第348話 Nと九ちゃん
「『進む』か、『退く』か、ですか?」
「そう。僕らも意に添わぬ強制は、本意ではないからね」
そう言って、目の前のエヌさんが口元にだけ笑みを浮かべる。
ただ、その目は笑っていない。
少し前までの、どこかこちらをからかうような、茶化すような、そんな態度がかすかに潜めていることを感じて。
唐突に姿を見せてくれた、目の前の『運営』さんが真剣であることを知る。
今まで、テスターとして活動していく中で、度々感じてきた違和感。
その正体のようなものが飛び出してきそうな。
そんな雰囲気を察して、思わず、息を呑む。
――――と。
そんな俺の態度を見て、ふっ、と表情を和らげるエヌさん。
「ま、そんなに身構えなくても、まだ大丈夫だよ。引き返すための猶予はまだ十分に残っているしね」
「あの、結局、何の話なんですか? そもそも、俺が受けたテスターのアルバイトの……本当の目的は何なのですか?」
最初は、新しいゲームのための単なるテストプレイヤーとして雇われたのだと、そう思っていた。
それに付随して、俺の場合は就職に関するメリットも掲示された、と。
だが、それだと少しおかしな空気を感じたのも事実で。
ゲームの中で、色々な人たちと出会って。
今、俺が感じている違和感の中で最も大きくなっていること。
それは。
――――これは本当に単なるゲームなのか? ということだ。
ハイネやカミュ、リディアさんたちといった、ゲーム内で出会ったNPC。
サティ婆さんも、ラルさんも、ノーヴェルさんたちも。
その感情表現や思慮深さには、明確な人格が存在している。
最初のうちは、もうそこまで人工知能の技術ってのは進歩しているのか、って、そう驚きつつも感心していたのだけれど。
あるいは、運営サイドの『中の人』がいるのかと、そう疑っていたのだけれど。
何だろう。
それだけでは説明できない、下地のようなものが透けて見える、というか。
違和感が大きくなったのは、クレハさんやツクヨミさんから話を聞いた時だ。
そして、クリシュナさんから直接警告を受けた時、だな。
ふと、その時に、俺の中に小さな、本当に小さな疑念が生まれた。
荒唐無稽で、ちょっと現実的ではない発想ではあるけれど。
それこそ、『ゲームやマンガの話でもあるまいし』というやつだ。
だが。
たぶん、今、偶然とは言え、エヌさんと対面する機会を得たのは、俺にとっても都合が良かったのだろう。
この『PUO』が何なのか。
それを尋ねることができる絶好の機会だったから。
だから、エヌさんに対して、問いを続ける。
「この『PUO』は何なのですか?」
「ふふ、ただのゲームさ……という答えでは納得してくれないようだね? まあ、仕方ないよね。いくつか、きっかけはあったわけだし。それじゃあ、さっきの『浸食率』の話とセットで簡単に説明していこうかな。あ、当然のことだけど、これはここだけの話だよ? 他言無用、というか……まあ、その心配がないようにお手伝いを呼んだしね」
「え? お手伝い?」
「えぬたまー」
「――――へっ!?」
エヌさんの言葉に、なんのこっちゃ? と俺が困惑していると、突然、エヌさんの横にちっちゃな男の子が現れた。
本当に突然に。
この真っ白な地平線が広がる空間で、死角でもなんでもない場所から、突然、その男の子が現れたように見えた。
まあ、俺がここに連れてこられたみたいに、エヌさんの能力で呼び出したのかもしれないけど。
その男の子は神主さんのような恰好をしていた。
歳は幼稚園児ぐらい、か?
いかにも、子供、というような風貌で、だが、それだけではなくて。
淡い緑色をした髪に、同じような色をした狐のような獣耳をぴょこんと立たせて、おまけに、きらきらと輝く緑色の尻尾のようなものが何本もお尻から生えていた。
何となく、種族的には獣人種っぽい感じの男の子だ。
「エヌさん、この子は?」
「うん、紹介するね。僕のお仕事を手伝ってくれている子のひとりで、名前は九ちゃんって言うんだ」
「なのー。えぬたまのけんぞくのいちじくなのー。きゅーちゃんでもいいのー」
よろしくねー、とぺこりとお辞儀をしてくる男の子。
「あ、こちらこそ、よろしくね」
なので、俺も慌てて、礼を返す。
何となく、仕草に小動物っぽい雰囲気を感じる子だな。
『ナビ』ということは、ジェムニーさんたちと同じ立ち位置ってことか。
エヌさんの眷属ってことは、子供みたいなものなのか?
運営サイドの部下さん……にしては、ちょっと子供子供しすぎているような……? まあ、それがすべて演技である可能性もあるか。
一応、エヌさんを介して、お互いに簡単な自己紹介をしたところ、名前は漢字で『九』と一文字で書いて、『いちじく』と読ませるのだとか。
そこまで聞いて、ナビさんたちの名前って、もしかして番号が割り振られているんじゃないか? って気付く。
そういえば、ジェムニーさんと最初に会った時、自分で『二番のナビ』とか言ってたもんな。
「九ちゃんは『妖怪種』の因子を持っている子だね。『天狐』少なめ、『ミドリノモ』多め、それに僕、と。だから、コトノハの方を担当してもらってるんだ」
「なのー」
エヌさんの説明に九ちゃんが頷いて。
直後に、その姿を変化させた。
あっ!
緑色の毛玉っぽい!
もしかして、他の迷い人さんたちの話に出てきたのってこの子だったのか?
「うん、そうだよ。九ちゃんにもチュートリアルで何人かは担当してもらったからね」
「なるほど……でも、どうして、その九ちゃんがここに?」
新しく、ナビさんたちの情報を知ることができたのは嬉しいけど、突然、この九ちゃんが現れた理由がよくわからないよな。
そんな俺の疑問に、エヌさんが苦笑して。
「理由はすぐわかるよ。それよりも、あんまり時間がないから、話の本筋に戻ろうか」
いや、話が逸れたのって、エヌさんが原因じゃ……?
まあ、そんな俺の内心の突っ込みに関しては、あっさり無視されてしまったけど。
「この『PUO』は何なのか? って話だったね? 前にクラウド君からも似たようなことは聞かれたけど、その時と同じように答えようか」
「あ、クラウドさんとお話されたことが?」
「うん。取材って名目でね。姿は晒したわけじゃないけど」
まだ、そっちの情報は出回っていないようだね、とエヌさん。
へえ、やっぱり、クラウドさんって色々やってるんだなあ。
既に、エヌさんとコンタクトを取る方法を得ていたのは知らなかった。
まあ、『けいじばん』で触れられない内容だろうから、仕方ないけど。
それよりも、エヌさんの答えだ。
「これは、僕が作った世界であり、現実の雛型だね」
「……現実の雛型、ですか?」
「うん、そう」
「……つまり、元になった現実がある、ってことですか?」
「そうだね。だから、『浸食率』って話になってくるんだよ。ふふ、ここから先はもう少し踏み込んだ話になるね」
覚悟はいいかい? とのエヌさんの問いに、頷く。
ここまで来て、やっぱりいいです、というわけには行かないしな。
引き返すにしても判断材料が必要だし。
そんな俺の態度に、エヌさんも微笑んで。
横で九ちゃんも毛玉の姿でぴょんぴょん飛び跳ねて。
「いいね、セージュ君。やっぱり、君は愛すべき『変数』だね」
そう言って、エヌさんが笑みを深めて。
ゆっくりとこの『PUO』について語り始めた。




