第275話 農民、調薬を行なう
『調合』に関して。
すでに俺やハヤベルさんの間で明らかになっている組み合わせについて、簡単に作りながら、説明すると、だ。
まず、基本形。
『パクレト草』+『ミュゲの実』=『傷薬(丸薬)』だ。
まあ、この組み合わせはあくまでも最小限の材料のみを示した式だな。
これだけでも実際、『調合』することは可能だが、俺やハヤベルさんのレベルでは、そのままで作業を行なうと、高確率で品質が低下するのがわかっている。
『パクレト草』+『ミュゲの実』+『水』=『傷薬(丸薬)』or『薬水』。
と、こういう風になる。
熱して炒るという工程があるため、水を要素に加えることで焦げなどによる品質劣化が抑えられることがわかっている。
もっとも、水を加え過ぎると、『薬水』という形になり、これはこれで大幅に効能が減少してしまう。
反面、薬としての量そのものは増えるので、使う素材を厳選すれば、これもいずれは『薬油』クラスの効能を発揮するようになるかも知れないな。
「そうだよ、ビーナス。それで基本の傷に効く丸薬は作れるのさ」
「ふーん、思ったより簡単なのね? 確かにこれだったら、わたしもできそうだわ」
横では、サティ婆さんによる基礎講座が行なわれているな。
実際、手先が器用で、かつ設備と器具がそろっていれば、モンスターの種族でも『調合』はできそうだよな。
いや、俺たちもサティ婆さんの家でないと厳しいんだけどな。
設備も器具も自前のものがまだ用意できていないし。
ちなみに、さっきの式は、素材をみじん切りしたり、熱したり、煎じたり、冷ましたりする工程はすべて省略されている。
そこから先のことは、あくまで個々の薬師による工夫って話になるのだ。
なので、仮に他の誰かのレシピを知ることができたとしても、同様の品質の薬を再現するのは簡単ではなさそうだ。
まあ、その辺は、料理のレシピと同じだな。
ちょっとの工夫が味の差となって現れるという意味では、どちらもレシピだけでは再現困難なのは変わらない、と。
「ハヤベルさん、基本の傷薬のレシピに油脂を加えると品質が少し向上、でしたよね?」
「はい。セージュさんの予測した通りですね。どうやら、こちらの世界の動物……いえ、モンスターの脂は、向こうの一般的な油と異なる性質があるようです」
『パクレト草』+『ミュゲの実』+『ぷちラビットの脂』=『傷薬(丸薬)』
この場合、普通に作るよりも品質が1から2ほどの向上が見られたそうだ。
水の代わりに脂を使って、それで練るという感じだろうか。
ただ、ハヤベルさんによると、この場合、品質が向上した理由が『焦げにくいから』だけではないとのことで。
「おそらくですが、こちらの世界の『調合』では、『油脂』というのが鍵になっていると思われます。まだ現時点では推測ですが、今までの傾向としまして、『油脂』を使用した場合、それ以外の複数の素材を馴染ませやすくする効果があるようです」
私も『薬油』の存在を知ってから、改めて気づいたことですが、とハヤベルさんが笑顔で続けて。
「『油脂』……今のところは、まだ動物性の脂しか試せておりませんが、いわゆる『あぶら』には他の素材の効能を受け止める力があるように感じます。効能が溶け出す、とでも言うのでしょうか」
「ふふ、まあ、良い線だね。あたしからもヒントをひとつ。全ての『あぶら』がそうであるわけじゃないよ? そこには属性のバランスも絡んでくるからね」
あっ!?
サティ婆さんがヒントをくれたぞ?
「サティ婆さん、『属性のバランス』ってことは、素材にはそれぞれ属性の要素があるってこと?」
「そうだよ、セージュ。レシピだとそこまで触れないけどね。ぷちラビットの場合は、基本属性の偏りがほとんどないから、それで効能が感じ取りやすいんだよ。ふふ、偶然とは言え、この町の側に多く生息していて良かったねえ」
そう言って、サティ婆さんが笑う。
ふうん?
つまり、『ぷちラビット』の素材は基本属性が中庸ってことか?
