第338話 月狼、試練として立ち塞がる
《クリシュナ視点》
『……敗北を与えること?』
『うん、そう。それが君に頼む役割だね』
そう言って、にっこりと微笑むのは人型の獣だ。
自分が狼型の獣として、形を取っているのと同様に、目の前の男も、その人の身を『本体』として扱っている。
自分たちにとって、己の姿形は絶対ではない。
それは、共通認識のはず。
もっとも、目の前にいる男は、自分たちの中でも変わり者という側面が大きい存在だ。
『最弱』を自称し、滅多にその姿を見せることはない。
普段もどこにいるのか知らないし、どこに隠れているのかも知らない。
いえ、それは皆同じかも。
自分たちの中に、変わり者が多いのは否定しない。
他の種族よりも強靭で、変化も自在であるため、我が道を行く者が多いからだろう、とわたしなどは思っている。
『そう。君の役目は、その絶対的な力で完膚なきまでに迷い人を叩きのめして、敗北を与えるというものだね』
別に殺すまではしなくてもいいけど、と笑みを浮かべたままで男が続ける。
『いわゆる、『敗北イベント』と呼ばれるものだってさ。ゲームにはそういうものも必要らしいよ? 主人公にとっての成長を促したりとか、物語性とか、そういうものを深めたりするのに必要なきっかけ、かな? ままならないこともあるってことを知らしめて、更なる成長の糧となるために必要な儀式、とでも言うべきかな?』
そんなことが必要?
口には出さずとも、表情から自分の疑問は伝わったらしく、やれやれという雰囲気を隠すこともなく、男が苦笑して。
『ふふ、君の疑問もごもっともだけど、こういうのは様式美ってやつじゃない?』
『別に、わたしがやらずとも、あらゆるところにその要素は転がってるのでは? 貴方が作り上げた『グリーンリーフ』もあちらに準ずるもの、なのでしょう?』
『森』の奥へと進めば、自然とその『ままならない』ことに突き当たるはず。
そう、わたしは疑問を呈したのだけれど。
やはり、男は笑うだけだ。
どうやら、それ以上は答えるつもりはないらしい。
仕方ない。
そう、心の中で嘆息する。
今のわたしは、目の前の男の力が必要だから。
だから、力を貸すことに同意したのだから。
『それでは、手加減は不要でよろしいのですね?』
『まったく要らないね。むしろ、最初から全力で、一撃で仕留めてくれた方が都合がいいかもね。ふふ、その方が絶対的な力ってものが象徴的になるから。まあ、もっとも……』
『何です?』
『もし、イレギュラーな事態が生じたなら、それはそれで構わないよ』
『……わたしが失敗するとでも?』
わたしも強さに特化しているとは言い難いけど、それでも他種族が相手であるのなら、そうそう遅れを取るつもりはない。
例外は、友人でもあるレーゼぐらいだろうか。
もっとも、それは男も同様のはずで、彼の生み出した◆◆で、彼を越える力を扱うことは難しいはず。
ならば、自然と上限が予測できる。
少なくとも、わたしが油断しない限り、その可能性は皆無と言ってもいいだろう。
『ふふ、さてさて。そんなに睨まない睨まない。あくまで僕は可能性の話をしているだけだって。あ、そうそう』
『……何です?』
『もし、そのありえない事態が起こったなら、君にとっても歓迎すべきことかも知れないよ?』
『どういうことです?』
『君が求める条件を満たす存在である可能性が高いからさ』
つまり、それは……。
目の前の男が何を言いたいのか気付いて、思わず息を呑む。
『あくまでも可能性の話だけど、ね。だけど、君も、だからこそ、『外』にまで可能性を広げてすがったわけでしょ? ふふ、まあ、そういう存在と出会えるといいね。たぶん、スノーが狙ってるのもそんな感じだろうし』
可能性の原石だね、と男が笑って。
僕はどっちでもいいけど、と付け加える。
こういう男の虚無感を伴ったところがわたしはあまり好きではない。
まあ、それも仕方ないのだろう。
情報蒐集家。
『繋がり』の担い手。
だからこそ、男は傍観者を気取っているのだろうから。
自分たちの中でも、あちこちに対して、最も手が広い存在。
ゆえに、わたしもその求めに応じたのだから。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そう。
あの時、覚悟を決めたのだから。
わたしはわたしの役目を果たす。
目の前には、少し緊張したように顔を強張らせている男が立っている。
それも仕方ないだろう。
今のわたしの『威圧』を受けて、普通でいられる『人間種』などいないだろう。
