第390話 農民、大食いのすごさを垣間見る
「リディア、どうだ?」
「ん、食べながらでいい?」
「ああ」
オサムさんの言葉に、どこか一心不乱に肉の塊を食べ続けていたリディアさんが我に返る。
そして、ひとつの確認の後。
寸胴に用意されたポトフのようなもの――――ワイバーンや飛竜の熟成肉とアルガス芋っぽい芋、それにこの森で採れた葉物野菜をいくつかと、加えて、ハーブ類にビーナスの『苔』も加えて煮詰めた汁物料理。
それを身体の前へと用意して。
そのまま、口元まで空中に浮かせては、そのスープの水玉を一飲みするリディアさん。
一瞬だけ、周囲にぽわーんと花が咲いたような雰囲気になって。
「ん――――♪ ん、ん――――♪」
リディアさんのご機嫌な鼻歌のようなものが響いたかと思うと。
「ん、それじゃあ、始める。セージュ、それにビーナスたちも衝撃映像に注意」
「――――へ?」
「心配は無用」
一瞬、リディアさんが何を言っているのかわからなかったが。
俺たちの方を振り返ったあと。
またスープを飲みながら、湖の方へと真っすぐ向いて。
そのまま、リディアさんが突然――――。
「『そーど』」
自らの右腕を、例の見えない攻撃のようなもので切り裂いた。
「――――はっ!?」
「ちょっ!? リディア、何やってるのよ!?」
いきなりのスプラッタな映像というか、血しぶきのようなものがあがったまま、それでもいつも通り、まったく表情を変えないリディアさんの姿に、思わず、俺も、『火魔法』で調理の練習中だったビーナスも声をあげた。
だが。
リディアさんは一切、気にも留めることもなく、相変わらず、スープの方を飲みながら、淡々と傷ついた右腕をあげて。
「ん、そのまま、『ひろがる』」
――――と。
空中を舞っていた血しぶきのようなものが。
更に細かい霧状へと変化したまま、リディアさんの手の動きに合わせるように、毒の湖の方へと広がっていく。
まるで、リディアさんの深紅の瞳にも似た色の、真っ赤な霧。
薄く、それでいて、湖の広さにもかかわらず、広がっていく赤い霧。
それはちょっと自然ではありえない光景だった。
元が、リディアさんの血液であるはずなのに。
一瞬、息を飲んでしまった俺が感じたことがひとつ。。
――――不思議と目の前の光景が、幻想的で綺麗だと思ってしまった。
リディアさんの真っ白な衣装とそのたたずまい、それと相反するような赤い霧。
かなり不謹慎であると自分でも自覚したうえで、それでもそれは美しいと思った。
――――って!?
「いや、オサムさん、大丈夫なんですか!?」
思わず、目の前の光景をお願いしたであろう依頼者の方へと振り返る。
明らかにやばいだろ? これ、このまま続けると。
湖の広さへとどんどん広がっていく赤い霧。
それは、リディアさんの血液が次々と奪われていることを示しているわけで。
それはつまり、リディアさんの命の危険が迫っているということじゃ――――。
だが、一方のオサムさんはと言えば、肉料理を作ることを続けていて。
「大丈夫と俺が言うのもおかしな話だが、リディアだからなあ、と言うしかないな。俺にできるのは、その失った分を癒すための料理を作り続けることだけだ」
「いや、そもそも、何で、血を流す必要があるんです?」
「仕方ないだろう。他に代替手段がない。リディアには申し訳がないが、そうでもしなければ、毒を取り除くことなど不可能だったからな」
言いながら、オサムさんも少し渋い顔をしているのが分かった。
オサムさん自身も良い方法とは思っていないようだ。
「オサムさんの能力ではダメだったんですか?」
てっきり、今までのように毒だけ『包丁人』スキルで除くことができるのではないかと、俺も思ったんだけど。
その言葉にオサムさんが首を横に振って。
「斬れるものならいいんだがな、大量の水に溶け込んでしまっているとなると、俺の能力だけじゃ厳しいんだよ」
「――――あ!?」
「それでも、少量の水であれば、時間をかければ可能ではあるけどな。さすがにこの湖全域となると短期間では無理だ。その間に、浸食が他方に広がってしまうだろう」
その場に留まっている毒じゃない、とオサムさん。
本当に、一刻を争う状況だということだろう。
「でも……リディアさんは大丈夫なんですか? あんなに失血して……」
「ん、セージュ、心配ない」
そこでようやく、赤い霧を出したままのリディアさんが――――。
初めて、はっきりと笑って。
「わたしだから、大丈夫。心配しなくても、この程度じゃ死なない」
「――――!」
思わず。
その柔らかい表情の中に、強い意志のようなものを感じて、息を飲む。
「このぐらいで済むなら簡単。やっぱり、これがあるのは大事」
「――――えっ!?」
そう言って、反対の左手で何もない空間を触れるようにするリディアさん。
……いや、言っている意味がよくわからないんだが……。
「セージュ、リディアの言うことは、わからないままで受け入れろ。たぶん、それが一番、自然な方法だ」
「……えーと」
「言葉足らずではあるが、明らかに俺たちの理解を越えていることを口にすることがある。ああ見えて、すごいやつだからな」
なるほど。
確かに、と俺も思う。
言葉が足りない、表現が下手、という部分はあるけれど。
リディアさんが頭が良くないと感じたことは一度もない。
おそらく。
――――俺たちに上手に説明できない、ってことなのだろう。
と、リディアさんがオサムさんに不満そうな目を向けて。
「オサム、ああ見えて、は余計」
「はは、悪かったって。ただ、お前さんの普段の食べっぷりを見てると、どう見ても、大食いキャラとしか認識されないって話だよ――――ああ、心配せずともお前さんのことは信頼してるさ」
「ん、ならいい。こっちもオサムの料理の腕は信頼してる」
だから、とリディアさんが頷いて。
「おかわり。もっと、スープがあるとうれしい」
「ああ、すぐできる」
そう言って、頷き合うふたりを見ながら。
不意に俺が思うことがひとつ。
――――危機的な状況を救うものって、美味しい料理だったんだな、と。




