第375話 農民、千年樹の元にたどり着く
「これが……『千年樹』か」
「近くで見ると全然違うね」
「きゅい――――♪」
「すごい……というか、大きすぎてよくわかんないわよね」
『この位置ですと、むしろ近すぎますからね。全貌がわからないでしょう?』
「ふふ、おねえさんたちの『島』にも、この樹を参考にしたダンジョンがあるからねえ。もっとも、この『樹』も最盛期のそれより、大分小さいみたいじゃない?」
『それは仕方ありません。完全再現はエヌの能力を超えていますから。そちらにリソースを注いでもようやく、というレベルのはずです』
「ふふ、それはそれですごいねえ」
地下通路からクリシュナさんが飛び出したそこは、『千年樹』の根元。
いや、根元というか何というか。
地上部分に出たはずなのに、そこは変形した樹の根っこがわしゃわしゃと入り組んで、それだけで迷路を作り出しているような状態で。
上……空を見ようにも、枝葉の壁が横に広がりすぎて、完全に遮られてしまっているため、この位置からだとまったく『樹』の一部しか見えないという始末。
逆に言えば、事前にこれが『千年樹』だと聞かされているから、それが巨大な樹の一部だとわかるけど、情報が一切なしの状態でここに連れてこられたら、本当に何が何だかわからなくなっていただろう。
クリシュナさんも言ったが、近すぎて全貌が把握できない。
ひとつの山ぐらいの大きさがあるのは間違いないが、山が頂上に近づくにつれて先細っていくのに対し、この『樹』はそうではないため、当然のことながらてっぺんが見えないのだ。
何となく、前にテレビで見た、『アリの視点で見てみよう』という感じに似ているな。
俺たちが蟻になって、巨木を下から見るとこんな感じになるのかも知れない。
そう考えると、その手の巨木にもあの身体の小ささでどんどん幹を登っていく蟻たちってすごいなあ、と感心させられる。
少なくとも、俺は登る気がしないもの。
エベレストが二千倍の大きさになったら、登山のプロだって心が折れると思うぞ?
『しかし……やはり、眠っているようですね』
「うん、だろうね」
『レーゼが元気な状態でしたら、ここまで近づけば、すぐに『分体』を飛ばしてくるはずですから』
訪問者が大好きですから、とクリシュナさんがつぶやく。
「クリシュナさん、ここからどうすれば良いですか?」
『定点を探しましょう』
「ポイント?」
『はい。セージュたちにはこう言った方がわかりやすいですか? この世界からの離脱のポイント――――エヌが設定しました離脱定点です』
「――――!?」
やっぱりか。
さっきまでの話の内容から、そんな感じをしていたんだけど。
ログアウトポイントか。
おそらく、『オレストの町』とは別の意味でのログアウトできる場所だろうな。
「ちょっと質問です。そちらの定点というのは、私たちのような迷い人も使うことができるのでしょうか?」
そうクリシュナさんに尋ねたのは、エコさんだ。
あ、そういえば、この人、普通にここまで一緒に来たけど、どこまでこの話について把握しているんだろ?
もしかして、ただのゲームの話だと思ってないか?
「エコさん、エコさんは『あっちの世界』の存在を信じているんですか?」
「いえ。私は自らの眼で確かめたものしか信じません。今はあくまでも可能性について確認しているだけです。もし可能であれば、興味はありますが」
「――――っ!?」
やっぱりか!?
もしかすると、俺のようにエヌさんに会ったことがあるのか、この人も?