『土の民』も、少しだけ性質が変質しただけで、普通の『人間種』とほとんど変わらない。
その能力の上限、成長の度合いなどは、想定内の話に過ぎない。
『容赦なく、完膚なきまでに叩きのめしてね』
あの時の男の言葉を反芻する。
それが、今ここにいるわたしの役目だ、と。
実のところ、目の前の男に関しては、そこまで嫌いではない。
レーゼの孫でもあるラルフリーダも目をかけているし、他の存在とのやり取りを見ていても、『グリーンリーフ』に馴染みつつある。
『グリーンリーフ』に馴染むのであれば、わたしの敵にはならない。
だからこそ、叩きのめすことに関しては、少し思うところがないでもないが、役割である以上は仕方ない。
せめて、痛みを感じる間もなく終わらせてあげるのが優しさというものだろう。
昨日の男の戦い方を思い出しても、特にこちらが警戒すべき要素はなかった。
戦闘自体では、迷い人の中でもそれほど強くはない、というのがわたしの持っている印象だ。
どちらかと言えば、他の存在と打ち解ける才能に長けている、というべきか。
結果として、集団で動けば、その強さを発揮できるだろうが、今は条件が絞られている状況だ。
周りの者たちには申し訳ないが、最速で終わらせてもらおう。
「では、これより、セージュさんとクリシュナによる決闘を行います」
「お互い、全力を尽くすようにしてください」
ラルフリーダによる宣言が聞こえてくる。
始まりの鐘。
「では――――始めっ!」
それが発せられたのと同時に、わたしは動いた。
『狼種』としてのスピードを活かして、間合いを詰めて、そのまま一閃。
と、体当たりも、その爪による一閃も空を切ったことに少しだけ驚く。
回避された。
少なくとも、見てからで対応できる速さであったつもりはなかったのに。
どうやら、男も身体が硬直していたのではなく、最初から回避するための対応を取っていたようだ。
もっとも、後の先をとっての回避ではなさそうで、わたしが一撃で決めに来ると予測しての破れかぶれのように思えた。
最初から、全力で避けに動いたのだろうか?
驚きではあるが、それならば、こちらはその回避動作を見てから動けば済む話だ。
次で決める。
そう、わたしが思った時だった。
「うん……やっぱりダメだった。『起きて』もらっていい?」
男が何かをつぶやいた直後、彼の身体から茶色い光が浮かび上がってきた。
……光?
いや、全身の光だけではなく、眼も茶色くて怪しい光を放っているのが見える。
これは……もしかして。
名前:セージュ・ブルーフォレスト(憑依状態)
年齢:16
種族:土の民(土竜種)
職業:農民/鍛冶師見習い/薬師見習い
レベル:43(+179)
スキル:『土魔法(+)』『農具』『農具技』『爪技』『解体』『身体強化』『土中呼吸(加護)(+)』『鑑定眼(植物)』『鑑定眼(モンスター)』『緑の手(微)』『鍛冶(+)』『暗視』『騎乗』『調合』『土属性成長補正(+)』『自動翻訳』《『精霊眼』『精霊同調』》
やはり、と思う。
レベルの上乗せ。
スキルの追加上昇。
そして、『精霊眼』と『精霊同調』。
そこまでを『鑑定』で確認して、何が起きているのか気付く。
そういえば、見物人の中にアルル・ルルラルージュの姿がいなかった、と。
なるほど。
『精霊種』に『憑依』してもらったということだろう。
確かに『土の民』と『ノーム』であれば、適性があってもおかしくない。
少しだけ、目の前の男の危険度を上方修正する。
それでも、まだまだわたしのレベルには届きすらしないのだけれども、すでに当初の想定が覆されているのも事実だから。
――――と。
すかさず、男がアイテム袋から武器を取り出すのが見えて。
「――――――!」
思わず、声を発してしまいそうになって慌てて抑える。
取り出されたのは、男の身体よりも長い鎌。
本体は闇色に輝く、にも関わらず、異様な白い光を発し続けている鎌。
限界まで、『強化』の『付与』が為されている……?
さすがにあれは少し危険かもしれない。
とはいえ。
ならば、こちらも攻撃を受けないようにするだけだ。
どれほど威力がある武器だろうと、当たらなければ意味がない。
元より、わたしの得手はそちらなのだから。
とはいえ。
正直、驚かされたのも事実だ。
まったく勝負にならないだろうという、こちらの予想を少しだけ覆してきた。
『可能性の原石』、か。
エヌがぽつりとつぶやいた言葉を思い出して。
それでも役割は変わらない、と。
そう思い直して、次の行動へと移ることにした。




