第422話 狩人少女、脱出を試みる
「よいしょ、よいしょ」
「その調子だにゃ。ルーガにゃん、筋がいいのにゃあ」
「これで?」
「そうにゃ。にゃあが、この能力に気付いた時は、ただゆっくりと落ちていくだけだったのにゃ」
宙に浮いたまま、手足をばたばたさせながら、辛うじてゆっくりと前方へと進んでいくルーガに対して、ヴェルフェンが笑顔でサムズアップを返す。
一方のヴェルフェン自身も空中に浮いた状態のまま、何もない空間を蹴るようにして、右、左、と交互にステップをするような姿勢でホバリングに近い状況を作り出していた。
今ふたりがいるのは、ルーガが目を覚ました部屋の天井近くだ。
床近くに存在するふたつの扉はどちらも閉ざされていて、開けることができなかったため、ルーガたちが部屋から脱出するためのルートとして選んだのは、ヴェルフェンが入ってきた、天井近くにある空気穴のような横穴だった。
もっとも、言うのは簡単だが、その横穴は高さにして、十メートル以上はあるところに空いていたため、そこにたどり着くのも大変なのだが。
そのために、ルーガはヴェルフェンからひとつの能力を借り受けていた。
「『泳術』って、こんなこともできたんだね?」
「なのにゃ。『空中泳法』だにゃあ。うっかり、崖から落ちた時に手足をばたばたさせたら、落ちる速度がゆっくりになったのにゃ」
それで気付けたのにゃ、とヴェルフェンが笑う。
ステータス上には表示されないので、隠しスキルっぽい、というのはヴェルフェンの談だ。
その言葉にルーガも頷く。
何せ、ルーガのステータスも隠しスキルばかりだったから。
そう考えながら、手足を必死に動かすルーガ。
慣れてきたとはいえ、この『空中泳法』というやつは一筋縄ではいかないのだ。
そもそも、どういう原理でどう動かせばどう前進するのかがわかりにくいので、高さが落ちないように必死というのが今のルーガの状況だ。
少し余裕があるヴェルフェンとは違うのだ。
――――と。
「ほら、ルーガにゃん、もうちょっとなのにゃ」
言いながら、ルーガの手を引くヴェルフェン。
そのまま。
あともう少しで届きそうになっていた横穴に向けて、ヴェルフェンが中空を蹴り足に数回ステップを踏んだ直後、ふたりはどうにか、その空気穴へと到達することができていた。
ようやく、ルーガが全身の力を抜いて、穴の床部分で脱力する。
思っている以上に身体に負担がかかる移動法だと気付く。
脱力感がひどく、すでに肩で息をしているレベルだ。
「大丈夫かにゃ?」
言いながら、ヴェルフェンが『お腹の膨れる水』を差し出してきたので、ありがたくそれを頂くルーガ。
少し乾いていた喉に水が染みわたる。
おいしい、と頷きながら。
「ありがとう、ヴェルフェン」
「にゃにゃ、お礼はいいのにゃ。そもそも、このお城が建てられたのもルーガにゃんたちのおかげなのにゃ」
「えっ? そうなの?」
ヴェルフェンの言葉に驚くルーガ。
一方、ヴェルフェンの方も口元に笑みを浮かべながらもまっすぐに頷いて。
「そうだにゃ。一応、にゃあが『森』の中で発見したんだけどにゃ、これ、セージュにゃんやルーガにゃんへの報酬らしいのにゃ。そういう風にステータスの説明文にも書かれていたのにゃ」
だからにゃあは素材を運んだだけなのにゃ、とヴェルフェン。
その言葉にルーガが内心で驚く。
そんなのは初めて聞いたから。
「わたしとセージュの報酬なの?」
「そうにゃ。ビーナスにゃんたちの名前もあったけどにゃあ。『家』の材料として、という注意書きがあったので、それで『ああ、クエストがらみでセージュにゃんたちがまた何かやったのにゃ』と思ったのにゃ。一応、運ぶためのクエストも発生したから、受けない手はなかったのにゃ」
「そうだったの?」
