第391話 農民、湖の浄化作業を見る
――――すごい!
見る見るうちに湖の水が青というか、元通りのほぼ透明な色へと戻っていく。
じわじわとリディアさんの『紅い霧』が広がって、水中へと浸透していくのに比例して、水の色が濁った状態から、じわじわと浄化されていくのだ。
今もなお、周囲に広がっていくのが色の変化だけでわかる。
というか、真っ赤な血の霧が広がっていくのに、その深紅の色が残らず、元の自然の状態の色へと戻っていく光景はどこか異様だ。
いや、もちろん、綺麗ではあるのだけど。
「ぽよっ――――♪」
「きゅいきゅい――――♪」
「――――♪」
『すごいねー、どんどん、水がきれいになってるもんねー。うんうん、ウンディーネとしてはうれしい限りだねー♪』
「やっぱり、リディアの血って、解毒作用があるのね……」
周りのみんなもどこか感心したように眺めてるな。
興奮気味なのは、なっちゃんやみかんにトレント君だな。
やっぱり、自然育ちの子たちには嬉しい光景なんだろうな。
そして、俺に憑依してるウルルちゃんも。
あー、そういえば、ウルルちゃんって、『水の精霊』だもんな。
あれ?
もしかして、水の浄化とかもできたのか?
『できなくもないけど、今は無理だよー。セージュに憑いてるんだもの。本体に戻れば……だけど、それはやっちゃダメって、シプトンも言ってたじゃないのー』
だから無理、と。
それにー、とウルルちゃんが付け加えるように。
『今だって、セージュの消耗を抑えるように、最低限レベルで小っちゃくなってるんだからね?』
そうだったな。
実のところ、精霊種の『憑依』って、憑かれる側の負担が大きいから。
通常だと、憑きっぱなしのままというのはあり得ないのだそうだ。
それが可能なのは、ウルルちゃんが、シモーヌちゃん相手で『憑依』慣れしているからであって、どうすれば、負担が軽くなるかわかっているかららしい。
『だから、きちんと本気で意識をリンクさせるのも、食事の時ぐらいだよー?』
「いや、食事の時だけかい」
『うん、だって、こっちに来てからごはんが美味しいからー』
結局、みんな、美味しいごはんが好きってことかね?
まあ、いいや。
リディアさんによる浄化も、もう少しで終わるみたいだし。
それほどの時間を待たずして、目に見える範囲での毒々しい雰囲気はなくなった。
――――と。
いつの間にか、リディアさんの右手の傷が綺麗になくなってしまっていた。
「あれ? リディアさん、傷はもう大丈夫なんですか?」
「ん、ひろがる分は確保した。あれで十分」
後は『ひろげる』だけ、とリディアさん。
だから、回復した、ってことらしいけど。
「そんなに簡単に傷って治るものなんですね?」
ここ、もうゲームの世界じゃないけど。
さっきの切り裂かれた腕って、明らかに骨まで届くレベルでの裂傷だったのに。
そう俺が尋ねると、リディアさんが頷いて。
「ん、そういうのは得意」
「だから、『リディアだからなあ』って話になるんだよ。こいつ、自分の身体に関してはやりたい放題だからなあ。さっきの傷にせよ、『血』が必要だから、傷を放置してただけで、治そうと思えば、それこそ一瞬で完治させることができるぞ?」
俺も前に見たことがある、とオサムさんが苦笑する。
どうやら、治すも治さないもリディアさんのさじ加減ひとつらしい。
「……リディアさんって何者なんですか?」
「わたしはわたし」
「はは、その手の質問はそれこそ数えきれないほどされただろうがな。本当に『謎』の一言に尽きるな。そもそも、リディア自身も語る気がないようだしな」
「なのです。下手をすれば、『魔王』よりも強いのではないかと噂なのです」
「……へえ」
『魔王』より……ね。
というか、ピーニャさんたちも『魔王』の存在については知ってるんだ?
「こっちの世界には『魔王』がいるんですか?」
「らしいぞ? 俺も会ったことはないがな。それに今もいるかどうかは不明なんだとさ」
「なのです。『東の最果て』の更に先、そちらから、過去、この大陸に攻めてきた『魔王』がいたのです。大分昔の話なのですが、それは間違いないのですよ。その時の傷跡がまだ大陸のあちこちに残っているのです」
ふーん。
その辺は前に耳にした話と同じだな。
というか、そもそもエヌさんの世界もこっちを複製したみたいなものだろうから、同じで当然なんだろうけど。
ピーニャさんによると、『魔王』に率いられた『魔族』による侵略戦争が行なわれたのは、数百年前の話らしい。
そして、その侵略戦争の爪痕はあちこちに残っていて、それが顕著な場所が『神聖教会』の『本部』がある場所なのだとか。元は『魔王』の拠点となっていた城の跡地に『教会本部』が建てられたのだそうだ。
だから、『教会』の『本部』にも関わらず、その立地は、この大陸の北東部に位置しているらしい。
うん……?
ということは――――。
「もしかして、『魔族』がいるのって、この大陸の東にある……?」
「そういう噂なのです。『東大陸』……正確には『東の最果て』にある『虚界』の壁の向こう側全域が『魔王領』と呼ばれる場所、とされているのです。もっとも……」
「なんです?」
「そちらの土地は、生息しているはぐれモンスターも強く、ほとんど情報がない、というのが現状なのです。『冒険者ギルド』でもなるべく近寄らないように通達している土地なのですよ……なのです……」
「……?」
「ああ、悪いな、セージュ。ピーニャのやつもあまり、そっちの土地には良いイメージを持っていないんだ。だから、そのぐらいにしてやってくれ」
「あ、すみません」
ここまでずっと朗らかだったピーニャさんの表情に影が差したことに気付く。
どうやら、個人の事情もあるらしいし、この話はあまり踏み込まない方が良さそうだ。
少なくとも、『魔王』の存在については、ある程度は知れ渡っている世界であることはわかった。
となると、ルーガの扱いもどうなるか、だな。
面倒事に巻き込まれていないといいな……。
やっぱり、心配だよ。
――――と。
俺がまだ合流できていないルーガのことを考えていると。
「オサム、大体、この辺は終わった」
「お、すまないな、リディア」
「ん、セージュたちの依頼もあるから。他人事じゃない」
オサムからの報酬はあくまでも空腹軽減のため、とリディアさん。
「ああ。正直助かる。毒による汚染さえ除けば、場の属性も変化するはずだ。これで『毒亜竜』も生まれなくなるはずだ」
「『竜の郷』の『老師』もそう言っていたのです」
オサムさんとピーニャさんが笑顔で頷く。
へえ、場の属性か。
『毒』の属性にそれが染まっていると、はぐれモンスターも『毒属性』のモンスターが生まれるってことか。それで、モンスターによって更に毒汚染が進行するというわけで。悪循環は早いうちに断っておかないといけないんだな。
「ん、今も上流と下流に『ひろげて』る」
「えーと……リディアさん、どのぐらいまでコントロールできるんです?」
「ん……いっぱい?」
どうやら、例の念動力みたいな力も、かなり広範囲まで使えるようだな。
本人があんまりピンと来ていないところも含めて、リディアさんっぽいけど。
そんなこんなで。
もう少しリディアさんの浄化作業を見守る俺たちなのだった。




