第297話 町長、伝言に悩む
「夜が来ましたね」
日もすっかり暮れて、夜のとばりが森を包み込んでいくのを確認して。
自らの『木のおうち』にある自室へと戻ったラルフリーダは、ぽつりと言葉を発した。
「やはり、気になられますか、ラル様」
そんな物憂げな主に対して、横に控えていた犬顔の戦士然とした男が心配そうに声をかける。
今、この場にいるのは犬顔の戦士ことフルブラントと、銀狼のクリシュナから護衛任務を引き継いだノーヴェル、そして、領主の事務仕事をサポートしている妖精のイージー、その三人のみだ。
三人とも、ラルフリーダにとっては長い年月を共に歩んできた、なくてはならない存在だ。
だからこそ、少しだけ、領主としての仮面を脱いで、素の自分の感情を吐露してしまうこともある。
それだけ、今回の異変はラルフリーダにとっても、手に余ると判断せざるを得ないほどの大きな山となってしまっていたからだ。
ややあって、フルブラントの問いに対して、ゆっくりと頷くラルフリーダ。
「はい。もし仮に、アリエッタが私たちを裏切っていない場合、むしろその方が状況としましては、まずいことになりますからね」
「…………フルブラント、本当にさっきのそれ、アリエッタの伝言?」
「おそらくは。少なくとも、ラル様への配慮は感じられたからな。裏切った、というよりも、事情があってラル様との接触を控えている、というのが正しいのだろう」
「ノーヴェル、あんた、『遠征班』が得た情報を疑ってるの? あたしもフルも嘘は言っていないわよ」
「…………わかってる。でも、そうなると、なぜアリエッタは身を隠す?」
別に疑ってない、とノーヴェルもふたりに対して首を横に振る。
ただし、アリエッタと連絡が取れなくなっていることも事実だ、と釘をさす。
「…………いくらなんでも、お嬢様や『森の護り』による捜索から、ずっと見つからずにいられるなんて、普通じゃない」
「うむ、おそらく、魔女が味方についているのだろうな」
隠匿系の能力付与なら、魔女たちが秀でている、とフルブラントが頷く。
「ええ。フルブラントの言う通りですね。そもそも、この伝言の中にもそれを示唆する内容が含まれていますから」
「『予言』と思われる内容ですね?」
「はい、その通りです。『コッコの儀式、夜宴化の予言あり。ご注意を』。こちらの一文で、はっきりと『予言』であることを示しております」
「予言かあ……あたしは詳しくは知らないけど、あれって、確か、ほんの少し先のことが何となくわかる、ぐらいの力なんでしょ? 『虫の知らせ』ってのを持ってる子なら覚えがあるし」
「そうですね。イージーが言う『虫の知らせ』は『予知系』の能力ですね。ですが、『予言』クラスとなりますと、そもそも、使える方がかなり限定されます。アリエッタと知己があり、その能力に長けている方になりますと、私もひとりしか知りません」
言いながら、ラルフリーダは昔出会った、気さくな女性の姿を思い出す。
にひひっ、という独特の笑いかたでどこか正体不明ではあったけど、何となく、心を許してしまうような、そんな不思議な雰囲気を持っていた女性。
『魔女』で『予言・予知』という能力を冠しているのは、少なくとも他に聞いたことがなかったから。
「『予知の魔女』シプトンさんでしょうね。私も以前、アリエッタの仲介でお会いしたことがあります。どちらかと言えば、魔女らしからぬとでも言いますか……他の『魔女』さんにはない親しみやすさを感じる方ではありましたね」
「ウィッチ・シプトン……ですか」
「…………知らない。イージー、知ってる? 有名?」
「うーん、噂だけならね。あたしのひいお婆ちゃんから、かな? 妖精種の本拠というか、地下王国があるじゃない? そこで昔トラブルがあったらしくて、それの解決に関わったとか、そういう話は聞いたけど?」
あたしは会ったことはないけど、とイージーがノーヴェルの問いに答える。
それを見て、ラルフリーダも頷いて。
「こと、『予言』……未来予知に関しては、魔女の中でも当代随一、だそうですよ? もっとも、私も『予言』というものがどのようなものなのかは、詳しくはわからないのですが」
