じゃないか、って。
さすがにその辺の事情については、当のエヌさんに直接聞かないと何とも言えないんだけどな。
ただ、サティ婆さんの推測だと、あの『お城』の中にも魔獣が湧き出てくる可能性は否定できないそうだ。
うーん。
迷い人のみんなで頑張って建てたはずの『家』の中にも、普通のモンスターが湧き出るのって、どうかとは思うけど。
とりあえずは、明日だな。
アルルちゃんの協力も取り付けたので、明日は朝から一緒に行動できる迷い人を集めて、『お城』へ入れるかどうかの調べるのだ。
すでに『けいじばん』での募集も済ませてある。
テツロウさんやクラウドさんたちも参加してくれそうだ。
あと、ビリーさんたちの一派もうまくばらける感じで動いてみるらしい。
『お城』に挑むのはビリーさんかな。
一応、『フレンド通信』で、みんながいる場所で『例のもの』を使うのは控えてほしいとは言われた。もっとも、緊急時はやむを得ないし、もしばれた場合は『森』の中で偶然入手できた、という風にすることになってはいる。
まあ、『PUO』の中に銃が存在することが広まる分にはあまり問題ないようだしな。持ち込んだことがばれる方がまずいってことだろう。
後は『お城』の中に入ったと思われるヴェルフェンさんの存在だけど、結局、ヴェルフェンさんもサティ婆さんの家まで戻ってきていなかった。
案外、外から見た以上に、あの『お城』の中は複雑になっているかも知れない。
ログアウト地点が見つからない、とか。
定期的に『けいじばん』で呼びかけてもいるので、今は返事待ちの状態だな。
その辺は、自分も似たような状況に陥ったので、ダメ元のようなものだけど。
そんなことを考えていると――――。
ようやく、待ち人が現れた。
一色さんからは担当者と聞かされていたので、この『施設』の一色さんよりも偉い人が来るのかな、と考えていたのだが。
やってきたのは――――ある意味、想定外で、同時にどこか納得がいく相手だった。
「失礼する。余計な時間を取らせて申し訳ない」
そう言いながら現れたのは、白衣を着た長身の女性だ。
一見すると女医さんのようにも見える服装。
目つきは少し鋭い感じだが、不思議と冷たい印象は受けなかった。
初対面のはずなのに、どこか懐かしさを感じさせるというか。
不思議な雰囲気の女性だ。
年齢が不詳っぽいし。
若くも見えるし、どこか老成した印象にも見える。
それでも、お医者さんっぽいというか、真面目な感じは自然と伝わってきた。
そして、こちらを見つめたかと思うと、何に納得したのか、ひとつ頷いたのち。
「樹君、だね? ――――いや、この場合はセージュ・ブルーフォレスト君と呼ぶべきか」
ふむ、と白衣の女性は俺の目をまっすぐ見つめて。
「紹介が遅れたな。私の名は涼風雪乃だ。一応、今回の『PUO』に関する実務上の責任者を務めている」
「……あなたが?」
その『名前』を聞いて、驚きのままに女性の顔を眺めた。
まさか、その名前がここで出てくるとは思わなかったのだ。
だが、そんな俺の逡巡を見抜いたのか、涼風さんは微笑を浮かべて。
「本来はあまり積極的に関わる役割ではなかったのだがな。そうも言ってはいられない事情が生まれてしまったのでね」
「……事情?」
俺の問いに、涼風さんは笑みを浮かべたまま答えず。
しかしながら、別の問いを投げかけてきた。
「君はひとつの大きな成果をあげてくれた。だからこそ、だな。もし、君が望むのであれば、好条件でのあちらへの移住を用意できる――――どうする?」