無属性ではなく、バランスが取れているって意味で。
そういう意味では、薬師のための素材として最適ってことらしい。
まあ、偶然かどうかは怪しいけどな。
たぶん、この辺もエヌさんとかによる調整が入っている結果だろう。
生産系の作業が、最初っから難しいと成り手がいなくなるからな。
「実はうさぎ系のモンスターって、バランスが良いからねえ。まあ、その分、脂の量は取れないから、ある意味、帳尻は合ってるさね」
「ああ、それで蛇の脂を試そうとしたら失敗したのですね?」
「あれ? ハヤベルさん、蛇の脂も試してみたんですか?」
「はい。すべて、失敗となりましたが」
てっきり、私の力量不足だと思ってました、とハヤベルさんが納得したように頷く。
なるほど。
脂なら何でもいいってわけじゃない、と。
「だから、昨日も言ったろう? 『薬油』を再現するためには大きな壁があるって。それが属性のバランスだよ。どういう分量の組み合わせだと、薬効が『あぶら』に溶けだすか。その薬効がすぐに身体に吸収されるか。ちょっとでも間違えると薬効が低下し、ちょっとでもバランスが崩れると即効性を失う。だからこそ、『薬師』の間でも『幻の薬』って呼ばれていたのさ」
「……すごいものだったのですね、『薬油』って」
「そうさ。ふふ、だから、ハヤベルや。あんたは誇ってもいいよ。偶然とはいえ、ここまであっさりと『薬油』の製法にたどり着いたのは、あんたが初めてだろうからねえ」
あたしでも諦めていたところがあるから、とサティばあさんが肩をすくめる。
それほどに、仙人さんたちが秘匿している『薬油』の製法は難しいから、って。
素材も不明。
分量も謎。
属性バランスに至っては、ヒントすらなし。
本当に、おびただしい数の試行錯誤が必要になる、と。
「もっとも、それが『薬師』の本懐でもあるけどね。本来、癒しの力ってのは、ことわりを壊す力でもあるからね。魔法としても、存在はするけど禁忌。副作用がひどすぎて使える代物じゃないんだよ。だからこそ、だね。その不可能に挑むのが『薬師』さね」
どこか誇らしげに言うサティ婆さん。
何となく、その姿は恰好いいよな。
何で、精霊種であるはずのサティ婆さんが、そこまで『薬師』に魅了されたのかは知らないけど、どこかそのきっかけの一端が見えたような気がした。
ただ、それはそれとして。
一点、気になったことがあったので、サティ婆さんに聞いてみた。
「サティ婆さん、回復魔法ってのは存在するんですか?」
「存在はするよ。ただし、使い物にはならないね。例外と言ってもいいのが、教会の『聖女』が使う治癒だね。それ以外で他者を癒すって能力はあまり聞いたことがないねえ。セージュたちは、『聖女』の治癒を受けたことは?」
「まだないですね」
「わたしもないよ」
「きゅい――――!」
「私もそうですね。確か、不眠猫さんは受けたことがあるはずですよ?」
あ、そういえば、『けいじばん』でもそんなことを言ってたもんな。
前に教会で写る楽さんと会った時も、『聖女』の話は聞いたっけ。
『僕は、魔法じゃないっすけど、受けたことはあるっすよ? その『聖女』さんって人からじゃないっすけど』
「あ、そっか! そういえば、ラルフリーダさんのあの能力って……」
ベニマルくんの言葉で思い出す。
確かに、前にラルさんは鳥モンさんたちの傷を治したりしてたっけ。
あれも『奪う』と『与える』の能力によるものだろうけど。
でも、あれは、即座に回復してたよな?
ふと、疑問を含んだ目でサティ婆さんを見ると。
「ふふ、その辺りが鍵だねえ。『聖女』の回復魔法も理屈は変わらないはずだよ? まあ、もっとも、使い手を選ぶ能力であることに変わりはないけどね」
『ちなみに、ラル様の力が魔法かどうかは僕も知らないっすよ』
けっこう謎が多いんすよ、とベニマルくんが苦笑する。
――――と。
「ちょっとマスター! それに他のみんなも! しゃべってばかりいないで、作業しないといつまで経っても終わらないじゃないの!」
「あっ! ごめん、ビーナス」
お祭りは!? とちょっとおかんむりなビーナスに謝る俺たち。
「ふふ、そういうことなら、もうちょっと急ごうかねえ」
そんなサティ婆さんの言葉に、一同頷いて。
引き続き、黙々と薬の『調合』を続けるのだった。