「…………お嬢様も?」
「ええ」
正直なところ、『予知系』の能力については謎なことが多い。
もし、未来が見えているのであれば、それは変えることが可能なのか、それとも、その『予知』がなされることも含めての未来なので、不変なものなのか。
それすらも、ラルフリーダにはわからないのだ。
「所持している方が少ない、あるいは隠している方が多いせいで、未だに得体の知れない能力なのですよね。環境群の動きを見て、明日の天気を予測するぐらいでしたら、お婆様も、そして私も可能なのですが、それも『予知』に含まれるのでしょうか?」
「さて……確かに判断が難しいですな」
「というか、お嬢様、明日の天気がわかるの? それはそれですごいけど、あんまり意味はないわよね」
「そうですね、晴れていようと雨が降ろうと、私たちにとっては恵みですからね」
そう言いながら、小首を傾げるラルフリーダ。
「ですが、シプトンさんには実績があります。その未来予知に関する信頼が。ですから、そろそろ何らかの事態が生じる可能性が高いです」
そう。
何かが起こる可能性が高い。
その『何か』は、コッコの儀式に関係していることで間違いないだろう。
「だから、お嬢様もちょっと対策っぽいことをしたんでしょ?」
「はい、イージー。あの『儀式』が始まって、すでに半日が経過しました。おそらく、すでに『陣』は描きあがっているはずです。ですから、何かが起こるとすれば――――」
おそらく、儀式が次の段階へと進んだ時だろう。
コッコの儀式は前に目にしたことがある。
『陣』が構築された後。
次はその『陣』を起動させて――――。
「『飛ぶ』、『招く』。おそらくですが、招いたコッコの状態が……ということだと思われます」
「…………なるほど、だから」
「うむ、だからこそ日暮れまでに、子供たちや戦闘が不得手な住人たちには家に戻ってもらったのだよ。あそこに残っているのは、多くは冒険者や『自警団』の関係者、それと『森の護り』の一群ばかりというわけだな」
「あれ? まだお店とか残ってなかったっけ?」
「ああ見えて、商業ギルドも武闘派が多いからな。十分、戦力にはなるだろう。そもそも、カガチ殿にもお嬢様より、そのことは通達済みだ」
「そうだったの?」
へえ、と感心したようにイージーが笑う。
それに対して、ラルフリーダも頷いて。
「クリシュナもそちらの護りについてもらっています。後は、私も要石から後方支援する形になりますね」
「……やれやれ、お嬢様が力を示せば、一発なのにね」
「それはできません。今はまだ余力を残す必要がありますから」
そう言いながら、ラルフリーダはアリエッタからの伝言の一文を思い出す。
『自戒。自制。気を付けて』
正直、アリエッタが何を伝えたいのかがわからない。
ただ、何となく、わかるような気もしていた。
ラルフリーダにとって、自分が抱えている違和感。
それの正体について、アリエッタは気付いている、と。
そう、感じてしまったから。
「こちらは『予言』かはわかりません。ですが、アリエッタの立ち位置がどうであれ、私がここで力を使い果たすわけにはいかない、ということです」
「まあね。もし、お嬢様を裏切っていたなら、絶好の隙になるもんね」
「…………そうなっても、護る」
「そういうことだな。アリエッタが何を企んでいるのかは知らないが、すべきことははっきりしているだろう? そうですね、ラル様?」
「ええ。フルブラントの言う通りです。今は、私たちは不測の事態に備えるのが為すべきことでしょう」
言いながら、内心で嘆息するラルフリーダ。
何か起こる可能性もある。
しかし、この情報自体がでたらめで、何も起こらない可能性もある。
事前に情報を流せば、対応はしやすくなる。
だが、もし何も起こらなければ、儀式そのものを邪魔するだけになってしまう。
後手に回らざるを得ないもどかしさを感じながら。
状況の推移をじっと待ち続けるラルフリーダたちなのだった。