「にゃにゃ。そうしたら、この『お城』ができちゃったのにゃ。それで、にゃあも詳しい事情が聞きたくて、セージュにゃんたちを探していたんだにゃ」
どうやら、ヴェルフェン自身はセージュや自分の無事を信じていたらしい。
一応、『秘密系』の注意書きがあったので、周囲には伝えていないようだけど、ルーガ自身は関係しているので、それでそのことも教えてくれたそうだ。
「……やっぱり、ここが『家』なの?」
「間違いないのにゃ。というか、ルーガにゃんは入る時見なかったのにゃ?」
「わたし、いつの間にか、ここにいたんだけど」
「そうなのかにゃ?」
ヴェルフェンの確認に頷きを返すルーガ。
少なくとも、ここがどこなのかは、ヴェルフェンに教えられて初めて知ったことだ。
「ということはセージュにゃんも、この中にいるのかにゃ?」
「……それもわからないよ」
さっき、ヴェルフェンに聞かれた時も結局、ルーガには上手に自分が巻き込まれた状況を説明できなかったのだ。
こことは違う『グリーンリーフ』に行ったことは伝えられたけど、ルーガの説明にもヴェルフェンがピンときていなかったのだ。
色々な人から色々な説明を聞いたけど、結局、ルーガ自身が完全に状況を理解できていなかったのも原因だが。
そもそも、『違う世界』と言われても、『世界』って何? という話だったし。
「セージュがいたら、もっと上手に説明してくれるのに……」
うぅ、となげくルーガ。
もっとも、なぜ、ここにルーガがいるかについては、さすがにセージュでもわからないかも知れないけど。
それでも、いないことが寂しいと感じてしまう。
心細い、というか。
――――と。
「ルーガにゃんもにゃあの能力が使えるからにゃあ。ひとまず、『お城』の探索よりも脱出を目指した方がいいかにゃあ」
言いながら、ヴェルフェンが頷いて。
「ここ、『けいじばん』も『フレンド通信』も使えないのにゃ。にゃあも行けるところまで行くとだけ伝えて、ここまで来たのにゃ。ルーガにゃんも発見できたし、一度、外に戻って報告する方がいいと思うのにゃ」
「戻れるの?」
「にゃにゃ。にゃあが入ってきた入り口から出れば問題ないのにゃ。飛べないと真っ逆さまに墜落して、大変なことになるけどにゃ」
ルーガにゃんなら大丈夫、とヴェルフェン。
少し物騒な話だ、と思いつつも戻れる手段があることにホッとするルーガ。
――――だが。
「――――!?」
「どうしたのかにゃ……ん?」
不意に何者かの気配を感じて、ルーガが警戒感を高めると。
空気穴の奥から複数の人影が姿を現した。
「――――えっ!?」
その中のひとりの姿に気付いて、思わず絶句するルーガ。
いや、横にいるもうひとりも見覚えがあるので、そちらはそちらで驚きをもって見つめてはいたのだが。
「何で……ノーヴェルさんとおじいちゃんが一緒に……?」
「にゃにゃ? ノーヴェルにゃんにゃ? それに、そちらはどなた様だにゃ?」
「ふふ、久しいな、ルーガ。いや、ふたりとも、と言うべきかの」
「…………?」
「ルーガにゃんだけじゃなくて、にゃあもなのかにゃ? にゃあとあなたは初対面のはずだけどにゃあ」
「うむ、であろうな。ふむ……ルーガが『記憶』を、其方が『能力』を、そういうからくりであろうな」
「おじいちゃん……?」
見覚えのある、否、ルーガがはっきりと覚えている姿のままのおじいちゃん。
にもかかわらず、この言葉の意味が理解できずに戸惑うルーガ。
そして、ルーガと同じぐらい、何が起こっているのかわからず戸惑うヴェルフェン。
そんなふたりの困惑を尻目に。
ひげを蓄えた男の横から、一歩前へと進んできたノーヴェルが。
そのまま、ルーガたちに対して、膝をついて。
「…………お待ち申し上げておりました。我が主さま」
絶句したままのルーガたちへと頭を垂れた。




