閑話:管理者、ほのぼのする
《管理者の間》
そこは暗くて広い部屋だった。
漆黒と呼んでも差し支えないような闇がその部屋全体に広がっている端の見えない部屋。
その中央。
ちょうど真ん中のあたりの空中にぷかぷかと浮いたまま、寝そべったままたたずむ獣が一体。
大きさは人の手のひら程度。
形はまるでアメーバのようで、ぐにぐにと動いては寝そべったまま、形状を少しずつ変えていく。
複数の眼のようなものをたたえて、そのままで、絶えず、周囲の様子をうかがっているような不思議な獣。
そして、その獣の周囲の空間には、所狭しと平面のスクリーン上の何かが無数に配置されていた。
そのスクリーン上の何かは、真っ暗な部屋の中にあって、時折、光りを放っては様々な情報を映し出していく。
浮かんでは消えて。
消えては浮かぶ。
無数のスクリーンたち。
その数は獣の周囲だけでも、数千から数万……いや、それ以上を越えるであろうか。
それら全てに目を通しながら、寝そべってはうねうねと蠢動し続ける獣。
そんな時間が無限に続くかに思われたその時、獣の側に、また別の生き物が近づいて来た。
緑色をした身体に、緑色の毛がふさふさと生えた生き物。
まるでふわふわの毛玉のような。
マリモに目が生えたような愛らしい姿の生き物は、どこか嬉しそうな声を出して、そこにいた獣へと話しかける。
「えぬたまー、えぬたまー」
「ん? どうしたの、きゅーちゃん?」
甲高い声を出すのは緑色のまんまるい毛玉。
その毛玉のことを『きゅーちゃん』と呼ぶアメーバ状の獣。
おそらく、今、この場を目にした他の者がいたとすれば、この獣のことを粘性種の一種だと思い込んだだろう。
不定形なその身体は、この世界における、特徴的な種族のひとつが持っていたものだ。
だからこそ、獣はその身体になることができる。
最も効率的で、無駄のないその身体は、今の獣にとっても都合が良いものであったから。
「コトノハ周辺のおそうじが終わったのー」
「おー、すごいね。きゅーちゃんははたらきものだねー。えらいえらい」
『きゅーちゃん』が『お仕事の完了』を報告する。
その褒めて褒めてオーラを感じた獣は、自らの身体を動かして、『きゅーちゃん』の身体をなでてあげる。
これは、『眷属』に対する獣の自然な振る舞いだった。
頑張ったら、褒める。
それは獣にとっても当たり前のことだったから。
しばらくの間、むずがゆそうな、それでいて嬉しそうな仕草で、撫でられるままになっていた『きゅーちゃん』だったが、ふと不思議そうな声を獣に向けて浴びせてきた。
「えぬたまー、どうして、そんな恰好をしてるのー? 普段は人のすがたをしてるのにー」
「いや、それはね」
「あの『手』でなでられるほうが、いちじくは好きー」
「……ふぅ、解ったよ。九ちゃん、これで良いかい?」
「うん♪ ありがとー、えぬたまー」
不意に、アメーバ状の姿をしていたはずの獣が、その姿を一変させる。
人間種の、青年と思しき容姿へと形を変えて。
やれやれ、と嘆息しつつ、『彼』はそのまま、緑色の毛玉をなでる。
「えぬたまー。どうして、この姿じゃなかったのー?」
「それはね、九ちゃん。今、僕はお仕事中だからだよ。本当、片手間で処理できる分量なら良かったんだけどね。少しでも無駄を省かないとリソースがね」
あっという間に容量を超えちゃうから、と『彼』が苦笑する。
「本来、人間種の身体は情報の並列処理には向いてないからね。九ちゃんたちみたいに種族での情報共有の手段も持ってないし」
「そーなんだー」
「うん、そうなんだよ。でも、この姿にも意味はあるし、難しいところさ」
「話しかたもきちんとしてるよー?」
「そうだね。『共通言語』を使うなら、やっぱり、この身体の方がしっくりと来るかな。特に、別のところから来た人の『翻訳』と対する時にはね」
「そーなの?」
「そうなの。後は、僕の仲間も人型を採っている者が多いから、かな。一応、そういう意味では僕も『原初の竜』としての仲間意識があるからね」
「竜なのにー、人型なのー?」
「そう、竜なのに、ね。まあ、その辺にも意味があるんだよ。アールだったら、もっと詳しく説明してくれると思うよ」
ふふ、とこのお仕事への協力を断った仲間のことを思い出して、『彼』は微笑む。
『眷属』の中でも最も無邪気な『きゅーちゃん』を相手にしている時は、どこか気持ちが緩むのを感じる。
たぶん、この子の前では自然体でいられるからだろう。
『彼』への尊敬の念がない。
だけれども、『彼』に懐いている。
それは、たぶん、『彼』の『眷属』の中でも貴重な資質だから。
