第252話 農民、台所でサティ婆さんの話を聞く
「おやおや、セージュや、お帰り。ちょうど遅めのお夕飯ができるところだから、もう少し待っておくれ」
「ただいま戻りました。いや、それもそうなんですけど、あのですね――――」
「ふふ、わかってるよ。慌てなくても大丈夫だよ」
台所の方へと行くと、サティ婆さんがせっせと食事の用意をしているところだった。
というか、俺たちが来たのは気配でわかったらしい。
鍋の方を向いたまま、振り返らないで俺のことを呼んだからな。
いつものように、サティ婆さんお手製の汁物だな。
味噌汁とは大分違うけど、少し離れていても香ばしい香りがするのだ。
何となく、嗅いでいるだけでお腹が空いてくるというか。
「セレスタさん……よね?」
「おや……これは驚いたね。セージュが精霊を連れて帰って来たと思えば、まさかあんたが来るとはね」
フローラさんの声に気付いたらしく、サティ婆さんが少し目を丸くして、こちらの方を振り返った。
というか、セレスタさん?
そっちがサティ婆さんの本名なのか?
あれ?
でも、カミュが前に真名とか言ってなかったか?
俺がそんなことを考えている間にも、ふたりの会話は続いて。
「精霊種の気配の中に、ひとつ大きいのがあったから、おやって思ったんだけど、確かにあんたなら納得さね。どうだい? 元気にしてたかい?」
「ええ。『森』の方は相変わらずね。と言っても、セレスタさんが行方をくらましてからも色々あったわよ」
「ふふ、そのようだね。あんたも大分険が取れているようだしねえ。いい傾向だよ」
「……まあ、多少は私も成長するわよ? 大体、セレスタさんと最後に会ったのって、かれこれ百年以上前の話じゃない」
「おや? そうだったかねえ? あたしゃ、最近、年を数えるのが億劫になっていてねえ。そんなに経っていたかい」
そう言って、しみじみと顔をほころばせるサティ婆さん。
それを見て、眉根を寄せつつも、口元だけは苦笑を浮かべるのがフローラさんだ。
半分冗談として受け取っておくわ、って。
ただ。
今、サティ婆さんは、フローラさんからの言葉を否定しなかったな?
俺となっちゃん以外は、この場にはウルルちゃんたちやフローラさんといった、『精霊の森』の関係者しかいない。
だからこそ、サティ婆さんもそっちの顔を見せてくれたのか?
まだ、口を挟む段階じゃないので、俺が黙っていると、サティ婆さんがウルルちゃんたちの方へと視線をやって。
「そっちの子たちは、あんたの子かい?」
「そうね。私の子の中でも、『名』を継いだ子たちね。もっとも、こっちのシモーヌは私の本当の子供じゃないけどね。それでも、ルルラルージュの名を受けた子よ?」
「なるほどねえ……人の身で、かい。ふふ、まったくもって気分が良いね」
どこか嬉しそうにサティ婆さんが微笑んで。
一方、フローラさんウルルちゃんたちの頭を下げるように促して。
それに応じて、ウルルちゃんとアルルちゃんが姿を現す。
「ほら、三人とも、あいさつしなさい」
「はーい。ウルルだよー、よろしくねー」
「ウルル、あんたね……もうちょっときちんとしなさいよね? お母さんから、相手が同族である場合の名乗り方を教わったでしょ? 私はアルル・ルルラルージュよ」
「あのね……ウルルもひどかったけど、アルルもそれだと間違ってるわよ? シモーヌは覚えてるかしら?」
「はい、お母さん。えっと…………『我、シモーヌ・ルルラルージュは、四象の王の統べる森が、木と水の健やかなりし庭の担い手、フローラ・ルルラルージュの斎娘』……です。よろしくお願いします」
「はい、よくできました、シモーヌ。ね? アルル、ウルル、もうすでに簡略化されているとは言ったけど、最低限の定型は崩さないように、って教えたでしょ? どうしてシモーヌが一番しっかり覚えているのよ?」
「えー、でも、お母さん、それ覚えられなくて苦労してた時、グリードおじさんがやってきて、『もうそういう時代じゃないから』って言ってたよー? ねえ、アルル?」
「そうよね、ウルル。『外』に出るのなら、かえって不自然になるから、真名だけ名乗ればいいって聞いたわよ、お母さん?」
「あれー? ウルルは名前だけって聞いたよー?」
「あら? だからさっきのになったの?」
「うんー」
「…………まったく、あの男は」
そう言って、嘆息するフローラさん。
というか、少し怒りで震えてるし。
それを見て、サティ婆さんが苦笑して。
「まあ、グリードが言ってることも間違ってないけどねえ」
あんまり怒らないように、ってサティ婆さんがフローラさんをなだめる。
名乗ることで種族が露見しやすいから、人目のある場所などでは名乗るべきではないってのは、決して間違いじゃないから、って。
「フローラが言うように、名乗りが神聖であるのも事実だけど、本当に大切なのは小精霊がやり取りされることだからね。ふふ、そういう意味では、三人ともきちんと『挨拶』できていたからねえ」
そう言いながら、サティ婆さんがウルルちゃんたちの頭を順番に撫でる。
その手が淡い光を伴っているのに気付く。
あ、そういえば、ウルルちゃんたちが名乗った時、かすかに手が光ったような気がしたな。
本当に、かすかな光のようで見過ごしてしまったけど、今のサティ婆さんの撫でている時のは、はっきりとその光が見えている。
つまり、これが『小精霊のやり取り』ってやつか?
