第411話 急転直下
『――――――!』
辺りに響いたのは、どこか悲痛でどこか諦観の混じった叫びだった。
その絶叫と同時に『千年樹』の根と同化していた『毒竜』の姿がゆっくりと薄れて、そのまま空間へと溶けていく。
元の戦闘が続いてた場所へと戻ってきた俺たちが目にしたのは、ちょうどそんな光景だった。
クリシュナさんとカミュの攻撃によって、身体を引き裂かれた『毒竜』があっという間に消滅してしまった。
うん。
こっちで手伝えることはなかったな。
ルーガがようやく『狂化』の操作に慣れてきて、その力の暴走を抑え込めるようになって。
『千年樹』さんも『狂化』の微調整が可能になったので、後は『毒竜』を倒すだけ、と意気込んで来た時には、あっさりと決着がついてしまっていたようだ。
「これで倒せました?」
『ええ。核を失った状態で、再生もできなくなれば、後は散らすだけでしたから』
こちらの声かけに気付いて、巨大な銀狼の姿で振り返るクリシュナさん。
その表情には笑みが浮かんでいる。
『そちらも上手に事を運んでくれたようですね。おかげ様で助かりました』
「まったくだ。最期はあっけなかったが、結構大変だったぞ? 毒性攻撃のオンパレードだからな。こんなのとは二度と戦いたくないな」
あー、疲れた、とカミュが言いながら、にやりと笑って。
「で? どうだった? セージュたちの方は。『千年樹』は無事だったか?」
「まあ……無事というか、正気は保っていたけど、かなり弱ってるのも事実みたいだぞ?」
とりあえず、さっきまでの話をカミュたちにも伝える。
『そうでしたか……まだ『緑の手』は使えていないのですね?』
「はい、クリシュナさん。中途半端のままですと、暴走する危険性が高かったみたいです。とはいえ、ルーガも安定してきましたし、『毒竜』の方も倒せた以上はもう大丈夫だと思います」
「ふーん、てことは、このまますぐに、ってことか?」
「ああ。もう一度、俺とルーガはさっきのところに戻るよ」
「うん、約束したからね」
『ええ、お願いします。これである程度は落ち着いたはずですが、レーゼが元に戻らないことには、森の中が今の状態のままですから』
クリシュナさんの言葉に頷く俺とルーガ。
――――だが。
『毒竜』も倒せて、『千年樹』さんとも出会えたことで、どこか気持ちが弛緩していたのだろう。
だから、俺は――――俺たちは、完全に虚を突かれることになった。
「――――っ!? セージュさん!?」
「……えっ?」
突然、エコさんの叫び声が聞こえて。
その場にいた全員が異変に気付いた。
「ルーガさんがっ!?」
ルーガの身体が一瞬、光ったかと思うと――――。
「ルーガっ!?」
「――――っ!?」
瞬く間に、その場から消えてしまった。
「ん、セージュ!」
すかさずリディアさんがこちらに示したものは、シプトンさんとの連絡用の『水晶玉』だ。
そこに映し出されているシプトンさんの顔色も悪くなっていて。
『そっか……ここに繋がるのか』
「シプトンさん!? どうなってるんです!? ルーガに何が起こったんですか!?」
『ごめん、セージュちゃん、やられちゃった』
「……え?」
『誰かによって、『エヌの世界』のルーガちゃんの身体が奪われたみたい。おねえさんの『偽体』も操作不能になってるから、壊された可能性が高いかも』
「え……ちょっと待ってください……何で……?」
――――どういうことだ?
