第361話 農民、水中戦に挑む
『この泉、深っ!?』
『底なしなのかなー? もしかして、空間が弄られてるのかも?』
『ん、それもあるけど、元から広いよう』
意を決して、水中へと潜ってみると、上から見ていた時とは大分異なる光景が広がっていた。
全身が水に浸かった瞬間に、世界が変化したような。
そう、『精霊の森』で結界を跨いだような感覚に襲われたことに気付く。
その途端、目の前の『大きな水棲樹』とその周囲の空間が膨れ上がったように変質したのだ。
げっ!? 思っていた以上にでかいぞ、この樹!?
ともあれ、驚いているだけでは始まらない。
『鎌は……振り回せるな』
試しに、手に持っていた『幽幻の鎌』を振るってみる。
水中であるにもかかわらず、空気中で使うのとほとんど変わらない速度で振り回すことができた。
水がまとわりつく感覚が想像していた以上に少ないのだ。
『これも、ウルルちゃんが憑いているおかげかな?』
『うん、そうだよー。ウルルにとって、水は空気に等しいものだもんねー。水の中で水がウルルの動きを阻害することはないよー。ちゃんと味方になってくれるもの』
なるほど。
ウルルちゃんの加護で水中でも息ができるようになるのは知っていたけど、その他にもそういうプラス効果があるのか。
こちらが動こうとすると、周囲の水がその意を汲んでくれるかのように動きを合わせてくれる、と。
いや、本当に空気と同じようになっていれば、問答無用で底まで落ちていくだけだろうから、厳密にいえば少し違うのだろうけど、ウンディーネの水中特性ってのはすごいってのはよくわかった。
熟練したダイバーのように、上下を確保したまま身体の位置を一定の高さのままで保持できるというのは、水中で戦う上で、かなり有効だから。
それに、『幽幻の鎌』の特殊効果。
『攻撃の軌跡に闇が発生する』のも水中でも有効のようだ。
『セージュ、スライムが来た』
『――――!』
横にいるリディアさんの指摘で、さっきまで『樹』の枝にまとわりついていたはずのスライムの一部がこちらへと襲い掛かってくることに気付いた。
うわっ!?
随分と動きが速いな!?
おまけに、水中だと、周囲と同化してしまって、かなり動きが捉えにくくなっているようだ。元々、ほぼ透明でシャボン玉のように表面が様々な色彩に光っていたので、その姿が見えていたんだけど、水の中に入ると、その縁の色がかなりわかりにくくなっているというか。
慌てて、『鑑定眼』を発動させると――――。
『うわっ!? 15体もいるのか!?』
『うわわわっ!? ほら右下っ!?――――『水槍』!』
――――っ!?
ぎゅわん、という形容しがたい力の動きを身体の中から感じたかと思うと、俺の右下……まさに体当たりをしてこようとしてきた一体のイズミンスライムに向けて、水でできた槍が放たれて、そのままスライムの身体を貫いた。
――――今のって!?
『ウルルちゃん!?』
『うん、そうだよー』
『えっ!? 憑依中も魔法って使えたのか!?』
『うんー、今みたいな感じでねー。もっとも、使うのは憑いている人の魔力だけどー』
今のはセージュの魔力で発動させた魔技だよー、とウルルちゃん。
へえー、それは知らなかったな。
アルルちゃんが『憑依』してくれていた時は完全にこっちに行動を委ねてくれていたから、こういった、身体を勝手に使われるような感覚はなかったので知らなかったよ。
ウルルちゃん側の意思でも、俺の身体って動かせるんだ?
『うんー、まだセージュよりウルルの方が強いからねー。でも、やっぱり、いつもと大きさが違うし、うまく動かせないだろうから、あんまりそういうことはしないけどー』
シモーヌだったら、おんなじぐらいだから慣れてるけど、とウルルちゃん。
なるほどな。
レベル差が大きいから、ウルルちゃんたちが本気で身体の主導権を奪おうとしたら、俺の意思よりもそっちが優先されるって感じになるようだ。
そっか。
『憑依』って、レベルとかも上乗せされるし、能力も向上するから便利としか思っていなかったんだけど、そういうデメリットもあったのか。
自分よりもレベルの高い存在が『憑依』した場合、その存在に悪意があれば、逆に行動を支配されてしまう、って感じで。
信頼関係がないと、割とこわい能力だったんだな?
『うんー、だからウルルたちも好きな人じゃないと憑依しないんだよー』
うん、納得。
少なくとも、今はメリットの方が大きいもんな。
それに俺の魔力を使うって言っても、本来だったら、俺が使えないはずの『水魔法』の魔技もウルルちゃんによって使用可能ってことだから、これで大分選択肢が広がったとも言える。
何せ、水中で『土魔法』って、使えないこと山のごとしなんだもの。
もちろん、まったく使えないわけじゃないけど、消耗が空気中に比べると数倍に跳ね上がっているのだ。
水を押しのけるために威力をあげる必要があるってことか?
少なくとも、『石礫』をまっすぐ一定距離飛ばすためには、かなり強度をあげないといけないので、正直割りに合わない感じだし。
普通の銃を水中で使うのが難しいのとおんなじ理屈かね?
潜水艦同士の戦いの時って、魚雷とかミサイル攻撃が主流だったような?
でもあれって、動力が組み込まれているんだよな?
エンジンがあるからこそ、水の中でも遠距離攻撃ができるって代物だし。
でも、俺の『土魔法』の場合、俺の手から離れてしまった途端にウルルちゃんの加護が切れてしまうので、水の粘性抵抗にあがなえないから、あっという間に推進力を失ってしまう、と。
『あー、そういえば、セージュー。来る前にビーナスたちに頼んでたのはどうなったのー? 試さないのー?』
『あ、そうだった』
ウルルちゃんに言われて、そのことを思い出す。
水中戦を覚悟した際、切り札になり得るんじゃないと思われる能力だ。
今も、俺はルーガやビーナスたちとパーティーを組んだままだ。
だから、こういうこともできる。
『『音魔法』――――っ!』
『うわわっ!?』
思った通りだ。
この『音魔法』……ルーガの能力で、ビーナスのスキルを共有させてもらったんだが、これは水中だとかなり有効に働くようだ。
今、ウルルちゃんが反動で後ろに飛ばされたことにびっくりしたけど、この『音魔法』、水中で使えば、ジェット噴射に近いこともできるみたいなのだ。
音だけが水を貫通するかと思ったけど、やっぱり、この魔法って、単純な音だけではなくて、しっかりと衝撃波のようなものも発動しているらしいな。
まあ、そうでなかったら、ビーナスと戦った時、こっちがダメージを受けた理屈がおかしいってことになるもんな。
よしよし。
『これなら、接近戦に持ち込めるか?』
すでに、遠距離だけでは対応が難しいもんな。
あの巨大な樹と、それを護るスライム相手に、水中でどうにか立ち回ってみますか。
そこまで考えて、俺は自分の手を後ろへとかざす。
『――――『音魔法』!』
さあ、やってやるぞ――――!