ただ、ちょっと待て。
さすがにサティ婆さんには聞いておきたいことがあるぞ?
「サティ婆さん、ちょっといいですか?」
「ふふ、何だい、セージュ?」
いや、俺が何を聞こうとしているのか絶対わかってるだろ、サティ婆さん。
どこか楽しそうにというか、悪戯っ子みたいな顔してるし。
まあ、いいや。
今なら、あんまり隠す気もなさそうだしな。
「確認なんですけど、サティ婆さんって、精霊種なんですか?」
「ふふ、そう思うのなら、『鑑定』してご覧よ。あたしが許可するから、失礼にはならないよ」
「あ、はい、わかりました」
その言葉に頷いて、俺は『鑑定眼』を使う。
あれ?
待てよ? 精霊種って、今の俺の『鑑定眼』じゃ通用しないよな?
そう思ったのだけれども。
名前:サティト・ルルフレイン
年齢:◆◆◆
種族:人間種
職業:薬師(◆◆◆◆)
レベル:◆◆◆
スキル:『身体強化』『水魔法』『風魔法』『調合』『薬師の目利き』
あれっ?
普通に『鑑定』できたぞ?
いや、それはそれとして、ちょっと待てよ。
「あれ……人間種、ですね」
「ふふ、つまり、そういうことだねえ」
さっきと同様にどこか面白げな表情で微笑するサティ婆さん。
いや、でも、これステータスがおかしくないか?
さっき、フローラさんに『セレスタ』って呼ばれたのも否定しなかったし、アルルちゃんたちが『同族』って言った以上は精霊種でなければおかしいし。
それに、だ。
そもそもの違和感はスキルだ。
明らかに数が少ない。
たったの五つしかない。
いや、もちろん、ルーガみたいなケースもあるし、たまたま、今まで俺が出会った人たちのスキルの数が多かっただけって可能性もあるが。
明らかに妙な点がある。
「……サティ婆さん、『採取』のスキルはないんですか? あと、『暗号学』も」
少なくとも、このふたつのスキルは持っていないとおかしい。
だからこそ、俺もこの『鑑定』結果に疑問を抱いていたのだが。
「ちょっと、セレスタさん、さすがに少し意地が悪いわよ? そもそも、私たちと会った最初から隠すつもりもなかったじゃないの」
「ふふ、まあ、セージュもあたしの『薬師』の弟子だからねえ。秘されたことに対して、どこまで切り込んでいけるか、そういう部分での心構えを教えたかったのさ」
フローラさんの言葉にやれやれと肩をすくめるサティ婆さん。
あまり助け舟を出さないように、って。
……って、あれ?
どうやら、それも含めてのテストってことだったらしい。
――――ということは?
「やっぱり、ステータスが間違っているんですか?」
「そういうことさ。あたしの場合は『種族隠蔽』だね。あと、それと『人化』。それらを複合して、今のステータスに見せているのさ。セージュが見ているスキルは、あたしの能力の中でも、セージュの目の前で使ったスキルだけに限定されているんだろうね」
あ、なるほど。
だから、スキルの数が少なかったのか。
ただ、横で聞いてたフローラさんがその言葉に首を捻って。
「でも、セレスタさん。それだけなの? だって名前も変わっているじゃないの」
「ああ、そっちはまた別の話だねえ。今のあたしは真名がサティトで正しいのさ。だから、生憎だけど、前にあんたと会った頃ほどの力はないからね」
「えっ!?」
「だから、また、『森』に戻ってくれって話も聞けないのさ。そもそも、あんたたちにとっても無意味だからねえ。今のあたしには、あそこを治める力はないんだよ」
「そんな……未だに『三区』は空白状態なのよ?」
「ふふ、なら、若い力を育てるしかないねえ」
どこか愕然としているフローラさんに、サティ婆さんが笑いかける。
肩をぽんぽんと叩いて、諦めが肝心だ、って感じで。
ただ、今の話で大体のことはわかった。
だから、俺も確認する。
「フローラさん、サティ婆さんって、精霊種なんですね? しかも、『三区』の」
「……ええ。元『三区』統括、セレスタ・ルルフレインね」
「だから、俺にくれた『深淵の水』を入手することができた、と」
「まあ、そういうことさね」
そこでようやく、サティ婆さん本人が同意してくれて。
「ま、そのことを知ってるのは、この町でもごくごく一部だよ。だから、これはここだけの話ってことにしておくれ」
そう言って、俺たちに笑みを返すサティ婆さんなのだった。




