第350話 農民、岐路に立たされる
「セージュ君から何か質問はあるかい?」
「ええと……じゃあ、いいですか? 今の俺の『浸食率』って『40%』なんですよね? これって、どのぐらい危ない状態なんですか?」
エヌさんから促されたので、とりあえず、思いついた中でも心配事について聞いてみた。
ざっくりとしか内容を把握できなかったけど、今の俺の状態って、単に仮想な世界と同期しているわけではなさそう、というのはわかったから。
そして、五感共有のフルダイブ型のゲームができるのも、単なる科学技術の進歩だけじゃなく、オカルトっぽい技術も用いられている可能性もある、ってことも、だ。
今にして思うと、ゲーム中に犯罪行為に及んで死亡した人、というのも他人事じゃあ済まされない感じだしな。
ひょっとすると、俺たちが思っている以上に、この『PUO』って、命にかかわる危険なものであるのかも知れないし。
「うーんとね、ごめん、結構ギリギリなんだ」
「えっ!?」
そう言って、申し訳なさそうに頭を下げるエヌさん。
って、ちょっと待て!?
さっき、エヌさん自身も『引き返すための猶予はまだ十分に残ってる』とか言わなかったか?
にも関わらず、ギリギリってどういうことだよ!?
「だからね。この話を聞いて、これ以上、この『PUO』に関わり合いたくなければ、それで撤退するのには問題ないよ、って話なんだよ」
「……つまり、テスターとしてのお仕事を放棄すれば、ということですか?」
「うん、そういうこと。もし、そうでなくて、『こっちの世界』のことに更に踏み込むのなら、『元の世界』に戻れなくなることも覚悟しないといけないってわけ」
「…………」
「君の質問に答えるのなら、危険水域は『50%』を越えることだよ。『50%』の時点で中庸で、それを越えれば、あちらの世界へと傾いたことを示すから。何らかの理由で、この『PUO』を維持できなくなれば、傾いた『世界』へと本質が移行してしまう。この『PUO』が続く限りは『100%』にでもならない限り、僕の力で何とかできるけど、それが不可能になる可能性もゼロじゃないってわけ」
だから、セージュ君の猶予は、あと『10%』と考えてもらった方がいい、とエヌさん。
『死に戻り』に換算して、あと5回、と。
なるほど。
俺が自分で、後者の選択肢を選んだ場合は、そういうリスクも発生するってことか。
正直な話、今、テスターをやっている身としては、この『PUO』が楽しくて仕方がない、って感覚はある。
思いもよらないクエストも転がっているし、ゲームとしての自由度も高い。
実際、クリシュナさんの件でもわかるように、ほぼ不可能とされるクエストですら、色々と足掻くことで道が開けることもあるわけだし、そういう意味ではエヌさんにもコントロールできていない要素が多いように思えた。
というか。
もし、ここまでの話が本当ならば。
今の俺たち迷い人がやってることって、異世界との異文化交流ってことなんだろ?
色々と驚かされることもあるけど、少なくとも得難い経験をしていることは間違いがない。
――――ただし。
代償として、二度と元の世界に戻れなくなるかも、っていうのは重過ぎる。
少なくとも、俺もあっちの世界にそこまで不満があるわけじゃないし。
そりゃあ、実家の農園を継ぎたいか、と聞かれると微妙だけど、それでも家族や友達と二度と会えなくなることを天秤にかけてまで、異世界に行きたいか、って言われると、そこまでは今までの人生に絶望してはいないのだ。
やりたいこともあるし、別れるにしても、きちんと切りのいいところまで状況を持っていかないと、悲しむ人だって当然出てくるだろうし。
少なくとも、おふくろとかに泣かれるのは俺も嫌だったから。
だから。
この時点では、テスターを辞める、という方へと気持ちが傾いていたのだ。
――――次の台詞をエヌさんが口にするまでは。
「うん。セージュ君の判断がそうなら、僕も受け入れるよ。ただ、残念だとも思ったけどね。今のままで、もし君がいなくなってしまえば、ルーガちゃんは助からないから」
「……え?」
一瞬。
エヌさんが何を言ったのかがわからなかった。
「なぜ、そこでルーガの話になるんです?」
「彼女もまた、セージュ君と一緒で『変数』な存在だからさ。いや、彼女の場合は君よりも更に特殊な立ち位置だからね」
だから、とエヌさん。
「もし、今、一番親しいであろうセージュ君が抜ければ、彼女が助かる道はほとんどなくなる。立ち位置的には、僕の子たちに近いけど、少なくとも、ジェムニーもここにいる九ちゃんも世界にとっての敵になるわけじゃないからね。僕がこの仕事でスノーから得られる『報酬』がダメになったとしても、『この世界』の中では生きられるから」
「――――どういう!? ……言ってる意味が……いや、そもそもルーガは何者なんですか?」
エヌさんが何を言いたいのかがわからない。
だから俺も、俺が知りたいことについて尋ねる。
ルーガが何者なのか。
一部の記憶が抜け落ちていて、この世界では当たり前のはずの『スキル』を一切持たず、にもかかわらず、いざという時にはよくわからない力を使えるルーガ。
明らかに存在そのものがおかしな少女。
そもそもが、俺が偶然、あのタイミングで地下通路にたどり着いていなければ、そのまま、狂った状態のビーナスに殺されていたんじゃないか?
