第337話 農民、月狼に挑む
例のピンク色のもやを経由して、先導するラルフリーダさんについていくと、だだっ広い草原のような場所へとたどり着いた。
全面に足首程度までの草が生い茂っているだけで、高い木などは四方を見渡した感じではどこにも見当たらない、延々と草原が広がっている場所だ。
ここが舞台、か?
というか、ここも『オレストの町』の中なのか?
どうやら、ラルさんの結界によって囲まれている場所らしいのだが、それ以上にただ広いだけの草原には驚かされたというか。
俺だけではなく、一緒にやってきた面々も驚いていると、ラルさんが微笑んで。
「少し移動距離は短縮しましたが、私の家から奥へ進んでもたどり着ける場所ですよ」
そう言って、この場所について教えてくれた。
へえ。
どうやら、ラルさんの家と繋がった場所にある草原のようだ。
周囲には、ベニマルくんたち鳥モンさんが『町』に出入りできる用の隠しの入り口などもあるらしい。
「あ、そうだったのね? へえ、この辺にあったの?」
そのことを聞いていたビーナスが納得したように頷く。
あ、そっか。
前に『精霊の森』に向かう時に、その出入り口を通ったことがあるんだものな、ビーナスってば。
もっとも、その時もピンクのもやを経由したりしたので、正確な距離とかまでは把握できなかったみたいだけど。
あの、ピンクのもやって、ラルさんが生み出しているワープゾーンみたいなものらしいな。
まあ、前に鳥モンさんたちをまとめて、瞬間移動みたいなこともさせてたから、ラルさんの『領域』内限定でそういうことができるみたいだけど。
さておき。
少しばかり距離を取った状態で、クリシュナさんと対峙する俺。
うん。
やっぱり、改めてきちんと四本脚で立っている状態のクリシュナさんを正面から見ると、その迫力に気圧されるな。
前に戦ったミスリルゴーレムよりも身長が高いし、昨日のブリリアントコッコさんの巨体ほどじゃないけど、マイクロバスぐらいの存在がどーんと身構えているのと正対するのはちょっと怖い……いや、かなり怖い。
ちょっとだけ、早まったかな? という思いが頭をよぎったが、そこはそこ、覚悟を決めて、こちらも身構えることにする。
ふぅ、とひとつだけ深呼吸。
と、そんな俺たちを見て、両者からさらに少し離れた場所にいるラルフリーダさんから声が発せられる。
「お二人とも準備はよろしいですか?」
「――――――――!」
その問いに無言で頷くクリシュナさん。
俺の方を見ながら、無言のままで威圧をかけてくるのが怖い。
睨むというよりも、静かな闘志のようなものが見えるのがより迫力を感じさせるというか。
「セージュ、頑張れー!」
「死なないようにね、マスター!」
「きゅい――――!」
「まあ、いよいよ不味そうだったら、あたしが止めに入るぞ?」
「…………そもそも、お嬢様が見届け人になってるから心配ない」
「それだと、クエスト失敗だわね」
「ん、それはセージュ次第」
ラルさんの側でこっちを応援してくれているのがルーガたちだ。
ラルさんの護衛という意味で、ノーヴェルさんやイージーさんたちもついてきてくれているけど、そっちは応援というよりも野次馬って感じの態度だな。
というか、リディアさんとかもそんな感じだし。
まあ、いいや。
俺としても、精いっぱいぶつかるだけだ。
一応、対策は講じているしな。
問題は、本物のクリシュナさん相手にどこまで通用するか、だけど。
「はい。こちらも大丈夫です、ラルフリーダさん」
俺の返答にラルさんが、わかりました、と頷いて。
「では、これより、セージュさんとクリシュナによる決闘を行います」
「お互い、全力を尽くすようにしてください」
「では――――始めっ!」
ラルさんの声が辺りに通って。
次の瞬間、決闘が開始された。
それが起こったのはほんの一瞬。
俺はクリシュナさんの方を見つめたまま――――。
「――――っ!?」
その姿が掻き消えるのだけを認識。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、その場に留まる意識を残して、相手が動くのを皮膚感覚で感じ取るのと同時に、全力で回避行動をとる。
次の瞬間、クリシュナさんのよる攻撃が空気を震わせるような衝撃とともに、一瞬前に俺が立っていた場所を通過しているのを感じて、思わず、冷や汗が出る。
「――――痛っ!?」
いや、冷や汗だけじゃないな。
やっぱり、完全には躱しきれなかった。
右の方へと飛んで回避した際に、左肩をクリシュナさんの爪がかすったようだ。
ただ、それだけで爪による裂傷が刻まれて。
直後にやってくるのは、かすかな安堵と出血を伴った痛みだ。
痛ってぇ――――!?
痛覚が軽減されているとは思えない痛みだ。
かすっただけでこれかよ。
やっぱり、洒落にならないな、クリシュナさんって。
カミュの言った通りだった。
こちらが目を凝らしていたにも関わらず、距離をとって立っているだけの状態から、今、攻撃されるまでの移動の動きがまったく見えなかった。
動きが速すぎる。
おまけに、空気などへの影響もあり得ないぐらいに抑えられているため、その動き自体が予測困難になっているし。
……ダメだ。
初撃は、来るとわかっていたので、何とか対応して致命傷は避けられたけど……実際、俺が避けるのは予想外だったのか、クリシュナさんも少し驚いたような、どこか感心したような表情を浮かべている。
だが、もうダメだ。
今のままでは、戦いにすらならない。
わかっていたことだったが……やっぱり少し悔しいが、仕方ない。
クリシュナさんが次の行動を起こす前に、次の手を打つ。
「うん……やっぱりダメだった。『起きて』もらっていい?」
俺の言葉に、身体の中から頷きのような反応が返ってきて。
次の瞬間、俺の身体が淡い茶色い光で包まれる。
と、同時に、俺の視界も変化する。
見え方が二重写しの重複したような世界へと切り替わった感じになって。
まるで、『戦争系』のゲームで体感したような、モニタリングような感じで、今まで見えていた世界に重なるように、多彩な色彩によって色分けされた画面が映し出される。
クリシュナさんの身体の周囲にきらめくような純白の光が現れたのを確認して。
すかさず、アイテム袋から、武器である鎌を取り出す。
最初から武器を持っていなかったのは、クリシュナさんの初撃を確認するため。
どこまで、どうしようもないか、確認するためだ。
もし、俺が最初から、この『鎌』を構えていたら、さすがに警戒して別の行動を取る可能性もあったから。
「――――――!」
『鎌』を目にして、クリシュナさんが眉根を寄せたのが見えた。
俺は俺で、それを見て頷く。
さっき、工房でペルーラさんに改造してもらった『鎌』。
それが、白い光を放ち続けている。
対クリシュナさんの切り札その一。
相変わらずの無表情で、クリシュナさんの姿の向こうで立っているリディアさんを一瞬だけ視界に入れて。
よし、と頷く。
さあ、足掻くのはこれからだ。
そのまま、『鎌』を構えたまま、俺はクリシュナさんとの距離を詰めた。