俺がパニックに陥りかけていると――――。
「セージュさん、私が追います。セージュさんは、こちらの用をきちんと済ませてから戻ってきてください」
「――――えっ!? って!? エコさん、何を!?」
俺が止める間もなく、エコさんが自らの胸に持っていたナイフを突き刺した。
ゴフッとエコさんが口から吐血するのが一瞬。
その直後、エコさんの身体もまた、ルーガと同じようにそのまま消え失せてしまった。
『セージュちゃん、落ち着いて!』
「いや、落ち着けって言われても!」
『エコちゃんは緊急事態だから、おねえさんが教えた戻り方を実践しただけだよ。あっちにおねえさんの『偽体』を壊した何かがいたとすれば、他のみんなもやられる危険性が高いから。だから、エコちゃんはこっちの『偽体』を壊すことで、向こうに戻ったの。少なくとも、まだセージュちゃんやビーナスちゃんたちが無事ってことは、その何者かの目的はルーガちゃんだけの可能性が高いけど、それだけじゃない場合もあるから』
だから、エコさんは即座に死に戻った、と。
――――そうか。
こっちで俺たちが死ねば、『PUO』の世界に戻ることができたんだものな。
エコさんは最短で戻るために、今みたいなことをしたってことか。
いや、冷静に考えると、どれだけの覚悟があったのかと驚くけど。
この身体が『偽体』であるというのは、シプトンさんの言葉を信用すれば、だけど、もし違った場合とかを考えてしまうと、そのまま死んでしまう可能性もゼロじゃない、とか変な想像をして……それなりに躊躇があるはずだろうに。
やっぱり、あの人、普通の人じゃなかったんだな。
少なくとも、あんまりゲーマーっぽくはなかったし。
――――じゃなくて!
「シプトンさん! 俺も急いで戻った方がいいですよね!?」
『そうだけど、ちょっと待って、セージュちゃん』
「セージュ、戻る前に、せめて、レーゼに『緑の手』を使うことをお願いします」
真摯な表情で祈るように俺に対して頭を下げるクリシュナさん。
横から、カミュも少し渋い顔をしたままで頷いて。
「セージュ、逸る気持ちもわかるが、さっきのエコが言った言葉を思い出せ。もし、あんたがこのまま、あっちに帰ってしまえば、もう一度こっちに来られる保証がない」
「クリシュナさん……カミュ……」
「ルーガのことが心配なのはわかる。だが、今のままだとまずいんだ。遅かれ早かれ、『グリーンリーフ』が滅ぶことになる」
「それもわかるけど……でも、『千年樹』さん、ルーガの力をうまく操作して、大分良くなってたみたいだけど?」
「それは、違う」
「……えっ?」
俺の言葉にカミュが渋い顔をして。
「ルーガの例の能力では回復させることはできない。あれはそんなに生易しいものじゃないんだ。たぶん、実際に使っている『千年樹』の方がそのことはわかっているはずだ」
「……そう、なのか?」
「ああ。たぶん、今のままでセージュが来なかったら、この『森』をソフトランディングさせて、そのまま死ぬつもりだったはずだ。あの能力がプラスに転じることはない。何せ、元が『虚界』の力だからな」
『――――っ!? カミュ、それは本当ですか!?』
「ああ。あたしも触れたから間違いない。だからな、セージュ、あたしからも頼む。あっちに戻ったら、あたしも全面的に協力するから、ここは助けてやってくれ」
「……わかった」
少し頭が冷えた。
ひとまず、あっちのルーガのことはエコさんに頼むことにして。
俺は、俺にできることをしてから、あっちに戻る。
少なくとも、その対価として、カミュがあっちのルーガの『危険生物指定』を解除してくれるというのは、決して悪くない話だったから。
これで、ルーガも向こうで少し自由に動けるようになるだろうしな。
ただし。
「急ごう。ゆっくりしている時間が惜しい」
今までのそれとは言葉の重みが違う。
本当に、時間がないのだ。
『ええ。セージュ、背中に乗ってください。一気に進みます』
「お願いします」
その場に居合わせた他のメンバーを話の展開から置いてきぼりにしながらも。
「ちょっと! マスター! わたしも行くわよ!」
「きゅい――――!」
「ぽよっ――――!」
「ん、一緒に戻る」
仲間と共に、クリシュナさんに乗って、『千年樹』のところへと向かった。




