第342話 対月狼戦、再開
『セージュ、大丈夫?』
ああ、ここからが本番だ。
そう、内側から話しかけてきたアルルちゃんに頷きつつ、痛みをこらえながら左肩の傷に薬油をかける。
その間も、『幽幻の鎌』は構えたままで、クリシュナさんの身体から目を離さない。
一挙手一投足どころではない。
静止姿勢のままのクリシュナさんの周囲。
わずかに動きを見せる色付きのもやの変化に対して、意識を集中させる。
そのためには、わずかな痛みも邪魔だ。
痛みは、俺にとって集中を欠く要素のひとつだ。
もちろん、人によっては痛みに意識を合わせることで、逆に集中力を高めることができるのかも知れないけど、そういうのって、普段から痛みに慣れていて、免疫のある人の話だろう。
このゲームの中では、今の傷はかすり傷に過ぎないのかも知れない。
もう既に、薬油をかけてから数秒で、早くも痛みが引き始めて、肩の傷がふさがってきているのがわかる。
だが、今の俺の場合、あまり負傷したままでいられない理由もあるのだ。
『憑依』をしてくれているアルルちゃん。
要するに、今の俺は彼女と同化している状態にある。
この場合、身体に関するダメージについては共有されてしまうのだ。
いや、それだけなら仕方ないが、フローラさんによると、一定以上のダメージが共有されると『憑依』が強制的に解除されてしまうのだ、と。
それだけは避ける必要があった。
何せ、もう既に戦闘が始まっている以上は、再度の『憑依』はできない。
現時点でも、我ながらグレーゾーンなことをやっている自覚はあるけど、さすがに戦闘中での『憑依』は一対一のルールでは、アウトになってしまうだろう。
もちろん、当然のことながら、痛みがアルルちゃんの方にも行ってしまうのを防ぐ、というのも理由ではある。
昨日の大盤振る舞いのせいで、所持している薬油はそれほど多くはないが、出し惜しんでいる余裕はないのだ。
――――なので!
「――――『石礫』!」
クリシュナさんが次の行動に移る前に、こちらから動く。
距離を少しだけ詰めるのと同時に、牽制を行なう。
「――――――っ!」
「っ!? やっぱりっ!?」
俺が魔法で放った無数の石の礫が、ことごとく、クリシュナさんの前の空間で弾かれた。
魔法の『反射』だな!?
まっすぐ向かっていった礫が、そのままの勢いで戻ってきたので、慌てて回避する。
予想はしていたが、やはりクリシュナさんに魔法の飛び道具は通用しないようだ。
もっとも、ここまでは想定内。
今、大事なのは『精霊眼』による、周囲の『小精霊』の動きのチェックだ。
クリシュナさんが『反射』を使った時の状況の変化。
それはしっかりと見て取れた。
『反射』というから、どういう風な現象が起こっているのか、この目で見るまでは不思議だったんだよな。
火の玉とか、そういうのはそのまま魔法が反射されてしまうと思ったけど、『土魔法』の『石礫』の場合、無数の礫が飛び散っていくような軌道を見せるのだ。
なので、それがひとまとまりで、ひとつの魔法として返されるのか、それともバリアのような壁があって、そこに触れた魔法が弾かれるのか、いくつかの可能性は考えていたのだけど。
この場合、ひとつひとつの礫に向かって、クリシュナさんの周囲の光が飛びかかって行って、それぞれに作用しているような感じになったのだ。
つぶての大きさに対応した、大小さまざまな光の球が纏わりついて。
それらが接触した瞬間に『反射』が為されている、というか。
だからこそ、クリシュナさんの身体から大分離れた空間で『反射』が生じているようだ。
クリシュナさんの身体の表面を覆っている白い光は、ほぼ影響を与えていない?
たぶん、そっちは魔法障壁ってやつか、俺たちも使っている『身体強化』か、そのいずれかだろう。
「もう一度っ! 『石礫』!」
まだクリシュナさんが様子見のようなので、もうひとつ実験を重ねる。
『鎧』の時にやったように、横に移動し続けた状態で礫を放ってみる。
「――――!」
すると、先程と同様の現象が起こって、礫が返された。
ただし、礫が返った場所には俺の身体はない。
なるほど。
どうやら、『反射』は飛んできた魔法の方向を逆のベクトルに返す能力のようだ。
だったら!
移動砲台として、攻撃を仕掛けるのが効果的だなっ!
そう、俺が思った瞬間だった。
「――――やべっ!?」
「――――――っ!」
クリシュナさんの前方、俺に向かう方向の前にいた『小精霊』の群れが動きを見せて、クリシュナさんの身体に纏わりつくのが見えて――――。
連鎖するように今俺が立っている場所まで、一本の道筋が現れたのを確認。
光の範囲から逃れるように回避――――って、ちょっと待てっ!?
俺が回避行動を取るのと同時に光の道筋がぶれるのを確認。
慌てて、その場に伏せるのと同時に魔法を展開。
「『アースバインド』っ!?」
「――――――!?」
――――あっぶなっ!?
1メートルほど掘った穴に俺が潜るのとほぼ同時のタイミングで、クリシュナさんの巨体が通過していくのがわかった。
うわあ、やっぱ、洒落にならんわ。
こっちは、移動動線が一瞬先に予測できるなら、攻撃を回避できるだろう、ぐらいに思っていたけど、よくよく考えると、これって『鎧』の時の礫とは全然違うんだもんな。
あの時は、無機物の石が飛んでくるから、一度飛ばした礫の軌道は変化したりしなかったけど、今回向かってくるのはクリシュナさんそのものだ。
要は、俺が避けようとすれば、途中でそれに気付いて、その動きに対応してくるってわけで。
いや、やっぱり、これ厳しいって!
元々無茶だ無茶だとは言われてたけど、こんな相手、どうやって勝てばいいんだよ!?
何となく、紙装甲でレイドボスと戦ってる感じになってきたぞ?
動きは速いわ、一撃食らえば負けだわ、おまけに頭も良さそうだし。
穴の中だとジリ貧なので、すぐに俺も地上に飛び出て、そのまま『鎌』を全方位に向けて振り回す。
「――――――っ!」
やっぱりな。
クリシュナさん、この『鎌』にはそれなりに警戒しているようで、俺の周囲が闇のもやに包まれたことで、連続での攻撃は控えてくれたようだ。
正直、俺も、この残響効果がどういうものなのかは謎だが、少なくとも牽制にはなってくれるはずだ。
そのまま、ビーナスの『苔』を口にする俺。
隙を見せれば、すぐに攻撃が来る以上は、もうちまちまと魔法を試している場合じゃないしな。
対応を誤れば、即ゲームセットだ。
やれることはやるしかない。
この『鎌』も、だ。
せっかく、リディアさんに頼み込んで、前の『採掘所』の時と同じ感じで『付与』をしてもらったけど、正直、あのクリシュナさんの動きじゃ、当たる気がしないし。
動きを止める、封じる。
やるべきことはその辺か。
逆に、当てれさえすれば、多少のダメージは与えられるはずだ。
何せ、リディアさんのお墨付きだし。
『ん、思った以上に、この鎌硬かった。これなら強めにできる』
前の『初心者』シリーズの武器に『付与』してくれた時よりも大分威力があがっているとのこと。
これならば、クリシュナさんの装甲でも貫ける――――かも、って。
もっとも、当てられなければ、意味がないけどな。
これだけ準備しても、まだ足りない相手。
そう、改めて痛感しつつ。
俺は、次の行動へと移った。