冷静に考えると、あの時点で、あの場所でのクエストがおかしい。
それじゃあ、まるで、人知れず死んでいくだけの運命だったかのような――――。
そんな俺の思考を読んだかのように、エヌさんが微笑んで。
「うん。そうだね。今だから言えるけど、あの時、セージュ君は確かにひとりの少女の運命を変えたんだよ。正直なところ、彼女の存在は完全に僕にとっても想定外でね。『変数』ではあるけど、さすがに周囲の影響を考えると、僕としても手を差し伸べるのが難しかったから。あの場での消滅もやむなしかな、って思ったぐらいだもの」
だから、ある意味、セージュ君のおかげだよ、とエヌさんが笑う。
だが、一方の俺はそんなエヌさんの言葉に苛立ちを感じて。
「そこまで知っていて、ルーガを助ける気はなかった、と?」
「うん、そうだね」
「なぜです? むしろ俺が関わることで、気が変わったというのなら、助けても問題なかったってことじゃないんですか?」
何だろう。
どこまでもほんわかした感じのエヌさんの物言いに腹が立つ。
――――いや。
たぶん、ここまで感情が苛立つのは、俺が少なからずルーガのことを――――。
「理由はあるんだよ」
「……え?」
「うん、別にルーガちゃんが悪いんじゃない。そもそも、ヴェルガゴッドの存在を再現しようとした僕が悪いんだ。『ゲームにはラスボスが必要』って、丸め込まれたのが失敗だったんだろうね。多少無理をすれば、何とかなるかと思ったけど、ダメだった。結果として、ラスボスとして召喚すべき存在が割れてしまった。『欠片』になってしまったんだ」
ふぅ、と少しだけ伏し目がちになって嘆息するエヌさん。
「……結局、ルーガは何者なんですか?」
「いいの? それを知ると戻れなくなるかもよ? いや、今のクエスト自体が次のフェイズに進行するかもしれないよ?」
知らないままの方が足抜けが簡単だよ? と優しい口調で言ってくるエヌさんに対して、俺は首を横に振る。
これが、ただのゲームではない、と知った以上は看過できない話だったから。
「仕方ないね……ルーガちゃんは『魔王の欠片』だよ。まあ、割れてしまったおかげで『なり損ない』になっちゃったけどね」
「ルーガが『魔王』!?」
「うん。ただ、能力のほとんどが他の『欠片』に行っちゃってるから、正直、『魔王』って呼べるかどうかは疑問だけど。ただ、そのおかげで制御ができない能力も残っちゃってね。それがなければ、僕も別に、死ぬのもやむなし、とは思わなかったんだけど」
「それは一体……?」
「セージュ君も変だなあ変だなあ、って思ってたことだよ。はぐれモンスターの異常『狂化』。あれやってるのが、ルーガちゃんの無意識化で制御できなくなった能力だから」
思いもしなかったエヌさんの爆弾発言に。
俺は、ただただ、絶句することしかできなかった。