――――と。
しばしの間、仕事を中断して、『きゅーちゃん』をなでていた『彼』の元に、一本の緊急連絡が入った。
『エヌさま! エヌさま! 今の見てたよね!?』
『ちょっとー!? どういうことー!? エヌさま、返事してよー!』
「はいはい、どうしたの、ジェムニー? そんなにいきり立たなくても聞こえてるよ。わざわざ、緊急連絡のラインまで使って」
『エヌさま! ……って、あれ? 普通にしゃべってるの、エヌさま?』
「うん、ちょっと休憩。九を撫でてるとこだよ」
『うわあ、いいなあ、きゅーちゃん……じゃなくって! どういうことなのっ!?』
「あのね……ジェムニー。言いたいことはわかるけど、僕が理解できると思って、言葉を省略して話すのはやめなさいって言ったよね? そのやり方で慣れると、他の存在と意思疎通が取れなくなるからって」
質問はきちんと一から説明しなさい、と『彼』が諭す。
そこでようやく少し落ち着いた口調となった相手が、再び通信を続ける。
『それじゃあ話すけど、さっきのルーガの能力って何? 私の身体にも反応があったけど、何か関係があるの?』
「うん、もちろん。いや、僕もあの子にゼラティーナとのリンクが残っているとは思わなかったけど、まあ、結果としては納得かな」
『ちょっと、エヌさま、エヌさまの言葉の意味がわからない』
「まあねえ、だから、さっきの注意になるんだよ。僕みたいな訳の分からない話し方にならないように、って。相手の知識や認識を無視して話を進めるとこんな感じになるから、ジェムニーも気を付けるといいよ?」
『だったら、エヌさまも気を付けてよー!』
「はは、僕のはもう手遅れ。だから反面教師にするようにね」
『彼』は笑いながら、相手にせず、ただ、言葉を続ける。
「そうだね。じゃあ、ちょっとだけ解説。ジェムニーはあの能力の本来の使い手と同じ『因子』を持ってる。半分は僕のだけど。だから、あれは『母親』みたいな存在って思ってればいいよ。まあ、僕も彼女も性別にはとらわれないから、僕が『母親』であっちが『父親』でもいいけどね」
『えっ!? えっ!? 母親!? ちょっと待って、エヌさまー!?』
「ダメダメ。これ以上は待たないよ」
『……ちなみに、さっきの能力って、ルーガならいつでも使えるの?』
「心配しなくても、無理。そもそも、ゼラティーナの能力を十全に使うためには、今のあの子程度の容量じゃお話にもならないから。だから、本来の力を全然発揮できてなかったじゃない。限界まで頑張って、精々が相手の表面だけ丸裸にしただけだもの。いや……僕としても、それで助かったというべきか。ゼラティーナは協力側とはいえ、本来の能力を再現するとなると、それだけで容量が……うん、結果としては良かったね」
『エヌさま! ひとりで納得しないで!』
「まあ、その辺は確信犯じゃないかな? ゼラティーナのことだから、何も考えてないように見えて……ってところもあるだろうし。ふむふむ……そうなると、『彼』の方にはどのぐらい残っているのかな? ふふ、いいねえ。イレギュラーだね。あの子も他の迷い人と同じぐらいにはイレギュラーだね。うん、楽しみだ」
『ちょっとー! エヌさま! 結局、どういうことなのー!?』
「僕であり、君たちが解決すべきイレギュラーってことさ。良かったね、ジェムニー、責任重大だよ」
『良くないっ! あーもー! こうなったら、レイさんに相談しようかなあ……』
そこまでぼやきが聞こえた後、ぷつんと通信が途絶えた。
どうやら、諦めたらしい。
「えぬたまー、えぬたまー、あれでいいの?」
「いいんだよ、九ちゃん。あんまりね、僕に頼ることを覚えない方がいいのさ」
そう言って、『彼』は緑色の毛玉に対して微笑む。
「与えられた情報をどう扱うか。それを自分で考えるのが大事なのさ。蒐集だけではだめ。取捨選択を加えてもまだ足りない。正誤を見抜く力、僕はね、九ちゃん。あの子たちの親代わりとして、そういうことを教えてあげたいと思ってるんだよ」
「よくわかんないー」
「うん、そうだね。九ちゃんはそれでいいよ」
本能でわかってるから、と『彼』はまた毛玉をなでる。
もしかすると、この子が一番賢いかもしれない、と。
「僕が疲れたなあ、って思った時に合わせて、わざわざここまでやってくる。それだけでも得難い資質だよ」
そう言って、『きゅーちゃん』をなでるのをやめて。
『きゅーちゃん』が元の場所へと帰っていくのを見届けた後。
また『彼』は、元のアメーバ状の姿に戻って、仕事に勤しむのだった。