あるいは、何となく、前に出会ったクレハさんに雰囲気が似ているから、事前情報を握っている人なのかも知れない。
俺が内心で動揺しているのを尻目に、問いかけを続けるエコさん。
「どうですか、クリシュナさん?」
『今のままでは不可能でした……が、そちらのシプトンの協力があれば飛ぶことができるはずです』
「……どういうことですか?」
「はいはーい、エコちゃんの疑問にはおねえさんが答えてあげるねー。まあ、エコちゃんも、そっちのセージュちゃんもある程度は状況を把握しているから、細かい説明は省略するけどね」
そう言って、どこか楽しそうな笑みを浮かべる魔女のシプトンさん。
「まず、大切なことがひとつ、ね。世界を跨ぐ場合、同じ身体で行ったり来たりすることはできないの。おわかり? まずはここまでをかみ砕いてね」
「え? 同じ身体?」
「……つまり、我々の身体は転移されているわけではない、ということですね?」
「うん、そういうこと。もっとも、例外もあるけどね。そういう能力を持っている場合は別だね。知ってる名前をあげるなら、スノーとかはそうだね。『死神』だから、当然、世界を横に跨ぐことはできる。何せ『神』だからねー」
「そうか……こっちの世界では『神』っていうのは」
「ふふ、セージュちゃんは知ってたんだね? そう、いかなる場所でも存在を同期できる身体を持っているのが『神』の定義ってわけ。普通はそんなこと知らないよ? 何せ、おねえさんたち『魔女』の間でも極秘のお話だからね」
「……その割にはあっさりと教えてくれますね?」
「まあ、知ってるのが多いからね、今。あとは、この後のことを考えれば、説明しないままってのもまずいから、かな? わずかな間とは言え、危険度が高いことをやるんだからね」
ちょっと話が逸れたね、とシプトンさんが苦笑して。
「それでも、エヌの世界はあくまでも一存在が生み出した疑似世界だからね。どっちかと言えば、『幻獣種』の『異界』に近いかな? あっちはダンジョン化することで世界をだましているんだけど。さてさて、だから、世界の仲介って意味なら、ぎりぎりセーフなんだけどね。セージュちゃんたちの世界とおねえさんたちの世界、このふたつの場合はそうは行かない。そのまま移動させれば、確実に身体が壊れる。耐久性の問題じゃなくて、もたない。あっという間に『崩壊』に至るってわけ」
「そうですか……でも」
「うん、そう。このまま、今の依頼を続けるには、セージュちゃんたちの移動は必須。理由は省くよ? おねえさんも『予知』で知ったってだけだから。だから、何とかしてクリシュナも、君たちを『あっち』に送りたい。そこで、おねえさんの出番ってわけだね」
そう言って、シプトンさんが自らの頬を引っ張って。
「今のおねえさんの身体は『偽体』ってやつなのね。偽物の身体ね。それに意識だけ同期させることで、こっちで活動できるようにしてるの。魔女謹製の『偽体』。それを人数分用意したから。それで短期間ならほぼ影響なく、『あっち』で動けるようになるよ」
「用意した……いつの間に?」
「ふふ、最初からだよ、エコちゃん。信じるか信じないかは君たち次第だけどねー」
必要であるとわかったから用意した、とシプトンさん。
「私の分も、ですか? 偶然ではなく?」
「うん、偶然ではないね。もっとも、そういう風に促したのはおねえさんだけどね。ふふ、そのぐらいは勘弁してね」
何もしなくても、思い通りってわけにはいかないの、とシプトンさんが微笑する。
その言葉にエコさんが黙り込んでしまった。
「あ、そうそう。例外はウルルちゃんね。ここにいる中で、ウルルちゃんに限っては『あっち』に本体があるから。もしどうしても行きたいんだったら、セージュちゃんとの『憑依』を解いちゃダメだよ。同期が生じて、消えちゃうから」
「そうなのー?」
「えっ……? ウルルちゃんだけ、ですか?」
「そうだよ、セージュちゃん」
あれ? ルーガは何となくわかるけど、なっちゃんやビーナスは?
それにリディアさんもそもそも、『あっち』の住人なんだろ?
言ってることがおかしくないかな、シプトンさんってば。
「うんうん、眷属ちゃんたちは『ここ』の世界の子だね。だから、『あっち』で偽体で動いても何の問題もないよ。リディアはねえ……まあ、自分で何とでもできるからねえ」
「えっ!? それって、もしかして……?」
「違う、セージュ。私のはただの力技」
一瞬、自分の力で世界を渡れるってところから、リディアさんが『神』さまなんじゃないかと思ったら、即座に当の本人から否定の謂いが返ってきた。
「ふふ、本当に力技だよね。よっぽど、能力値が高くないと同じような真似なんて絶対できないと思うよ。お爺ちゃんたち『幻獣種』でも無理だって言ってたぐらいだし」
「……要は、どっちにせよ、すごいってことですね?」
「そういうこと。ふふ、ほんと、リディアが今の性格でよかったよねー。一歩間違って、世界に仇なす存在にでもなったら、あっという間に、これだよ」
そう言って、自分の首元を手刀でバッとやるふりをするシプトンさん。
「だからね、うん。とにかく、ウルルちゃん以外は大丈夫ってこと。ウルルちゃんも『憑依』してればね。だから――――」
シプトンさんが口元に笑みを浮かべて。
「そろそろ始めよっか。もう、今の会話中に定点はつかんだから。ふふ、大丈夫大丈夫。そんなに不安そうな顔しなくてもいいってば。ふふ、おねえさんを信じて。痛くしないから♪」
いや……。
全然安心できないと、それを聞いた誰もが思う中。
ひとりニコニコしたままのシプトンさんによって、色々な準備が進められるのだった。




